昔、私にまだ
セルフコーチングの力が
まったくなかった時代、
私は物事に悩むと
よく、
星空を見上げた。
昼間であれば、
青空を
見つめ続けた。
天気が悪ければ、
さらに若い頃に行った
ヒマラヤの山々や
日本の山々を
心の中にイメージした。
とにかく、
大きなもの
広大なもの、
そして
私達人間の力が
まったく及ばないものに
意識を向け続けた。
すると、
目の前の物事が
小さなことのように
思えた。
思えるだけで
本当はそうではないのだが、
でも、
私の視界は大きくなり、
その大きな自分から
今の自分を
見つめることができた。
だから私は
大自然のような
大きなものに
憧れた。
自分は小さく、
自然は大きい。
その大きさを
目指した。
が、
目指してはいたが、
そこには決して
たどり着けないのだと
思っていた。
大自然と
自分が
分離していたのだ。
・・・・・・
今は
ちょいと違う。
大自然と自分は
つながっているし、
実は
「一つである」
ことを
実感として身に沁みて
理解している。
でっかい宇宙の中に
人はいるが、
実は
人の中にも宇宙があり、
内の宇宙と
外の宇宙は
完全に一致することも
実感としてわかる。
しかしそれは
決して
傲慢な感覚ではない。
その感覚は
「祈り」に近い。
私は
一つの祈りでもあるし、
全体の祈りでもある。
言葉で表現しようと
すると、
わけのわからないものに
なってしまうが、
感覚として捉えると、
当たり前のことを
言っているだけだ。
・・・・・・
なんか久しぶりに
わけのわからないことを
書いている気もするが、
先日、
私のビジネスパートナーから、
「いやいや、
たけうちさん、最初からいつも
わけがわからないですから、
慣れてますよ」
と言われた。(苦笑)
私のパートナー達は
素晴らしい。
私のわけのわからなさに
わけがわからないままに
ちゃんと真摯に
向き合い続けてくれる。
誠にありがたい。
・・・・・・
私は、
5歳の息子には
できるだけわけのわからない話は
しないことにしている。
ところが、時たまであるが、
ポロっと出てしまうことがある。
先日、二人でおもちゃ屋に
行った。
すると息子が
「このおもちゃ買ってほしい」
と言った。
「そりゃダメだ」
と私が伝えると、
「え〜、なんで〜、なんで〜!」
とゴネ始めた。
あんまりゴネるので、
「そのおもちゃさ、
真本音度合いが低いんだよ」
と思わず言ってしまった。
もちろん、
「真本音」とかそういうことを
説明したことはない。
しかし彼は
私のその一言を聴いた
途端に、
「あ〜そうなんだ」
と納得したのだ。
似たようなことは
他にもあった。
外食しようとして
お店を探している時に、
私が思わず、
「ちょっとここのお店、
次元が低いんだよな。」
と呟いたら、
「あっそう、じゃあやめよ」
と普通に返ってきた。
もちろん
「次元」なんて言葉を
使ったことはない(と思う)。
なんでこんなに
納得するんだ?
俺の子だからか?
とは思うが、
しかしこの感覚、
この、本質的なことを
実に素直に受け止める
この感覚は、
今の若い世代の人達には
本当によく感じることだ。
おそろしいなぁ、
(いい意味で)
と思う。
・・・・・・
最近、
本屋さんなどを見ると、
結構良い本が
出始めている気がする。
ちゃんと本質を
大切にした本だ。
残念ながら、
ほんの少し前までは、
本質を語っている風で
真逆なことを言っている
本が多かった。
なんかやっぱり
時代が
潮流が
良くなってきているのかな。
「実在」は完全に
良くなったので、
それが「現象」化され
始めている
ということだな。
(最後にちょっとだけまた
わけのわからないことを
書いてみた。)
つづく