混乱は自然にやってくる

最初に木村さんと1対1で面談した日から

約2週間後に、私達は再びお会いしました。

(→前回記事)

 

「最近の木村さんのご様子を教えていただけますか?」

と私が問うと、

「なんか、調子悪いんですよ」

とのお返事。

 

「理由はわからないのですが、

妙に怒りっぽいですし、モヤモヤするんですよ。

夜も寝つきが悪いですし。」

 

これは予想されたお返事でした。

実は、よくあることなのです。

 

私は前回のコーチングにおいて、

彼にかなりダイレクトなご質問を投げました。

それは、実は

彼の真本音に刺激を入れるための質問でした。

 

真本音に刺激が入ると、

自分の真本音を抑えながら生きている人は

心の調子を崩します。

しかしそれは決して悪いことではなく、

真本音度合いの高まりを告げる好転反応

のようなものなのです。

 

彼にはすでに好転反応が始まっていたのです。

 

しかしこの時点では、そういったことは

彼には伝えません。

 

「木村さんの中に、何か疑問は

湧いてきていませんか?」

 

「疑問?」

 

「はい。答えを知りたいこと、とか

ありませんか?」

 

「う〜ん、・・・。」

 

しばらく彼は黙っていましたが、ふと顔を上げ、

言われました。

 

「まったく関係ないことかもしれませんが、

最近、新しい趣味を始めまして。」

 

「へぇ、どんな趣味ですか?」

 

「料理です。」

 

「料理?」

 

「はい、これまでまったく興味なかったんですが、

ふと、自分で工夫した料理を作りたくなって、

この前の週末に、ネットで調べながらも我流で

カレーを作ったんですよ。

予想以上に、妻が喜んでくれまして、嬉しかったですね。」

 

私の問いに対して、まったく関係のない答え。

 

しかし、これもよくあることなのです。

クライアントさんが活性化している証拠です。

 

この木村さんの答えは、ここまでの流れと関係ないように

思えますが、これは彼の真本音度合いの高まりを告げる

一つの現象です。

 

彼は、「本来の自己表現」をしたがっているのです。

それを、「料理」という手段で始めました。

 

「木村さんは、どんな料理を作れたら最高ですか?」

 

「う〜ん、そうですねぇ。

やはり妻が喜んでくれると最高に嬉しいかな。

先日は久しぶりに恋人気分に戻ったような食事が

できましたし。」

 

「奥さんとは、木村さんにとってどんな存在ですか?」

 

「えっ? いやそんな風に問われると照れますが、

私にとってはなくてはならない存在です。

結構、妻とは考え方とか異なる部分が多いですが、

肝心なところでは一緒に喜べると言いますか。

そうそう、一緒に喜び合いたい人ですね。

照れますね。笑」

 

私はこの答えを聴いたとき、

あぁこの人は本当に人を大事にしたい人なんだ、

と思いました。

 

「木村さん、ひょっとして職場仲間の人達に対しても、

同じような想いを持っていらっしゃいます?」

 

「えっ、・・・あぁ、まぁ、そうですね。

妻に対してほどではないですが、一緒に喜び合えたら

嬉しいですね。」

 

「そのために、いつもどんなことを大切に

されてるんですか?」

 

「やはり、彼らの求めることに応えることかな。

自分がこうしたい、ということよりも、

彼らの期待に応えたい、というのが強いですね。」

 

どうやら木村さんが職場では「自分を演じる」理由は

ここにあるようです。

 

「例えば今、皆さんの期待に100応えられていると

しますね。

本当は木村さんはどれだけ応えたいですか?

100である今で満足ですか?」

 

「いやいや、全然満足ではないですよ。

500くらいは応えられる自分でありたいですね。」

 

「そのためには、どうすればよいと思われますか?」

 

「いやぁ、それがわからないのですよ。」

 

「そこは、私がアドバイスさせていただいても

よろしいですか?」

 

「はい、もちろんお願いします。」

 

「木村さんは、なぜ最初の料理をカレーに

されたんですか?」

 

「えっ? 私が好きだからですよ。」

 

「で、奥様にも喜んでいただいたんですよね?」

 

「はい。」

 

「それですよ。」

 

「どういうことですか?」

 

「周りの人達と一緒に喜び合えるのに大切なのは、

自分の喜び=周りの喜び

を見つけた時です。

周りのためだけに何とかしよう、としていても

それは難しいです。

自己犠牲していても、周りの人達は本当には

喜びませんよね。」

 

「それはそうですね。

誰かが犠牲になっていては、逆に誰も喜べませんよね。」

 

「でも、木村さんは、

自己犠牲しながら、仕事をしているのではありませんか?」

 

ここで木村さんはフリーズしました。

 

ここで皆さんに、きちんとお伝えしなければなりません。

ここまでの流れで大切なのは、

私が意図的に流れを読んでこのようなやりとりをしている

わけではない、ということなのです。

 

