チームパフォーマンスコーチ

孤独から脱け出るには

孤独を
感じなくなってから
もうどれくらい
経っただろうか。

もう15年くらい
経っているかも
しれない。

逆に言えば、
それ以前の
私は
ずっと
孤独だった。

結局、
私のことを
本当に理解
してくれる人など
いないのだ、
という中で
ずっと生きてきた。

物心ついた
時から。

そしてその
孤独感を
誤魔化すための
人生であり、

孤独感から
逃げ続けるための
人生だった
気がする。

それが
15年前に
消えた。

誰かに
出会ったから
とか
良い仲間が
できたから
とか、

そういった
ことではない。

フッと
消えたのだ。

状況は
何も変わって
いないのに。

原因は
よくわかって
いる。

意識の次元が
上がった
からだ。

現実的には
たった一人で
いたとしても、

世界と
繋がっている

という感覚

当たり前のように
感じ取れるように
なったのだ。

世界と
繋がっている
ということは、
自分以外の
全ての人達と
繋がっている
ということだ。

理屈では
ない。

それが
当たり前の
感覚として
くるのだ。

最初は
心の状態が
良い時に
その感覚を
得ていたのだが、

そのうちに
一日24時間、
どんな時も
感じ続け、

肌が空気に
触れ続けているのと
同じくらいに、
それが
普通の感覚と
なった。

だからもし
たとえ
現実レベルで
本当に
一人になってしまった
としても、

この感覚は
失われないので、
きっともう
私は孤独を
感じることは
ないのだと思う。

それは
満ちている感覚
と言っていい。

心が
満たされている。

だから
どれだけ心が
揺れ動いても、

どこかいつも
ゆとりがある、
という
状態になれた。

当然のこと
ながら、

これは私特有の
ことではない。

本来は
あらゆる人が
この感覚を
得ながら生きる、
というのが
自然だ。

普通だ。

その、普通が
忘れ去られている
のが
今のこの世の中。

ここを私は
変えたい。

変えたい、
などと言えば
傲慢に聞こえる
かもしれない。

でも最近は、
傲慢でもいい、

思うようになった。

普通の状態
まで
引っ張り上げる。

引っ張り上げた
ところで、

その状態で、

未来について
語り合い、
共に願いを
実現し合って
行きたいのだ。

私がこの
15年間、
ずっとやり続けて
いるのは
そういうことだ。

つづく

炎に呼ばれている

龍のような
炎が
蠢いている。

グルグルと
同じ場所であるが、

激しく
動き回っている。

炎は
赤くない。

むしろ
青色だ。

藍色だ。

炎に
焼かれるものは
もう
すべて焼かれて
しまった。

やるべきことを
やり尽くした
炎は、

しかしそれでも
燃え続ける。

孤独に。

私は、
あの炎に
自分の身を
投じるかどうかを
迷っている。

熱そうだな、
と思う。

怖いな、
と思う。

人間だから
当然であるが、

しかし
怖さは私の
行動を決める
判断基準では
ない。

私が
迷っている
のは、

本当に
ここからの私に
あの炎は
必要か?

という
ことと、

本当に
あの炎は
私を必要と
しているか?

だ。

答えはきっと
YESなのだろう。

それは
わかっては
いる、が、

まだ
ほんの0.1%の
迷いがある。

これが
なくなるまでは
行けない。

100%の
決意でなければ、
すべてが
中途半端で
終わってしまう。

それなら
初めから
何もしない方が
いい。

炎は
私を呼んでいる。

私も
炎を呼んでいる。

お互いが
呼び合っている
し、
すでに
共鳴も始まって
いる。

なのに
決めきれない。

焦りは
ない。

ただ、
その時を

タイミングを

待っている。
それだけだ。

炎は
いずれ
尽きる。

その前に
決めなければ。

私は
思考を捨て、

今はただ
じっと
炎を
見つめている。

つづく

最後の希望

夜空に
たった一つだけ
星が
輝いている。

たった
一つだけ。

あとは
何もない。

月もない。

真っ暗闇。

一点だけ
銀色に
輝いている。

あそこは
中心なのか?

とも
思ったのだが、
どうも
そういうことでは
ないらしい。

それよりも

たった一つの
残された
希望

という
感じがした。

あとは全て
消えて
しまった。

かつて
星の数ほど
存在した
希望、達が。

永遠に近い
歳月を
経て、

一つ一つ
それらは
潰えた。

とうとう
最後の
一つ。

最後の
希望。

それを今、
私達は必死に
守っている。

いや、

守るだけでは
弱過ぎる。

あの輝きを
もっと
強めなければ。

より明るく、
より深く、

育てなければ。

もし
あれさえも
消えてしまったら
どうなるか?

は、
考えないで
おこう。

答えはあまりに
明白だから。

だから私達が
集中すべきは、

あれを
育てること。

昨日よりも
今日。
今日よりも
明日。

一歩ずつ
少しずつ
でも
育てること。

そのために
できることは
何でも
行なってきた。

もう
やり直しも
出直しも
できないのだ。

・・・・・・

自分の心臓が
確かに
動いていることを

確認する。

一定のリズムで
鼓動は
続く。

大丈夫。

まだ
行ける。

まだ
続けられる。

私の生命が
もつ限り。

守るべき
ものを
守る。

そのために
ここにきた
のだ。

つづく

このままでは生まれない

一本の光が
遥か彼方から

ここに

届いている。

私の
足元に。

まっすぐで
黄色の光。

そんなに
明るくはない。

が、
決して
消えたり
途切れたりは
しない
力強さを
感じる。

足元の
光の着地点に
意識を向けると、

メッセージの
ようなものを
感じた。

そこに集中して、
それを何とか
言語化してみた。

「早く来てほしい」


なった。

どこへ?

