しっかり心に留めてほしい

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私には

ミッション、ビジョン

がある。

 

このために

私の全人生と

全エネルギーを注ごう、

というものだ。

 

とてもありがたいことに、

この私の願いを知り、

共感、共鳴、共振

してくれる人が、

 

本当にそうなってくれる

人達が

 

少しずつ増えてきた。

 

そして、

共振しながらも

その人自身が自分の

ミッション、ビジョンの

ヒントを得て、

それに向かおうと

している。

 

その人の成長は

私自身のミッション、ビジョン

の実現に

直結する。

 

だからとてもとても

ありがたい。

 

その感謝の気持ちを

前提として、

 

あえて、

 

そう、あえて

申し上げたい。

 

無茶すんな。

 

・・・と。

 

・・・・・・

 

私がどれだけ

そこに

自分の命を込めているか?

ということは、

 

その人達は

感覚でわかってくれる

ようだ。

 

それもとても

ありがたい。

 

そしてその人達は、

「自分も!」

自分の命をそこに

注ごうとする。

 

もちろんそれは

私のミッションというよりも

その人自身のミッション

なのだが、

 

私と同じように、

いや、

私以上に

自分の命を注ごうと

してくれる。

 

しかしそれは

無茶な話なのだ。

 

正直に言おう。

 

私の命の注ぎ方、

エネルギーの注ぎ方は

人間としての常軌を

恐らく、逸脱している。

 

一歩間違えれば、

本当に今ここで

死んでしまう、

 

というくらいに

自分の生命エネルギーを

使うことは

これまで何百回、

いや

何千回とあったと思う。

 

でもそれは、

 

そこまでギリギリの

ことができるように

なったのは、

それだけの訓練と

修行を重ねたからだ。

 

それはたった一人の

訓練と修行であったが、

それは今でも

日々、重ねていることだ。

 

そして私はそれを

他者にもやってもらおう

とは

到底思っていない。

 

こんな言い方を

すると、

格好良く聞こえてしまう

かもしれないが、

 

でもあえて

本気で思っていることだから

言っておこう。

 

無茶をするのは

私一人でいい。

 

そのために

50年以上も

訓練を続けてきたんだ。

 

それは、

私以外の人が

無茶をしなくてもいい状態を

創るためだ。

 

それを

わかってほしい。

 

だから、

無茶をするな。

 

・・・・・・

 

私が提唱する

「真本音で生きる」

というのは、

 

決して

無茶をする生き方

ではない。

 

自分にできることを

 

その時の自分が

できる最大のことを

 

最善の方法で

 

最も楽しく

充実しながら

 

自分らしく

 

今ここで行なう、

 

という生き方だ。

 

そこには無茶も

無理もなく、

 

そこには自分の命を

込める悦びが

ある。

 

その生き方に

集中してくれればいい。

 

自分自身の

真本音で、

 

今、これをしよう

 

と思うことを

そのまま素直に

行ない、

 

今は、これはしない

 

と思うことを

そのまま素直に

やらない。

 

今、この瞬間に

常に意識を向けて、

 

丁寧に

向けて、

 

今この瞬間を

生きていく。

 

これが

どこまで行っても

 

基本なんだ。

 

この基本を

何があっても

繰り返すだけだ。

 

もちろんこれは

私もいつも

やっていることなのだが、

 

私の無茶とは

これとはまったく

異なる世界の話だ。

 

そこまで

踏み込まなくても、

いい。

 

少なくとも

今は。

 

無茶をするよりも、

今は

もっともっと

自分の命のエネルギーを

高めながら

進んでほしい。

 

これが私の

願いであり、

祈りだ。

 

つづく

 

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