本当に人を助ける
とは
どういうことでしょうか?
企業現場で
たくさんの方々と
向かい合っていれば、
否が応でも
この問いとも
向き合うことになります。
「助ける」
とは
何だろうか?
助けているつもりでも
それは実は、
自分が助けられている
のではないだろうか?
今、私は
この人を助けている
つもりになっているが、
それをしながらも
ただ単に
この人に依存している
だけではないか?
本当に私のこの
「助け」は、
この人が望んでいる
ことなのだろうか?
単なる「有難迷惑」では
ないだろうか?
私は
私の自己満足で
人を助けているだけでは
ないだろうか?
・・・そのような問い達。
いつもそんな
自分自身への疑念と
否が応でも
向かい合うことに
なります。
そもそも、
本当に人は人を
助けられるもの
なのだろうか?
助ける、という
考え方自体が
間違っているのでは
ないだろうか?
「たけうちさん、
助けてください!」
この仕事をしていれば、
そのようなお声は
結構あります。
本当に苦しんでいる
人からの
藁をもすがるような
思い。
そんな
「助けてください!」
を目の前にして、
私はいつも
上記のような問いに
苛まれてきました。
答えがわからないままに
手を差し伸べて
ものすごく後悔したことも
一度や二度では
ありません。
助ける、とは
何でしょうか?
本当に人には
「助け」が
必要なのでしょうか?
・・・・・・
でも一方で、
私は随分といろんな人に
これまでの人生で
助けられてきました。
あの「助け」がなかったら
今の私はないな、
と思えるものも
たくさんあります。
それを思い起こすたびに
手を合わせたく
なります。
人は
一人では生きられない。
人の助けなしでは
進めない時もある。
それは一つの
事実ですね。
・・・・・・
私が大学1年生、
登山をやっていた時の
ことですが、
初めて日本アルプスの
長期山行に入った
初日、
キツかったですね。
一人50kg以上のザックを
背負い、
14時間、山道を
登りづくめでした。
とうとう1年生の一人が
動けなくなり、
その時に
そのパーティーの
サブリーダーさんが
その1年生のザックから
重いものを自分のザックに
移し、
代わりに持ってあげたんです。
それによって
その1年生は何とか
ヨタヨタと歩くことができ、
無事に予定の場所まで
たどり着くことが
できました。
今思うと、
私はこれこそが
「助ける」ということだと
思います。
助けるとは、
一時的に
その人の荷物を
肩代わりすること。
しかし、
どれだけ肩代わりしても
その人が
自らの足で
歩くことは変わりません。
その道は
その人が
歩くべき道。
歩くべき道を
その人が歩く、
というのを
侵害してしまっては
いけません。
なぜならその道は
その人の人生
だから。
その人の人生は
その人の
ものだから。
その人の人生を
「歩かなくていいよ」
というのは
「助け」ではなく、
「侵害」です。
「侵略」です。
そして、
「妨害」です。
と私は思うのです。
しかも
ザックの荷物を
代わりに担ぐのは
短い時間であれば
あるほどいい。
その見極めこそが
すごく大事であり、
そこに自己満足は
入ってはならない、
のだと
私はつくづく
思います。
・・・・・・
人には
「助け」が必要な時が
あります。
それは
事実です。
しかし
「助け」が不必要な時も
あります、
どれだけ苦しくても。
必要か不必要か?を
判断できる人こそが、
私は「コーチ」であると
思っています。
そして、
必要か不必要か?は
コーチが解釈して
決めるものでは
ありません。
それを決めるのは
その人本人の
真本音です。
つまり、
その人の真本音が今、
「助け」を
必要としているか?
していないか?
を、しっかりキャッチすることが
必須です。
そういった意味での
「コーチ」力を
私はすべての人が
持てればいいなと
思っています。
・・・・・・
人の真本音を
キャッチする力を
養う最も近道は、
自分自身の真本音を
キャッチする力を
養うことです。
そのためには
セルフコーチング力を
高めることです。
・・・と、
やっぱり最後は
ここに落ち着きます。
キーワードは
セルフコーチング。
その力を高めるための
記事を
これからもここでは
書かせていただきますね。
つづく