すると私の意識は
その光に
導かれ、

光の発信点だと
思われる
遥か彼方の
一点に

急速に
吸引された。

そこには
子ども達が
いた。

数え切れない
無数の
子ども達。

とても
次元の高さを
感じる。

あぁこれは
この世の中の
希望だな、

まずは思った。

が、
彼らは
こう言うのだ。

「今のままでは
生まれることが
できません」

必死の
訴え。

私は
答えていた。

わかった。
できることは
全てやってみよう。

・・・そして、
ここに
戻った。

できることは
全て、
とは言っても

いったい何を?

さっぱり
わからないが、

でももう
私は
知っている。

ということは
わかった。

彼らが
無事に
生まれますように。

そんな祈りを
抱きながら、

今日やるべき
ことを
私は
今日、やる。

つづく

どうせ壁はくる

壁に
ぶち当たる
その
ぶち当たり方は
人それぞれだが、

どうせなら
自分らしく
ぶち当たった
方がいい。

まず、

壁に
ぶち当たらない
ということは
あり得ない。

もし
何の壁もない
ようなら、

それはその人が
自分の範疇のみで
行動しているから。

成長や進化の
ための
動きをとっていない
から。

前に向かえば
必ず
壁にはぶち当たる。

ただし
念のために
言っておけば、

たとえ
自分の範疇に
い続けたり、
止まっていたり
しても、

いずれは必ず
何らかの壁は
くる。

しかしその壁
は、
進むことで
現れる壁とは
本質的に違う
ものだ。

進むことによる
壁は、
全て成長の
きっかけになるが、

止まっているが
故に発生する
壁は、

ほぼ
何の生産性も
ない。

その壁を
乗り越えても
乗り越えても
さらに
別の壁に
追い詰められて
行くだけ。

本当に
逃げ場がなくなる
まで
その壁が
現れ続ける。

とても苦しい
もの。

苦しみしか
ないものだ。

前に進むことで
現れる壁は、

壁では
あるのだが、

そこに取り組む
自分の内側からは
常に
何かしらの
充実感が
湧き上がり続ける。

だから結局
人間である
私達は、

何をしたって
壁にぶち当たる。

どうせなら
前に向かうための
壁に
ぶち当たろう。

そして
どうせなら
自分らしく
ぶち当たろう。

器用に進もうと
せず、

小細工や
小賢しさを
働かせず、

堂々と
自分の望む
生き方
行き方

ぶち当たっていこう。

つづく

流れの視点から

あなたの
中に
もし、

川の流れが
あるとしたら、

今、それは
どのように
流れている?

水は
澄んでいる?

それとも
濁っている?

流れの
深さは?

速さは?

激しい?

それとも
静謐な感じ?

色はどう?

そして
周りには
何がある?

その世界は
あなたに
とって
居心地の良いもの?

そもそも
その流れは
ちゃんと健康的に
流れてる?

・・・・・・

私達人間は
流れる存在
だ。

止まってしまっては
息絶えてしまう、

ように
できている。

流れるのが
前提。

であれば
どう流れるか?

がとても
重要。

環境において
流れる自分。

そして
自分の中に
存在する流れ。

その両方が
一致する時、

私達は
至福の悦びを
得る。

・・・・・・

あなたの
流れは
濁っていない?

止まって
しまって
いない?

濁っている
なら、
濁りの原因を

直ちに

究明しよう。

止まっている
なら、
すぐに
動き出そう。

現実で
動けば、
内面の流れも
動き出すんだ。

つづく

進化の速い人の特徴

上昇スピードや
進化スピードは、
誰もが
最初から速い
わけではない。

最初は皆、
一歩ずつ。

恐る恐る、
というケースが
多い。

一歩ずつ。

スモール
スタート。

歩幅も
小さく。

それでいい。

一歩目を
踏み出す
その勇気が
まずは尊い。

そして
特に重要なのは、

続けること
だ。

継続。

継続は
力なり。

本当に
そうだ。

垂直上昇的に
進化をする
人達は、

みんな

全員

この継続力が
ある。

決めたら必ず
継続するんだ。

だから
垂直上昇などと
いう
無茶なことも
できるようになる。

どれだけ
素質を持った
人も、
最初からは
無理なんだ。

継続の
ためには、

「毎日」


基本だ。

毎日必ず
それを
やる。

毎日、
歯を磨くのと
同じように。

3日に一度
とか
一週間に一度
では
なかなか継続
できなくなる。

ほんのちょっと
したことを

毎日
行なう。

その習慣が
根本的な
力となる。

ちょっとした
ことなんだよ。

日常生活の
送り方の
問題なんだ。
すべて。

始めよう。
続けよう。

これだけ
だ。

これができる
人は
ある時、
ある瞬間、

突然に

飛び出せるんだ。

つづく

人々との時間

雑踏の中で
ただ、
座る。

カフェとか
駅の構内とか。

周りでは
人々が
溢れている。

会話を
したり、
一方向に
流れたり、

流れが
混在して
混乱状態に
なったり。

この
まとまりのない

雑踏

というものが
結構、好きだ。

椅子に座り、
私はただ
その雑踏と
この世界を
感じる。

感じられる
全体に
意識を向け、

味わう。

昔は
こんなことを
自分がするなんて
夢にも
思わなかった。

私は人が
嫌いだったから。

こんなことを
するなら
一人で
山に登った。

誰もいない
自然の中で
一人で
座り、自然を
味わっていた。

今の私は
人を
味わう。

人の創り出して
いる
この場を
味わう。

この世界を
味わっている。

意識的に
こうして
椅子に座って
じっくり味わうことも
あるが、

本当は
24時間ずっと
味わい続けている
気がする。

こうやって
味わうだけで
生まれてきた
甲斐があったな、
とも
思うのだ。

・・・・・・

これをして
いると、

たまにであるが、

とてつもない
調和を
感じることが
ある。

調和のとれて
いる人、
もしくは
人達が、

近くにいる
のだ。

そうなるともう
私は
砂漠の中で
宝石を見つけた
ような
嬉しさを感じる。

逆に、
不調和な人は
多い。

澱んだ空気が
すぐ隣を
通り過ぎる。

すると
その人の孤独や
悲しみを
受け取ってしまう
こともある。

こちらも
悲しくなる。

だが、
こういったことも
全て含めて、

私はこの場を、
人を
味わっている。

・・・・・・

調和性の
高い人がいると、

思わず
目が合ってしまう
ことがある。

見ず知らずの
人。

だから
一瞬で目は
逸らすが、

その一瞬は
まるで
永遠のようだ。

知らない人
なのに
深く知っている
ような。

人間というのは
不思議な
存在だ。

つづく

情熱はいらない

それは
情熱
というもの
だろうか?

