チームパフォーマンスコーチ

砂粒の一つ

海岸に
立って、

膝まで
海に浸かりながら、

大海原を
眺めながら、

決めたことが
あるんだ。

永遠の中の
今。

今ここに
私がいることは

もし私が
死んでしまえば、

誰も知らない
ことになる。

私の記憶を
持つ人は
いるかもしれないが、

その人達も
人生を終えれば、
いつかは
私の記憶を持つ
人は誰も
いなくなる。

すると、
私がこの世に
存在したことを
知る人は
いつかは
いなくなる。

じゃあ、
長い目で見たときに
私という人間は
存在したことに
なるのか?

存在したか
どうかも
わからない存在。

小さな
存在。

そう考えた
時に、
きっと以前の私なら
そこに
虚しさを感じた
だろう。

もしくは、
私がいなくなっても
何か
残るものを
私は残したい、

決めただろう。

が、
今は違う。

存在したか
どうかも
わからない
小さな存在。

もし私が
その一つと
なれるなら、

私はそこに
それ自体に
無常の悦びを
感じる。

理由は
わからない。

理屈では
なく。

この海岸の
砂粒の一つの
ような。

いてもいなくても
一見、同じように
見える存在。

私はそんな
砂粒で
ありたい。

砂粒の一つとして
自分にできる
最大のことを
したい。

何かが残れば
それでいいし、
残らなくても
それでいい。

ただ、
ここに存在している
ということを、
私は知っている。

私はそんな
私という存在を
ただ、見届けたい。

やること
やろう。

大海原に
向かって、
ただ
そう決めたんだ。

つづく

日帰り出張の日

私の場合、
日帰りで遠くに
出張に行くことが
多い。

まだ
日が昇る前に
家を出て、
終電で帰ってくる、
というような。

そんな日の
朝は
実に清々しい。

これから
だんだん寒くなるが、
キンと冷えた
あの空気感が
何とも言えず、

心身ともに
洗われるようだ。

私はあえて
新幹線の
出発時間の
かなり前に
駅に着くように
している。

電車を待つ
その時間も
好きだし、

他のホームの
電車を眺めて
過ごすのも
好きだ。

要するに
電車好きだが、
それらも含めた
「空間」や
その「場」を

私は
楽しんでいる。

新幹線が
東京駅を出る
頃に、
ちょうど陽が
昇り始めることも
ある。

外の世界も
車内も
濃いオレンジに
染まる。

今日お会いする
クライアントさん達
のことに
想いを馳せながら、

今日はどんな
一日になるだろうか?

