自分の叫びを自覚しよう

LINEで送る
Pocket

 

ある方から

ご質問をいただいた。

 

「真本音と魂は

同じものですか?」

 

その人は、

ある大手企業様で

とても重要な役割を

されている人で、

 

これまで人生を

「全力」で生きてきた

人だ。

 

だから私も

全力でお答えする

ことにする。

 

・・・・・・

 

本当は、

本来は、

魂と真本音は

イコールのはず

のものだ。

 

つまりは、

魂の意思が

真本音である、

と言っていい。

 

しかし残念ながら、

今はそう言えない

事情がある。

 

私達のほとんどが、

魂レベルの反応本音

を持ち合わせている

からだ。。

 

これがきつい。

 

これが

尋常ならざる

エンティティを

生む。

 

(エンティティとは、

ストレスの濃度が

ある一定以上に高まり、

物質化したもの。

念の塊であり、

「生き霊」と訳される

こともある。)

 

いつも企業様で

多くの人と

向き合っていると、

私はこの

魂レベルの反応本音

をダイレクトに感じ、

受け取る。

 

これが本当にキツく、

私は自分が受けた

ストレスを

浄化するために

夜を徹することが

頻繁にある。

 

逆に言えば、

多くの人達が

それほどのストレスを

持ちながら、

生きている。

 

夜中にストレスに

苦しみながら、

私はいつも

思うのだ。

 

よくもまぁ、

こんなストレスを

抱えていて、

あの人は

平気な顔をしている、

と。

 

しかし本当は

平気ではない。

 

ただ

麻痺をしている

だけのことで、

本当はとても

苦しんでいる。

 

他人事では

ない。

 

ほとんどの人が

そうなのだ。

 

・・・・・・

 

ではこれが、

「現代社会」と呼ばれる

最近の傾向なのか?

と言うと、

私はそうではない

と感じている。

 

恐らくこの

魂レベルの反応本音

は、

人類のこの数千年の

歴史の中に

常にあり続けたもの

だと

私は思う。

 

本来は

魂には

反応本音は

つかない。

 

本来は

魂には

ストレスは

生じない。

 

・・・はずなのに、

そうではない

状態のままに

人類は

歴史を重ねてきた、

のだと

私は思っている。

 

どうして

そう思うか?と

問われても

上手く答えることは

できない。

 

しかし、

毎日それらのストレスを

受け取り、

向き合っていれば

誰もが同じ印象を

持つのではないか。

 

それほど、

それは

ひどい。

 

はっきり言って

私は、

私を含めた人類は、

魂レベルの

病気にかかっている

と、

自覚している。

 

「自覚している」

とあえて書いたのは、

自覚した人が

増えてほしいという

願いからだ。

 

病気は

自覚しないと

治らない。

 

でも、

自覚すれば

治そうという

意図が働く。

 

そして

私達の真本音は

(全員の真本音は)

この病気を

全力で治そうと

思っている。

 

その自らの

真本音の想いと

共鳴することが

大事であると

私は思うし、

 

それを自覚する人が

増えれば増えるほど、

一気呵成に

この病気は

改善されていくのでは

ないか、とも

思っている。

 

これが、

私の「現場感覚」

だ。

 

・・・・・・

 

真本音の叫び。

 

病気を治したい

という

叫び。

 

そのためには、

今ここで

こんな行動を

しよう!

という訴え。

 

これが、

私達の中に

ある。

 

真本音度合いが

高まれば、

その「叫び」や「訴え」に

敏感になる。

 

それは

悪いことではない。

 

麻痺しているのが

最も

ひどい状態だ。

 

その麻痺状態から

抜け出し、

今ここから

一つずつ

一歩ずつ

健康状態に戻そう

という、

そのきっかけになる。

 

しかし。

 

その「叫び」や「訴え」に

敏感になっても

それでも

 

耳を塞いでしまう

人がいる。

 

本当は

聴こえていても、

聞こえていない

ふりをしているのだ。

 

最近の私の

憤りのほとんどが

ここにある。

 

真本音の

叫び。

 

それは、

魂の叫び

と言ってもいい。

 

これが

心の中に

鳴り響いている。

 

にも関わらず、

多くの人は

耳を塞いだままだ。

 

「叫び」さえ聴けば、

自分が今、

何をすべきか?が

皆、

わかるはずだ。

 

私達の真本音は

決して

無茶は言わない。

 

自分に

できることしか

言わない。

 

でも、

自分にできることすら

やろうとしない、

そんな人が

多過ぎるのは

悲し過ぎる。

 

でも少なくとも私は、

自分にできることを

する。

 

そう決めている。

 

私自身の

真本音の叫びと

訴えに

真摯に耳を傾けると、

 

決めている。

 

つづく

 

コメントを残す

*