情熱。

情の熱。

いや、
それよりは
もっと
深い気がする。

もっと
安定した
根源的なもの
のような
感じがするよ。

あえて
言えば、

命の光

かな。

生命そのものが
持つ
エネルギーの
源のようなもの。

それはもちろん
誰にでも
あるが、

その人のは
格段に大きく
感じられた。

「私には
情熱というものが
ないんですよ」

わかる。

わかる気が
するよ。

情熱とは
一時的に湧き上がる
エネルギー。

湧き上がったり
枯渇したり。

そういったもの
ではないね、
その人から
感じられるのは。

それは、

永遠

とか

悠久

という言葉が
ピッタリくる。

そんな光を
その人は
ダイレクトに
私に向けてくる。

すごい
人だ。

あなたには
情熱は
必要ないんだな。

その
根源力だけで
動き続けて

いや、

生き続けて
きたんだな。

若さの特権
ではない。

年齢を重ねれば
それはもっと
強く深く
広がるだろう。

特別な人
じゃない。

これからは
こういう人が

普通
になって
いくのだろう。

つづく

自分との約束を思い出す

実在のレベル
では、
私はよく
深海に潜る。

海の奥の
奥の方では
光は全く
届かない。

考えてみれば、
光が全く
届かない
という体験は

通常の生活
日常の中では
滅多にないこと
ではないか。

真っ暗闇。

そこに長く
じっとしていると、

まずは、
自分と
自分以外との
区別がつかなく
なる。

そして、
意識
というものの
意味が
わからなくなる。

何かを
考えている
ようで
何も考えて
おらず、

かといって
無心かというと
そうでもない。

日常における
意識とは
全く別の状態に
入る。

瞑想とも
違う。

全体と個の
区別が
つかなくなっている
し、

たとえ
意識のような
ものがあると
感じられても、

それが
自分のもの
なのか、
自分以外から
きているもの
なのか、

わからなくなる。

というか、
そんなことは
どうでも良くなる。

宇宙の中の
自分。

自分の中の
宇宙。

その両方と
一つになり
ながらも、

その両方が
完全に
一致する。

一点であり
無限である
もの。

そういった
存在そのもの

いつの間にか
なっている。

この状態で
初めて
私は

帰ってきたな、

という
感になる。

もとの自分に
戻れた
感覚であり、

本来のホームに
帰ってきた
感覚であり。

下手をすると
もう
そこから
離れたくなくなる
こともあるのだが、

しかし
こうなった時に
明らかに
なるのが、

自分自身との
約束だ。

私は
約束を果たすために
この世界に
生まれてきた

わかる。

だから
約束を守るために
日常に
戻っていく。

さぁそろそろ
戻ろうか、

自然に思える。

私はこの
「約束」
を、

すべての人に
思い出して
ほしいのだ。

そのために
私は活動
している
と言っても
過言ではないだろう。

真本音とは
「約束」に基づく
本音である、
とも言える。

そしてもし
「約束」を
思い出したなら、

もう、
すぐに
そっちに
向かうべきだ。

わかるだろう?

時間は
ないのだ。

つづく

心が折れても

顔を上げる
こともできない
激しい逆風の
中で、

それでも
真正面から
風に立ち向かう
自分自身を

馬鹿だなと
思う。

何も
好き好んで
一番難しそうな
世界に
入らなくても
いいのに。

しかし、
私は最短で
行きたいのだ。

誰が何と
言おうとも、

ここに
最短ルートが
あるならば、

どれだけ
難易度が高かろうと、
私は他の道という
選択肢を
捨てる。

何も考えず
当たり前のように
捨ててから、

悩む。

後戻りの
できない
取り返しの
つかないところまで
行って初めて

人間らしく
悩むことに
している。

悩まずに進む
のは
不健全だと
思っている。

ちゃんと
丁寧に
悩む。

心の苦悩を
感じ
受け取る。

泣き叫びたく
なったら、
しっかり
泣き叫ぶ。

ただし、
もう後戻り
できない状況に
なってから。

悩もうが
悩むまいが、

迷おうが
迷うまいが、

関係なく
決めた道を
行く。

最短の道
を。

それが
自分自身との
約束だ。

約束を破る
ということは、
自分という
存在の放棄
であると
私はよく
知っている。

それだけは
すまい、

決めている。

・・・・・・

逆風の中で
ついに私は
動けなくなった。

どうやら
体力の
限界だ。

風に
飛ばされない
ように
その場に
うずくまるのが
精一杯だ。

それでも
這って進もうと
する。

這うことすら
できなくなれば、
心の中で
だけでも、
進もうとする。

そしてもし
心まで
折れてしまったら、
それでも魂は
進もうと
し続ける。

そして
私の魂が
折れることは
ない。

どこまでも
私は
人、であることを
やめない。

やめて
たまるか。

人である限り、
魂は
折れないのだ。

つづく

直観はどこからくる

意識は
全方位に
向けておいた方が
いい。

自分の
内側のみに
向けておくのは

もったいない。

上も下も
右も左も
斜め方向も

360度
全方位に
向け続ける。

意識を
広げ続ける。

すると
今の自分に
とって
最も必要な発想は、

自分の外

にあるのだと
わかる。

全方位の
空間の
どこかに、

その発想は
浮かんでいる。

あぁあれは
私の
次の直観だ、


わかるのだ。

おいで、


それを呼ぶと
スーッと
私に近づいて
くる。

スーッと
私の中に
入る。

そして
直観が
浮かぶ。

だから
直観とは
コントロール
できるもの
だ。

コントロール
すべきもの
だ。

思考ももちろん
大事だが、

自分の内側の
思考
という、

とても狭い
世界のみで
生きるのは
もったいない。

私達は
「世界」と共に
生きている。

「世界」に
全方位に
常に意識を
向け続けよう。

その方が
人生は
何十倍にも
楽しくなる。

つづく

人生の違いの始まり

走り去って
行く
電車を見ながら、

あぁあの電車に
自分が乗っていた
かもしれないな、

思った。

一本後の
同じ路線に
乗るだけなの
だが、

しかしこの
一本の違いが

人生の違い


なることを
私はよく
知っている。

例えば、
同じ電車でも

どの車両に
乗るか?

