チームパフォーマンスコーチ

一ヶ月一生

私達には、
毎月毎月の
テーマがあり、

そのテーマを
クリアするごとに、

その先の
道のりも
クリアになっていく、

という傾向が
ここ数ヶ月で
劇的に
高まっている。

もし、
自分の行く道に
対して、
モヤモヤ感が
激しい場合は、

これまでの
私の歩みで、
私がしっかり
丁寧に
乗り越えていない
テーマは
何だろうか?

とか、

私が
やり残して
しまっている
課題は
何だろうか?

などの視点で、
じっくりと
自分の歩みを
振り返ってみると
いい。

もしそのような
やり残し
が見つかれば、

面倒でも
もう一度、そこを
やり直す、

その時点の
自分の目線に
戻り、
丁寧に
取り組み直す、

ということを
するといい。

一つ一つの
積み上げが
非常に重要。

中途半端な
進み方は、
その後の歩みを
かなり脆弱に
させる、

どころか、

本来、
観えるべきものが
全くわからずに
暗中模索に入る
可能性も高い。

もちろん、
基本の基本は
一日一日
を丁寧に過ごす
ことだが、

その上で、
次に意識すべき
視点が
「1ヶ月間」
というタームだ。

一日一生。
一ヶ月一生。
という感覚で
日々と
向かい合おう。

つづく

恐れる必要はない

竜巻が
見えたとしても、
恐れては
ならない。

それよりも
「事実」を
しっかり
確認すること。

あの竜巻と
自分との
距離は?

竜巻は
どの方向に
進んでいる?

自分には
影響があるのか、
ないのか?

あるなら
どのような
影響か?

自分の解釈
ではなく、
事実を
見つめるように
しよう。

無闇に
恐れ、

その恐れに
基づいた行動を
とれば、

その時点から
人生の使い方が
澱み始める。

むしろその
竜巻を
呼び寄せてしまう
ことになるかも。

どのような
状況でも、

恐れによる
選択ではなく、

願いによる
選択を
し続けよう。

要するに、
これまでと
同じだ。

世の中が
どれだけ
不安定化しよう
とも、

いや、
不安定化する
からこそ、

願いに基づいた
生き方を。

それが
自分の軸を
より強く
しなやかなものに
育ててくれる。

つづく

ちゃんと伝えよう

水は
火にかけられれば、
沸騰して
気体になる。

私達の心も
同じような
ものだ。

中心に
熱を持てば
持つほど、
沸騰して
気体となる。

浄化される。

中心の熱
とは、
エネルギーだ。

自分自身の
持つ
内発的な
エネルギー。

これが
枯渇している
人は、

古い心が
浄化されず
残り続ける。

そして
その心たちが
今の自分の
歩みを
阻害し始める。

基本、
心とは、

今、発生
したら
今、浄化
されるのが
いい。

もちろん
そのように
いかない場合は
多いが、

それでも
できるだけ早く
浄化されると
いい。

心残り、
という言葉が
あるが、

心残りは
できるだけ
ない方が
いい。

心残りは
心のコリとなり、
心の膠着・硬直に
繋がってしまう。

オープンに
生きることだ。

自分の想い
は、
しっかり素直に
周りに伝える。

その反応が
怖い、
という人が多いが、

怖がっている
間に、
私達は疲弊する。

自分の大切な
想いほど、
しっかり
向き合い、
伝えよう。

自分の中に
今、
残っている
この心を

しっかり浄化し
気体にする
ためには、

私は誰に対して
何をすれば
よいか?

これを丁寧に
考え、
実行しよう。

これからの時代
特に
必要なこと。

つづく

休息せんのか

一つ、
大仕事が完了
するたびに、

ホッとする
のだが、

いつもそれは
束の間で、

すぐに次の
大仕事に
取り掛かる。

もっと
休息すれば
いいのに、

自分で自分に
言って聞かせる
のだが、

私は全く
耳を貸さない。

困ったものだ。

時間がない
ことは
わかっている。

余裕が
全然ないことも。

だから
24時間常に
焦っている。

それが
身について
しまい、
普通になって
しまった。

昨日も、
夕方に一つ
大仕事が
終わった。

一晩くらい
休めばいいのに、

4時間後には
次に取り掛かって
おり、
夜中まで。

もっとちゃんと
寝ろよ、
お前!


叱るのだが、
私は全く
耳を貸さない。

おかげで
歳をとっている
感覚がない。

今、57歳なの
だが、
20代の頃の方が
体力はなかった
のではないか、

思うくらい。

もちろん、
実際にはそんな
ことはなく、
体力は随分と
落ちていると思う。

が、
内側から湧く
エネルギー量は、
今でも
年々高まっている。

それはそういう
生き方をしている
からで、
きっとこの
エネルギー量
というのは、
体力とはまた
別物なのだと
思う。

とにかく、
私には
これから
すべきことが
多過ぎる。

目の前に
超巨大な山が
あり、
一歩ずつ
登っていくしか
ない。

昔は、
体を騙し騙し
進んでいたが、

今は、
しっかり体と
語り合い、
協調し合いながら、

何とか
最大速度で
進み続けたいと
思っている。

つづく

ダメダメな時の問い

世界が
揺れている。

まるで
地震が起きて
いるように、
足元から。

この、
足元から揺れる
ことの
不安感。

うわぁ、
人間は脆弱だな、
私は脆弱だな、
と思う。

・・・・・・

現実レベルでの
地震は
そんなに頻繁には
起きないが、

内面的地震は、
日々、毎日の
ように
起きている。

それが今の
時代だ。

皆、
揺れている。

足元から。

・・・・・・

だからこそ
できること
がある。

揺れて
いなければ
発生し得ない
不安定さ。

これが
むしろ変化への
可能性を
広げる。

そういう意味で
私は

もっと揺れろ!

