チームパフォーマンスコーチ

悲しみの希望

もう
これまでの
私じゃない。

と、
半分くらいは
悲しみに
満ちながら、

その事実を
受け止める。

これまで、
小出しにして
きた力も

ここからは
全開放へと
向かうのだろう。

もちろん
それは、
本来の私への
滑走路となる。

それ自体は
悦ばしいこと
ながら、

これまでの
私が
消えてしまう
という
その悲しみは
確かに
あるのだ。

それが
人間だから。

わかっている。

そうは
言っても、
私は
私だ。

しかし今回は
悲しみが
あまりに
大きいので、

きっと
これまでとは
また違う
脱皮になるのだろう
という
気がしている。

眠っている力
の開放は、

「希望」
という言葉が
ふさわしい。

しかし
希望には
悲しみも
寄り添っている。

それが
人間だろう。

今、
望むことと
言えば、

できるだけ
静かに
行きたいな。

これまでは
激しかった
からね。

ゴツゴツと
いやというほど
ぶつかり続けての
脱皮だった。

もう
年齢も年齢
だからね。

静かに
行きたい。

できれば。

人生の終わり

刻々と
近づいてきている。

とにかく
そこまで
無事に
辿り着きたい。

やることが
たくさん
残っているからね。

ちゃんと
やり切って、

生き切って、

死にたい
もんだ。

一日一日
を、

希望と共に
悲しみと共に

開花
していく。

やっと
ここまで
これたよ。

つづく

自由に関する、今必要な問い

自由だと
思っていたのに、

実は

どツボに
はまっていた
だけ。

本当は
八方塞がりで、

選択肢は
なく、

一つのことしか
できない、

一つの道しか
進めない、

しかも
行先がどんどん
狭まり、

もうすぐ
行き止まりに
なる。

・・・という
感覚。

自由に
やってきた
はずなのに。

そう。

私達人間は
自由に
やれば、ほぼ
必ず

そうなる、

時が来る。

ある種、
健康的な
進み行きとも
言える。

自由、


慣れていない
のだ。

自由な
つもりで
自分をだんだんと
無意識に
不自由な方向に
導いてしまう。

気がつけば
もう
身動きが
取れなくなってる。

さて、
質問だ。

このタイミング
だからこそ、
必要な問い。

・・・

今の私に、
人生の進み行きの
選択肢が
6つ以上
あるだろうか?