どの扉から
乗るか?

乗った後で
どの場所に
立つか?

などによっても
人生は
違ってくる。

そんな大袈裟な

思われるかも
しれないが、

こういった
些細なことの
違いが、
人生の流れを
決めるのだと

真本音で
生きる

ようになって
から
よく実感する。

そして
過去の自分に
対して
思うのだ。

私は随分と
雑に
生きていたな、
と。

あんな雑さ
では
当然、
調和は起こらん
だろう、と。

一日中、
神経を張り詰めて
頭を使い続けて
過ごしなさい、
という
話ではない。

実際、私は
通常はほとんど
張り詰めていない。

弛緩した状態が
大半だ。

しかし
一つ一つの
行動を決める
自分の意思は
とても
大切にしている。

一つ一つの
行動を
本当に大切に
しよう、

決めることで、

一つ一つに
ちゃんと
直観が働くように
なる。

直観力は
すぐに高まる
わけではないが、
一つ一つを
大事にする
習慣ができれば、

それが
当たり前と
なり、
直観は増える。

弛緩した状態でも
意思を込め、
直観を促せる。

人生の違い

自分では
どうとも思って
いないような

些細なこと
からこそ
始まる。

日常の
今の
生活を

大切に
誠実に
送ることだ。

つづく

この道をやめる

広い野原の
中に、
一本道が
続いている。

それは
細い道だが、
確かに
続いている。

永遠に
続いているのでは、

思えるほどに。

その先に
あるものも、
何となくは
わかる。

それは
とても明るい
場所だ。

そこに
ずっと
行きたがっていた、
それが
私だった。

が、

今の私は
その一本道を
外れようと
している。

もっと
先へ、

もっと
遠くへ、

行きたく
なったのだ。

そこまで
行くには、
今のこの道では

遅過ぎる。

確かに
この道は
気持ちが良い。

生きがいを
感じられる。

でももう
この道で
私が満足する
ことは、
ない。

と、
わかって
しまったのだ。

素晴らしい
仲間と出会い、
共に
歩み始め、

本領を
発揮し始め、

ここに
至り、

素直にそう
感じるように
なったのだ。

だから
私は
新たな道を
探る。

この道は
もう
手放した。

この道も
未知なる道
だったが、

新たな道は
さらに
冒険的だろう。

難易度も
上がるだろう。

望むところ
だ。

つづく

怒ってでも自分を開放しよう

むしろ
いっそのこと、

思いっきり
背後から
背中を
突き刺された方が
いい。

巨大な
槍で。

その槍の
鋒は、
腹まで貫通する。

大きな穴が
私の体の
ど真ん中に
空く。

私は
中心核を
失い、
倒れる。

ただ、
倒れる。

そして
二度と
起き上がれない。

むしろ
これくらいの
方が、
中途半端じゃなくて
良い。

どうせなら
そこまで
自分を
投げ打ちたい。

だが、

相手は
そうさせては
くれない。

その人には
躊躇が
あり過ぎる。

だからこそ
その人は
通常の歩みも
中途半端に
なってしまうのだ。

自分は
間違っているのでは
ないか?
という視点を
持つことは、
謙虚で良いことだが、

それは結局は
自分を
悪い意味で
守るためだけの
ものではないか?

道が
開かないのは、
その
守り、のせいでは
ないか?

自身の
本当の魅力は、

本領は

そんなものでは
ないと、
本当は自分が
一番よくわかっていて、

しかし
本領発揮が
怖い、
面倒臭い、
ので
いつまでも
中途半端な
歩みのまま。

だから
これだけ
言われても、
私に反発すら
できない。

もっと
怒れば
良いのに。

怒りによって
自分を
開放すれば
良いのに。

怒りやすい
ように
私は
背まで向けた
のに。

パチンと
背中を
叩く程度の
その反発じゃ、

道は
開かんよ。

人生の
分岐点。

ここで
自分を出さねば、
どこで
自分として
生きるのだ?