と願う。

自分も
みんなも、
あらゆる
人類が。

・・・・・・

揺れる時に
こそ、
向き合うべき
問い、がある。

本当は私は、
何を
大切にすべきか?

本当は私は、
何にこそ
力を注ぐべきか?

本当は私は、
今、何を
早急にすべきか?

〜したいか?
という問いでは
ない。

かといって
べき論でも
ない。

自分の根幹、
芯の自分が
決めていること。

揺れていなければ
これは
わからない。

揺れ揺れの
ダメダメの
時こそ、

これらの
問いと
向かい合おう。

つづく

まだ休めんな

下から
風が
吹き上がり、

私を
浮上させて
くれる。

とても
助かる。

自力では
もう・・・。

・・・・・・

風の後押し
には
いつも本当に
感謝している。

おかげで
ここまで
命長らえて
これた。

いつ死んでも
おかしくない
日々だったけど。

・・・・・・

もうしばらく
生きる。

できれば
人生、
短い方がいい、

思っている私も
いるが、

やること
あるんでね。

願い、
あるので。

これが
あるうちは、

風が
助けてくれる。

ということは、
風が
なくなったら、
私の役割も
終わりかな。

そう思ったら、
余計に
風が
強くなった。

やはりまだまだ
休ませては
くれないようだ。

つづく

巻き込まれないように

光と闇が
あれば、
皆、
光を望む
だろう。

そう思って
いたのだが、

実は私は
闇を
望んだ。

長い間。

結構、
そういう人は
多い。

闇の方が
安心する
のだ。

闇は
「無」を
思わせる。

この
「無」への
憧れが
私にはずっと
あった。

今でも
死んだら
「無」になっちまえば
いい、
その方がよほど
安心できるのに!

