一本の
ラインがあり、
そこを私達は
越えなければ
ならない。
そして
ここに
問いがある。
・・・
意識を馳せる
ことのできる、
最も遠くの未来
から
最も遠くの過去
まで
見渡した上で、
今から3年後の
自分を
見つめよう。
その自分は
本当に望む自分に
なれている?
もし差異が
あるならば、
その修正の
ために、
今からすぐに
すべきことは?
・・・
早急に。
しっかり
見つめて。
つづく
一本の
ラインがあり、
そこを私達は
越えなければ
ならない。
そして
ここに
問いがある。
・・・
意識を馳せる
ことのできる、
最も遠くの未来
から
最も遠くの過去
まで
見渡した上で、
今から3年後の
自分を
見つめよう。
その自分は
本当に望む自分に
なれている?
もし差異が
あるならば、
その修正の
ために、
今からすぐに
すべきことは?
・・・
早急に。
しっかり
見つめて。
つづく
自分という
人間と
ずっと付き合って
きて、
ようやく
これが私
なんだな、
と
理解しかけた
ところで、
全てが幻影だった
という
ことがわかる。
その
ショックたるや。
しかし、
幻影であることを
しっかり受け止める
ことができれば、
幻影にこそ
意味があるんだ、
ということが
わかる。
そこでようやく、
自分を活かす
という意味が
腑に落ちる。
すると忽然と
自分の道が
観えてくる。
人生の
一本道が。
観えれば
そこに
一直線。
ただただ
悦びと共に
邁進する。
・・・私自身も
そのような人生
だし、
私のサポート
とは
要するに
こんなことだ。
これを、
できれば
若ければ若いうちに
体験できると
いい。
また、それを
望んでいる
若い人達が
圧倒的に
増え続けている。
それが今の
時代であり、
これからこの傾向は
二次曲線的に
高まっていく。
世の中は
変わろうと
しているのだ。
ここ20年が
勝負だ。
いや、
特にこの数年は
とてつもなく
大事だ。
約20年後、
どんな私達に
なれているか?
によって、
人類のその後
は
180度変わる。
それがよく
わかるので、
焦る。
焦るが、
焦りからの
行動は
起こさない。
最短の道を
進むために。
疲れそう?
疲れる。
確かに。
が、
その奥では
日々、
悦びを増し続けている
私がいる。
私はまだ、
私のことを
ほとんど知らない。
知れば知るほど
知らないことが
よくわかる。
それが
人間。
皆、そう。
今の自分で
満足すること
なかれ。
所詮は
現象。
されど
現象。
私達は
現象の世界で
生きている。
幻影は
そのままに。
実在を
現象化するんだ。
そうすれば、
幻影も皆、
生きてくる。
実在が
幻影を活かし、
現象に
大きな影響を
与える。
この連続でしか
この20年は
進めない。
つづく
沸騰している
わけではない
のに、
気泡がいくつも
浮かび上がって
くる。
一つ一つの
気泡が、
一つ一つの
世界
のようだ。
世界が
生まれ、
そしてすぐに
消えていく。
私達の文明も
そのような
ものなのか?
一瞬の幻
に
過ぎないのか?
ただ、
その一つの
気泡、つまり
世界に
入り込めば、
そこには
永劫
を感じる。
中に入れば
永劫、
外から観れば
一瞬の儚さ。
実在と
現象の
関係性でも
ある。
私達の
命は
一瞬の瞬き。
しかし
永劫を感じ
ながら
輝いている。
世界は
次々に
生まれる。
私達人間も
次々に
生まれる。
自分と他人
という
区別を
つけなければ、
私達は
永遠に
生まれては消え、
消えては生まれ
続ける。
そしてそれを
じっと
見守る目。
その存在
もまた、
自分
である。
気泡たちの
間を、
白い龍が
駆け巡る。
それぞれの
気泡を、
世界を、
鼓舞するように。
その龍も
また、
自分自身
である。
しかしまぁ、
龍も
疲れたな。
休みたがって
いる。
が、
まだまだ。
もうちょっと
頑張らねば。
つづく
空中に
島のようなもの
が
浮かんでいる。
行く当ての
ないような。
ただ
漂い、彷徨って
いる。
意志は
ないのか?
なさそうだ。
強い風が
吹けば、
すぐにどこかに
飛んで行きそうだ。
幻影かな?
と
思ったが、
よくよく
目を凝らすと
実在
だった。
実在なのに
意志が
感じられない。
興味を持った
私は
しばらくそれを
観察した。
それが
風に流されれば
私もそれに
ついて行った。
それは
いつになっても
何もしようと
しない。
意志そのものも
やはり
見せない。
ところが、
その島の中に、
たくさんの人々の
存在を
感じるように
なった。
どうやらその
人々は
私の存在を
気にし始めた
ようだ。
躊躇や戸惑い、
そして
ある種の
罪悪感のような
ものを
私は感じ取った。
ははぁ〜、
そういうことか。
と
少しみえてきた。
彼らはその島に
隠れているのだ。
きっとその島は
安穏とした
場所なのだろう。
何もしなくても
ただ
そこに存在している
もの。
何の苦もなく
咎められることも
ない。
きっと彼らは
自分の人生を
放棄している。
と、すると
この島は
何だろうか?
なるほど。
これは多分、
休憩所のような
場所だ。
自分の人生を
進む者達が、
少しの間、
自身を休め癒す
場所だ。
島自体も
そういった者達
との共生によって
エネルギーを
得ていたのだろう。
そしてきっと
以前には
意志もあった
はずだ。
ところが、
進まぬ者達が
隠れ場所として
使うようになった。
島のエネルギーは
奪われ、
意志も薄れ、
今まさに
消えようとしている
のだ。
だから一見すると
幻影に見えた
わけだ。
これは
いけないな。
私は島に
近づいて行った。
こらっ!