つづく

向き合えないな

黒い竜巻の
渦のような
中に
その人はいた。

その竜巻が
私にも
来た。

これは
苦しい。

頭が痛く
なってきた。

これは
辛い。

こんな渦の
中にいては
何も
見えないじゃ
ないか。

何も
わからない
じゃないか。

その人は
まっすぐに
私を
見つめてきた。

側から見れば、
私達は
向き合っている
ように
思えただろう。

しかしそれは
形だけの
ものだ。

その人の
目は
確かに
私に向いている。

しかし、
目しか
向いていない。

激しい
ガード。

自分を
見せまいと
する。

残念だが、
そのガードを
かい潜ってまでも
その人との関係を
深めるだけの
時間もエネルギーも
今はない。

残念だな、

心の中で
深くため息を
つく。

もし私が
少々強引にでも
その人に
近づこうとすれば、

本当の意味で
向き合おうと
すれば、

その人は
渾身の力で
逃げようとする
だろう。

それが
見えているので
あえて今は
もう
そういうことは
しない、
と決めた。

とても
実績のある
人だ。

とても
活動的だし
エネルギッシュな
人だ。

どんどん
自ら道を
切り拓いている。

これまでも、
今も。

しかしそれは
本来の
彼ではない。

本来では
ないのに
これだけの
エネルギーを
出せるとは、

すごい
人だ。

すごい
人だが、
本来のこの人
ではない。

本当は
こういう人ほど
サポートさせて
いただきたいの
だが、

やめた。

今は
無理だな、
と。

この人は
自分をガードする
術を
身につけすぎて
いる。

近づけば
それは壊れる
が、

それを
壊しては、

この人は
自分自身が
壊れてしまう
恐怖を覚えるだろう。

そして
その恐怖と
向き合うだけの
準備が
まだ、
できていない。

覚悟が、
ない。

残念だな。

でも、
ご縁はこれで
できたのだ。

いつか、
できれば
近いうちに、

もっと
近づける日が、

向き合える
日が、

来ます
ように。

つづく

出会うことで諦める

風が
吹いたな。

人との
出会い。

風を感じる
出会い。

幸せな
ことだな。

一つの問いと
向き合おう。

浮かんできた
問いは、
こうだ。

・・・

この人と
出会えたの
なら、

もうこれで
私は
一つを、
諦められる。

私はここで、
何を
諦めれば
いい?

・・・

残された
私の人生で、
今後、私はさらに
集中力を
高めていかねば
ならない。

集中すべき
ことに
集中する
ために、

私はここで
何か一つを
諦め
手放すのだと
思う。

私がやろうと
していた
ことを、

私は
私以外の人に
託す。

今後は
こうして、
一つ一つを
手放して
いくのだろう。

私は彼らより
随分と早く
いなくなるの
だから。

つづく

雨粒であの人を感じる

粘っこい
雨粒のような
ものが

大量に
降りかかり
身体に張りつく。

今日も
たくさん
もらった。

背中と腰が
重く、

ドーンと
響く鈍痛が
このまましばらくは
続くのだろう。

毎日の
ことだ。

必死に
浄化を続ける
うちに、

以前なら
一晩かかって
いたところが、
今はもう
1時間くらいで
何とかなる。

人間なんでも
継続すれば
力は高まる。

毎日
やり続けることの
意義を感じる。

雨粒の
いくつかが
私に訴えてくる。

浄化される
前に
訴えを聴いて
ほしい、と。

喉と胸が
熱く
苦しくなる。

私のことなんて
誰も
わかってくれない!

それは
そのように
叫んでいる。

孤独の雨粒か。

誰から
受け取ったのか
は、
すぐにわかった。

あれだけ
頑張っている
人だ。
人のために
チームのために、

そして
組織全体の
ために。

あれだけ
信頼されている
のに、
やはり
内面は孤独
だったか。

よく
頑張ってるな。

人は誰もが
「理解されていない」
寂しさと悲しさと
共に
生きている。

頑張れば
頑張るほど
一人になって
ゆく。

しかしそれでも
頑張り続ける。

自己犠牲とは
言わない。

その行為そのもの
によって
自身も確かに
満たされるから。

でも、
日々、
大量の雨粒は
生まれ続ける。

そういう人の
雨粒なら、
私は
どれだけでも
受け続けよう。

苦しみの中でも
明るく進もうと
する人。

自分の本当の
意志に
素直な人。

願いに
生きる人。

雨粒に
惑わされるな。

真の自分で
進み続けるんだ。

つづく

身を預けて進む

身を預ける
ように
進むと

逞しく
進める。

内面的には
それは
依存ではないか、

思ったことも
あるが、

預けるとは、
覚悟の要る
ことなのだ、

わかった。

この流れ。

実在の。

そこに
身を預ける。

すると、
先は見えない
が、

今、ここで
何をすべきか?

わかる。

時にそれは
とても怖い
選択だったり
するが、

構うものか。

こう生きる

決めたんだ。

・・・・・・

亀のような
歩みに
見えても、

現象のレベルで
そう見える
だけであって、

本質的には
最速の道を
進んでいるんだ。

なぜなら
身を預けて
いるから。

そこに
表面的な我欲
はなく、

全体的な
願いと
自分自身の
最大の想いが
ある。

自分も
自分以外も、
その区別すら
つかなくなる。

関係なくなる。

そこでは
もう
孤独は、ない。

ずっと
孤独できた私が
もう、
恐らくずっと

孤独からは
解放された。

・・・・・・

このペースで
良いのだろうか?

このやり方で
良いのだろうか?

と、
表面の意識では
いつも
疑念しているよ。

それでいい。

それがいい。

だからこそ、
着実に
間違いなく
進める。

イケイケどんどん
なんかには
なるものか。

つづく

自覚せずに傷つける

命のやりとり
なんて言うと、

大袈裟だな

思うだろ?