・・・

もし
6つ以上
ない場合は、

今一度、

原点に
戻った方が
良いと思うよ。

つづく

ごめんよ

ドリルで
穴を開ける。

強引に。

ここはもう、
強引に
行くしかない。

自然に、

スムーズに、

などとは
言ってられない。

間に合わない
のだ。

すまんな。

かなり
痛むかも
しれんが。

と、
心の中で
謝りながらも、

一気に
強引に
穴を開ける。

聴こえるのは
叫び。

魂の
悲鳴。

わかっている。

わかっている
のだ、
その痛みは。

わかっていて
やっているんだ。

今は
我慢だ。

我慢を
してくれ。

ペーシング。

その人の
ペースに
合わせ、

後押しする。

もうその
時代は
終わったようだ。

もう
そんなことを
している
場合ではない。

壊すべき
ものは、

壊す。

強引に
でも。

その人本人が
望んでいる
ならば。

その人の
実在が
望んでいる
ならば。

泣こうが
わめこうが。

そういう
進み方をする。

誰もやらない
のなら、
私がやる

決めたんだ。

ごめんよ。

つづく

実在は観える

本当はそこに
実在している
のに、

私達の脳が
それを
感知できない。

ということが
多々ある。

多々ある
というよりも
それがほとんどの
ようだ。

私達の脳が
感知できる
波長は

この世の中の
存在の
全波長の中の
ほんのわずか。

だから
感知できない
ものの方が
圧倒的に多い。

それを
感知しよう

意識するだけで
私達の感受性は
豊かになる。

感知しよう

することで
人それぞれ
得意な感覚が
養われる。

私自身は
ずっと
体感覚系の人間だと
思って生きてきたが、

実は
「観る」というのが
最も得意なようで、

目(=脳)には
見えないけれど
確かにここに
実在しているものを
見よう(=観よう)
とすると、

結構、観える
ようになった。

これをもう
13、4年続けている
ので、
かなり「観える」ように
なった。

例えば、
目の前に一つの
光が
突然観えたりする。

その場合、多くは
それは
私自身の「発想」だ。

今の私にとって
必要な「発想」が
光となって
目の前に
実在しているのが
わかるのだ。

するとすかさず
私は
その光の中に
入る。

入って
じっとしていると
フッと
過去を思い出す
ような感覚で、

その発想が
顕在化する。

いわゆる
「気づき」
というやつだ。

これを毎日、
数えきれないくらい
やり続けている。

人と会話している
時も、
いや、そういう時ほど

この
目の前の光は
頻繁に現れる。

会話しながら
光の中に入り、

すると
その会話に
とても重要な一言が
思い浮かぶ。

霊感とか
そういった類のものでは
ない
ということは
よくわかる。

ただ、
実在を感知
しているだけだ。

これは
養えば誰もが
できるようになる。

皆がそうなれば
もっと世の中は
平和になるのに、

本当によく
思う。

つづく

閉じるしかない

そうして、
目は
閉じられた。

二度と
開くことは
なかった。

それまで
見えていたものは
消え、

記憶も
消えた。

目は
死んだのか?

目の
大本である
持ち主も。

いや、
そうではない。

ずっと
生きている。

生きながらに
して
閉じただけだ。

目は
見ることを
放棄したのだ。

放棄しなければ
進まないから。

見えることに
よる
粘りつくような
執着。

それらを
一度、
リセットさせねば
ならない。

きれいに
洗い流さねば。

見えることは
罪である。

見えなければ
こんなに
悩むことは
なかっただろう。

だから、
今後は永遠に
見えなければ
いい。

目は
そのように
決めたのだが、

しかし
そのように
頑張れるのは
わずかな
期間だ。

目は
目だからだ。

そこに映る
何ものかは、

目に
吸い込まれる
だろう。

目と一つに
なることで、
目は
さらにその
研ぎ澄ましを
極めていく。

今、

目に映っている
あなたの
目。

これ以上
見つめ合えば、
戻れなく
なるだろう。

私達は
もう
分離をせねば。

私は
そのために
目を閉じる。

あなたは
閉じないのだな。

つづく

生まれる前の決断

すぐ背後に
膨大な
滝があり、

いつ
呑み込まれるかも
しれないのに、

ほんの小さな
岩の上に

毅然と立つ
一人の人。

じっと
私を
見つめている。

その眼力の
強さに
圧倒される。

しかし
わかっている。

彼にも
私は
同じように
映っていると。

私達は
対峙していた。

私の背後にも
激しい滝が
ある。

滝と滝の
闘い。

一瞬でも先に
動いた方が
負けだ。

彼の滝が
揺れた。

私に
襲いかかって
くる。

水飛沫が
私に
かかる。

幻影に
過ぎない。


私は胸の内で
呟く。

すると
轟音の向こうに
野原を
感じた。

気持ちの良い
平原。

私はそこを
自由に
駆けた。

伸び伸びと
空まで
飛んだ。

私は
笑い、

気がつくと
彼は
岩から
落ちていた。

私は
勝ったのか?