これから起こる
現実の数々に
ワクワクする。

そして一日が
終わり、
終電近くの
新幹線で
帰ってくるのだが、

その時は
その時で、
今日の一日を
噛み締めながら、

言いようのない
幸福感に
包まれる。

電車で始まり、
電車で終わる
という
一日が、
どうにも好きで
たまらない。

一日がまるで
一つの作品の
ように、
感じられるんだ。

つづく

場を味わう

結構、私は
雑踏
というのが
好きで、

ガヤガヤ
している空間で、
一人、仕事をすることが
多い。

カフェとか。

もちろん
場所にもよるが、

人々の気配や
ある種の
騒がしさがあると、

逆によく
集中できる。

かといって
もちろん
静かな場所も
好きで、

山とか自然とか、
誰もいない、

人の気配が
何もない、

自分しか
いない、

という場で
静かに落ち着いて
仕事をすることも
ある。

いずれに
しても、

「場」を楽しむ

ということを
私は
常に一日中
行なっている
かもしれない。

場を楽しみ
ながら生きるのは
人生を
数倍に
充実したものに
してくれる。

自分の
内側に意識を
向けて、
いろんな想像を
することも
好きだが、

その場全体に
意識を向け、

つまりは
自分の外側に
意識を広げ、

場と、
場の中の自分と、
両方を
感じながら
ここにいる、
というのが
何とも言えない
独特の味わいが
ある。

電車が好きなのは
こういうところにも
理由があるかも。

電車という
あの独特の
空間、場。

私はその
空間そのものと
一つになり、
そこにいる。

しかもその場は
移動している。

この
「移動」がまた
楽しい。

歩いていても
良いのだが、

「移動」は
独特の発想
を喚起してくれる。

同じ場所に
いない、場。

同じ場なのに、
同じ場所に
いない。

この状態こそ、
私達人間が
本質的に
望んでいる一つの
カタチではないか。

私達は
安定も望むが、
もっと深いところで
進化も
望んでいる。

私達は
同じ場所に
いたくない存在だ。

しかし
同じ場所にいて
安定していたい
気持ちもある。

その両方を
兼ね備えた
象徴的な場が
電車か。

まぁ、電車以外の
乗り物も
同様かもしれない。

が、私は
知らない人達、
無数の人達の
雑踏があり、

しかもそこに
自由に
乗り降りができ、

人が変われば
空気も変わり、

しかし空間は
同じ。

でも場所は
変わり続ける、
という

やはりあの
独特の感じが
好きなんだな。

自分は
どんな「場」が
好きか?

どんな「場」に
身を置くことで
最も活性化
できるか?

そんなことを
真剣に
考えてみよう。

そして
できるだけ
自分のいたい「場」に
いる。

そんな時間を
増やそう。

それだけで
毎日が
ちょっと変わって
くる。

私達は
「場」と共に
生きている。

つづく

宿命と運命

背中に何か
とてつもなく
重いものが

しがみついて
いる。

ドーン
という重さ。

腰が
砕けそうに
なる。

これは
特定の誰かの
重みではないな。

こんなに
重いんだ。

会社、
・・・いや違うな、
ある意味、
世の中全体
とも言える、
重さ。

何かへの
執着か、

寄生か、

依存か。

頑なに
在り続ける
何物か。

自分たちを
止めるもの。

私達は常に
それらと
闘っているが、

きっと一気に
それらを
払い落とした
のだろう。

勇気を
持って。

だから
それらが
来た。

とても
良いことだが、
私は
辛い。

なぜ
俺のところに
くる?


ずっと
この体質を
恨めしく思って
生きてきたが、

今はもう

そういうものだ、

諦めている。

諦める、
というか

宿命と
いうか。

変わることが
ない、

わかるので、

できること
といえば、
受け止めること
だけだ。

これが
私だ、と。

でもおかげで
世の中の
進化の度合いは
わかる。

スピードも
深さも
手に取るように。

そして
それによって
私の今日、
為すこと、

明日、
為すこと、

わかる。

わかれば
それを
やるだけさ。

宿命を
受け止めて、

運命を
切り拓く。

つづく

最上の言葉を

一つの言葉、


私としては
本当に大事に
したい。

同じ意味
同じ内容の
言葉であったと
しても、

今ここで

この人には

どんな表現で
どんな言い回しと
どんな語句を
選ぶか?

そこに
細心の注意を
払うように
している。

もちろん
思考レベルで
瞬時にそれができる
はずもなく、

ほとんどが
直観であるが、

直観的に
浮かぶその言葉
が、

違和感がゼロ
かどうか?

100%感覚的に
素直に出る言葉か
どうかを、

本当に大切に
している。

0.001%でも
違和感を覚えたら、
もうその言葉は
使わない。

伝えない。


決めている。

以前の私は、
言葉なんてものは
単なる記号だ、
くらいに思っていた
時期もあった。

自分の本当の
想いは
言葉などでは
完璧に表せるはずが
ない、と。

今はまったく
違う。

私達は
言葉で
生きている。
この
3次元世界では。

もちろん
完璧な言葉

ないかもしれない。

しかし
だからこそ
言葉は
価値がある。

言葉はカタチ。

今ここで
差し出し得る
最上の言葉は
何か?