でも人はね、
命のやりとりを

結構頻繁に
やってるんだよ。

例えば、
たった一つの会話を
をきっかけとして、

ある人は
自分の人生を
生きることを
突然、
諦めたりするんだ。

顕在意識レベルの
話ではない。

潜在意識、
無意識レベルでね。

自分の人生を
完全に諦めれば、
もう
その方向に
進んでいく。

ある人は
それが後に
病気として
現れたり、

無意識に
自分を
事故に巻き込ませたり。

起きている現象は
すべて
その人の
「決めたこと」の
反映に過ぎない。

無意識に
完全に
決める、

ということを
私達は結構
やっているんだ、
日常生活の中で。

だからこそ、
人との関わりは
命のやり取りと
なる。

だからこそ
私は
最善の

できれば
最高の

命のやりとりを
したいと
思っている。

今、
目の前にいる
Aさん。

このAさんとの
この時間。

唯一無二の
時間。

これを私は
本当に大切に
する。

惰性で
人とは
関わらない。

惰性でしか
関われそうも
ない人とは
関わらない。

そう
決めている。

・・・・・・

この世は
後悔が
溢れている。

顕在意識では
全く自覚
していなくても、

自分がさっき
あの人を
傷つけた。

あの人の
生きる意欲を
失わせた。

・・・という
認識は、
無意識でしっかり
得ている。

だから
無意識に
とてつもなく
深くて大きい
後悔を
抱えている人は
多い。

これは
キツい。

実に
キツい世の中
だ。

命を
打ち消し合う
のではなく、

命を
活かし合う
世の中に
なれないものか。

命はもっと
輝けるものだ。

つづく

帰る場所はどこにある

時々、
街並みが
浮かぶんだ。

まばゆい
夕日の光に
包まれた、

オレンジに
輝く
都市のビル群。

そこには
たくさんの
人達がいる。

今、私がいる
東京のように。

でもそれは
実在の
街並みなんだ。

確かに
存在しながらも
今の私達の
まだ知らない街。

そこには
確かに
生活がある。

人生が
あるのだが、

今の私達には
知る由もない。

一つ一つの
存在が
際立ち、

現象ではなく
実在そのもの。

本来、
私達みんなが、
目指している
街並み。

独自の個性と
調和による
ハーモニー、

夕日とも
一つになって
いる。

自然とか
人工物とか
関係ない。

一つ一つが
唯一無二の
存在たち。

尊重と
共振の
世界。

・・・・・・

時々、私は
そこに
帰っていく。

そして
思い出す。

何を
思い出したのかは
わからないのに

思い出した
という事実だけは
わかる。

私は今、
思い出すべき
ことを
思い出したな。


わかる
安心感と共に、

私は
その街を
離れる。

またこれで
しばらくは
がんばれそうだ。

・・・・・・

私には
帰る場所が
ないのでは
ないか。

ということを
感覚的に
得てしまい
悩む人がいる。

気持ちは
わかるよ。

この
現象の世界では
確かに
どこに帰っても、

本当の
我が家では
ない気がする。

本来の街
では
ない気がする。

そうなんだ。

この現象の
世界には、

まだ、それは
ないのだ。

だから
私達が自ら
創り上げねば
ならない。

帰る場所を
ここに
実現するんだ。

・・・・・・

背中に
受けた
あの夕日の

焼けつくような
感覚を

そのまま
素直に
背負いながら、

私は
今日も明日も
現象の世界に
向かっていく。

まだ
ここには
何もない。

私達は
まだ
何も成して
いない。

これからだ。

ここからだ。

つづく

嘆くしかないよ

水が
地中に染み込む
ように、

その人の
嘆きが
私に染み込んで
きた。

これは
辛い。

言葉で
表現すれば、

嘆き

としか
言いようがない。

悲しみも
怒りも
後悔も
寂しさも

そして
慈愛の心
さえも

そこには
混在している。

大きな
溜め息と共に、

ドーンと
体が
重くなる。

立って
いられなく
なる。

思わず
うずくまりたく
なる。

声をあげて
泣きたくなる。

・・・・・・

なんで
こうなって
しまったのだろう?


何度呟いても、

答えはない。

いや、
明確な答えは
あるが、
それは表面的な
ことだ。

人と人との
関係だ。

相手のいる
ことだ。

相手との
ちょっとしたやりとり
の蓄積、

齟齬の蓄積が、

このような
憎しみのような
気持ちまで
延々と
噴き出させる。

今のこの世の
典型と言えば
言えるのだが。

こんな時
いつも
思うのだ。

やはり
人と人は
向き合わねば
ならない。

どんなに
素晴らしい個性
でも、
向き合わねば
何も始まらない。

どんなに
強い志があっても、
向き合わねば
道は途切れる。

人は
向き合うために
存在しているのでは
ないか。

向き合うために
わざわざ
別個の存在として
この身体が
あるのではないか。

向き合わない、
というのは
人であることを
放棄している、という
ことではないか。

そこまで
思ってしまうよ。

こんな時は。

・・・・・・

人を育てるのは
難しい。

もちろんだ。

どれだけ
心を込めて
育てても、

裏切られて
しまう。

相手のある
ことだ。

しょうがない
とは
言いたくないが、

しょうがない。

これが
人間だ。

今の
この世の中の
人間の一つの
姿だ。

今はしっかり
嘆こう。

祈るように
嘆こう。

嘆ききる
まで。

それが
完了してから
だ。

次のことを
考えるのは。

つづく

後悔から脱け出すには

後悔。

悔恨。

そういった
念の深い人は

私は
好きだ。

もちろん
ただ
ウジウジしているだけ
であれば、
ちょっと嫌だけど。

後悔に
基づいて
前に向かおうと
している人。

私は
好きだね。

後悔と
本当の意味で
向き合える人は

謙虚だしね。

私自身が
深い後悔を
何度もしてきたので、

上辺だけの
後悔か、
本当の後悔か、

やはり区別できる。

本当の後悔
というのはもう
どうしようも
ないね。

ズブズブと
底なし沼に
はまっているようで。

どこまでも
堕ちていく。

自分を
堕としていくんだ。

そして
決して自分を
幸せにしようとは
しない。

本当の幸せが
手に入りそうに
なると、

自分を不幸の
方向に
追い詰めていく。

私自身が
そうだった。

私にとって
この人生は

償いのための
人生

だった。

途中までは。

それだけ
後悔を抱えて
いた。

でも、
償いの人生を
続けることは

自分も
他人も

誰をも
喜ばせないし
幸せにはしない、

ということに
途中で
気づくことが
できた。

本当に
償いをするならば、
まずは
自分が幸せに
向かわねければ
ならない、

ということが
途中でわかり、
私の人生は
そこから
根本的に変わった。

根本的に
変わったが、
しかしそれは
本当に難しい
ことだった。

償わねば
ならないと
根本的に
思い込んでいる人が

幸せに向かうのは
至難の業だ。

しかし
絶対にできない
というものでも
ない。

私の場合は、
自分の真本音の
願いの方向に
人生を進めることで、

自然にそこから
脱け出ることが
できた。

今から思えば、
償いの人生など
自己満足そのもの
だったな、と
わかる。

が、
その時は
当然、わからんよ。
人間は。

自分のことは
わからん。

それでいい。

いずれにしても
本当に
後悔と向き合って
いれば、

自ずと
そこからは
脱け出せる。

だから、

苦しみのあまりに
後悔の
フリをする、

ことだけは
やめよう。

フリをすれば、
余計に
苦しみが深くなる
だけだ。

自分の
後悔だ。

自分でしっかり
引き受けよう。

つづく

いったん離れた方がいい

いったん
離れると
良いことがある。

離れるのは
寂しいかも
しれないが。

人と人は、

・・・いや、
人だけでなく
あらゆる物事に
おいて

どれくらいの
距離で
関わるか?

