もっと真剣さが必要だ

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真剣な人生を

生きることと、

適当な人生を

生きることは、

イコールです。

 

・・・と言うと、

ちょっと極端すぎますか?

 

よく私は、

研修やチームコーチングの

最中に

 

「もっと適当に

やってくださいよ」

 

という言葉を

かけます。

 

なぜならみんな

真面目過ぎるからです。

 

いえ、

真面目なのは

とても良いことだと

思っています。

 

真本音度合いも

結局は

真面目な人ほど

早く高まる傾向が

ありますし。

 

しかし、

真面目過ぎると

「深刻」になって

しまうのですよね。

 

深刻さは

実は、

何も生みません。

 

深刻な思考による

物事の決断は

道を開きません。

 

と断言しても

よいと思っています。

 

そして私は、

「適当」の対義語は

「深刻」ではないかと

思っています。

 

そして

「適当」の同義語が

「真剣」であるとも。

 

真剣な人は

いつも

肩の力を抜き、

朗らかで

軽やかです。

 

真剣な人ほど、

私は

表面的には

「この人、ホント、

適当だな」

と笑ってしまうのです。

 

・・・・・・

 

真剣さとは、

全力を尽くす

ということでは

ありません。

 

真剣さとは、

 

「どこで自分が

全力になるかを

見極める」

 

ことです。

 

本当に全力になるべき

ところで

自分の全力を

きちんと発揮できる

こと。

 

その状態を

常に持ち続けて

いること。

 

そういった人を

観ると、

私は

「真剣な人だなぁ」

と思います。

 

常に

何かに必死で、

「私は頑張ってます」感

を出している人は、

残念ながら私は、

「真剣じゃないなぁ」

もしくは

「この人は、

真剣さというものをまだ

わかってないんだな」

という見方をします。

 

・・・・・・

 

私は、

すべての人が

真剣に生きるといいな

と思います。

 

真剣に生きれば

必ず道は

開きます。

 

しかも

自分の望む現実が

拓かれていきます。

 

そのためには

深刻にならないこと。

 

そのためには、

自分の中の

深刻なものと

しっかりと

向き合えること。

 

深刻さから

逃げることで私達は

本当に深刻に

なります。

 

深刻さと

対峙することで、

私達は

深刻さから

自由になれます。

 

ただし、

その対峙の仕方が

大切です。

 

こここそを

私はすべての人に

お伝えしたい。

 

これが

私の言うところの

セルフコーチングの

真髄です。

 

対峙すべきものと

対峙する。

 

そして、

それをすればするほど

どんどん軽くなる。

 

深刻さから

解放されて

自由になる。

 

そして、

適当に、さらに

真剣に

人生の一歩一歩を

楽しめる。

 

一日一日の

満足感が

格段に上がっていく。

 

私の人生は

最高であると

思えるようになる。

 

すべての人が

そうなれると

本当にいいなぁ、と

私は願います。

 

つづく

 

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