いや、
そうではない。

彼は
私だ。


自身だ。

彼もまた
幻影に
過ぎない。

私にある
唯一の
実在。

それはこの
足裏に
感じている
もの。

岩の
先端。

尖った
感じの
もの。

そこに
私の
魂がある。

私は
私の魂に
乗っかっている。

私は
やはり
この魂を
選ぼう。

決めた。

完全に。

さぁ、
では、
生まれよう。

つづく

人生の時間のない人へ

よく、
ある一つの
流れに乗って
流され続けている
自分を
発見する。

そういった
場合、
私は完全にその
流れに
委ねることに
している。

全身の力を
抜いて。

余分な力を
入れてしまえば、
流れに
逆らうことに
なる。

すると、
余分な出来事を
引き起こす。

その処理に
手間取る。

時間が
かかる。

人生が
間に合わない。

・・・という
ことになる。

人生が
間に合わない。

という
感覚。

私はいつも
これと共に
あると言っていい。

常に
焦り
がある。

これはきっと
生まれてから
ずっと
持ち続けている
ものだ。

いつも
時間ギリギリの
ところで
生きている
気がする。

ただしそれは
決して
悪いものでは
ない。

逆に言えば

ギリギリ
間に合っている

という
感覚でもある。

そのかわり
ヒヤヒヤの
連続なのだが。

私と同じような
境遇の人に
ここ数年で
よく出会うように
なった。

自分のすべき
こと、
本当にやりたい
こと、

人生の時間が
不釣り合いなのだ。

極端に言えば、
数百年かけて
行なうべきことを、
たったの
数十年で行おうと
している。

だから
通常の進み方
では
当然
済まない。

その
焦りも
尋常ではない。

私が
サポートさせて
いただく人は
だいたい今は
そういった人が
大半を占める。

流れ。

流れを感じれば、
それに
委ねる。

しかし
突然に
滝のような場所に
出る。

滝は
怖い。
当然に。

命の危険も
あるのでは
ないか。

だから
逃げ出したく
なる。

しかし
滝にも委ねて
しまう。

そのまま
落ちていく。

ここで
完全に力を
抜けばいい
ということも
体験の中で
学んだ。

落ちるようで
いて
それは
本質的には
垂直上昇をしている
わけだ。

滝は
チャンスだ。

焦りのある
人達よ。

その流れは
自分自身
だ。

自分自身に
委ねてしまえ。

つづく

豊かな言葉を

言葉を選ぶ、

というのは
とても
大事なことだ。

同じ意味の
内容でも、

どのような
言葉を使い
表現するか?

