見つめ続ける未来がある

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私の意識は

常に、

未来を

見つめている。

 

「未来」

というのは、

2046年のことだ。

 

つまり、

今から27年後の

未来だ。

 

そこで

何が起きているのか?

どんな

未来が築かれているか?

などを

予測している

わけではない。

 

ただ、

「見つめている」

のだ。

 

潜在意識の部分も

含めれば、

私は24時間常に

そこを

見つめ続けている。

 

その状態で、

「今」

に何をするか?

すべて決めている。

 

「すべて」

だ。

 

・・・・・・

 

ビジョンとは

そういうものだと

私は思っている。

 

常に自分が

見つめ続ける未来

が、

ビジョンであり、

 

それは、

「今」と共に

ある。

 

ビジョンと今は

つながっている。

 

というよりも、

「一つ」に

なっている。

 

実在のレベルでは

そういった状態に

なれて初めて、

それはビジョンと

なる。

 

27年後の未来は

私からしてみれば、

あまりにも

「近い」のだが、

 

しかし、

その時に世の中は

こうあってほしい、

という

私の願いからすると、

 

今の状態は

あまりにも

そこからは遠い。

 

いったい

どうやってそこまで

たどり着けば

よいのだろう?と、

 

顕在意識の私は

ついつい思って

しまうのであるが、

 

もちろん

ビジョン実現の

自信も

ないのだが、

 

しかしそれでも

私は確信を持って

「今、ここで

自分が何をするか?」

決め続けている。

 

そこには

一切の迷いは

ないし、

この「一歩」が

27年後に直結し、

「一つ」になっている

ことも

感覚で理解できる。

 

だから

「状態」としては

極めて遠いのだが、

 

「進んでいる実感」

「このまま行けば

たどり着ける、

という根拠のない

確信」

は、

常に感じ取れている。

 

これが

「真本音で生きる」

ということなのだと

思う。

 

私は

「今やってはならない」

と思うことは、

何がどうあっても

決してやらない。

 

そして、

「今すべきだ」

と思うことは、

何がどうあっても

必ずやる。

 

その一瞬一瞬の

選択の中で

ここにいる。

 

・・・・・・

 

こういった感性は

すべての人が

もともと持ち合わせている

ものだ。

 

真本音度合いが

高まれば、

皆、思い出せる。

 

だからそうしよう

というのが

私のサポートの根幹に

くるが、

 

この感性を

サポートなしでも

最初から充分に

持ち合わせている

若い人達の存在を、

最近は

特に多く感じるように

なった。

 

ただしその

「若い人達」というのは、

現時点では

「幼児」と言われる

人達だ。

 

私の息子も

含めて、であるが。

 

この感性を

今の世の中が

潰してしまう可能性は

残念ながら

大いにある。

 

大人達が

子ども達を

「未熟なもの」として

思い込み、

「すべてを教えなければ」

とするところから、

感性潰しは

始まってしまうだろう。

 

もちろん、

彼らは未熟だ。

 

いろいろ、

教えなければ

ならない。

 

私の息子に関しても、

毎日、

叱らなければならない

ことばかりだ。

 

それはそれ。

 

しかし、

彼らの感性を

潰してはならない。

 

彼らは

「ビジョン」を持ち

ここにいるのだから。

 

いや、本当は

すべての人が

そうなのだが、

 

特に彼らのビジョンは

顕在意識に非常に

近いところにある。

 

ちょっとのきっかけで

それが浮上し、

 

「自分は何のために

生きればよいか?」

 

を、

彼らは明確に

知るだろう。

 

その感性を

我々大人が

潰してはならない。

 

大人達が

彼らに

「教えるべきこと」

と、

 

逆に彼らから

「学ぶべきこと」

区別をつけること。

 

これが

今の世の中の

最重要テーマの一つ

であり、

 

そのためにも私は

大人達の

真本音度合いを

高めるサポートが

必須だと

思っている。

 

つづく

 

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