真剣に言葉を
選ぶことこそ、
真剣に生きる
ことの
基本である。


思うように
なった。

そうなれて
からだ。

人生そのものが
調和するように
なったのは。

ところで、

私は
一流の文学を
読むのが好きだ。

なぜなら
一流の文学は
言葉に対して
本当に
真摯だからだ。

私はそういった
作家の描く
物語を、

一つ一つの
言葉を
掘るようにして
ゆっくりじっくり
向き合いながら
読むことが
好きだ。

そんな読み方なので、
たくさん読める
わけではない。

でも
本当に素晴らしい
文学は、
たった1行
読むだけで、
良い刺激になる。

言葉と対峙する
作家の生き様も
感じながら、

物語と向き合う
静かな時間を
ここ数年は
とても大切に
している。

言葉と共に
生きる。

それも
私達だ。

つづく

答えはあるのに

突然に、
いくつかの
流れ星が
降ってくる感覚が
ある。

こんなに
青空が
広がっているのに。

その流れ星たちは
何かを
運んできている。

しかしそれを
受け取ってくれる
人はいない。

私も今のところ、
受け取りようが
ない。

ただ、
そこに必死に
意識を向ける。

あぁそれは、
私達にとっては
宝物のような
ものだ。

私達の次元では
発見できないような
様々な
「答え」たちだ。

「答え」が
降ってきている。

流れ星が
プレゼントして
くれようとしている。

なのに誰も
それに気づかない。

受け取れない。

私も、
今の私では
無理だ。

今の世の中では
無理だ。

あぁ、
消えてしまった。

流れ星も
「答え」たちも。

ガックリ。

実は何度も
こんなことは
あった。

その度に
ガックリ。

その度に
早くもっと我々は
次元を高めねば、

心を新たにする。

私達に必要な
「答え」は
あるのだ。

それを受け取れる
私達に
ならねば。

早く。

そのために
今日も私は
一日をがんばる。

つづく

人もエンストする

たまに
エンストを起こして
しまったかのように、

自分の心身が
カクッカクッと
不安定に揺れ、

自分のコントロールが
効かなくなることは
ないかな?

それは確かに
エンストに近い
かもしれない。

どこか必要のない
無理をしている
合図だ。

私の場合
多いのは、

エンストによって
声が出なくなる
こと。

喉が急に
機能しなくなる。

その場合、大概は
私自身が
喋り過ぎの傾向が
出ている。

クライアントさんに
説明し過ぎ、

教え過ぎ、

問い過ぎ、

の合図だ。

最近は
そんな場合は、
喋っている途中でも、

素直に喋るのを
やめることに
している。

クライアントさんには
素直に
声が出なくなりました、

お伝えしながら。

大概のクライアントさんは
笑ってくださるので
助かる。

私がエンスト状態で
事を進めれば、
その場のすべてが
不調和を起こし始める。

せっかく一つ一つ
積み上げてきた
調和の波が
崩れてしまう。

何でもそうだが、
やり過ぎは
よくない。

私達は不安に
なると
やり過ぎてしまうが、

基本、
何もしない、

というスタンスを
私は大切に
している。

本当に必要な
ことのみを
する。

迷うなら
しない。

これが私の
スタンス。

これを続けている
限りは、
エンストはない。

調和のためには、
まずは、

何をするか?
よりも

何をしないか?

が重要だ。

つづく

自分自身の大掃除

とても鋭い
まるで
軸のようなものが、

そこに
もたらされた。

すると
そこに存在していた
あらゆるものは、

混乱を起こした。

混沌状態と
なり、
荒れに荒れた。

しかし
今から思えば、
それは
部屋を大掃除する
場合と
同じことだった。

大掃除を
すれば、
一旦は部屋は
大荒れ状態となる。

それを経て
後に
綺麗に整頓される。

根本的
本質的に
美しく自分を整える
ためには、

大荒れになる

という状態を
どうしても
一旦はくぐり抜ける
必要がある。

しかし大概、
大荒れになると
皆、
大掃除を始めたことを
後悔する。

そして途中で、
やっぱりやめた!