それは
徹底的に考えた
方がいい。

特に
人に影響を与えよう
とするならば。

言葉が雑な
人は、

良い指導も
良いリーダーシップも
発揮できない。

私達人間は
言葉のやりとり

生きている。

生きる、とは
言葉のキャッチボール
だ。

私達の思考も
多くは
言葉によっている。

言葉とは
記号でしかない、

とも
言われる。

その通りだが、

でもその
記号を
最も的確なものと
する、

のが
私達人間の
努力すべき課題だ。

そのためには
日頃から
考え抜くこと。

それを続ける
ことで
直観力が増す。

言葉とは
3次元世界の
ものなので、

高次元からは
来ない。

あらかじめ
インプットしたり
考えたりする
という行為を通じて、

高次元の
自分の意思と
言葉が
繋がりやすくなる。

繋がった時に
それは
直観となる。

直観力を増す
ためにも、
ボキャブラリーを
増やそう、
ということだ。

そのためには
たくさん
本を読むこと。

表現の豊かな
本がいい。

そして
たくさん
書くこと。

自分の
何となく、の
まだ言葉になる
以前の気持ちを

何とか
言葉で表現
しようとする。

読むこと
書くことは
直観力に
直結する。

言葉とは
単なる記号かも
しれないが、

奥が深く
とてつもなく豊かな
記号だ。

自分の化身、
いや
自分自身とも
なれるのだ。

つづく

こんなに苦しいのか

慈雨が
降る。

エネルギーの
慈雨が。

全身に
降り注ぐ。

全身が
洗われ、
心と魂が
洗われる。

気持ちが
良い。

がんばった
からなぁ。

あえて
ずっと
分離していた。

久しぶりに。

分離した
状態での仕事。

皆さんの
苦しみを
私もよく知るために。

分離というのは
辛いね。

私は昔は
こんな辛い中で
生きていたのか。


愕然としたよ。

逆に言えば、
真本音で生きる
とは
こんなにも
楽なんだ。

いつもそれが
当たり前になって
いたのだけど。

改めて
痛感したよ。

真本音で生きて
初めて成し得る
ことがある。

真本音で
生きなければ
発生しない
エネルギーがある。

そして、

真本音で
生きなければ
孤独と苦しみの
牢獄に
囚われる。

よくこんな中で
みんな
がんばっていると、
逆に
感嘆したよ。

以前の私も
ずっとそうだった
のだけど。

やはりこの
苦しみの生き方
から
皆、出られるといい。

そんな
社会、世の中に
なれるといい。

苦しいから
みんな
おかしくなる。

自分のことしか
考えられなく
なる。

肝心なものが
見えなくなる。

一人ひとりが
自らの真本音で
生きる、

ための指導。

それを改めて
私は
続けていきたい。

つづく

弱い集まりじゃない

空にまっすぐな
閃光が走り、

まるで
稲妻のように
地面に突き刺さる。

凄い轟音が
響く。

怖くて
耳を塞ぐ。

しかし
何も起こらない。

ただの
現象だ。

幻とは
言わない。

しかし
結局は
現象に過ぎない。

現象に
揺らされず、

実在に
即して動く。

本当はそれを
一人ですることは
可能だ。

しかし
それほどみんな
強くない。

だから
チームになる。

弱いところを
補強し合う
チームではなく、

意志を一つに
できるチームだ。

弱いから
集まるのでは
ない。

集まることが
大切だから
集まり、

集まるから
初めて何が可能か?
がわかり、

集まるから
始まる。

ご縁は
ある。

しかし
ご縁を探すよりも、

自らの意志で
突っ走ることだ。

その波動の
強さと、
振動の「懐かしさ」
により、

必然的に
集まるのだ。
真の仲間は。

現象は
現象だ。

実在の振動で
集まる者達は

どのような
現象の前でも、

実在の一歩

踏み出し続ける。

つづく

人間本来の強み

ゆっくりと
動いていく。

土台が。

大地
そのものが。

ゆっくりだが
インパクトは
大き過ぎる。

大地そのものが
動くのだからね。

世界が
根底から変わる
ということだ。

表面だけが
激しく動く
よりも、

数千倍も
キツいことだ。

怖いことだ。

しかしもう
止まらない。

それが
自然の摂理
だからね。

その
動く大地に
乗っかっている
我々はもう、

右往左往しても
意味がない。

大地が
動いているんだ。

我々はもう
開き直ろう。

泰然自若として
すべてを
受け入れよう。

ただし、

やることは
やるぜ。

大地が動こうが、
槍が降ろうが、

やることは
やるぜ。

そんな
仲間達。

強いな。

大地よりも
強いのか?

人というのは
凄いな。

人の意志は。

同じ方向を
向く。

目的を
決める。

一緒に行くと
決める。

完全に
決める。

同じ人間だが
所詮は
他人だ。

自分以外の
存在だ。

しかし
だからこそ
だ。

だからこそ
こんなにも
一つになれるんだ。

異なる存在
としての
私達。

それが
「決める」と
こんなに
揺るがない。

弱いはずの
人間の
強み。

本来の
強み。

つづく

それが仲間だ

人の心は
もともと
揺らめくものだ。

揺れ
があるのが
当たり前だし、

健康だ。

ただ、
その揺れを
受け止める
自分自身と、

周りに
仲間がいて
くれるかどうか?

仲間の存在は
やはり
ありがたい。

揺れを
揺れとして
そのままで
いいじゃん、

お互いに
認め合う。

お互いの
反応本音を
そのまま
認め合う。

その
存在を。

たくさん
揺れる。

それで
いい。

たくさん
揺れる
時ほど、

一緒に
いよう。

そんな
仲間達。

強いね。

揺れることが
へっちゃらに
なれば、

どのような
状態でも

することは
ただ一つ。

自分一人
としても
チームと
しても。

することは
変わらない。

決めている
ことを
決めている
通りに
ただ
やるだけ。

つづく

組織変革6人組

一人と一人が
調和し、

さらに
一人と一人が
調和する。

そんな
二人組が
合わさり、

調和のシナジー

生まれる。

そこにまた
人が
引き寄せられる。

6人組。

もしくは、
6人組+1人
のチーム。

強い。

いったん
深いレベルの
絆が発生すると
もう、

揺らぐことが
ない。

その場に
いるだけで、

進化が
始まる。

進化が
当たり前。

その当たり前の
上に
さらに
新たなエネルギーが
発生し、
重なり、
渦を巻く。

それが
周りに波及、
伝播していく。

6人組。

もしくは、
6人組+1人
のチーム。

これを
私は創りたい。

組織の中で
これを
どれだけ
創り出せるか?

しかし
たった一つでも
これができれば、

組織は
根底から
変革を始める。

つづく

満月の問い

心の中に
満月を
思い浮かべ、

それを
じっと見つめ、

心が
底の方から
鎮まったな、


思えたところで
自分に
問うてほしい。

「私は今、丸か?」

「◯」

つまり
真ん丸か?

・・・と。

本質部分の
話だ。

本質が本当に
「◯」ならば、

存分に
尖ることが
できる。

本質が
「◯」でなければ、
結果的に
自分は自分を
躊躇する。

本当の力は
出せないんだ。

今は
大事な時だ。

ここからの
歩みは特に。

私は今、
「◯」か?

そうでないと
感じたら、
至急、

大至急、

その原因を
自分自身に
問い、

その原因を
解決しよう。

大至急。

つづく

鈍感の強さなど

表面上の
痛みであれば
大したことは
ないのだが、

表面上の
痛みほど
痛い。

深刻な傷
ほど
痛みが麻痺する
ものだ。

痛い
痛い
痛い!