という
私がいる。

自分という
存在を、
消してしまいたい、

なかったことに
したい、

そんな想いに
ずっと
取り憑かれていた
のが、
私の人生の
始まりだった。

当時は
死が怖かったが、
今になって
振り返れば、
よくわかる。

私は
死を望んで
いた。
正確に言えば、
ずっと
「無」
を望んでいた。

・・・・・・

が、
そういうわけにも
いかないのだ。

真実は。

なぜなら
「無」
というものは
ないから。

「無」は
我々人間が生み出した
概念の一つ
でしかないから。

それが
感覚的に
わかってしまった
とき、

もちろん私は
愕然とした。

しかしそこからの
復活は
早かった。

私は
いじけていた
だけだった。

「無」で
遊んでいた
だけだった。
生まれてから
最初の方の
人生では。

「無遊び」

とでも
表現しようか。

で、
だからこそ
よくわかるのだ。

大人でも
「無遊び」を
している人が
多い、
ということを。

あぁこの人は
「無遊び」を
しているな、

すぐにわかって
しまう。

で、
どうするか、と
言えば、

「無遊び」から
脱け出ようと
もがいている人で
あれば、
サポートする。

「無遊び」に
夢中になっている
人からは
離れる。

だって、
他者からは
何もできないから。

それにもう
「無遊び」に
巻き込まれて
遊んでいる時間が
私には
ないから。

残念ながら、
この10年で、
増えてしまったな。
「無遊び」。

いじけている
大人が多い、
ということだ。

私自身はもう
「無遊び」には
巻き込まれないが、

「無遊び」に
巻き込まれそうに
なっている人がいれば、
ヘルプせねば
なるまい。

これからは、
これまで以上
に。

つづく

こんな簡単に壊れるのか

まったく
複雑怪奇な
形に
なったもんだ。

なんだよ、
この形は。

複雑すぎて
わけが
わからない。

これじゃ、
何事も
成せんな。

始まりは
もっと
シンプルだった
はずだ。

いつの間に、
あの
単純明快さを
忘れてしまったのか。

いつの間に、
こんなにも
余分なことに
意識を
奪われるように
なったのか。

こんなこと
なら
いっそのこと
すべてを
リセットしたい。

と思うのだが、
それができれば
苦労はしない。

できないから
こその
悩み。

やれることを
一つずつ
やるしかないか。

・・・・・・

ところが、
余分なもの達は、

一つ、
根幹にある
何かが
少し、ほんの少し
欠け落ちたことで、

一気に
崩れ始めた。

ガガガッと
下半身が
崩れ落ち、

下半身によって
支えられていた
上半身は
それはもう、
無惨なもので。

土台が
なくなるというのは、
こんなにも
脆いものなのか、

今更ながらに
ため息だ。

あれだけ
守ろう守ろうと
してきたものが、

容赦なく
一瞬で壊れる。

守る、
という努力。

その
空虚さを
改めて知ったよ。

・・・・・・

で、
結局のところ、
スッキリ
したんだ。

すべて壊れて
しまったら、
もう何も残らない

思っていたが、

そうでは
なかった。

これまでの
経験は
自分の中に
あるし、

いや、

経験などと
いうものは
小っぽけなものさ、

それよりも
経験を通じて
養い続けた
自分自身のこの
感性。

これだけは
ずっと
ここにある。

これだけは
残った。

だが、
きっと私は
この感性すら
失ったとしても、

それでも
同じ道を
行くだろう。

そう決めている
自分を
理解できた、
というのが
最も大きなこと
かな。

あっそうか、
だからこそ
感性が
残ってくれたのか。

・・・・・・

もはや、
複雑怪奇には
行くまい。
決して。

もう、
面倒臭いのだ。

シンプルに
行こう。

守るものは
最低限でいい。

身軽に
シンプルに。

壊すべきは、
毎日
壊すくらいで。

つづく

時間の本質

一本の細い
糸のように、

無限の過去
から
無限の未来
へと
続いていく。

ピンと張った
糸。

それは
何ものによっても
穢されることは
なく、

何ものによっても
揺るがず、

ただ淡々と
一定の速度で
伸び続ける。

「時間」。

私達はそれを
そのように
捉えている。

「時間」は
絶対であると。

私達が何を
為そうとも、
時間は
進み続ける。

そこに意志は
なく、
ただ淡々と
進み続ける。

ある意味
無慈悲な
存在。

絶対的
無慈悲。

そのように
捉えている。

が、

本当にそうか?

疑問を
持ち始めた瞬間が
ある。

私はある時、
「時間」と
対話をしている
自分自身に
気づいた。

しかもその場面
では、
「時間」そのもの

観えた。

それは
一本の線
ではなく、


だった。

「時間」は
今ここにおける
一点から、

前後左右斜め
すべての方向に
無限に
広がりゆく。

一本の糸が
無限に
分岐し、

それらの
無限の糸が
さらに無限に
絡み合う。

しかしそれは
あくまでも
面、であって、

決して
立体、には
ならない。

なぜなら
「時間」という
面を、

その全体
を、

俯瞰する
客観的な目

存在するから。

その目こそ
私自身、
私達自身の
目に
他ならない、

知ったとき、

私は何かが
とてつもなく
深く
腑に落ちた。

面、
の中にいる時、
私達は
今ここしか
見えない。

しかし
面、から
外れた場所に
移動すれば、

全体を
観渡すことが
できる。

本来、人間
とは、
その二つの目を
持ち合わせている
もの。

だからこそ
ここ
にいる。

私達は
すべてを
知っている。

知った上で
ここに
いるんだ。

つづく

本当の後悔をせねば

後悔は
ないか?


問われれば、

もちろん、
ある、
だろう。

それを
わかった上で
あえて
もう一度、訊くが、

本当に
後悔は
ないか?

目を逸らした
その人は、
かつての
私自身の姿だ。

後悔など
している場合じゃない、
という
生き方をする人は、

本当の後悔
からは
目を逸らし続ける。

そして
言ってみれば
どうでもいいような
後悔に
目を注ぐ。

しかしそれは
後悔なんかじゃ
ない。

後悔ごっこ。

お遊びだ。

止まるための
口実だ。

本当の後悔と
向き合う
というのは

非常な痛みを
伴うが、

それ以上に、
その直後から
自分自身が
加速を
始める
きっかけとなる
ものだ。

その、
加速が
怖いか?
それとも
面倒か?

どちらかの
理由で
本当の後悔には
見向きもしない。

それを一体、
いつまで
続ける気なのだろう?

もうすぐ、
「明日」という日が
くる。

私達はいつでも
「明日」から
生き直しをすることが
できる。

良い「明日」を
迎えるには、

良い後悔を
すること。

本当の後悔と
向き合うことだ。

つづく

なぜそんなことをする

こんなに
広い草原で、

ただ
気持ち良い
風が吹いて
いるだけなのに、

どうして
壁だらけだ、

言うのだろう?

