月は、月だ

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26歳。

 

私は、ガンジス川の

ほとりにいた。

 

1泊100円にも満たない

ボロホテルに

個室をとった。

 

ホテルと言っても、

窓にガラスはない。

 

トイレもシャワーも

共同で、

確か、6畳一間くらいの

広さ。

 

そこに、

何十日洗ってないのだろう?

と思えるくらいの

汚いシーツのベッドが

一つ。

 

何十匹いるんだろう?

と思えるくらいの

ヤモリとゴキブリが

床や壁にうごめく。

 

私はベッドの上に

あぐらをかき、

窓から見える

目の前のガンジス川を

眺めていた。

 

ガンジス川の

向こう岸は

神聖な場所みたいで、

人は誰もおらず、

ただ何もない大地が

広がっていた。

 

陽はとっくに沈み、

その大地から

月が昇っていた。

 

私は驚いていた。

 

その月は

とても大きく、

そして真っ赤だった。

 

赤い光は

ガンジス川の水面を

照らし、

向こう岸からこちら側に

赤い光の帯が

続いていた。

 

とても

この世のものとは

思えない光景。

 

シンシンシン・・・

という空気と

時間の流れが

聞こえるようだった。

 

時々、ガソゴソと

ヤモリだかゴキブリだかの

気配がすることで

私はちゃんとこの世に

いるのだな、と

自覚できた。

 

私はその日

会った人のことを

思い出していた。

 

その日、私は

インド人の泥棒さんに

会った。

 

どんな経緯か

忘れたが、

私はその人と安食堂で

食事をした。

 

そこでその人が

泥棒さんだと

知った。

 

彼は言っていた。

 

「俺は、ガンジス川に

沐浴するためにここに来た。

泥棒をいつも続けて

いるので、

時々ここに来るんだ。

ガンジス川に入れば、

すべて清められる。

神様から許して

もらえるんだ。

で、安心してまた泥棒が

できるってわけさ。」

 

彼の話を

聞きながら、

私は別の日に出会った

インド人を思い出して

いた。

 

その人は

自ら会社経営を

している人だった。

 

やはり経緯は忘れたが、

その人とは

人生について語り合う

展開になった。

 

当時まだ若かった私は

その人に

ダイレクトに

訊いたもんだ。

 

なぜ信仰を

するのですか?

と。

 

彼はとても真面目な

顔で

丁寧に答えてくれた。

 

「私達人間には

到底自分の力の及ばない

ことがある。

例えば、天変地異に

遭ってしまうとか。

だから私は、神様に

今日も一日無事に

過ごせますように、と

お祈りをするんだ。

しかしあとの人生は

すべて、自分次第だ。

人生とは、人間が

人間として創り上げていく

ものだ。

私は神様に祈ることで、

全力でその日一日に

向かうことができるんだ。」

 

同じ宗教なのに、

こうも考え方が

違うものか、と

私は驚いていた。

 

世の中にあるものに

対して、

あれが正しい、

あれが間違っている、

すぐに人は言う。

 

しかし本当は

そこが大事ではなく、

自分がそれに

どう関わるか?

自分がどう

生きるか?

 

そここそが

大事ではないか。

 

それにより

人生も現実も

根底から

変わるのではないか。

 

と、

私は思った。

 

だって、

月は、月だ。

 

月は、

ただそこにある

だけだ。

 

・・・・・・

 

ガンジス川の月は

だんだんと

天に昇っていく。

 

最初は真っ赤

だったのが、

次第に、黄色に

なっていく。

 

そしてさらに

白く輝くように

なる。

 

月はただ、

そこにあるだけ。

 

変化はしても

それは、

月だ。

 

私もただ、

ここにいる。

 

どれだけ変化しても

私は、私だ。

 

その日以来、

私の心の中心には

常に、

月が浮かんでいる。

 

月は

じっと私を

見つめている。

 

私もただ

見つめ返す。

 

そこにあるものを

ただ、あるがままに

見つめ続けられる

自分で

ありたいな、

と思う。

 

つづく

 

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