泣きわめくことが
できるなら、
まだ健康的だ。

私達にはちゃんと
泣きわめく
という
機能がついている。

その機能を
しっかり使えば
いい。

問題は
それすらできない
時だ。

そういった人達と
私は向き合う
ことにしている。

傷の振動は
奥深い。

ずっと
揺れ続けて
いる。

しかしそれが
表面まで
伝わってこない
のだ。

だから本人は
私は平穏だ、

思い込んでいる。

まったくもって
そうじゃない。

やばいだろ。

まずいだろ。

そのままじゃ
心が
壊れるだろ。

魂まで
壊れそうだぞ。

私は内心、
冷や汗を流しながら
必死に対応する
のだが、

本人は
のほほん
としている。

それが
恨めしくさえ
なるのだが、

昔は確かに
私も
同じ風だったと
思えば、

人間だ、
しゃーない!

とは
思える。

が、しかし
それにしても
自分のことだ、
もっと自分で
気づけよ!

ド突きたくなる。

もっと
自分を
大事にせーよ!

痛みに
敏感であれ。

これからの
時代は特に。

鈍感の強さ
など
ここからは
通用しない。

自分の弱さを
知る者だけが、

間違いなく
道を刻める。

突破口を
見つけられるんだ。

つづく

魂の悦ぶ視点

地球全体
という
視点を持つことで

初めて
浮上する発想
がある。

しかもその、

地球全体
という
視点が
「向いている」
人がいる。

「地球全体」
という視点こそが
その人の
等身大の発想を
呼び起こす
という
タイプの人だ。

そういう人が
増えている。

時代の流れ
ということも
あるだろうが
それ以上に、

本質的に
「向いている」
のだ。

つまりは
その視点による
「何か」

人生において
為そう、と
決めている人、

そして
そういった約束を
自分自身と
交わしている人。

ところが
面白いことに、
そういう人ほど
妙に
謙虚だ。

「地球全体」
なんて、
そんな大それた
考えなんて
自分にはおこがましい
と。

でも私は
思うのだけど、

そういった
謙虚さは、

要らない
よ。

それよりも
粛々と
自分自身との
約束を
果たそうとして
ほしい。

でもでも、
身の回りの
こそすら
私はしっかりできない
のに、
「地球」・・・なんて。

そう、
その通り。

だから
身の回りのことから
ちゃんと
やっていこう。

しっかりと
地に足をつけて。

そして
その一歩一歩と
「地球全体」の視点を
いつも
結ぶことが
大切だ。

私達は「地球」に
立っているじゃ
ないか。

「地球」を
感じながら、
今の一歩を
生きるんだ。

すると
あなたの
魂が
悦ぶだろ?

つづく

観えなくなってる

あなたの
目を
遮っている
ものは何?

あなたの
視界を
狭めている
ものは何?

どんな枠に
知らず知らずに
ドップリと

捕らえられて
しまっている
のだろう?

人は
自由では
ないよ。

どれだけ
本人が
私は自由だ!

叫んでいたと
しても。

窮屈さに
麻痺をしている
だけのことさ。

それが人間、

諦めてしまうことも
できる、
と言えば
できる。

が、いいのか?
それで本当に。

私達が
自分に課した
約束は、

このような
状況の中で
あっても

真に自由に
なること

では
なかったか?

その強い
意志に基づいて
生まれて
きたのに、

やはりみんな
忘れちまうんだ。

なかったことに
してしまうんだ。

あぁこの人も
自分との約束を
忘れてしまってる。

あぁこの人もか。

あの人もか・・・。

結局は
それが最も
悲しかったことかな。

かく言う私自身も
ずっと
忘れて
いたのだけどね。

やはり、

人と向き合う
ことかな。

人と向き合い
続けることで、

「他者」という
存在を通じて、

私達は
なんとなく
自分自身の
約束を
思い出し始めるんだ。

自分探し?

内観?

