自分自身の
「不安」
の中に、
埋没してみよう。
「不安」を不安として
怖れ、
そこから逃れようと
することで、
「不安」は単なる
不安として
心の中にあり続ける。
その場合、それは
自分の本来の道のりの
妨げにしか
ならない。
「不安」とは
逃げるものではない。
「不安」とは
向き合うべきものだ。
そして
「感じきる」
べきものだ。
そのためにも
まずは、
自分の中にある
「不安」の塊を
見つけよう。
塊が見つかれば、
その中に
入ってみよう。
「不安」の塊の
中に、
自分自身の全身を
突入させて
しまうのだ。
そして全身で
その「不安」を
感じ取る。
「不安」と
一つになってしまう。
「不安」の全部と
一つになるのだ。
「自分は不安
そのものである」
という状態にまで
なってしまう。
それが完全に
成されたとき、
私達は
「不安」から
完全に解き放たれる。
それは
一瞬のことかも
しれないが。
しかしその一瞬が
重要だ。
その「一瞬」に
すべての「答え」が
存在している。
それをあえて
言葉にすれば
こうなる。
「なるほど。
この不安には
このような意味と意義が
あったのか。」
「なるほど、
この不安を抱えることで
私の人生には
このような展開が
生まれるのだ。」
「なるほど、
今の私には絶対的に
この不安が必要なのだ。」
「なるほど、
私は次の一歩として
これをすれば良いのだ。」
・・・etc.
それらは
理屈ではない。
頭で考え、
思考によって出される
答えではない。
完全に解き放たれた
その「一瞬」こそが
もたらしてくれるもの。
自ら導き出す答え
ではなく、
まさにそれは
「思い出す」
ものだ。
その「答え」が
わかれば、
あとはその通りに
行動することだ。
その行動には
ほとんどの場合、
大きな勇気が必要
だろう。
しかしそれを
飛び越える
覚悟を持とう。
そうすれば
その一歩は
私達の人生を、
次のステージへと
間違いなく
導いてくれるんだ。
つづく