本能に素直に

LINEで送る
Pocket

 

あなたは

だた、

そのままのあなたで

いれば

いいんだよ。

 

・・・真に

そういった眼差しを

受けると、

 

人は、

 

進化を始める。

 

変わろうと

し始めるのだ。

 

今のあなたでは

ダメだ。

変わりなさい。

 

・・・という眼差しを

受ければ、

人は

今の自分に執着を

始める。

 

何がなんでも

変わってやるものか、

意固地になる。

 

その結果、

たとえ表面上は

変わったとしても、

それはあくまで

表面上なだけであって、

 

それは

進化ではなく、

変化ですらない。

 

変わったフリ

である。

本人が自覚しているか

どうかは別として。

 

今の自分に

執着をして、

意固地に変わろうと

しないという生き方は、

 

その人に

あらゆるストレスを

生み出す。

 

人は本来、

進化の生き物で

ある。

 

いや、

 

進化というものが

カタチとして

現わされたのが

人だと

言っていい。

 

人の本質は

進化

であり、

 

しかしそれは

外圧によっては

浮上しない。

 

そのままで

いいじゃないか、

という

 

「完全承認」

 

があってこそ

初めて

それは浮上する。

 

「完全承認」が

あることで、

その人は、

 

「今のままでは

いやだ。

私はもっともっと

向上したい」

 

という「本能」が

発揮されるのだ。

 

だから

「完全承認」とは

甘やかし

ではない。

 

むしろその

真逆に位置する。

 

甘やかしとは

中途半端な

承認であり、

 

表面上だけの

承認であり、

 

そこには

愛はない。

 

それ自体が

執着であり、

執着は執着を

生むだけだ。

 

しかし

残念なことだが、

この

「完全承認」ができる人は、

ほとんどいない。

 

人を「完全承認」

するためには、

自分を「完全承認」

せねばならない

からだ。

 

果たして

そのようなことが

できるのだろうか?

 

私達人間に?

 

・・・というのが

この20年来の

私の探究テーマの

一つだった。

 

もちろん私は

「できるはずだ」

という前提のもとで

探究を続け、

 

それは

「できた!」

という体験も含めて、

年々

確信に変わってきている。

 

真本音度合いを

高める、

とは

自分も人も「完全承認」できる

瞬間を増やす

ということでもある。

 

そして、

それができる人のことを

私は「コーチ」と呼び、

 

意図的に「コーチ」に

なれる人

(それは、朝から晩まで

でなくてもいい。

ほんの瞬間でもいい)

私は増やしたいと

いつも願い、

ここまで来た。

 

その私の

探究の歩みと

実践の歩みを、

 

私はここから

さらに

一気に

加速させようと

思っている。

 

人は今、

・・・というか

もっと正確に言えば、

 

私達人類は今、

 

大きく、そして速く

そして一気に

進化を遂げようと

願っている。

 

その願いは

とてつもなく

高まっている。

 

と、

私は日々、実感

している。

 

私はその

「実感」に

応えたい。

 

もちろん私一人で

どうなるというものでも

ないのは

重々にわかっている。

 

しかし

私は人間だ。

 

人間は

自分にできる

最大のことをしたい

生き物だ。

 

それを通じて

進化したい生き物だ。

 

私はその自分自身の

本能に

素直に生きたいと

思う。

 

ここからさらに

加速するよ。

 

つづく

 

コメントを残す

*