残念ながら
それでは
見つからないんだよ。

内側には
何もなし。

外と繋がる
ことで
初めて
そこに答えは
浮上するんだ。

向き合おう。

もっと。

人と。

本当に。

その人を
介して、

自分の枠が
観えてくるよ。

つづく

ヤツの招き

遠くに光る
そいつの
正体が

やっと
わかったんだ。

あの
点滅する
やつさ。

まるで
警告のように。

実際、私は
ずっと
警告だと
思ってたんだ。

だから
そいつが光る
度に
緊張もしたさ。

しかし
違ったんだよ。

警告どころか、
そいつは
私を
ずっと
呼び寄せて
いたんだ。

招いて
いたんだよ。

でもそれは
「こっちへ来い」
ということでは
ない。

もちろん
「向こうへ行け」
でもない。

言わば、

「祝福」

のような
感じさ。

よくやった!
とか
おめでとう!
とか。

そういった
類のメッセージ
さ。

異常に
点滅することが
あるんだ。

それは
天から
降りてきてるんだ。

軸が、ね。

軸が
大地を
貫く。

そんな時、
点滅する。

そして
大地と軸の
“十”字がさ、

すべて
なんだ。

“十”とは、
私のことだ。

本来のね。

だから
行くことに
したんだ。

発進。

自分を
発しながら
進むんだ。

ようやく
「オープン」
だよ。

それをヤツは
招いてたのさ。

つづく

ただ、いるだけなのに

その人が
中心にいる
だけで、

なぜか
物事が上手く
回るようになる。

そんな人が
いる。

それは
スキルやテクニック、
つまりは
能力的なもの
によるのではなく、

その人自身の
在り方
による。

真本音度が
高まることで、
そういった力

・・・つまりは
存在そのもの
の力、
と言ってもいい、

そんな力を
発現するようになる
タイプの人が
いる。

その人は
チームや組織の
リーダーで
ある必要はない。

そういった
具体的な役割を
担う必要はないし、

実際に皆を
引っ張ろうと
する必要も
ない。

ただ、
そこにいる
こと。

そこに
ずっと
存在し続ける
こと。

それで
すべてが調和を
始める。

ただ、
そんな人でも
「中心」から
外れると途端に
その力を失う。

同じ人とは
思えないような
存在感のなさに
なる。

「中心」
であるかどうかは、
その人自身の
意識による。

つまり、
その人本人が
「ここでは私が
中心だ」
と、
ある意味の覚悟を
持っているかどうか
だ。

リーダーじゃ
なくてもいい。
しかし、
そういった覚悟が
あること。

私は
組織サポートに
おいて、
そういったタイプの
人を見つけることを
一つの重要な目的と
いつも
している。

そういった人が
見つかれば、
その人をとにかく
活かしまくる。

ご本人の
真本音度を
まずは高める
サポートをし、

その人に
「中心の喜び」
を体感していただき、

あとは
その人の意志に
基づいて
組織に風穴を
開けていく。

私が
「要」(かなめ)
と呼ぶ人の
一つのカタチ。

人には
いろんな力が
あるんだよ。

つづく

人が嫌いだった

「味わう」
という
言葉が最近、

フッと
奥の方から
浮上してきた。

とはいえ、
この言葉は
ずっとずっと
私が
無意識に
呟き続けてきた
言葉だとも
わかる。

特に、
人と向き合って
いる時。

コーチングや
研修や。

ちなみに
最近の私は
自分がクライアントさんと
向き合う時間を
「コーチング」とは
呼ばなくなった。

「指導の時間」

呼ぶようになった。

が、
本質は何も
変わらない。

ただ、
私のしてきたことは
「コーチング」という
名を借りた
「指導」であったと
気づいただけの
ことだ。

それはともかく、
その
指導の時間にこそ、
私は無意識に
ずっと
その言葉を
呟き続けてきた、

ということに
気がついた。

「味わう」

私は、
人生を味わって
いる。

人を
味わっている。

場を
味わっている。

時間を
味わっている。

人と向き合う
時は
最もそれが自然に
できていた。

最近は、
一人の時間でも
この言葉が
浮上し、

一人の時間でも
まるで
人と向き合っている
ような
感覚になる。

味わえば
味わうほど、

私はどこに
いても

人を
感じるのだ。

そして
それが
幸せで
しょうがない。

なるほど、

私は
こんなにも
人が好きだったのか、

今更ながらに
気がついた。

私の人生の
始まりは、

自分が
嫌いだった。

大嫌い
だった。

幼少の
物心ついた時から、
自分の顔を
鏡で見るたびに

吐きそうに
なっていた。

気持ち悪い
と思っていた。

そして
同じくらいに
人を
嫌いだった。

そんな人生の
始まり
だったのに、

何とかなる
もんだな、
人間は。

つづく

消えてしまわぬように

夢ではないか?