諦めたり、

もとに戻したり
する。

しかし
一度、大掃除を
始めようと
動き始めた人は、

もとに戻しても
気持ち悪くて
仕方がない。

大掃除前よりも
圧倒的に大きな
気持ち悪さと、
後悔に
苛まれる。

そんな時は、
最初に
もたらされた
鋭い軸のようなもの

思い出そう。

自分を
根本的本質的に
変えようと思った
きっかけとなった
もの。

その「軸」
こそが、
あなた自身の
魂だ。

魂をあえて
カタチとして
表すと、

それは
丸いものでは
ない。

自分の体内の
中心を貫く
軸のようなもの。

そしてそれは
天と繋がっている。

それが
魂のカタチ。

私達は自分の
魂の意志を
感じると、

今の自分を
根本的本質的に
変えたくなる。

自分を本気で
整えようと
したくなる。

今のこの
タイミングで
それを感じたなら、

今のこの
タイミング
だからこその
理由があるはずだ。

自分を整える
のに
疲れたら、

「軸」を
思い出そう。

「軸」を
魂を
ただ、感じる
だけでいい。

理屈も理由も
明確でなくて
いい。

感じるだけで
意志は
伝わる。
自分の本当の
意志が。

それをしっかり
受け取れば、
内側から
エネルギーは
自然に湧いてくる。

どうせなら
中途半端ではなく、
徹底的に
自分を整えよう。

つづく

自我は超えられるか

沸騰した
お湯の気泡
のように、

現れては
消え、

現れては
消えていく。

それが
私達の
「自我」。

自我とは
永続的なもの
ではない。

それどころか
今この瞬間
にしか存在しない
断絶的
なもの。
分離している
ものだ。

私達は
自分の自我が
ずっと
同じように続いている
と思っている。

しかしそれは
今この瞬間にしかない
一つ一つの自我を
連続的に
味わっているだけだ。

だから
私は変わらない

思い込む。

しかし本来、
自我は
一瞬一瞬すべて
分離しているので、

変わろう!
と決めれば、
今この瞬間から

一瞬にして

変われる。
それが私達だ。

私はこの仕事を
通じて、
そのような場面を
何度も
拝見できた。

本人が
本気で
変わろうと、する。

するともう、
その瞬間に
変わってしまう。
本質的なところから。

それは
驚くべき瞬間
だったが、
でも実はそれこそが
「普通」の私達だ。

「変わろう」と
するのは、
意志だ。

同じ自我が
続いてしまうのは、
惰性であり、
慣性に過ぎない。

意志は
惰性を超える。

本物の
意志であれば。

つまりは
真本音の意志
であれば。

反応本音とは
自我。

真本音とは
自我ではない、
もっと大本の
自分自身。

真本音の意志

惰性を超える。

つづく

大きな人になるために

海のように
器の広い人は、

まるで
子どものように
無邪気な人が
多い。

悪意が
ない。

いや、
もちろん人の
心だ。

いろんな心は
あるが、

悪意はあったと
しても、
その、自分の中の
悪意と

しっかりと
向き合うことが
できる。

向き合えば、
それに
呑み込まれる
ことはない。

もともと
本当は、
皆、

から
きている。

だから
海のような
器を
持っている。

しかし
海から分離する
ことで、
本来の自分を

その大きさを

忘れて
しまう。

私など
小さな人間だ、
という
自己イメージ、
つまり、思い込み
によって、

どんどん
人間が小さく
なっていく。

私とあの人は
違う。

あの人は
特別だ、と。

そんなことは
本当は
全くない。

本当は
皆、同じだ。

でも、そう言っても
なかなか
信じてもらえない。

それはそうとして、
しかし
やはり、大事なのは、

素直に生きる
ことだ。

子どものような
無邪気さが
いい。

変な思惑など
ない方がいい。

大人は
子どものように
生きてはならないと
真面目な人は
思い過ぎだ。

もっと自分を
解放してあげたら
どうだろう?