と
一喝しようと
思ったのだ。
が、
私がそれを
する前に、
彼らは
ピューッと
島から逃げて
行ってしまった。
まったく・・・。
あの俊敏さを
自分の人生を
進める方向に
活用すれば
いいのに。
あとに
残された島。
そこで私は
一休みした。
それによって
島も私も
少しパワーを
高めた。
この感じで
あれば、
この島も復活
できるだろう。
消えなくて
よかったな。
また時々、
寄らせて
もらうよ。
つづく
垂直に
まっすぐ
差し込んでくる。
その
光のような
針のような
ものは、
何の抵抗も
なく
突き刺さった。
大地が
悲鳴を上げる。
しかしそれは
必要な
ことなのだ。
ここしかない、
という
一点を探し、
ようやくそれを
見つけ出した。
イメージで
言えば、
1億分の1の
確率のような。
そんな、
運命とも言える
一点を
見つけ出した。
だからもう
容赦は
しない。
そこ目がけて
最大級の
一差しを。
最大級の
エネルギーを
集約させて。
それしか
もう
この大地は
壊れないのだ。
大地が
壊れない
限り、
新たな世界
は
生まれない。
泣こうが
喚こうが、
この大地は
壊す。
壊すべき
時なのだ。
容赦のない
一差しは、
絶大な
効果を上げた。
大地は
これまでの
長年の蓄積が
嘘であったかの
ように、
脆くも
根底から
崩れていく。
崩れた
その下から
太陽が
現れた。
これこそ
新たな
太陽。
これからの
世界の
中心となり、
私達を
導き、見守って
くれる存在。
大地は
いくらでも
創り出せる。
ただ、
太陽は
そこにあるものを
掘り起こすしか
ない。
これまでの
大地は
太陽を
隠していた。
隠すことで
その
存在意義を
高めていた。
しかしもう
そのような
時代は
終わった。
小手先の
時代は
終わったのだ。
これからは
堂々と
太陽と
向き合える者
のみが
道を開く。
もちろん、
全員が
そうなるといい、
というのが
太陽の願いだ。
その願いに
応えるのが、
応えようと
するのが、
私達だ。
つづく
ここでまた
一つ、
重要な問いを
ご提示させて
いただこう。
・・・
ここまで
何となく億劫で
後回しにしていた
ことを、
明確にしよう。
それを
いつする?
いつまでに
必ず
完了させる?
・・・
これをすることで
エネルギーの
質が
きっと大きく
変わるだろう。
ほんの
ちょっとしたこと
でも大丈夫。
直観的な
答えを
見出し、
実行しよう。
つづく
左の目から
見える世界と、
右の目から
見える世界が、
違って
見える。
まぁ、
そんなもん
だろう。
私達の
「目」
は、むしろ本当は
そのように
できている。
残念ながら、
私達は
「真実」を
そのまま受け取る
ことは
できないように
できている。
あくまでも
自分の「脳」を
使ってしか、
それらは
見えない。
喩えて言えば、
機械で感知した
ものが、
その機械によって
映像化され、
その映像化された
画面を
私達はいつも
眺めている。
そこに在る
ものを
そのまま
ダイレクトに
受け取っている
わけではない。
しかもその
機械には
特性があって、
真実の姿を
その機械の
特質に合わせて
変換してしまう。
そしてもちろん、
そこに在るもの
全てを
感知できている
わけでもない。
映像化した
ものを
私は「現象」と
呼んでいるし、
映像化される
前の
「そのもの」を
私は「実在」と
呼んでいる。
真本音で生きる
ようになると、
私達は
「脳」の働きを
超え、
もしくは
「脳」そのものを
アップデートさせ、
という
表現もできるが、
「実在」そのものを
徐々に
感知できるように
なる。
だからこそ、
「映像」しか見れない
ことによる
不安や不安定さを
乗り越える
ことが
できる。
もちろん、
「実在」をそのまま
知ることは
怖い、
と
思う人もいるだろう。
というか、
誰もが最初は
怖がる。
私も
そうだった。
が、
すぐに
慣れる。
目を瞑って
生きるのが
怖いのと同様に、
「実在」を
知らずして生きる
のは、
今は逆に
とても怖い。
「実在」を
感知する力は、
人間であれば
誰もが
持っている。
もともと。
恐らく、
大昔の人達は
今の私達よりも
その力を
開放できていた。
現代の私達は、
皆、
その力を
失っている。
そういう歴史を
人類は
創り出して
しまった。
でももう一度、
それを
取り戻す時だ。
ない力を
養おう、
ということでは
ない。
もともと
ある力を
もう一度、
思い出そう、
ということだ。
私達は
もっと
「自然」に
戻るべきだ。
できるだけ
早く。
できるだけ
正しく。
つづく
真本音の道を
変えなければ
ならない
ことがある。
人生の願い
や目的
は
もちろん
変わらない。
が、
それを実現
するための
道筋が
大きく変わる
ことがある。
しかしこれは、
自力では
ほぼ
難しい。
そりゃ
そうだ。
真本音の
道だ。
自分自身の。
これを変える
というのは、
根底から
自己否定する
ような
ものだ。
私は
生まれてくる
べきでは
なかった。
・・・くらいの
気持ちにも
なるだろう。
だから
通常は
自分一人の力
では無理だ。
だから
私はそういう
人をこそ
サポートさせて
いただいている。
道を変えねば
ならない
事情は様々だ。
が、
これまで
私が拝見した中で
最も多かったのは、
真のパートナー
もしくは
真の仲間が、
自分の道を進む
ことを
放棄してしまった、
という
ケースだ。
大事な仲間や
パートナーが
いなくなってしまう
ことで、
自分が決めていた道を
進む力を失って
しまうのだ。
その場合は、
道を変えるしか
ない。
道を変えながら
それでも
目的実現を
目指す。
が、
それが
できない。
多くの人は、
道を放棄した
パートナーや
仲間と共に
進もうとする。
つまりは
自分も真の道を
放棄するという
選択をしようと
する。
もしくは、
パートナーや
仲間が
離れてしまった
ことで、
全てに絶望し
自暴自棄に
なる。
そういった例が
これまでいくつか
あった。
とても
悲しくなる。
私も
自分事のように
何度も
泣いた。
しかし、
自分の真の道を
放棄する、
と
完全に決めて
しまった人は、
他者からは
どうにもできない。
その人は
その人。
あなたは
あなた。
その人は
道を放棄したが、
あなたは
どうする?