思ったが、
現実だった。

私は
現実を
生きていた。

しかし
夢のような
実感のなさ
がある。

しかし
確かに私は
ここにいる。

こうやって
今、
手に取っている
ものを
ちゃんと
感じている。

がしかし、
この
実感のなさ。

五感のすべてが
薄い感じ。

淡く儚く
幻のよう。

でも確かに
ここは
現実だ。

私は
日常を
生きている。

最近、
こうなる頻度が
増えたように
思う。

私の中で
カッと
エネルギーが
高まる時が
ある。

それは
一瞬のこと
だが、

内側からの
そのエネルギーに
私自身が
満たされると、

そうなる。

すべてが
薄くなるのだ。

あまりの
薄さに
私自身がこのまま
消えてしまうのでは
ないか、

危惧することも
ある。

そしてやはり
思うのだ。

この世は
儚いか。

何かのきっかけで
すぐに
消えてしまいそうな
弱さ。

だから
そうならないように
丁寧に
誠実に。

細心の
注意を払って。

エネルギーは
出せばいい
というものでは
ない。

エネルギーは
現実を
消す。

それでは
元も子もない。

すべてを活かす
ために
ここにいるのに、

消しては
なるものか。

エネルギーは
出せば良い
というものでは
ない。

エネルギーコントロール
の力こそ
私達には
必要なこと。

エネルギーは
出せば良い
というものでは
ない。

つづく

願いがあるだろう

夜景が
見える。

その一つ一つ

光に

人の人生が
ある。

人生が
見える。

その一つ一つ

光に

その人の
願いがある。

自分の
願いだ。

まずは
自分が
大事にしなけりゃ。

願い
とは、

人生の指針
であり、

自分との
約束であり、

自分の生きる
支えとも
なる。

願いに素直に
ならずして、

何に
素直になる?

自分に素直に
生きずして、

何のための
人生?

たまたま
生まれたのでは
ない。

私達は
必然的に
ここにいる。

理由が
ある。

必ず。

素直な願いは
その理由に
直結するもの。

人生には
意味がある。

それを
見つけようと
せずして、

何のために
生きればいい?

真剣になる
とは
願いに
素直になること。

願いに
素直になる
とは

自分を
愛すること。

自分を愛する
ことで
人はようやく

人を本気で
愛することが
できるんだ。

つづく

何をする

さて、
何をする?

ここから
だよ。

気づいて
いないの?
まだ。

あなたは
変化しただろ。

決心が
生まれた
だろ。

それを
覚悟
とも言うんだ。

決めている
自分が
いるだろ。

その心の
中心核にさ。

もう、
揺るがない
だろ。

だから

これまでと
同じ場所で
迷ったり
悩んだり
する必要は
ないし、

その時間も
ない。

一気呵成
だ。

進めるよ。

何を
する?

つづく

言葉を遺す

海岸の
岩の上に
立ち、

広大な
海を
みる。

そして
待つ。

ただ
ひたすらに
待つ。

次の
「言葉」

くるのを。

「言葉」

私の中には
ない。

私の中に
あるのは
単なる
執着の集積
だ。

私はそれを
よく
知っている。

だから
執着の集積
から
強引に
言葉を選ぶ
ことはしない、
絶対に。

どれだけ
時間が
かかろうが、

どれだけ
沈黙が
続こうが、

ただ
ひたすらに
待つ。

今ここに
本当に
必要な
「言葉」

ある。

今この人に
遺すべき
「言葉」

ある。

それは
今ここにしか
こない。

過去にも
未来にも
永遠に
こない。


にしか
こない、
今の
「言葉」。

待つのが
私の
役割。

そして
そいつが
きたら
それを
そのまま
この人に

あるがまま

伝え
遺すのが

私の
役割。

つづく

人が割れたら

パカっと
割れた。

その人が
割れた。

すると
中から
ブラックホールが
現れた。

すべてを
吸い尽くす
ブラックホール。

しかし、

すべてを
愛し尽くす
ブラックホール。

そこだけは
特異点。

すべてを
特異点に
引きずり寄せる。

穏やかな
顔の

激しい
ブラックホール。

これこそ
人の
無限の
エネルギーか。

つづく

今の流れは

今、
発想し得る

最も高い
目標


本気で目指そう。

これまでは
できなかった
ことが、

急に
できるように
なる。

そんな
流れだ。

もちろん、
一歩一歩では
上手くいかない
ことは
多々あるだろう。

しかし

視線の先を
その目標に
定めれば、

これまでとは
異なる
展開になるはず。

そんな
流れだよ。

つづく

細胞が開く・閉じる

細胞が
閉じる。

細胞が
開く。

人間には
そういうことが
ある。

開いている
時と
閉じている
時は

まるで
別人みたいだ。

私達の多くは、
それを
エネルギー調整の
ために行なう。

今、
エネルギーを
出せない時、

出しては
ならない時、

私達は
細胞を閉じる。

その場合、
どうしても
その人本来の
空気感は
薄れる。

つまり、
本来の魅力が
伝わりづらい
状態となる。

逆に、

エネルギーを
全開にしても
良い時、

内側からの
エネルギーに
満ちている時は、

私達は
細胞を開き、

その人の
本来の空気感が
出る。

本来の魅力が
感覚として
周りに伝わる。

真本音度合いが
高まれば、

私達はその
「調整」を
真本音で行なう。

今、
自分は、
どれだけ
開けば良いか?