はとても
大切だ。

どちらかと
言えば、私達は
近づき過ぎる
傾向がある。

基本、
近い方が
安心するから。

しかし私は
あえて
極端に言えば、

まずは
全てから
離れてみる、

つまりは、

一人になる、

ことを
お奨めする。

一人になって、
自分の足で
立ってみて、

初めて、
何(もしくは誰)と
どのくらいの距離で
関わろうか?


観えてくるから。

今日、
ある会社の
幹部さんのコーチングを
させていただいた。

その人は
「人に対して
本当は
無関心でいたい」

言われた。

それを聴いた
瞬間、

あぁこの人に
とっては
それがベストだな、


思えた。

その人は、
人に近づき
過ぎてしまうのだ、
無意識に。

人と
一体化し過ぎて
しまう。

そして
相手のストレスや
苦しみ、痛みなどを
すべて
自分のことのように
感じ取ってしまう。

その状態での
マネジメントは
非常に辛そうだった。

だから
その人の理念を
「無関心」
とした。

冗談のようだが、
冗談ではない。

その人にとっては
最も必要なことだ。

これにより
その人は
一人
になれる。

一人になった
時に、
初めて
自分流のベストの
マネジメントのあり方に
気づいてゆくだろう。

くっつき過ぎ

ダメだ。

依存や執着や、
場合によっては
寄生
を生む。

これが今の
世の中の
不調和の根源
の一つだ。

内面的な
意識のみでも
良いので、

まずは
自分が無意識に
くっついてしまって
いるものを、

いったん、
自分から
引き剥がそう。

いったん、
自ら
離れてみよう。

つづく

ここでまた重要な問い

今ここで
また、

重要な
問いが
ある。

次の問いに
私達は
真摯に
向き合おう。

・・・

今の私の
錘(おもり)は何か?

その錘は
これからの私にも
必要なものか?

もしその錘を
手放すならば、
現実に私は
何を為すべきか?

・・・

為すべきことが
あるならば、

早急に
動かねば
ならないよ。

つづく

もうだめだ、というとき

鬱蒼と茂る
森の中を
彷徨っていた。

霧も深く、
どこをどう歩いて
いるのか、

ついに完全に
見失った。

現在地が
わからない。

向かうべき
方向も
見当もつかない。

どちらの方向に
向かっても
道が開かれる
感覚はなかった。

かといって
ここに動かずに
いることは
もっと危険だと
わかった。

まさに
八方塞がり、

絶望感。

・・・・・・

こんな時、

突然、
光が差してくる
こともあった。

しかしそれは
たまたま、
だ。

正確には
たまたまでは
ないにせよ、

それは
自力で成した
ことではない。

自力では
何も
できなかった、
という
その無力感は

結果的には
人生の
宝物となる。

その経験を
するかどうかで、
人生の展開は
大きく変わるし、

自分以外の
「世界」との
関わり方も
根本から変わる。

が、
今はそれを
言っている場合
ではない。

わかるのだ。

ここは
自力で何とか
せねばならない。

待っていては
ならない、
のだ。

・・・・・・

八方塞がり

絶望感。

これと
一つになる
ことだ。

完全に
一つになる
ことだ。

それは
自分自身が
崩壊してしまう
恐ろしさがあるが、

それでも
一つになる。

絶望、そのもの
となる、
のだ。

・・・・・・

私は
絶望。

何も
できぬ。

ただ、
滅びゆく
だけの
存在。

全てが
滅びゆく
その
一コマが
私、だ。

・・・・・・

ここまで
行って
始めて、

内側から

中心から

湧き上がる
「何か」
がある。

それは
一つの「意志」
の塊となって

自分の中に
浮上する。

自力突破の
礎。

源。

そして、
この森そのものを
壊し、
変質させる

鉾となる。

つづく

人生のヒントを見つける

たった
一筋だけで
いい。

全貌が
わからなく
とも。

ほんの
一筋の
光が

そこに当たれば
いい。

一点しか
見えなくとも。

それだけで
私達は

「わかる」

のだ。

「わかる」
とは
「思い出す」
ということだ。

もともと
私達は
全てを知っている。

知らない
ことも、
知っている。

それを
一筋の光が
思い出させて
くれる。

大事なのは
その光。

光を自ら
生み出すことだ。

・・・・・・

この世界は
光で
溢れているが、

その中で
本物の光は
いったい
どれだけある
のだろう?