という問いを
しっかりと投げ、
その問いと
向き合い続ける
サポートを
する。
本当に
心が痛む。
いや、
魂が痛む。
本当は
このような人は
一人も
出てほしくない
のだが、
今は混乱の
世の中だ。
きっと
これまで以上に
そんな人は
増えるだろう。
悲しいが、
でも
一人でも
真の道を進む人が
減らぬよう、
私は
私にできる
力を
尽くすつもりだ。
つづく
道が
いくつも
分岐しているように
観える。
まるで
稲妻のように
ジグザグに。
だが、
その道たちは
一瞬で消え、
次の瞬間には
別の分岐が
いくつも現れる。
そういう意味で
本当に
稲妻のようだ。
迷っても
迷っても、
道自体が
変わるので
答えの出しようが
ない。
茫然と
佇むしか
なくなる。
で、
一歩も
進めない。
当然、
私にもそんな
時代があった。
道を選ぶ
とは、
稲妻に打たれる
ようなもの。
死を覚悟
するくらいの
勇気が要ったし、
気持ちは
前に向いても
体が
動かなかった。
これが、
人間の恐怖。
自分の人生
を受け入れる
覚悟。
でも残念ながら、
多くの人は、
この覚悟の怖さ
すら知らずに、
惰性で
生きている。
私が
恵まれていた
のは、
この恐怖を
比較的早い段階で
知れたこと。
恐怖のあまり
足がすくむ自分を
知り、
あぁなんだ、
私はこんなにも
ヘナチョコで
何もできない
人間だったんだ、
と
否応もなく
知ることができた
こと。
あれがなければ
私はきっと、
今でも
傲慢に生きていたに
違いない。
私はできる
人間だ、
と
勘違いしながら。
そう。
勘違いしながら
ずっと
同じ場所を
動かなかっただろう。
そして
その結果として
私の人生は
早く終わる。
今は
わかるのだ。
あそこで
前に進まなかったら
きっと私は
何年何月頃に
死んでたな、
と。
ここまで
生き延びて
来れたのは、
私が自分の望む
道を
進んできたから。
そうでない
道を進んだ場合、
あくまで
私の場合だが、
私はそんな
私を許さない。
そういう
極端なところが
あるので、
私は自分が
本来ではない道を
進むことに
耐えられなかった
だろう。
道は、
いくつもの
分岐を描きながら
瞬時、瞬時に
姿を変える。
しかし本当は
そんなものは
まやかしだ。
本当は
中心に
太い道がずっと
まっすぐに
続いている。
あの稲妻は、
中心の道が
示しているもの。
中心の道を
進むための
都度都度の
指針であり
合図だ。
臨機応変に
現実を
開くための。
それがわかる
のは、
進もう!
と
決めた者
だけだ。
実際に
一歩を踏み出した
者だけだ。
そんな人が
増えてほしい。
いや、できれば
全員
そうなってほしい。
それこそ
傲慢な考え
かも知れないが、
そのために
生きるのが
私の道だから。
つづく
荒れた海の
中に
あっても、
心は
平静。
いや、
正確に言えば、
心は
揺れ動き続けるが、
その中心は
平静。
中心のその
安定ぶりを
自覚することで、
結果として、
心も
平静になる。
喜ぶ時は、
思いっきり
喜べばいい。
心を
揺らしたい
時は
揺らせばいい。
ただ、
今はこの
心の動きと
少し距離を
置きたい、
という場合は
それが
できるといい。
心の揺れは
そのままに、
でも
それを少し
離れたところから
観察できる
自分に。
そうすれば、
世の中の
荒れ具合には
左右されない。
何度も
書かせていただいた
ことだが、
世の中も
同様に、
表面が
荒れているが、
その中心は
至って平静だ。
むしろ
そのエネルギーは
高まり、
安定度も
格段に高まり
続けている。
自分自身の
平静さを
取り戻せば、
世の中の
平静さも
感知できる。
すると、
世の中の
中心と
自分自身の
中心が
共鳴を始める。
共振を
始める。
その中で、
自分自身の
次の一歩を
平静に
選択することが
できる。
その連続が、
この
荒れた現実の
道を開く。
もう、
これしか
ない。
私達が
進む方法は。
さて、
その中で
今また
一つの問いが
浮上して
きている。
『一つ、
これまでの自分の
何かを
強く否定し、
一つ、
これまでの自分の
何かを
強く肯定しよう。
その結果、
次の私は
何を変化させれば
良いだろうか?』
世の中の
中心と
共鳴するためにも、
今の私達は
この問いと
向き合おう。
つづく
波紋が
広がらない。
どれだけ
石を
投げても。
水面が
硬直化して
しまったようで。
波紋が
広がらない。
石を投げた
その場所が
少し
へこむだけ。
その後、
何事も
起こらない。
本来、
液体である
はずの
この場所が、
固形化
してしまって
いる。
であれば、
まずは
全体を揺らし
ながら、
少しでも
液状化できる
ところを
探していくしか
あるまい。
それは
実に
地道な
取り組みだが。
・・・というのが、
きっと
この50年余りの
状況だ。
固体を
液状化
させる。
それはもう
大変だった。
ようやく
これはもう
液体と言って
いいかな、
と
言えるくらい
までに
なったのが、
4年前。
まだ
ドロドロ
しているし、
ところに
よっては
固体のまま
だが。
ただ、
波紋は
広がりやすく
なってきた。
波紋が
広がれば、
液状化は
さらに進む。
波紋が
あぁこれは
普通の
波紋だな、
と
思えるように
なったのは、
昨年くらい
から、
いや、
下手をすれば
今年から
かも。
だが、
別の問題も
出てきた。
皆がまだ
液体に
慣れていない
のだ。
液体に
慣らすことが
これから
必要となって
くる。
固形化された
中で
生きる術を
私達は
身につけて
きた。
が、もう
逆に
固体は、ほぼ
ない。
普通の
健康的な
液体状態に
なろうとしている。
もちろん
その方が
私達本来の
生き方、進み方
はしやすい。
が、
私達はそれを
忘れてしまって
いる。
早く、
思い出さねば。
思い出して、
液体の中を
自由自在に
泳いでいく。
そして
必要なところに
必要な
波紋を広げる。
これが
私達のこれから
やること。
そのためにも
まずは
思い出そう。
私達本来の
進み方を。
つづく
これまで
いた
深海よりも、
さらに
奥に
降りていく。
まさか、
さらに奥が
あるとは
思っていなかった。
が、
降り口を
私は
見つけてしまった。
見つけたら、
行かねば
ならない。
行くために
きっと
見つけたの
だから。
ようやく
深海の暗闇に
慣れてきた
ところだったのに。
さらにその
奥は、
漆黒の闇。
怖えなぁ。
だが、
そんな私の
心を
無視するかの
ように、
私は勝手に
降りていく。
当たり前の
ことだが、
水圧は
さらにキツい。
体験したことの
ない
圧力に、
我を失う。
それでも
お構いなしに
降りていく。
躊躇は
全くない。
と、
とりあえずの
底に
立った。
でもそれは
あくまでも
とりあえず、
だということは
わかった。
小休止
かな。
幸い、
呼吸は思ったほど
乱れていない。
少し間を
置いた後、
またすぐに
降りていく。
今度は
きっと
もう、
休みなく
降りるのだろう。
きっと
先ほどの
小休止で、
これは
行ける!
