本当に生きる道を

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本当に深く

傷つかなきゃ、

 

本当の反省とは

言えない。

 

自分を責めている

余裕なんかあったら、

 

それはまだ

本当には反省していない

ということだ。

 

単なる自己満足。

 

反省のふり。

 

誤魔化し。

 

そう。

 

誤魔化したまま

先に進もうと

していないか?

 

自分で自分を

責めて、

それでよし、と

していないか?

 

反省とは

自分で自分を

責めることではない。

 

自分の否を

自己評価することでも

ない。

 

反省とは、

自分の否を

あるがままに

見つめることだ。

 

自分の否と

向き合うことだ。

 

そして

自分の否と

一つになること。

 

そうすれば

何をしなくとも

自然にその本当の

痛みがわかるはずだ。

 

もし

自分が傷つけてしまった

人がいるのならば、

 

その人の痛みが

そのままわかるだろう。

 

そしてそれを

見ている自分自身の痛みも

そのままわかるだろう。

 

それは

身を切られる痛み。

 

誤魔化しようのない

痛み。

 

全身が

引き裂かれそうな

痛み。

 

それを潔く

引き受けた時に

初めて、

 

私達は

「反省」しているのだ。

 

そしてそれができて

初めて、

 

そう、初めて、

 

本気で自分を

「変えよう」と

思える。

 

そしてその意志が、

次の一歩を自分自身に

もたらしてくれる。

 

だから。

 

中途半端な内省など、

せんほうがいい。

 

それをもって

「私は気づけた!」

などと

言ってくれるな。

 

私達には

「願い」がある。

 

本気で「願い」に

向かおうと思うからこそ、

 

「反省」ができる。

 

ふり、だけの反省を

するよりも、

 

本気で「願い」に

向かおうとする。

 

「願い」がわからなければ、

本気で「願い」を

見つけようとする。

 

そのための

一歩を今、

決める。

 

決めたら、

やる。

 

自分の準備が

できていようが、

いまいが

関係ない。

 

それくらいの意気と

意志で

進もうとする。

 

それが今の私達には

最も必要なことでは

ないのか。

 

つづく

 

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