その方が
大きな人間に
なれるんだよ。

つづく

せめて肝心なところは

向き合えば、
何とかなる。

向き合わなければ、
何ともならない。

・・・私が30年近く
この仕事を
させていただく中で、
ずっと変わらずに
現場で
感じ続けていることだ。

伝えた
つもり。

わかっていると
思っていた。

これくらいは
察してほしい。

・・・言いたいことは
わかる。

でも、人は
基本的に
そのようには
できていない。

阿吽の呼吸
というのは、
信頼と絆がしっかりと
醸成された人同士
だからこそ
成り立つもの。

その段階までは
少なくとも

肝心なところでは

向き合おう。

ちゃんと
相手の目を見て、

相手に
意識を向けて、

素直な自分の
想いを、

本当に
伝えたいことを

丁寧に
伝えよう。

上手くなくて
いい。
誠実さが
重要。

伝えて、
キャッチボール
する。

お互いに
向かい合い。

その連続が
あるならば、

多少の問題や
齟齬や誤解は

時間がかかる
こともあるが、

ちゃんと
氷解する。

それをしない
から、
反応がさらなる
反応を
重ね続ける
関係となる。

向き合わずに
上手く
この人とやっていこう
なんて、
虫が良すぎる。

人間は
そのようには
できていない。

せめて、
肝心なところ
は、
しっかり
向き合おう。

つづく

結び直す

結ばれる。

一旦、
崩れたものが、

関係性が、

とてつもなく
長い年月を
経て、

再び、
結び直される。

この仕事を
していると、

そんな場面に
何組も
出会えた。

心の奥の
何かが
必ず痺れたように
なり、

涙が
止まらなくなる。

凄いな、
人という
存在は。

いつも
そう
感嘆する。

私も
人なのにね。

つづく

聖なる対話と言えばいいのか

壊すべき
ものを
壊している
その時、

そんな
時こそ、

静かにできる
対話がある。

壊れる、
もうそれは
避けられようが
ない、
という
開き直りが生み出す
独特の

覚悟

を持つからこそ
実現する
静かな対話が
ある。

ほんのわずかな
時間かも
しれないが、

その対話こそ
そこから先の
永遠を
決めるかも
しれない。

人は
脆いから、

そこまで
追い詰められなければ
絶対に
出ない発想が
ある。

初めてわかる
自分の
真の意志。

私は
このような意志を
持った
存在だったのだな、

「存在」という
視点から、

つまりは
それは
宇宙も含めた
「すべて」の中の
一存在としての
自分、
という視点から、

初めて
ぶれなく
客観的に
自分を見つめ、

受け入れ、
受け取る
準備ができ、

そして
成せる対話だ。

これまで
人生をかけて
ずっと
迷い続けてきた
ことの数々が

いったい
何だったのか

思うくらいに
簡単に答えが
わかり、

瞬時に
決断ができ、

「約束」が
できる、

そんな
対話。

こういう時、
人とは
壊すために
誕生したのでは
ないか、とさえ

私は
思うんだ。

かけがえの
ない、

人でしか
成し得ない

弾ける対話。

ビッグバンを
起こすような。

そんな
潔さは
あなたも
私も
全員が
持ち合わせている。

つづく

連絡してみようか

思いもよらぬ
あの人の顔を
思い出した。

もう
何年ぶり
だろう。

目の前に
まるで
巨人のように
その顔が
浮かぶ。

顔はただ
じっと
私を見つめて
いる。

何か
伝えたいことが
あるのか?


問うてみるが
特に
反応はない。

表情も
ない。

ただ、
何かしら
伝わってくるもの
がある。

それは
しんしんと
静かに降る
雪の

寒さとも
一種の暖かさとも
言えるような
あの感覚に
似ている。

私はただ
その感覚のみを
そのまま
味わっている。

そのうちに、
悲しみとも
喜びとも
言える
感情が伝わって
きた。

複雑だけど
シンプルな
気持ちたち。

久しぶりに
連絡してみるか、

思う。

軽くメールを
してみた。

すぐに
返ってきた。

ちょうど
連絡しようと
思ってたんです。
ちょっと
心の整理を
つけたくて。

いろいろ
ありまして。

きっと
このタイミング
なのだろう。

今度は
開花の予兆を
感じ始めた。

つづく

出会いのためにも

踊れ踊れ、
もっと
激しく。

もっと
自分らしく。

本当は
自由に
踊り続けたい
のだろ?

じっと
かしこまって
いるのは
つまらない
のだろ?

いいじゃないか。

格好悪くても。

自分なりの
踊りで
進んでしまえば。

あなたが
あなたにしか
できない
踊りをせねば、

誰も
あなたを
あなただと
気づいてくれないよ。

あなたとの
出会いを
待っている人は
多いのだから。

あなたが
あなたの
踊りをして、

あなたの
存在を
知らせて
あげよう。

あっ、
あの踊り方は
間違いなく
あの人だ!

と、
みんな
思い出すよ。

あなたの
ことを。

つづく

複雑な綻びだな

もっと綻びを
楽しめると
いいね。

現実の
綻びを。

この世界は
綻びだらけだ。

綻びを避けよう
としても

いや、
それを
すればするほど、

綻びに
ぶち当たる。

どうせ
綻びだらけなら、
それを楽しんで
しまおう。

その楽しみ方
の一つは

じっと観察する
ことだ。

これはなぜ、
こんなにも
綻びて
いるのだろう?

その根本の
部分まで
しっかり
観察する。

表面から
根本まで、
全部、知ろうと
する。

すると案外、
単純な理由
だったりする。

あぁこの
現実は、

この瞬間の
この場面から
綻び始めた
のだな、と。

人もそう。

ほとんど全ての
人が、
その人なりの
綻びを
持っている。

なんで
そうなるのか?