と
私はわかって
しまったのだろう。
もうきっと
目的の場所に
辿り着くまで、
休むことは
ないだろう。
どんどん
降りる。
どんどん
深くなる。
何も
見えない。
何も
感じない。
強烈な水圧
以外は。
人間としての
私を
私は
忘れそうだ。
降り続ける。
降り続ける。
きっとこれは
数日から
もしくは
数十日
続くかも。
現実の
私は
これによって
どう
変わるのだろう?
つづく
私自身が
私に
強烈なメッセージ
を
送り続ける。
動くな、
動くな、
と。
動きたくなる
気持ちは
わかるが、
それが
人間という
ものだが、
しかし
今は、
待て!
待て!
と。
そういう理由
は
わかる。
今は私が
先頭に立っては
ならないのだ。
私が先頭に
立てば、
それにより
崩れるものや、
余分に発生する
もの達が
あまりに
多いだろうから。
すると結局
その対応に
時間を取られ、
回り道と
なる。
だからこそ
最短の道を
行くためには、
今は
動くな!
ということ
だろう。
理解は
できる。
でも、
私だって
人間だ。
わかっちゃ
いるけど、
動き始めようと
する
私がいる。
すると
私ときたら、
私自身に
これまた強烈な
脱力
を
与えるのだ。
エネルギーゲージ
が、完全に
ゼロになる
くらいの。
時には、
脱力するための
わかりやすい
現実を
私自身に与える。
いわゆる、
この出来事の
ために
やる気がゼロに
なった、
というやつだ。
その度に
思うのだ。
勘弁して
くれよ。
そこまでして
私は
一歩、一歩、を
間違えたく
ないのか?
そこまでして
最短の道に
こだわるのか?
そう。
その通り。
それまでして
私は
一歩も踏み間違えたく
ないし、
最短の道しか
行かないと
決めているんだ。
理由は
単純。
じゃないと
間に合わないから。
結局は
ここに戻る。
間に合わせる
ために
私はここに
いる。
心は納得
できないが、
体は完全に
納得してしまって
いる。
だから、
動こうにも
動かない。
じっと待つ
私が
ここにいる。
つづく
意識朦朧
と
なったときは
チャンスだ。
顕在意識から
自由に
なれている
から。
こういう時
こそ、
直観も出やすい。
普段なら
なかなか出ない
深い場所からの
直観が。
普段、私達は
顕在意識で
考え過ぎなので、
顕在意識が
上手く働かない
状態の時こそ、
一気に物事を
進めてしまおう。
時には
とんでもない
ことを
やらかす場合も
あるだろうが、
大概は、
思わぬ現実
思わぬ展開を
生み、
考えながら動く
場合よりも
何倍も調和する。
必要なのは、
自分自身に
身を委ねる
勇気だ。
普段から
セルフコーチングが
できている人は、
ここが
強い。
顕在意識が
ない時こそ、
ガガガッと
一気に動ける。
間違っても
頭をクリアに
しよう、
などとは
思ってはならない。
そのまま
行けばいい。
委ねればいい。
つづく
高波が
襲ってきて
ひっくり返る。
ひっくり返る
のが
わかっていて
あえて
その波に
向かって
行ったんだ。
本当は。
ひっくり返る
のは
もちろん怖い。
上手く
着地できなければ
どうなることか。
でも、
今は自分を
ひっくり返さねば!
という
時があるんだ。
「高波」
とは、
自分が避けたい
現実のことだ。
自分が今、
最も避けたい
こと。
そちらに
向かえば、
きっと自分は
全身が痺れる
ほどに、
動転するだろう。
と
わかっている
こと。
ある意味、
結果が
見えている。
が、
そっちに
行くんだ。
たま〜に
だけど、
私はあえて
それをする。
もう
ドキドキ
だけどね。
でも
それをやらねば
先に進めない
と
わかっている
から。
自分を
この辺りで
ひっくり返して
おかないと、
後で苦労する
と
わかっている
から。
そのかわり、
しっかり
ひっくり返って、
予想通り
辛い思いを
しても、
ちゃんと
それをやれば、
その後、
得るものは
多い。
特に
よくあるのは、
その直後の
自分自身の
脱皮だ。
明らかに
何かから
自由になれた
自分を
感じられる。
ひっくり返った
直後は
ひどい状態
だが、
その後に、
体験したことの
ない
晴れやかさ
がくる。
生まれ変わった
気分だ。
そしてその
新たな自分と
して、
次に進む。
進んで
すぐにわかる。
あぁ、ちゃんと
ひっくり返って
おいて
良かった!
と。
高波の
気配がしたら、
自分は今、
ひっくり返る
必要が
あるのではないか?
と、
問うてみよう。
YES と
自分自身が
言っていれば、
頑張って
立ち向かおう。
大丈夫、
死にゃあせん。
つづく
どうすれば、
その人本来の
花が開くか?
