自分の未熟さを
呪う時間があれば、
それを
祈りに変えるといい。
悔しさも後悔も、
自分自身への
蔑みも、
罪悪感も、
すべて
祈りに変えることが
できる。
ビジネスにおいては
「祈り」という言葉は
ほとんど使われる機会は
ないが、
しかし私は
本当に真剣に
ビジネスに取り組んでいる
人達からは
いつも「祈り」を
感じ取る。
それは飽くなき
成長意欲でもある。
もちろん
我欲ではないし、
自己満足でもない。
関わる人達に、
例えば、
お客様達に、
もっともっと上質な
価値を、
もっともっと広い範囲で
提供し続けたい。
それにより
もっと深い喜びが
世の中に
広がりますように。
・・・あえて言葉に
すれば、
こうなるだろうか。
そのあまりにも
純粋な想いを感じる時、
私にはそれが
「祈り」の感覚として
実感できる。
ビジネスはもちろん、
ボランティアではない。
ボランティアでは
ないからそこに
純粋さはない、
と
短絡的に考えることは
愚かだ。
純粋な想いが
きちんと
事業としての発展に
繋がっていく、
そのような形となって
現出していく
その様は
芸術的ですらある。
やはりそれは
「祈りの結晶」だ。
「祈り」という言葉自体は
自覚していなくても、
それを
当たり前のように
毎日し続けている人は
間違いなく
増えている。
特に
若い人達に
それを私は感じる。
もちろん
年齢ではない。
しかし、
初めて会った瞬間に
「祈り」を感じる
若い経営者は
確かに増えている。
それは
希望であると
私は思っている。
彼らは
自分自身の現時点での
不甲斐なさを
本当に呪う。
自分を
責める。
そこまでしなくても
よいのに、と
思うのだが、
しかしそれも
人間だ。
実に
人間らしい。
そして
私達人間には
全員、
そういった呪いのような
心を
祈りに変換する力が
ある。
そんなサポートが
できたらいいな、と
最近は
特に強く思っている。
つづく