よく観察すれば、

その人なりの
綻びの
パターンが
観えてくる。

大概、
そのパターンも
根本は
単純だ。

そしてその
単純なことを
ひたすらに
繰り返し、

同じ綻びを
創り続けている。

そしてそれらが
複雑に
絡み合いながら、
その人の人生
が、
綻び続けて
いく。

一見すると、
複雑。

しかしその
複雑なものを
その
複雑なままに

あるが
ままに

観察し
続ける。

と、
思いのほか
単純な

まるで
法則のような

根本原因が
浮かび上がる。

解釈しては
ならない。

解釈しては
より
複雑化する。

複雑なものを
ただ
そのままに。

これが
コツだね。

つづく

その呼吸は

呼吸だ。

誕生の
ための

呼吸だな、
これは。

独特の
テンポ。

独特の
振動。

もうすでに
鼓動が
聴こえる
ようだ。

新たな何かを
生み出す。

それがたとえ
小さな発想
だとしても。

その人から
しか
生まれないもの
ならば、

それは非常に
尊く、
独特の呼吸に
よって
導かれる。

あっ、
今、発想を
やめないで
ください。

すぐには
答えは
出なくとも、

もうすぐ
とても大切な
何かが
気づきとして
浮上しますよ、
きっと。

そんなフィードバック
をして
あとは
静かに待つ。

ずっと
無言の場と
なるが、

それは
誕生の直前の
とても尊い場。

私の仕事の
悦びの
一つ。

つづく

問いは浮かぶもの

自分の中から
浮上する
何かがある、

という
感覚に
鋭敏になろう。

セルフコーチング
の基本だ。

最初に
浮上してくるのは
多くの場合、
問い
だ。

自分から自分への
メッセージというのは
実はそんなに
多くはない。

なぜなら、

メッセージを
ダイレクトに受け取る
というのは、
比較的
難易度が高い
からだ。

それよりも、
問いを
受け取る。

その方が
やや易しい。

ところが
ほとんどの人は、

自分の中から
問いが
浮かんでくる

とは
思っていない。

思っていない
から
気づかない。

問いが浮かぶ
感覚は
独特のものが
ある。

その感覚に
鋭敏になるのが
ファーストステップだ。

そのためにも、

今、私の中から
何か問いは
浮かんでくるかな?

という問いを
自分自身に
投げ続けよう。

一日中でも。

つづく

問いの本質

この
問いかけは
今、
この人に
必要だろうか?

という
問いを
私はいつも
自分に
投げ続けている。

問いは、
投げればいい

という
ものではない。

問いは
タイミングが
重要だ。

その人に
必要な
問いであれば
あるほど、

タイミングが
命だ。

問いは、
伝わってくる。

その人から
ダイレクトに。

向き合って
いれば。

決して
自分の意図や
解釈で
問いを作っては
ならない。

問いは、
人と人を繋ぐ
それこそ
命の架け橋だ。

それを
自分一人で
作り出すなど
傲慢にも程がある。

ちゃんと
向き合い、
ちゃんと

そこに
存在している

架け橋と
しての
問いを
受け取る。

受け取ったから
OKという
ことではない。

そこからこそ
重要。

それを
いつ、どこで、
その人に投げるか?

いつ、どこで、
その人と共有するか?