結局は
私は
それしか
考えていない
のかも。
その人本来の
花が開けば、
その人は自然に
周りと
調和する。
つまり
周りの人達への
幸せにも
直結する。
それが、
家族で起これば
家族が
幸せになるし、
企業で起これば
その企業は
活性化する。
「本来」同士
は、
必ず調和する
ように
なっているのが、
私達人間の
本質だ。
だから、
無理な調和
は
私は絶対に
しない。
させない。
でも、
無理な調和
を起こし、
それで一時的に
業績が上がり、
悪い言葉で
言えば、
それで
自己満足し、
あとで
困ったことに
なっている
企業は多い。
本来の自分
が
本来の調和
を
生む。
本来でない
無理な調和
は、
本来の自分
を
阻害する
どころか、
人々をただ、
疲弊させる。
その疲弊
が
当たり前に
なっているのが
今の社会だ。
仕事で
疲弊するのは
当たり前でしょ、
と
皆、信じている。
もちろん、
疲れはあるよ、
頑張って
仕事するなら。
でも、
それは決して
悪い疲弊では
ない。
良い疲れは
人をますます
活性化させるし、
人を鍛える。
悪い疲弊は
ただ、
疲弊・枯渇に
向かわせる
だけだ。
悪い疲弊が
当たり前で、
その中で
頑張ることが
生きる意味だ、
などと
思うなかれ。
そこから
脱することこそ
私達全体の
テーマであり、
それが
世の中の
進化だ。
そこに
敢然と
立ち向かい
取り組もう。
・・・なんて
ことを私は
ただひたすらに
やり続けている。
真面目な
社長さんほど、
自分を
変えたがる。
もっと自分を
成長
させねば、と。
だが、
その人本来の
花が咲く
ためには、
今は絶対、
自分を変えては
ならない!
時がある。
そのまま
進まねば
ならない!
時がある。
だから、
そのまま
行ってください!
と、
よくアドバイス
させていただく。
今日も、
渾身の想いで、
そう
伝えたよ。
つづく
ぼんやり
して、
まだ、
形になる前の
思考
がある。
それが
目の前を
ふわふわと
漂っている。
多くの人は
その状態の
まま、
その思考に
入ってしまう。
しかし
それはまだ
「完成」
されていない
のだ。
完成される
前の
思考に入れば、
それは必然的に
中途半端な
ものになる。
だから
本当に納得の
答えに
行きつかない。
思考は、
待つこと。
それが
「完成」
するまで。
どうしても
すぐに思考
したければ、
今はまだ
絶対に
答えは出さないぞ、
と
決めた上で
思考しよう。
でも本当は、
「完成」前は
触ってほしくない。
思考たちは
皆、
そう思っている。
そっとしておいて
ほしいのだ。
思考が「完成」
したら、
それは
私達の内側の
中心から
自然に
湧き上がってくる。
それはもう
直観の一種
と言っても
良いだろう。
ただ、
思考の場合は
湧き上がってから
実際の
思考に入る。
ついつい
考え込んで
しまうのだ。
でもそれは
普段の考え込み
とは異なり、
凄い集中力
となる。
周りの何も
耳に
入らず、
目に
入らず、
ただその
考え込みのみ
の自分
となる。
時間が経つ
のを
忘れる。
そういった
もの。
それを経て
得られるもの
こそ、
直観であり、
かつ、
自分自身の
真の答えだ。
つづく
一滴目。
その
波紋をよく
観察しながら、
タイミングを
逃さず、
二滴目。
さらに
波紋を丁寧に
観察する。
一滴目の
波紋と
二滴目の
波紋の
干渉もよく
理解しながら、
ここぞ、
の瞬間に
三滴目。
そうやって
増えれば
増えるほど、
影響は
複雑になる。
観察すべき
ことも
より複雑に
なりそうな
ものだが、
実は
そういうわけでも
ない。
複雑に
見てしまえば、
それはもう
観察
とは言えない。
観察は
シンプルに。
シンプルが
故に
奥深く。
観察のコツ
は、
表面に現れる
もののみに
意識を
向けること。
難しく
考察をせずに。
表面に現れる
すべてを
あるがまま
そのままに
見つめようと
すること。
そのまま
受け取ること。
考察は
要らない。
考察しようと
するから
真実を
見誤る。
表面に現れる
ことは
もちろん
表面的なこと
ばかりだが、
しかし
表面に現れる
ことこそ、
ちゃんと
本質を反映
している。
何の解釈も
なく、
完了感が出る
まで、
表面を
観続ける。
完了感が
出たら、
あとはじっと
待つ。
じっと待てば
浮かんでくる
ものがある。
それは、
問い
だ。
「?」
だ。
問いが
浮かんだら、
その視点から
改めて
観察する。
観察しながら
問いの答えを
見出そうと
する。
すると、
ふと答えが
浮かぶのだが、
同時に次の問いも
浮かぶ。
あとはその
繰り返し。
そう。
これこそ
セルフコーチング
そのものだ。
より深い
考察に繋がる。
私達は、
中途半端に
浅い部分で
考察に入り、
中途半端な
答えを
出す。
そこを
脱け出す。
真実に
繋がる
考察をする
ために。
世の中で
起きていることは
皆、
複雑怪奇だ。
皆、その
一部分のみを
取り出し、
中途半端な
考察を
し過ぎている。
本質は、
真実は、
もっと
シンプルなところ
にある。
一滴、
二滴、
三滴、
・・・
物事は
どんどん
複雑になる。
が、
その複雑さに
惑わされては
ならない。
判断と決断を
見誤らない
ためにも。
私達の
目が
試されている。
つづく
急激に
雲が
晴れていく。
青空の
広がりと共に、
強い光。
やはり
太陽の光は
強い。
これは
生命の強さの
象徴だ。
光を浴びながら、
細胞の一つ一つ
が
目を覚ましていく
のを感じる。
ヒョロヒョロの
枯渇状態から
徐々に
元気が
漲ってくる。
何とか
今回も
生き延びることが
できたようだ。
一刻も早く
自分自身を
復活させねば。
わかっている。
復活させたと
しても、
私はすぐに
全エネルギーを
注ぎ込んで
しまう。
ゆとりを
持ちながら進む、
ということを
しない。
持てる力の
すべてを
出し切ってしまう。
自己マネジメント
の真逆を
行っているような
ものだ。
わかっているが、
その生き方を
私は
変えようとしない。
なぜ
変えようと
しないのか?
