ふと、昨日、
ちょうど一年前のこのブログの
記事を読んでみた。
実は私は
自分の書いた過去記事を
ほとんど読み返さない。
だから、
ブログを毎日
お読みいただいている
クライアントの皆さんの方が
私よりも
ブログの内容に詳しかったり
する。(苦笑)
以前もあるクライアントさんが
「たけうちさん、
こんな文章を見つけたんですよ」
と、
コーチングセッションの最中に
その文章を私の前で
朗読された。
「へぇ、なかなか
いい文章ですね。
その人に会ってみたいですね」
と私が言うと、
「何言ってるんですか。
たけうちさんのブログの
文章ですよ」
と、
笑えない冗談のような
やりとりがあった。
まぁそれはともかく、
珍しくもふと昨日、
ちょうど一年前の自分の
文章を読み返して
みたのだ。
すると、
内容云々ではなく、
ある重要なことに
気づくことができた。
今の私は
一年前よりも
随分と自由に
文章を書いているな。
と
気づいたのだ。
・・・・・・
これ、
実は、とても重要な
ことだ。
私が躊躇なく
文章を書けるということは、
世の中全体の
真本音度合いが
高まっている
ということなのだ。
正直、
今の私が完全に
自由か?
と問われれば、
まだまだ
躊躇しながら
この文章も書いている。
不特定多数の方々が
読まれる文章なので、
当然と言われれば
当然なのだが、
私としては
いつも
自分の中にある文章を
そのまま表出している、
というよりも、
この文章を書くときは、
常に意識は
「外」に向かっており、
「外」との
無意識レベルでの
キャッチボールを
丁寧に行ない、
その結果としての
文章を書いている。
だからおかげさまで
よく、
「昨日のあの記事、
私のことでしょ」
と
クライアントさん達から
おっしゃっていただける。
それはとても
嬉しいことだが、
でもいつも
誰かを特定して
書いているのではなく、
世の中全体との
キャッチボールをしながら
書いている
イメージなのだ。
今日も、
そうなんだけどね。
そして
その結果として
私が自由に書けるように
なってきたということは、
取りも直さず、
世の中全体の
自由度合いが高まっている
ということだ。
それが単純に
嬉しい。
ただ、
まだまだだけどね。
・・・・・・
そう言えば最近、
やたらと私の頭の中に
「自由」
という言葉が
浮かんでくる。
自由度合いが
高まる
ということと、
真本音度合いが
高まる
ということは
私はイコールであると
思っているのだが、
しかし、
「自由」という言葉を
使うと、
とてつもない誤解を
与えることもある。
例えば、
最近よく
若い人達から聴く言葉
として、
「私は自由に生きたい。
だから
好きなことしかやらない」
というものがある。
しかしその言葉を
聴くたびに私は、
「あぁこの人は
不自由な人だなぁ」
と思ってしまう。
自由を
履き違えているのだ。
だから、
「自由」
ということについて、
このブログでは
これから頻繁に
扱っていきたいかな、
とも
思っている。
・・・・・・
世の中は
本質的な意味で
今、
自由度合いを
高めている。
・・・と実感している。
だからこそ
本来の自由が
広まるように、
そんな願いを込めて、
さらにこのブログも
続けていきたい。
つづく