本物の光、

実在の光。

単なる
現象でなく。

・・・・・・

過去と
今と
未来。

その
すべてを
受け止める。

大概、
私達は
どれも
受け止め
きれない。

過去にも
目を閉ざし、

今も
承認せず、

未来も
怖がって
見ようとしない。

だから
永遠に
光はわからない
かもしれない。

過去も
今も
未来も
受け止める
覚悟ができたとき、

実在の光が
わかる。

どれが
本物の光か
が。

・・・・・・

まずは
過去をしっかり
振り返って
みよう。

自分の人生を
もう一度、
思い返しながら

体験し直す。

これを
綿密に
やってみよう。

時間をかけて。

すると
本来はあの時は
私は
こういった現実を
創るべきだったのだ、

瞬間的
直観的に
わかることがある。

本来の道。

それが
一筋の光の
きっかけとなる。

その
本来の道と
今の自分との
差。

そこを
直視すれば、

未来にも
目を向けられる。

本来の道を
未来にまで
結びつけた時、

ようやく、

今、

未来、

結ぶ光が

一筋の光が

生まれる。

その光が
差す
たったの一点が

大いなる
ヒントとして

私達を
照らしてくれる
だろうよ。

つづく

今、環境を変えるとき

私は
「世界」を
創りたい。

新たな
「世界」を
生み出したい。

・・・言葉で
表現すれば
そのような願いを

強烈に
抱き始めている
人が
増えている。

この類の
願いを
私はサポートしたい。

「世界」と言っても
いろんな意味が
あり、

それは
全世界を指している
人もいれば、

例えば、
一つの小さな
空間や集団を
指している人も
いる。

どちらも
本質的には
同じことだ。

規模の大小
ではなく、
その質と深さが
ここでは
重要だ。

独りよがりで
我欲まみれの
「世界」
ではなく、

あくまで
私の表現で言えば、

次元の高い
世界、

実在と現象の
一致する
世界、

本質的エネルギーを
生み出し続ける
世界、

というような
もの。

それらを
目指す人が
増えているし、

その人達は
今、
急激にその人なりの
何か、が
開花を始めている。

そういった
人達に今、
このタイミングで
お奨めしている
ことは、

環境を変える

ことだ。

もし今いる
環境に違和感を
覚え、

ひょっとして
環境を変えた方が
良いのでは?


疑問符が
湧いたら、

躊躇なく
そうすることを

今は

お奨めする。

これから
発生する
自分自身の
新たなエネルギーを

そのまま
素直に
放射・照射できるように
するには、

それ相応の
環境が
必要だからだ。

今の自分に
見合った
環境を選ぶ。

これも
今こそ
最も必要なことの
一つだ。

つづく

決意表明のようなもの

よく私は
「垂直上昇」
という言葉を
使う。

垂直に
上昇するくらいの
逸脱した
成長の仕方

進化の仕方

を表現している。

ここ数年で
そういった進み方
を目指す人が
本当に増えた。

実際にそれが
できている人も
増えた。

垂直上昇の
影響は
あまりにも大きく
深い。

たった一人が
垂直上昇を始める
だけで、

実在のレベル
では
「全体」に
そのエネルギーが
波及していく。

人の影響力
とは
やはり、
その上昇率、
成長率
で決まる。

今、何ができるか?
とか
今、どれくらいの
力があるか?

よりも
その影響は
果てしなく
甚大だ。

・・・・・・

垂直上昇する
人との
コラボ。

これが
今の私が
推進している
ことだ。

垂直上昇する
人は、

根底の部分が
果てしなく
安定しつつも、

表面的には
とてつもなく
不安定だ。

そりゃそうだ。

逸脱した
進み方は
人の心を
極めて不安定に
させる。
当たり前の
ことだ。

その不安定さを
自分のもの
としながらも、

常に
根底の
果てしない安定を
感じながら
進む。

そういった
人達とのコラボは、

とてつもなく
不安定で
果てしなく
安定している。

それを
事業として
この世の中に
形にしていくことは

きっと大きな
インパクトと
なるだろう。

・・・・・・

異質なもの。

未知のもの。

そういったもの

私達はどうしても
拒絶感を
出してしまうが、

毎日その
拒絶感を
得ながらも、

それでも私は
進みたい。

昨日まで
「最高」だった
ものが、
今日は突然
「最低」になって
しまうかも
しれない。

それを
恐れず、

・・・いや、
大いに恐れれば
良いが、

それも
抱きながら
進もう。

私にしか
できないことで、

かつ、

私には
決してできない
ことを、

これから
激しく
推進していく。

つづく

伝わるコミュニケーションのために

わかりやすく
伝える。

シンプルに
伝える。

これはとても
大切なことだと
思うが、

案外
できていないんだよね。

わかりやすく
伝えるには、

まずは
自分が本当は
何を一番伝えたいのか?

何が伝われば
それで満足なのか?


はっきりくっきり
明確にすることが
必須だ。

「私がここで
本当に
伝えたいことは何?」

という問いを
常に

本当に常に

自分に
投げ続ける習慣は
つけた方がいい。

私自身が
これを始めた時、

まず最初に
変化したのは、

冗談や茶化しの
類の発言が
私の中から
消えてしまった
ということだ。

それまでは
冗談とか言いながら
場を和ませようと
していたのだが、

それが
消えた。

すると、
場は静かになって
しまうので、
それが不安だったが、

逆だと
わかった。

むしろそういった
要らぬ冗談を
言う方が
場は不安定になる。

自分はなんと
余分なことを
し続けていたのだろう、

つくづくわかった。

そして
どんどん私は
無口になっていった。

相手を理解する
ために
良い問いを投げねば、

というのも
いつしか消えていた。

もちろん
私自身の話をする
ことも
ほとんどないので、

私は基本、
コミュニケーションの
場面では

何もしなく
なった。

ただ、
私は本当は
これをここでは
伝えたいのだ、
という認識だけは
持ちながら。

認識は
あるけど
何もしない。

・・・これが
私の基本スタンス
となった。

これがまた
実に
居心地が良い。

何もしなく
なったのに、

それでも勝手に
自分の口が動く瞬間が
くる。

それが
冗談であったり
問いかけであったりも
するのだが、

こっちは
一切の意図を
していない。

だから
スッと自然に
口からそれは
流れ出る。

するとその場は
驚くほど調和し、

気がつけば
私が最も
伝えたかったことが

なぜが
伝わっている

という
状態になる。

で、
完了感がくる。

で、
じゃあまた!

その人と別れる。

今は毎日が
その繰り返し。

本当に
伝えたいことは
何か?

この場で
本当に大事なことは
何か?

まずはこの
把握を。

くっきりスッキリ
と。

丁寧に。

コミュニケーション
改善は
まずはここからだ。

つづく