答えは
単純だ。
時間が
ない。
それだけの
ことだ。
ゆとりを持って
進むだけの
ゆとりは
ない。
一刻も早い
復活と、
同時に、
すぐさま
全力疾走。
今は
平時では
ない。
非常事態
なんだ。
これまで
ずっと。
そして
これからも、
きっと、
私が生きて
いる間は。
仲間が
ほしい。
仲間は
増えてきたが、
まだまだ
足りない。
仲間が
ほしい。
間に合わせる
ために。
つづく
光のしずく
が、落ちる。
キラキラ
と。
落ちたところに
波紋が広がり、
次の光が
生まれる。
一つ一つは
小さなもの
だが、
着実に
光は
増えていく。
結局は、
こういった
広がり方が
一番、
安定し、かつ
強力である。
最初から
大きく構え、
全体を
変えよう!
と、
し過ぎるから
頓挫してしまう。
たった一粒
でもいいので、
しっかりとした
光を。
エネルギーの
高い
一粒を、
最も的確な
タイミングで
投じることだ。
小さくとも
最高の
一粒を。
その
積み重ねで、
人生も
仕事も
組織も
変わっていく。
つづく
その時期は、
皮膜で
全身を
覆われている
感覚が
ずっとあったんだ。
鬱陶しいし、
気持ちも
悪かった。
でも、
その皮膜を
取り払ってしまう
ことは
とても怖かったんだ。
勇気が
要ったよ。
でも
決心した。
この皮膜を
取らない限り、
私は前には
進めない、
と
やはりどこかで
よくわかって
いたんだ。
皮膜を取る
ためには、
ある具体的な
決断と
行動が
必要だった。
期限も
わかっていた。
だから私は、
必死の想いで、
そうそう
まさしくそれは
必死、だった、
エイヤッ!と、
それを
したんだ。
そして
その直後に、
あぁ今、
ここで
皮膜が溶けるな、
と
わかった。
それは
すぐに
溶けた。
その時点でも
怖かったよ。
でも、
みるみる
溶けていったんだ。
時間にして
5分も
かからなかった。
全身から
皮膜が
綺麗さっぱり
なくなった。
なくなって
みると、
ただの
「普通」
が
待っていた。
あれ?
なんだこれ?
普通、じゃん。
・・・と、
実際に口に
出したと
記憶している。
皮膜を
取るまでは
あんなに
怖かったのに、
皮膜が
なくなると
普通、になった。
普通の自分
に。
なんだ、
こんなことか、
と
思うと同時に、
ついさっき
までの自分が
普通じゃなかった
ことに
気づいたんだ。
普通、
じゃなかった
んだ、
私はずっと。
これまでの
人生、
ずっと。
これまで
「私だ」と
思っていた
ものは、
私では
なかった。
なんだ、
こんなことなら
もっと早く
やっとくべき
だった。
少しだけ
後悔したが、
しかしとても
良い経験
だった。
それが私の
初めての
「脱皮」。
人間も、
脱皮をするんだ
というのを
知った瞬間。
そこから、
脱皮をサポート
することこそ、
私がすることだ、
と
わかった。
私の
クライアントさんは
必ず
どこかで
脱皮する。
なぜなら
そういう人を
選んで、
クライアントさんに
しているから。
皆、
「普通」に
戻っていく。
世の中全員が
そうなると
いいな、と
思う。
つづく
昨日までの
吹雪が、
嘘のように
晴れた。
満点の
星だ。
星が降る
とは
このことか。
ただ茫然と
見上げながら、
自分の小ささ
を
感じる。
そのまま
感じる。
こういう時
こそ、
自分の鼓動も
感じることが
できる。
生きているな
私は、
と思う。
生きて
ここにいる。
吹雪の中を
歩いた記憶は
もうほとんど
飛んでいる。
前に足を
出し続けること、
自分の体の
バランスをとること、
にのみ
必死だった。
自分が
自分なのか、
自分じゃないのか、
も
わからない状態。
そこから
ここに
生還したような、
やっと
自分に戻れた
ような。
冬山の体験
が、
きっと私の
セルフコーチングの
基盤に
なっている。
自分を
失い、
自分に
戻る。
自分に
戻れば、
これまでとは
異なる自分が
そこに
いた。
それを
しっかり感じる
ことで、
また
自分を失う。
自分を失う、
とは
「個」である自分を
離れることでも
ある。
それは時には
「世界と一つになる」
という
実感をもたらすことも
あった。
あの感覚を
体験したことは、
セルフコーチングを
探究する上で、
本当に
宝となった。
山には
感謝しかない。
当時の
私にとって、
山に登ることは
最上の喜び
だったのだが、
この仕事を
始めてから、
もう30年くらい
山には
一度も行っていない。
山に登る喜びと
同じ喜びを、
日々、
感じることが
できているから。
山に行く
欲求そのものが、
なくなって
しまった。
あえて
表現すれば、
私は、
人生を登る
ように
なった。
それが
真本音で生きる
ということだ。
山に登って
いる時は、
その一歩一歩が
とても
愛おしかった。
今は、
人生を進む
一歩一歩、
一分一秒が
愛おしい。
山でのあの
充実感が、
まさか
日常生活で
日々、
手に入れられる
とは、
当時の私は
思いも
よらなかった。
ただ、
ふと
もし今の私が
あの山の世界に
もう一度
入ったら、
そこで
何をどのように
感じるだろうか?
と、
考えることは
ある。
今だったら
きっと
あの時よりも
もっと簡単に、
山と一つに
なれるだろう。
そうすると
私は
山々から
どのようなメッセージ
を
受け取るだろうか?
まぁでも
これは、
あくまでも
興味本位の
問いだな。
山に行く
時間とエネルギーが
あるならば、
私はそれを
もっと別のことに
使いたい。
私も変わった
もんだな。
人は、
変わるのだ。
つづく
蕾(つぼみ)のうちに
枯れてしまうものは
あまりに
多い。
せめて
ほんの少しでも
花が咲き、
せめて
その片鱗くらいは
実感できれば
次に
繋がるのに。
蕾のうちは、
その価値に
気づかない。
最も
気づかない
のは、
そのご本人だ。
大抵の場合、
その蕾を
潰すのは
本人だ。
無意識に
潰すことも
あるし、
意識的意図的に
こんなものは
必要ない!