このタイミングも
自分一人で
決めるなど
おこがましいにも
程がある。

ちゃんと
向き合えば
わかる。

今、ここで
この問いを
投げるんだ、

迷いなく
普通に
確信を持って

わかるんだ。

つづく

体が伝えたいこと

体の痛みは
基本、

心の痛みの
3次元化だ。

だから
怪我にせよ
病気にせよ

どんな
理由でも

痛がっている
その体の
部分と

しっかり
向き合った方が
いい。

何の解釈も
せず、

ただ
じっと向き合う。

すると
何か伝わる
ものが
あるはずだ。

それは
感覚的なもの
であるが、

しかし
その感覚とまた
向き合えば、

言語化も
できるだろう。

言語化した
それは
多くの場合、

メッセージと
なる。

体から
自分への
メッセージ。

これを
しっかり
受け止めないと、

その体の
部分は
いつまでも
痛がったり苦しんだり
し続ける。

ましてや、
向き合わない
ままに
強引な治療を
して

表面的に
治してしまったら、

それは
表面的で
あって、
何の解決にも
ならず、

別の方法で、
さらに激しく
体は
同じメッセージを
送ってくる。

自分と
向き合う
とは、

自分の体と
向き合うこと
でもあるんだ。

つづく

地道だけど必要だ

世界が
いくつも
観えたりする。

いくつも
重なりあって。

同じ事象
でも。

そこに
100人いれば

そこには
100通りの
世界が
存在する。

いくつも
重なりあって。

調和とは、

まずはその
世界を
一つ一つ
丁寧に
理解しなければ、

なかなか
成し得ない
ものだ。

いや、
本当は
皆が真本音で
生きていれば、

そんなこと
せずとも

普通に調和
できるのだけど、

今の世は
なかなか
そうはいかない。

この人は
どんな世界を
見ているのか。

あの人は
どんな世界を
見ているのか。

その一つ一つ
を、
評価も判断も
解釈もせず、

ただ
そのままに
理解する。

それを
繰り返すことで
初めて、

その事象の
本質が
掴めるんだ。

私が
企業様のサポート

させていただいて
いるのは
そういうこと。

とても地道な
仕事だと
思うね。

つづく

こんなに好きだったんだ

よくあること
だが、

また
本屋さんに
引き寄せられた。

ある本屋の
前を
通りかかると、

おいでよ!

という
語りかけのような
引き寄せの感覚が
あり、

スーッと
その本屋さんに
入った。

大きな店で
何階もある。

上に上に
行く。

ある階で
引き寄せられる
まま
歩いて行くと、

そこに
一冊の本が
あった。

あぁこの本が
今回は
私を呼んでいたんだ、

すぐにわかった。

それは
ある作家を
紹介している本で、
写真とか
ふんだんに
盛り込まれていた。

私の知らない
作家だった。

世間的には
知る人ぞ知る
のかな。

その作家は
原稿を書くのに
鉛筆を
使っていたらしい。

これを見た
瞬間、

そうか
私に
足りなかったのは
鉛筆だったんだ!


わかった。

その本と
共に、
すぐに私は

その作家が
愛用していたのと
同じ鉛筆を
探し出し、

購入した。

愛用の
万年筆も
あるのだが、

やはり
鉛筆はいい。

昔、
山登りをしていた
時に、
よく鉛筆で
山の絵を
描いていた。

あの時
以来だ。

そうか、
私は
鉛筆が
好きだったんだ。

今は
私のノートは
鉛筆で
埋められ始めている。

書くこと
自体が
楽しい。

つづく

超高速の問い

まるで
止まっているような
感覚だが、

これが
超高速で
進んでいる証拠だ。

この
静謐さ。

明鏡止水
という
言葉が浮かぶ。

鏡のような
湖面。

物音の
一つもしない。

風もなく、
すべてが
静止しているように
見えて、

実は、
すべてが
とてつもなく
躍動し続けている。

伝わってくる
エネルギーの
高さ、深さ。

超高速の
世界。

この状態
だからこそ
静かに
浮かぶ問いがある。

・・・

今、見えている
すべての
奥に

たった一つ

何がある?

・・・

なるほど、
それが
最適解だ。

突破口だ。

つづく

直前にみたもの

巨大な剣

下を向いて

空中に
浮いている。

何かを
突き刺そうと
しているのか。

剣そのものに
意志があるように
みえるが、

目に見えない
何者かが
その剣を持ち

今まさに
打ち込もうと
している
感じもある。

いずれに
せよ、

尋常ではない
殺気のような
気配が

じんじんと
伝わってくる。

なぜ、
下を
向いている?

下に
何がある?


私は
問いかけた。

この殺気の
相手には
できれば
話しかけたくは
ないのだけど。

問いかけた
直後に
答えが
返ってきた。

それは
言葉では
ない。

念の塊の
ような
もの。

実在の会話は
いつも
こんな感じだ。

まずは
念そのものを
ダイレクトに
受け取り、

その後、
私の中でそれを
セルフコーチング
によって
言語化する。

今回も
それをした。

「大地を
割らねばならない」


その念は
告げていた。

大地、
この世界の
最も基本であり
土台となるもの。

そこから
変わらなければ
この世界は
変わらない。

表面をいくら
変えても
もう手遅れだ。

土台から
根本から
一度、
壊さねば。

それが
この世界の
本当の意志であり、
真本音の願い
だ。

・・・と、
そんなような
内容だった。

なるほど、
真本音の願いに
この剣は
応えようと
しているのか。

そう考えると
むしろ私は
この剣に、
親近感を抱いた。

廊下から
気配が。

あ、もうすぐ
いらっしゃるな。

この世界(会社)
のトップが。

ある経営者
との
初対面。

この会社で
仕事をすることに
なるかどうかは、
会話してみなければ
わからない。

が、
そういうことなら、
わかったよ。

最初から
それなりの覚悟で
臨むことにするよ。

つづく

最後の一滴の必死

最後の
この一滴を

いつ
落とすか?