壁など
一つもない
のに。

自分で
創り出した
幻影。

人はそれに
惑わされる。

それは
重々、
わかっているが、

しかし
どうみても、
進まない言い訳を
続けているだけ
に見える。

進まない、

決めている人は、

あらゆる
言い訳を
思いつく。

自分が言い訳を
している、
という自覚を
自ら消すために、

これは
真実である、
という
思い込みを
自分に刷り込み
続ける。

こうなると
もう
他者からは
何のサポートも
ヘルプも
できない。

祈りながら
見守るしかない、
という
状態に入る。

せめて
自分が逃げている
ことを
認識してほしい
のだが、

まぁそれが
できるくらいなら、
ここまでの状態には
ならないだろう。

茫然と
見守るしかない
人。

残念ながら
そういった人達が
何人かはいた。

一度、
彼らの視界を
体験したことが
ある。

世界が
歪んでいた。

とても
気持ち悪い
もの。

その気持ち悪さ
を解消、
または
逆に
それに慣れるため
の選択。

あぁなるほど、
彼ら自身は
そのように
認識しているのか、

驚いた。

世界を
歪ませている
のは、
自分自身だと
知らず。

歪ませること
そのものに
甚大なエネルギーを
費やし、

それだけで
ボロボロに
なり、

残ったわずかな
エネルギーだけ
で生きている。

きっと彼らは
被害者だ。

自らを
被害者として
設定している。

彼らの視界
になることで、
なぜそんな
面倒なことをするのか?
が、
少しわかったような
気もするが、

でもやっぱり
わからない。

もっと
普通に生きれば
いいのに、
と思う。

普通に生き、
普通に進む。

世界を
歪ませるほどの
パワーがあるなら、
もっと
自然に一歩を
出せばいいのに、
と。

あぁやっぱり
わからない、
・・・な。

つづく

一度、落ちた人へ

何かに
ぶら下がって
必死に
しがみついて
いる。

落ちない
ように。

しかし
もう疲れて
しまった。

手も
痺れている。

きっともう
限界だろう。

あとは時間の
問題。

きっと私は
落ちていく。

ずっとずっと
そんな目で
自分自身を
見つめていたのだと
思う。
今となっては。

だから実際に
落ちたときは、

なぜこんな
ことに?
という意識は
起きなかった。

あぁやっぱりな。
ついにきたか。

・・・と。

むしろ、
思ったよりも
遅かったな。

・・・と。

落ちるところまで
落ちてしまえば、
あとは
浮上するしか
ない、
ということも
わかっていた
はずなのだが、

落ちている
のに、
私は
重力に逆らうように
手足をバタバタとさせ
暴れ、

そして
疲弊し尽くした。

きっと
素直に落ちて
いれば、
もっと早く
浮上できただろう。

もっと楽に
復活
できただろう。

が、
そうは
ならなかった。

わかっていた
のに、
その
わかっている
自分に
蓋をしていた。

わからない
フリをしながら、

足掻き続けた。

それは
人間という存在に
対する
反抗でも
あっただろう。

人間が
嫌いだったのだ。
心底。

しかしそれでも
底まで落ち、
再び
浮上する。

人は
永遠に
落ち続けることは
ない。

落ちたら
浮上しか
ない。

その真理を
改めて
実感した私は、

しかし
浮上にも
非常に長くの
時間をかけた。

落ちるのに
時間がかかった
分だけ、
浮上にも
時間をかけた。

おかげで
浮上の落とし穴も
理解することが
できた。

まぁきっと
最初から
知っていたこと
ばかりなんだろうけど。

でも一つ一つを
しっかり確認し
自覚することで、

人へのサポートが
できるように
なった。

落ちる時には
落ちるべき姿勢が
ある。

浮上する時にも
しかるべき
姿勢や態度、
生き方がある。

それを
無視したり
反発すれば、

浮上し切る
前に
再び、
落ち始めてしまう。

浮上し切る
ことが
本当に必要だ。

浮上できた
ようで
浮上し切っていない
人は多い。

私はきっと
そういう人をこそ
サポートさせて
いただいている。

一度でも
落ちた人は
強い。

と、
言われるが、
本当に
そうだろうか。

落ちた人には
落ちた人特有の
弱さが
確かに存在する。

その弱さに
流されぬよう。

ある時は
サポートの領域を
超えて
引っ張りあげる
ことすら、
今の時代は
必要になってきた。

もうあなたは
落ちている
場合ではない。

浮上し切った
その後にこそ、
あなたの
本当の人生が
ある。

まずは
その
スタートラインに
立つべきだ。

早急にね!

つづく

導いてくれるものがある

だいぶ強い風が
吹いてきた。

私が
待ち望んでいた
風だ。

ちょっと
強すぎるきらいも
あるが、
まぁ
それくらいが
いいか。

風に吹かれて
進みたい。

たとえそれが
一見、
逆風であったと
しても。

風の音が
耳に響き、

我を失うくらいが
ちょうどいい。

その方が
私の場合、
本領を発揮
できるから。

天から
光まで
差し込んできた。

そうか、
光の導きすら
あるのか。
これは
わかりやすい。

随分と
わかりやすい
世の中に
なった。

表面的には
混沌と
しているが。

でもだからこそ
「答え」は
導きやすい。

やはり、
変にまとまって
いては
ダメだな。

もともと本質が
混沌としており、
それが今、
現象化している
だけだから。

そして今、
本質は逆に
安定し、

その上での
混沌だから、

今後の展開は
きっと
想像以上の
面白さとなる
だろう。

全ては、
風が教えてくれる。
光が
教えてくれる。

私は私を
失いながら、

ただ
風と光に素直に
進んでいこう。

つづく

ここにもいたのか

誰だろう?

凄いエネルギー

伝わってくる。

まるで
矢のように、
私の眉間を
貫く。

この強さは
尋常じゃない
が、

だからこそ
私にとっては
心地がいい。

あえて
私は私を
閉ざしていた。
ここでは。

が、
そのエネルギーの
矢が、
私に

「開放せよ」


メッセージして
くれた。

ここでは
あまり
自分を開放しない方が
いい。

それは
変わらないが、
でもちょっとだけ
開放してみようか。

そう思い、
ちょっとだけ・・・。

すると、
すぐにわかった。

というか、
その人から
近づいてきて
くれた。

エネルギーの
矢の
持ち主が。

あぁなるほど、
ここにも
いたか。

この手の
人が。

私が
探し求めていた
人が。

でも残念ながら、
ここでは
あまり私は私を
開放できない
のですよ。

だから、
ここではなく、
ちょっと別の時間
にしようか。

個別でね。

中途半端な
開放で
あなたとは
話をしたくない
んだ。

どうせなら
全開放で
いきたい。

それまで
楽しみに
待っているよ。

つづく

物事が止まってしまう原因とは

芽が出た

思ったら、

溶けて
しまう。

また出た

思ったら、

また
すぐに溶けて
しまう。

何度繰り返しても
溶ける。

消える。

そのうちに、
芽が見つかっても
何も期待しなく
なった。

ところが、

期待しなく
なった途端に、

芽は
伸び始める
ようになった。

なんでだよ!