と
潰してしまう
ことも。
なぜなら
多くの場合、
蕾を自覚すると、
その本人は
それを
嫌いだ!
と
認識してしまう
から。
こんな個性
嫌いだ。
こんな力は
嫌いだ。
こんな特質は
嫌いだ。
・・・と、
自分にとって
拒絶したくなるもの
にこそ、
実はその人の
本当の花を
咲かせるもと
となるものが
ある。
だから
よくアドバイス
することになる。
自分の
嫌いなところに
こそ、
しっかり
目を向けよう、
と。
自分の
嫌いなところと
向き合おう、
と。
目を
逸らしていても、
嫌いなものは
嫌いだ。
反対に
よく観察すれば
印象が変わる
かもしれない。
みにくいアヒルの子
は、
美しい白鳥に
成長した。
同じことが
私達にも
言えるんだ。
つづく
一つのことに
集中しながらも、
少しズレた
別のものを
観る。
実はその方が、
その
物事の本質を
掴めたりする。
視線を
ずらす。
視点を
ずらす。
ズレ、というのは
気づきのきっかけ
なのかも
しれない。
一つの重要な
刺激を
与えてくれる
のだろう。
私は
クライアントさんとの
セッションの最中に
これを
意図的に行なう
ことがある。
正面の
クライアントさんに
全意識は
向けている。
が、
ちょっと
ズレた場所を
見つめる。
ポイントは
それによって
クライアントさんへの
意識を
分散させない
ことだ。
クライアントさん
に
100%の意識を
向けたまま
別の方向にも
意識を向ける
のだ。
そんなことが
可能なのか?
と
思われるかも
しれないが、
これこそが
私達人間の持つ
偉大な力の
一つである、
と
私は実感
している。
これをもっと
拡大して
言えば、
私達は、
あらゆる物事
に対して
同時に、
100%の意識
を
向けることが
できる。
・・・と。
この件について、
あるクライアントさんが
以前に
次のように
表現されていた。
「すべてのものに
ピントを合わせる」
と。
まさしく
そんな感じだ。
もちろん
これができるように
なるには、
それ相応の
訓練が必要だ。
すべてに
ピントを合わせ
ながら
生きることが
できれば、
日常における
発想も
行動も、
あらゆることの
次元が
変わる。
生きやすく
なる。
そのための
訓練の場を
創ろうかな、
と
今、考えている。
つづく
人間は
本来はもっと
逞しいはずの
存在だ。
ひょっとすると
人間を
最も
活かしきれていない
のは
我々人間自身
ではないか。
何ものにも
縛られない
大自然の中に
ポンっと
放り出された時、
初めて私達は
自分自身に
内在された
力を
自覚するのでは
ないか。
人間社会は
本当に
“人間”を
育てたか?
私達の
これまでの歴史
は、
本当に
“人間”を
育てたか?
私達は、
“人間”としての
進化は、
ずっと
果たさずにきた
のではないか。
いや、
進化とか
退化とか、
そういった視点を
論じる以前の
状態、
ただ単に
私達は
雑になってきている
だけではないか?
自然の摂理
に
丁寧に自分を
合わせ、
その中で
自分らしく
生きていく。
・・・これは
古代の人達の
方が、
今の私達よりも
格段に
進んでいたのでは
ないか。
雑になり、
雑になり、
自然の摂理
から
外れても、
その気持ち
悪さに
鈍感になり、
鈍感になり、
自然を感じず
ただ
孤独感のみを
高め、
孤立した
存在として
脆弱に
生きる。
そんな
脆弱な存在が
ただ
肩を寄せ合って
依存し合って
生きるための
社会。
自律して
いない
社会。
それを
創り上げたのが
私達では
なかったか。
過去の人達
の
せいにしては
ならない。
皆、
同じだ。
過去も
今も、
そして
これから私達が
創り出す
未来も、
皆、
“自分”
だ。
“人間”
だ。
雑、
というのは、
何も考えない
ことだ。
無頓着。
鈍感。
無関心。
狭い視野。
狭い世界。
自分の
内側だけの。
今は
ほとんどの
人が、
「世界」を
見ていない。
自分の
内側に
浸っている
だけだ。
世界と
向き合うことを
恐れている。
恐ろしい世界
を
創り出して
しまったから。
それを
本能的に
知っている
私達は、
じっと
自分の内側
だけに
閉じこもる。
だけど、
本当は、
内側にも
安全な場所は
ない。
内と外は
同じ
だからだ。
内と外の
境目。
それが
人間。
だから
安心を得たければ、
世界にしっかり
目を向けるしか
ない。
進化の道を
今、ここからでも
歩み始めるしか
ない。
歴史は
繰り返す?
いいや、
もう
繰り返さない。
繰り返したら
もう
終わり、と
なるだろう。
もう、
そんな場所まで
来てしまったよ。
だからもう
歴史は
繰り返さない。
自然の摂理
には
いつからでも
戻れる。
進化の道には
今、
ここからでも。
そんな
社会になれる
よう、
今日の一日を
私は
生きる。
つづく
雨の中に
いる。
ザーザーと
降りしきる。
冷たさと
共に、
気持ちよさも
ある。
すべてを
洗い流したい
ものだ。
この際
だから。
もし人生が
何度も
自由に
リセットできる
なら、
そこに
何のリスクも
ないのら、
そうそう
例えばまるで
ゲームの
ように、
そうしたら
もっと楽に
進めるだろうか。
でも
きっとそれでは
真剣さは
激減するだろうな。
自分の命をも
弄ぶ
かのような人が
増えるのだろうな。
私達人間は、
すぐに手に入る
ものに対しては、
すぐに
ぞんざいに
扱う。
雑になる。
この人生は
一度きり。
一度始めたら
そうそう簡単には
戻れない。
そういった
ヒリヒリハラハラ
する
緊張感があって
初めて、
真剣に
なれたりする。
良い意味で
追い込まれ
ないと、
真剣になれない
のが
人間なのかも。
ただ、
良い
追い込み方
を
しなければ
ならないと
思う。
進化し続けて
いる人は、
ここが
上手い。
自分に対して
良い追い込み方
をする、
ということ
こそ、
自己マネジメントの
本質なのかも
しれない。
コンフォートゾーン
に
ずっといては
ならない。
そのままでは
あらゆることが
どんどん
雑になる。
自分の意志
で、
そこから
飛び出ること。
勇気を持って
自分を
追い込んで
みよう。
つづく
脱ぎ捨てる。
要らぬものを
脱ぎ捨てる。
要らぬもの
は
ブラブラと
揺れている。
もう
俺は要らん
存在だ、
と
自己アピール
している。
だから、
意識すれば
すぐに
わかる。
今、
私にとって
要らぬものは
何だろう?