都度都度
丁寧に
決めるのだ。

もちろんそれは
無意識レベルの
話だ。

自分が
本来の魅力を
どこまで出せるか?
については、

だから、

真本音に
任せてしまおう。

私達にできる
ことは、

自分の真本音の
生き方を

粛々と
誠実に
実践し続けること
のみ。

つづく

希望はあるか

希望の光が
あると言うなら、

それをいつも
見つめていたい。

希望の光が
導いてくれるなら、

その導きの通りに
進んでいたい。

しかし
人生はそのようには
いかない。

すべての決断は
自らが
下さなければ
ならない。

希望は
自らの行動を
もって
自ら創り出さねば
ならない。

特に
未知の領域では
何も見えない。

人間が
入って良いものか
どうかすら
わからない。

経験が
ない。

これまでの
経験則が
まったく通用しない。

でも
闇雲に進むわけにも
いかない。

じゃあ
どうする?

わからない。

知恵を絞る
しかない。

経験を超えた
知恵を。

人は
経験を
超えられるか?

もちろん
超えられる。

でなければ、
人類の歴史は
このようには
進んでこなかった。

もちろん
良い歴史だったとは
言い難い部分も
多いのだが。

それでも
「未知」に向かう
ことこそが
人間の存在する
意義だと
私は思う。

未知の中でも
最大の「未知」に
向かうのが、
ここからの
私達の進む時代だ。

希望を
持たなければ
希望は
ゼロだ。

誰も
何も
してくれない。

私達が
自分で
やるしかない。

そう決めて
ここまで
来たんだ。

希望の光は
見えなくとも、

希望を抱いて
進む。

光がなくとも
それができるのが
また
私達人間の
凄いところさ。

つづく

細胞の喜ぶ出会い

まだ
出会っても
いないのに、

もう
出会ってる感
がある。

すでに
一緒にいる感
がある。

その感覚が
ふと湧いた時、

私はそれを
とても大切にする。

常に
その感覚を
味わいながら、

一日を
過ごす。

すると多くの
場合、

出会いはすぐに
くる。

あぁ、あなただったな、

その瞬間に
すぐに
謎が解ける。

私の人生に
とって
とても大事な
人達。

彼らが
いるのと
いないとでは、

人生展開が
根本的に
変わる人達。

出会う前から
繋がっている
人達。

もう、
私達の場合、

心が
というよりも、

細胞が
すべてを
知っている。

心の反応の
前に、

細胞が
湧き立っている。

こういった
感性を養い、

実際に
良い出会いが
現れるかどうかは、

日々の
自分自身の
生き方
による。

それ以外は
ない。

ちゃんと
生きよう。

やることを
日々、
ちゃんと
やろう。

そうすれば、
恩恵のような
プレゼントとして、

その出会いは
くる。

つづく

良いことにならんぞ

この方向に
進めば、
決して
良いことには
ならない。

そう
わかっていて
しかし、
その方向に
動いてしまう。

動きながら
もう
最初の一歩目から
後悔が
始まるのに、

それなのに
ますます
勢いを増して
進んでしまう。

真本音度合いが
高まっている
のに、
そのように
なることがある。

そういった
場合は
もう
諦めるしかない。

自分に
委ねるしか
ない。

自分の
顕在意識を
超えて、
自分の真本音が
自分を
動かしている
のだ。

特に
直観は、
自分の思惑を
大きく超える。

自分のこと
なのに
自分で制御が
効かなくなる。

真本音度合いが
高まっている
が故に
起こる一つの
現象だ。

正直に
言うが、

私はそのような
ことが
今は毎日のように
起きている。

だからもう
慣れた。

昔はそんな
自分に
随分と抗ったが、

抗っても
仕方ない、と

散々体験を
繰り返しながら
思うように
なった。

人間は
馬鹿にならない。

自分は
馬鹿にならない。

こういう時
私は

自分とは何者ぞ?


いつも思う。

半ば、
驚嘆しながらも。

この方向に
進めば、
決して
良いことには
ならない。

むしろ
そう思う自分が
出る時こそ
人生の醍醐味が
あると、
今は思う。

自分は
自分を
超えられない。

真本音の
自分こそが
本来の
自分なのだから。

つづく