直観について書こうかな

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「直観」が

出てしまうことが

ある。

 

それが出ると、

思わず

その通りに

行動してしまう。

 

自分を

その方向に

動かしてしまう。

 

それに抗うことは

ほぼ不可能だと

思わせる。

 

かと言ってそれは

自分が自暴自棄に

なったり、

混乱に陥ったり、

制御不能になっている

訳ではない。

 

むしろ全く逆で、

 

自分の頭は

その瞬間、

晴れ渡り、

冴え渡り、

 

感覚として

「すべてがわかった」

という

実に清々しい状態

であり、

 

かつ、

非常に理性的な

落ち着いた

 

地に足がついた

 

状態だ。

 

その状態において

「これをするしかない」

確信している。

 

そのような

安定感と力を

持ち合わせているのが、

 

本来の「直観」

である。

 

それが浮上すると、

私達はもう

その方向に

動いてしまう。

 

「意味」は

後からついてくる

場合が多い。

 

その時その瞬間は

確信はあるのに、

 

なぜ自分が

それをしようとしているのか

わからない

 

ことが多い。

 

でも

確かに確信はあるし、

 

その確信を

抑える必要性も

感じない。

 

そして実際に

そのような方向の行動を

起こすと、

 

驚くような展開で

「調和」が

始まる。

 

むしろ頭がついて

くるのは、

その段階だ。

 

あぁそういうこと

だったか。

 

と、

自分の行動の後に

起こる結果の数々を

体験しながら、

ようやくにして

意味がわかる。

 

そして多くの場合、

その「意味」とは

実に楽しく、

感動的だ。

 

私は、

この「直観力」こそが、

自らの人生や

使命や経営や

人間関係や

・・・あらゆることの

可能性を広げ、

道を拓く原動力になると

思っている。

 

私達の欲しい

「答え」のほとんどは、

直観によって

もたらされる。

 

しかしその直観とは、

自分以外の何者か

が、

自分にもたらしている

ものではなく、

 

それは

私達自身の

「本当の意思」

に他ならない。

 

私達は

私達自身に「答え」を

もたらす。

 

それが

「直観」という形として

現れる。

 

それだけの

ことだ。

 

これまで私は

「直観」について

随分と語ってきたが、

 

もう少し丁寧に

このブログにおいても

書かせていただいた方が

良いかな、と

思い始めている。

 

なぜなら、

「直観」を単なる「思いつき」

と混合してしまう人が

いるようだから。

 

「直観を大事にしよう」

と言うと、

「ではもう、考えなくて

いいんですね!」

という反応すら

時々見受けられるから。

 

自分の「直観」を言い訳に

現実逃避の方向に

走っている人すら

いるから。

(それは本当は

直観でも何でもないのだが。)

 

直観もどきではなく、

本当の直観で生きる

ためには

私達は何をどうすれば

よいのか?

 

直観を阻害するもの

とは何か?

 

など、

様々な視点から

書かせていただきたいな

と考えている。

 

つづく

 

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