しばらくは
怒りまくったが、

これこそ
自然の摂理
だろう。

「期待」
からは
何も生まれない。

「期待」
は、物事の
本質を
むしろ歪めてしまう。

つくづく
そのように実感した
私は、
自分の中から
あらゆる「期待」を
手放した。

もちろん、
人間なので
都度都度
「期待」は
発生する。

発生するが、
その都度
丁寧に
手放す。

その「期待」に
左右されない
自分で
あろうと
し続ける。

これをしてから
だ。
本当に物事が
調和し始めた
のは。

きっと、

「期待」という
思惑を持つことで、
何かのバランスが
崩れるんだ。

シュッと
普通に立っていれば
スムーズに進む
ことが、

バランスが崩れる
ことで、
どこかに要らぬ
力が入り、

その力みが
不自然な波長を
生み出す。

その波長は
「現実」に
ダイレクトに
影響を与える。

物事が
上手くいきかければ
どうしても
「期待」は
生まれる。

「期待」が
発生すること自体を
止めることは
できない。
というか、
それはしない方が
いい。
不自然だから。

しかし
それらの「期待」は
丁寧に
手放す。

自分から
ちょっと遠いところに
置いておく。

「期待」があるなぁ、

眺めていられる
くらいが
ちょうど良い。

そうすれば、
「期待」に取り込まれる
ことはない。

あとは
肩の力を
抜いて
ただ淡々と、
物事を進めれば
いい。

「期待」通りに
いかないことで
怒りまくることは
もっとよくない。

「期待」から
もっと自由に
なろう。

今後、特に
重要なこと。

つづく

ここから最重要の力は

電車のレール
のように、

しっかりとした
道が
創られていると
いいんだけどね。

残念ながら
そうはいかない。

どちらかと
言えば、
自ら自分の
走るレールを
敷くような
感じだ。

自ら
整備をし、

その上で
自ら
走る。

そういう
面倒なことを
私達は
やってきたし、

これからも
やろうと
している。

わざわざ
レールを敷く
必要は
あるのか?

最初から
でこぼこ道を
歩いて進めば
いいじゃないか?


思うかも
しれない。

もちろん
そういった進み方も
あり、だし
実際にできる。

でも、それでは
辿り着けない
のだ。

あるところ
までは
到達できるけど、

そこから
先は
レールが必要
なんだ。

なぜなら、
そこから先は
ある一定以上の
スピードでないと
突破できないから。

でこぼこ道を
歩いていては、
何をどう
努力しても
無理なんだ。

だからこそ、
歩く力を
身につけるよりも、

いかに
早く
質の高い
レールを敷くか?

そして、

そのレールの
上を
いかに速く
突っ走るか?

ということ
こそ
最重要となる。

時代は
変わった。

歩けば良い
時代は
もう
終わったんだ。

そこに
気づけるか
どうか?

ここで
決まって
来るんだよ。

つづく

私達の道

一つが
二つに
割れていく。

離れて
いく。

そして
それぞれが
それぞれの
世界を
創り出す。

それぞれの
世界が
それぞれ
自律し、

ある一定
以上に
その世界が
完成すると、

その二つ
の世界は
再び
距離を近づけ、

そこから
とんでもない
シナジーを
起こし始める。

それは
予測のつかない
展開を呼び、

その過程の
中で、

二つは
再び
一つに
戻る。

以上が
順当な
進化の流れ
だ。

この流れを
それぞれが
起こすことで、

世界全体は
劇的な
ステージアップ
を遂げる。

それぞれが
順当な
進化のステップを
踏むこと。

着実に。

それこそが
世界全体の進化
への
最短の道。

それを
私達は
成そうと
しているんだよ。

つづく

自覚なき魅力の人

この人は
いったい、
どこまで
伸びて
行くのだろう?