ここで
すべてが
決まる。

だが、

気を抜けば
今にも
勝手に
落ちそうだ。

スーッと
呼吸にさえ
気をつけて

静かに
静かに

その時を
待っている。

だが、

なかなか
こない。

焦る。

落ちて
しまう。

もういっその
こと、今、
落としてしまった方が
良いか。

いや、
まだダメだ、
妥協しては
ダメだ。

でもこのまま
だと
この一滴そのものが
消えてしまうかも。

いや、
妥協はいかん。

・・・
この
最後の一滴

ジレンマ。

このジレンマを
私達は
どれだけ
自覚できて
いるだろうか?

もし
自覚できて
いたならば、

最後の最後

気を抜ける
はずはない。

最後の
一滴こそが、

次の
ステージを
スタートから
決定するんだ。

つづく

委ねるとは

風が
吹いている
のだが、

あまりに
強過ぎて
立って
いられない。

踏ん張る。

やはり
立って
いられない。

飛ばされる。

簡単に
飛んでいく。

私の体は
こんなに
軽かったのか、
というくらいに。

で、
着地した。

良い場所だ。

こんなこと
なら、
踏ん張るんじゃ
なかった。

最初から
素直に
飛ばされて
おけば。

委ねる
生き方。

それが
できるようで
できない。

そりゃ
そうだ。

一番
いけないのは

中途半端に
委ねること
だ。

本当に
委ねるとは、
本当に
諦めるとこから
スタートだ。

諦めきれない
のなら、

必死に
踏ん張れ。

委ねたふり
だけは
すんな。

つづく

祝福したい人達

根を張ることに
努力を
し続けてきた人は

やはり
強い。

いざという
時に。

調子の良い時は
みんなもちろん
元気になれるが、

人の生き様は
調子の悪い時に
現れる。

ここぞ、
という時に
踏ん張れるのは、

ずっと
目に見えない
地道な努力を
続けてきた人達だ。

自分の人生を
問い、

自分の生き方を
問い、

自分の役割を
問い、

常に自分の
前にある
人としての課題に
粛々と
取り組んできた
人達。

苦しさや辛さから
は、
決して逃げず、

でも、
痛い!怖い!と
ちゃんと泣きながら、

自分の気持ちを
すべて
そのまま受け止め
ながら、

それでも
一つ一つ
前に進んできた。

もっと
手っ取り早く
進む方法は
あったろうに。

器用に結果
だけを出す
方法も
あったろうに。

しかし、
自分の納得を
第一に考え、

納得できないなら
安易に
一歩を出さない、

という
じれったくなる
ような
着実な進み方。

それを
したからこそ、
ここで
踏ん張り、

結局は
誰よりも早く
壁を突破し、

「自由」という
ステージに
辿り着いた。

今、本当に
輝いているよ。

心から
祝福したいのは
こんな人達だ。

つづく

続 問い一つ

昨日に
続いて、

今回も
問いを
一つ。

・・・

ここから
自分の人生の
川を

流れを

乗り換える
としたら、

これまでの
川の名前は?

そして、
ここからの
川の名前は?

・・・

大きく
転換する
時期だね、

そろそろ。

つづく

問い一つ

今回は
久しぶりに
問いを一つ。

・・・

ここまでの
人生で、

あなたがずっと
忘れていた

あなた自身の
人生の夢は
何だろう?

・・・

そろそろ
思い出せるかな。

つづく

せっかく待ったんだ

雪解けが
始まる
その瞬間までは

我慢しよう。

ずっと
待ってきた
ではないか。

粛々と。

ここまで
待ったのなら、

最後まで
ちゃんと

じっと
していよう。

雪解けの
厄介なのは、

その気配が
わかりやすい

ということだ。

もうすぐ
雪解けだ!

わかると

その瞬間に
ついつい
動いてしまう。

それは
やめよう。
それだけは。

雪解けは
ちゃんと
始まる。

目に見えて、
雪解けと
わかる。

それまでは
何も
しない。

気配だけで
動かないこと。

せっかく
ここまで
待ったんだ。

最後まで
待つことを
果たそう。

つづく