と、
常に
問いかける
だけで。
もし、
要らぬものを
特定できたら、
まずは
イメージの中
だけでも、
それを
脱ぎ捨てて
しまおう。
イメージの中で
しっかり
はっきり
手放す。
捨てる。
何度も
何度も
そのイメージを
すればいい。
そのうちに
自然に
そのような行動に
繋がる。
まずは
自分の中で
はっきり
決めることだ。
これは
要らないのだ。
今の私に
とっては。
これは
捨てるべき
ものだ。
今の私に
とっては。
・・・と。
ここを
曖昧にし続ける
からこそ
ずっと
延々と
モヤモヤが
続く。
そのような
時間は
もったいない。
人生の
貴重な時間
が。
脱ぎ捨てる。
毎日
一つずつ
新たな何かを
脱ぎ捨てても
いいくらいだ。
ここからの
時代はね。
つづく
無理に
喋らなくて
いい。
喋ることが
なければ。
じっと
していれば
いい。
ただ
黙って。
私達は、
無駄な会話を
し過ぎだ。
沈黙が
怖くて
ついつい
要らぬことを
喋ってしまう。
しかし、
それを
なくすだけで
人との関係は
調和を高める。
人間関係創り
が
とても
やりやすくなる。
だから、
沈黙には
強くなった方が
いい。
沈黙の時間
を
楽しめる
ように。
そのためには、
沈黙中の
意識を向ける
先を
決めておくと
いい。
お奨めは、
意識を
外に外に
出すこと。
見なくても
いい。
目を向けたり
体の向きを
変える必要は
ない。
ただ、
姿勢は
そのままに、
意識のみを
外に
向け続ける。
世界を
感じるといい。
世界
全体を。
その中に
目の前にいる
その人も
必然的に
入ってくる。
その人も
含めて
世界全体を
感じ続ける。
これに
慣れれば、
落ち着いて
くるよ。
そして
さらに慣れれば、
世界全体を
感じているという
状態そのままに、
目の前の
その人と
会話ができる
ようになる。
これがまた
実に
楽しい。
ぜひ
やってみて
ください。
つづく
私達人間は
常に、
自分の中を
エネルギー循環
させている。
循環が止まる、
イコール
死、である
と
考えてもいい。
死、という
ことに関しては
詳しく言及すると、
止め処がなくなって
しまうので、
ここではあえて
深入りしないが。
とにかく、
生きている
というのは
エネルギーが
循環し続けている、
という
ことになる。
ところが、
エネルギーの
循環に
所々、
滞りができている
のもまた
私達全員の
特徴だ。
今のこの
世の中で生きる、
上では
滞りができない方が
おかしい。
通常の滞りで
あれば、
しだいに
解消されていくが、
それが
どんどん巨大化し、
全体の循環の
邪魔をするように
なるケースも
ある。
そういった
巨大化したものが
増えてしまうと、
循環そのものが
止まってしまう。
つまり、
死、を早める。
そういった
人達が
今、
急増している。
だから、
今の私のサポート
は、
その人の
命を救う、
という
レベルのものが
多い。
もちろん
ご本人に
伝えることは
しない。
私は医者では
ないので、
不用意に
医学的根拠のない
ことは
口にはしない。
ただ、
ピンチなのは
どうしても
わかってしまう
ので、
そこのサポート
は、
密かに
やり続けている。
と言っても
特殊な力を
使うよりも、
もっと
単純なことを
している。
つまりは、
その人の
真本音度合いを
高めること。
意識の次元を
高めること。
これまで
ずっと
やってきた私の
サポートそのものが、
エネルギー循環
を高めるし、
滞りを
解消する。
ただ、
優先順位が
少し変わって
くる。
あくまでも
エネルギーの
流れを良くするための
課題、テーマ
から
優先的に
取り組んでいく。
現実レベルでは
もっと他の課題が
あったとしても。
当然だが、
命が続かなければ、
意味がないから。
ご本人は
わからない
ことだが、
こうやって
側から観ていれば
わかることが
ある。
まずは
命を救い、
その上で
現実的な
課題に
取り組む。
こういった
サポートのできる
人もまた、
私は
育てたい。
最近よく
考えていること。
つづく
その時その時
の答えは、
一つしか
ない。
だが、
もちろんそれを
外すことは
多い。
私達人間は。
外しても
当然、
挽回はできる。
ただしその場合は
少し
遠回りになる。
人生の時間を
消費する。
そういった
紆余曲折も
含めて、
人生であり、
それがある
からこそ
成長もできる、
と
言える。
が、
それをしていては
もう、
間に合わない!
という人が今、
圧倒的に
増え始めている。
恐らく、
今の実感値で
言えば、
そういう人の
割合は、
ここ数年で
5割を超える
のではないか。
紆余曲折を
している場合
ではない。
最短の道で
自分の人生の
目的を
果たさねば!
という
気概と願いを
持つ人達。
若い世代を
中心に
広がり続ける。
それは
もともと多くは
先天的なものだが、
先天的で
あるが故に、
埋もれてしまって
いるケースは
多い。
つまりは
そういった自分
であることを
自覚できていない
のだ。
しかし
少しのきっかけ
により、
急に自覚する。
自覚すれば
最初に来るのは、
言いようのない
「焦り」だ。
その「焦り」が
何なのか?
どう対処すれば
いいのか?
全く
わからない。
わからないままに
戸惑い、
それ以前よりも
悪い状態となり、
人生がとても
生きづらくなる。
そういった
人達をこそ、
私は
サポートしたいと
願っている。
ただ、
これは、
到底、私一人では
成し得ない。
だから
そういった人を
サポートする力を
持つ人も
育てたい。
最近、
私がいつも
考えていること。
つづく