と、
愕然とする
ような人。

サポート
するのが
怖くもある。

それくらい
の人。

なのに
本人の
自己イメージは
低いんだ。

そこが
面白い。

自分には
何も
力がないと
思い込んでいる。

皆の
おかげだ、

本気で
思っている。

もちろん
それは
そうなのだが。

でもね、
あなたが
いなければ
このような現実は
決して
成っていない
のですよ。

たった
一人が
起点となり、

組織は
変わる。

きっと
社会も。

あなたの
その
覚悟。

生き方。

その
たったの
一言が、

どれだけ
そこにいる
人達を
救っている
ことか。

あなたは
それを
知らない。

きっと
知らない方が
良いのだろうな。

それこそ
あなたの
魅力なのだから。

つづく

新たな時代の組織だ

月が
観えた。

みんなの
その
中心に。

確かに
それは

満月
だった。

丸く
まとまったな、

感慨に耽った。

いや、
丸くまとまる
と言っても、
お互いがお互いに
合わせている
わけではない。

むしろ
一人一人は
キレッキレに
尖っている。

尖り
尽くしている。

しかも
自由だ。

ブンブン
勝手に
動き回っている。

なのに、

満月、
だ。

丸く
まとまった。

こんな状態に
なれるとは。

もともと
素晴らしい組織
だと思ってきたが、

まさか
ここまで、
とは。

人の可能性、

表現すれば
安直だが、

今また
まざまざと
それを
見せつけられた。

人の可能性。

組織の可能性。

ここは
それを示す
見本のような
会社と
なっていける
のだろうな。
きっと。

成長
よりも、

進化
の激しい
組織。

これからの
時代を
象徴する
進み方。

新たな
時代の
組織だ、
きっと。

つづく

急変化中だ

あぁなるほど、
今、
皆が
すごい変化を
している
最中だな。

・・・と、
わかる。

人は皆、
繋がっている。
本当は。

だから、
人を傷つければ、
自分自身が
傷つく。

そんな単純な
こと、
実はみんな
わかっている。

のに、
わかっていない
フリを
無意識にしながら、

分離している
つもりになって

個人の思惑で
生きている。

もったいないねぇ。
本当に
今の世の中は。

しかし
繋がりさえ
感覚的に思い出せば、

わかる
はずだ。

今、今日、
私が強く
実感したこと。

あぁ今、皆が
同時に
急変化している。

今、最も
重要なのは、
それを
妨げないことだ。

放っておこう。

少なくとも、
急変化が
完了するまでは。

それまで
あと
1週間くらいかな。

つづく

セッション直後の至福

個別にしろ
チームにしろ、

一つのセッション
が終わると、

その直後の
私は、
放心状態になる。

ほんのわずかの
間だが。

恐らく、
すごい勢いで
今行われたセッション
で、得たことを
自分の中に
インプット・整理
しているのだろう。

その間は
あらゆる顕在意識が
作用しなく
なる。

そしてその間は
私の頭には、
今のセッションでの
やり取りが
走馬灯のように
反芻される。

ただ私は
それを
他人事のように
ボーッと
眺めている。

・・・・・・

私が、
この仕事が大好き
な理由の一つは、

その時間
にこそ
あるのかもしれない。

終わった直後の
放心状態。

それは
実に満ち足りた
時間だ。

そして、
さらにその後の
大きな気づきへと
繋がる。

人と向き合う
ということは、
それ自体が
気づきをもたらして
くれる。

人と向き合う
のは
人生の宝だ、
と思うのは
その実感からだ。

だから私は
一人一人
一回一回
とても
丁寧に向き合う。

・・・・・・

人の変化は、

その人と
向き合わねば
わからない。

いや、
ある程度は
観察だけで
わかるかもしれない
が、

本当の変化は、
向き合ってこそ
実感できる。

「皆、成長
しないんだ」


言う人の多くは、
向き合っていない
から
気づいていない
だけなのかも
しれない。

そう考えると、
この仕事は
私にとっては
自分の人生を
10倍以上の
密度にしてくれた
とても有難い
存在だ。

仕事に感謝
するとともに、
やはり
生涯ずっと
現役でいたい、
と願う。

つづく

思い込みの世界にいた

知らぬ間に、
小さな世界に
入り込んで
いたようだ。

人とは
恐ろしいもの
だ。

自分のことは
本当に
よくわからない。

自分が
陥っている状況も
わかっている
ようで、
実は全くわかって
いない、
ということは
よくある。

どれだけ
人のサポートを
させていただいても、
自分のことは
わからない時は
わからない。

それは、
小さな小さな
世界だった。

その世界に
あえて
タイトルをつければ、
こうなる。

『成長の先に
進化がある』

・・・そういった
思い込み前提の
世界。

そこで私は
試行錯誤し続けて
いた。

成長と進化は
イコールで
結ばれることも
あるが、

ある意味
別物として
捉えた方がよい、

あるきっかけで
気づけた。

そうしたら、
サーッと
視界が晴れた。

そして
自分が入り込んで
いた小さな世界が
急に
観え始めた。

あんな中に
いたのか、

愕然とした。

いわゆる
私達が「成長」と
認識している
ものよりも、

「進化」の方が
本当は
余程、楽なもの
だ。

成長の先に
進化がある、
のではなく、

『進化とは
自由そのものだ』

という
ことだ。

人の本能は
進化。

進化の中に
成長も
含まれるが、

進化への
道のりは、

もっと
自由で
あっていい。

自由が
進化なのだから。

つづく

愚かな人を止めるか?

この人は
なんで
こんな愚かな
ことを
するのだろう?

側から観れば
すぐに
わかるのだが、

そういう私
だって、
ずっと愚かさを
続けてきた
ではないか。

しかし、
愚かさを
わかっていて、
それを止めない、
というのは
もっと
愚かではないか?

だがそれは
本人の
問題だ。
他者が
口出しすべき
ではない。

それは
上から目線
だな。
いつから
お前は
そんなに
偉くなったんだ?

最初からだ。
最初から、
上から目線で
いくと、
決めていた
ではないか。

決めてないよ、
そんなこと。

いーや、
決めていた。

・・・・・・

やめろよ、
そんなこと!

と、
思わずダイレクトに
伝えて
しまった。

逆効果
だった。

やつは
さっき以上に
反発し、
勢い込んで
去ってしまった。

ほらみろ。

だから
言わんこっちゃ
ない。

正直にそのまま
伝えること
だけが、
善じゃない。

お前は
無責任なことを
したのだぞ。

・・・・・・

人よりよく
わかるなら、

人よりよく
わかるという
事実を
受け入れよ。

無理に
目線を合わせる
ことこそ、
傲慢ではないか?

しっかり
踏ん張って
誠心誠意、
上から目線で
いけ。

しかし
私は、
上から目線が
嫌いなんだ。

嫌いなものは
嫌いなんだ。

好き嫌いで
判断するな。

それは
どこまで行っても
自分目線だ。

相手だけを
見よ。
観よ。

そうすれば
わかるだろう。

どう
接すれば
良いか?が。

自ずと、な。

・・・・・・

大地に
ドサっと
寝転び、

大の字に
なって、

大きく
息を吸う。

青空を
抱くように。

新鮮な空気が
胸一杯に
なったところで、

すべて
吐き出す。

私の中は
空っぽと
なる。

空っぽに
なれば、
すぐにわかる。

また不毛な
自己対話を
してしまったな。

どっちでも
いいじゃないか。

どうでも
いいじゃないか。

私は私を、
ただ
その場に
預けるだけだ。

つづく

実は簡単

崩れていく。
崩れていく。

ガラガラと
音を立てながら、

壊れていく。

ただ、
揺るがなさは
変わらず。

だからきっと
あの、
崩れゆくものの
奥から、
何か本質的なもの
が、姿を
現すのだろう。

それはきっと
シンプルなもの
に違いない。

それはきっと
大地から空まで
延々と
垂直に貫いて
いるだろう。

まっすぐに。

・・・・・・

その
垂直のものの
頂点に
立ってみる。

そこは
強烈なエネルギーの
収斂の場所でも
あった。

そのエネルギーに
全身を
預けると、

大勢の人達の
姿が観えた。

これはきっと
この人の
部下の皆さん
達だ。

そして
お客様もかな。

大勢の人達が
輪になって
笑顔になっている。

これが
この人の
本質か。

この人は、
皆を
支える存在だ。

大きな
器を持った。

ところが
この人は、
自分の器を
信じきれず、

すべて
自分でやろう

し続ける。

自分がまずは
先頭に立たねば
と。

前からも
後ろからも
あらゆるものを
受けて立ち、

闘う。

それはこの人の
本来の
姿ではない。

本来の
リーダーシップ
ではない。

・・・・・・

簡単なんだ。

人の尊重

覚えればいい。

もともと
その素質に
溢れる人だから、

実はとても
簡単なんだ。
この人に
とっては。

今、

とてもいい感じ
で、
崩れている。

自信喪失
状態。

だからこそ、
簡単だ。

まずは
すべて
崩れるものは
崩してしまえ。

つづく

恥ずかしいわ

訳もわからない
ままに
理念だけを
語っていた。

必死に。

当然、
理解は
浅いものだった。

今から
思えば。

未熟。

浅はか。

軽率。

そんなような
言葉が
浮かぶ。

でも
それが
どうした?

あの時の
自分が
なけりゃ、
当然
ここまでは
来ていない。

今の仲間達
とは
出会えていない。

たくさん
間違った。

間違った
ことを
認められずに、
正しいのだと
思い込ませていた
時期も長かった。

愚か。

傲慢。

狭量。

そんな言葉が
ピッタリだ。

そんな以前の自分が
よく私の前に
現れる。

未来の自分が
現れるように。

以前の自分が
現れるたびに、
赤面している
私がいる。

が、
しっかりと
向き合う。

眼を逸らす
ことは
しない。

意味があって
今、ここに
来ているのだ。

つぶさに
観察することで
今の私にとって
必要な気づきを
得られる。

同じ間違いは
しない、
というよりも、

もはや
別ものとなった
自分を
確認する、
というケースは
多い。

それを
確認できることで
初めて、
私は
自己開放しても
良いのだな、

思える。

その状態で
お客様の前に
立てる。

以前の自分は
一言で言って

恥ずかしい。

だからこそ、
その
恥ずかしさを
胸に
抱きながら、

私は

と向き合う。

今、
ここで
生きる。

つづく

風車の生き方

風車(かざぐるま)は
風が吹けば
回る。

吹かなければ
回らない。

自分の意志
如何を問わず。

ある意味、
他力本願とも
言える。

が、
非常に
美しく回る
風車がある。

その美しさは
どうみても、
他力本願とは
思えない。

自らの
最上の意志に
基づいている
としか。

自力では
回れない。

しかし
他力本願でも
ない。

風が吹けば、
最も美しく
回る。

ふと、
私はそのような
生き方を
目指し続けてたのか?

思った。

特にこの10年は、
私は先頭には
立たない、

決めていた。

先頭に立つ者が
いれば、
その人の風に
よって
私は回転しよう、
と。

振り返れば、
その在り方に
よって、
私は今の仲間達と
出会えた。

ただ、

この在り方は
想像以上に
大変だった。

自分が先頭に
立つ方が
10倍も楽だと
思う。

よく
この在り方を
曲げずにきたな、
と、
ふと、今日、
風に吹かれながら
思ったんだ。

今となって
よくわかるのは、
私がもし
私の人生において、
先頭に立って
進むとしたら、

私は
私との約束の
7割しか
実現できない。

そう
わかる。

人が起こす
風によって
最も美しく回る
ことで、
初めて
私は私との約束を

人生の
目的を

成就できるんだ。

それにしても
ギリギリ
だ。

ずっとそう。

間に合うか
どうか?

ずっと
ギリギリのところを
進んでいる。

気が緩むと
すぐに
自分が先頭に
立とうとして
しまう。

その度に、
風を
思い出す。

いかんいかん、
風は
私が起こすもの
ではない。

私は
最上のやり方で
風に乗るのが
役割だ。

風を起こす
人達を、
私はまだまだ
探さねば
ならない。

つづく

あなたも来たか

大輪の花が
咲くのは
わかっている。

わかっては
いるが、
その道のりが
わからない。

結果はよく
わかるし、
そうなる確信も
ある。

が、
道のりが
全くわからない
のだ。

完全に
自分の範疇を
超えているのだな、
と思う。

これまでの
経験など、
何の役にも
立たない。

これまで培った
能力では
全く歯が
立たない。

ということは
わかる。

だから余計に
どうすれば良いか?
何から
始めれば良いか?

見当が
つかない。

ところが、
そうなってしまう
ことは
最初から
想定済みで、

そこで
茫然と佇むだけに
なる自分も
想定済み。

むしろ
予定通りだ、

思えてしまう。

こういった状況に
入るからこそ
開く道がある、
という確信が
くる。

確信は
確信なので、
そう
信じきれて
しまう。
無理にそうして
いるわけでは
ない。

いったい
私は何という
人生を
選んでしまったのか、

やはり茫然と
しながら、

で、同様に
そんな自分を
予定通り

観つめている。

この感覚と
全く同じことを、
あるクライアントさんが
突如として
語り出した。

これはいったい、
どういうこと
でしょう?
と。

私は
ニンマリした。
思わず。

そりゃ
そうでしょう。

あなたも
その道に
入っちゃったね、
ついに、
と。

この人は
きっと
来るだろうな、

出会った瞬間から
思っていたが、

あれから
2年。

本当に
来たね。

どうしようかね?

つづく

ここは海の底だ

海が割れて
その裂け目に
落ちたとしても、

不変の青空
は観える。

落ちながらも、
観える。

きっとこれから
私は水中に
没し、

深海まで
沈むだろう。

しかしそれでも
今、観えている
あの青空だけは
忘れまい。

そう
固く誓ってから
意識を失う。

それは
短時間のこと
だったかも
しれない。

しかし
まるで生まれ
変わったかの
ような感覚で、

私は
目を覚ました。
何も見えない
真っ暗闇で。

やはりここは
深海だな。

光も
届かない。

静寂では
あるが、
怖い。

何がいるのか、
何が 
飛び出して
くるのか、
わからない。

不気味な
恐怖が
鳥肌を立たせる。

が、
これは最初から
覚悟していた
ことだ。

私はこれに
耐えられるように
自分を
鍛えてきた
つもりだ。

だが、
怖い。

怖いが、
耐える。

そして
ここですべき
ことをする。

胸には
ちゃんと
あの青空が
ある。

これさえ
あれば、
何とか
いけるだろう。

水圧は
すごい。

思うように
動けない。

10動こうと
思っても、
0.1くらいだろうか。

しかもこの
粘着質な密度。

スローモーション
にもならない
くらいの
超スローモーション
で、

やれることは
やり続けよう。

やり切ろう。

再び、
青空のもとに
出られるのは、
遥か彼方の
未来だろう。

その未来には
あえて
想いは馳せない。

ただ、
今ここにのみ
全意識を
集中させる。

青空のみ
胸に
抱きながら。

つづく

落ちるのを恐れるよりも

足元がない、

気づいたら、

人は
落ちる。

気づいたら、

落ちる。

気づかない
うちは
落ちないのだ。

だから
気づきたくない
という人が
多い。

でもそれは
本当に
幸せなことか?

と、
ずっと
問うてきた。

人にも、
自分にも。

知らないことが
幸せなことは
確かに
あるだろう。

が、
足元が
本当は自分には
ないのだ、
という恐怖は、

その
ストレスは、

自覚していない
だけで
ずっと「ここ」に
あり続けるのだ。

それによって
その人の
心は、
ずっとえぐられ
傷つき続ける。

そして
その痛みを
誤魔化すことに
エネルギーを
使い続け、

ついには
エネルギーが
限界を迎え、

自覚して
しまう。

で、
足元がない
ことに気づき、

落ちる。

実際に
落ちてみて
わかることは、

「落ちる」
とは
底がある
ということだ。

永遠に
落ち続けることは
ない。

必ず
底があり、
そこまで落ちれば、
あとは
再浮上しかない。

こんなこと
なら、
最初から素直に
落ちておけば
良かった、と、

しっかり
落ちた人は皆、
思う。

自分はなぜ、
あんなにも
落ちることを
恐れ、
自分を
誤魔化し続けて
いたのだろうか?
と。

要らぬ恐怖を
溜め続け、
自分を誤魔化す
ことに
エネルギーを
費やし続ける
という

終わってみれば
意味のないことを
なぜ
あんなにも
長い年月、
続けてきたの
だろうか?
と。

それなら
もっと早くから、
自分の足元を
自らの力で
少しずつでも着実に
醸成し続ければ
よかった。・・・

私も
そうだったし、
多くの
そういった人たちを
見てきた。

足元が
ないなら、
落ちるしか
ない。
が、
落ちて
もう一度。

初めから。

難しいようで、
実は
そうでもない。

私達は
いつからでも
始められる。

つづく

怖がらなくていいのに

あの氷山の
頂上に
光が観える。

あの
尖塔の
ような、

鋭利な
切先に

輝いて
いる。

あれは
何だ?

意識を
向けたら、

その
氷山そのものが
幻影だと
わかった。

しかしその
光は
実在だ。

ということは、
そこには

しかない。

なぜ
あの光は
氷山などという
幻影を
創り出したのか?

すると、
私は
光の目線に
なっていた。

遥か下から
こちらを
見上げる
私の小さな姿が
わかる。

小っぽけな
あの存在が
こちらに
じっと意識を
向けている。

まるで
挑んでくる
かのように。

その目線が
痛く、
私は目を
逸らした。

あいつには
幻影が
効かない。

この巨大な
氷山が
あやつには
観えていない。

いや、
観ようとして
いない。

あいつは
怖いやつ
だ。

私は
消えると
するか。

と、
ふと私は
私の目線に
戻った。

私は
改めて
光に意識を
向ける。

私は
挑んでいる
わけではない。

ただ、
不思議なのだ。

なぜあなたは
氷山を
創り出す?

そのような
幻を。

その意味を
知りたいのだ。

氷山が
あれば、きっと
多くの人は
恐れ慄く。

あなたを
崇めるだろう。

が、
それは
あなたにとって
必要なことなのか?

あなたの
道にとって。

それは
回り道になる
のではないか?

むしろ
遠のくのでは
ないか?

しかしそれは
私の
感覚だ。

私は単に
その氷山の
意味を
知りたいだけだ。

・・・と、
光は
消えた。

消えて
しまった。

消えなくても
いいのに。

逃げなくても
いいのに。

むしろ私は
あなたから
いろいろ
学びたかった
のだ。

一般的に
豪傑と言われる
あなたからこそ。

つづく