私には何の意図もありませんでした。

 

私が行なっていたのは、

ただただ、木村さんの真本音に意識を向け続け、

自然に発想される問いやメッセージを

素直に口に出す、ということだけです。

 

つまりは、相手に完全に委ねている状態です。

 

すると、相手の真本音が活性化します。

そして相手の真本音がすべてを導いてくれます。

 

木村さんの真本音は、

自分を開放したがっていました。

その真本音の意志に私はただ乗っかっただけです。

 

私には何の意図もなく、

しかし目の前の木村さんはフリーズし、

言葉を失っていました。

 

一度、フリーズすればもう大丈夫です。

 

ここから、木村さんの真本音が

ニョキニョキ出始めます。

 

つづく

 

自分を変えようとしない人がいたらどうする?

ここからは平井さん関連のエピソードを

またご紹介します。

(→前回記事)

 

平井さんの部下に

木村さん(仮名)という男性社員さんがいます。

 

30代の社員さんなのですが、

彼は非常に真面目です。

 

平井さんからの指示を常に忠実に

実行に移します。

 

平井さんのことをある意味最も理解している人

と言ってもよいでしょう。

 

しかし平井さんからすれば

彼のことが、悩みの種の一つだったのです。

 

なぜか?

 

「彼は、私の指示を100%実行してくれて

それはとてもありがたいし頼もしいのですが、

101%以上のことが決して出てこないのです。」

 

これはある意味、贅沢な悩みかもしれません。

しかし、

平井さんがこう言われるのも私はわかるのです。

 

なぜなら、

木村さんの本質は「ハチャメチャさ」だからです。

 

本当はもっともっとハチャメチャに

既存の枠を壊すくらいのことを「しでかす」ような

人なのに、その要素が仕事ではまったく

出てきません。

 

木村さんは趣味でロックバンドをやっており、

かなり激しいパフォーマンスを見せるのですが、

それが仕事ではまったく見られないのです。

 

「私は、あのロックを歌っている時の彼が

彼の本質だと思うんです」

と平井さん。

 

私もそう思いました。

 

「たけうちさん、

彼のコーチングをお願いできませんか?」

と平井さんに依頼されて、私は木村さんのコーチングを

することになりました。

 

こういった場合、

私は単刀直入に本人にお訊きします。

 

「ロックバンドをやっている時の木村さんが

本当の木村さんだと思うのですが、

それを仕事では出してないようですね。

何か理由があるのですか?」と。

 

明確な答えが返ってきました。

 

「ロックは自分を開放する場です。

仕事は、役割に応じて自分をいかに演じるか?が

大事だと私は思っています」と。

 

これはよくある話です。

 

自分の「人生」と「仕事」が

分離しているのです。

 

仕事は仕事。

プロとして、本来の自分を抑えて

与えられた業務に徹すること。

それこそが大事。

・・・であると。

 

これは一見もっともなように思えますが、

実は、私はこういった考えを持った人で

その人本来のパフォーマンスを発揮し切れている人を

見たことがありません。

 

「宝の持ち腐れ」という言葉を

いつも思い出します。

 

木村さんは典型的なそのタイプでした。

 

しかし彼には彼なりの

仕事に対する考えがあります。

それを否定したとしても、意味はないでしょう。

人は自分の考えを真っ向から否定されると、

その瞬間から「拒絶モード」に入ります。

 

人が人を変えることは

基本的には、できません。

 

本人が「自分を変えよう」と

本気で思わなければ、その人は変わりません。

 

外からの圧力で変えることはできない。

内からの圧力を喚起すること。

それが、他者ができる最大のサポートです。

 

私はいつものごとく、

木村さんの真本音を探し出すことに

すべてのエネルギーを注ぎました。

 

木村さんの真本音は、

今の自分をどう思っているのだろうか?

 

それを知りたかったのです。

 

私は彼に問いました。

「木村さん、

ロックバンドをしている時のご自分を

仕事で発揮することはできませんか?」

・・・かなり単刀直入なご質問です。

 

「それは無理ですね」

とすぐさま答えが返ってきました。

 

「それをしたら、私は与えられた業務を

全うできなくなります。

プロではなくなります」と。

 

「それを平井さんが望んでいるとしても?」

 

「はい。

平井からはよくそのお話を聴くのですが、

その通りにすると絶対に平井に迷惑が

かかります。

私が本性を出したら、会社が迷惑です。

それは私自身が一番よくわかっていますから、

私は自分を出しません。

その代わり、与えられたミッションは

必ず果たします。」

 

かなり、強固な信念です。

 

しかし私はそれを聴いた瞬間に

彼の「モロさ」を感じ取りました。

 

あぁこれは、彼の真本音の望む仕事の仕方

ではないな、と直観したのです。

 

であれば、話は早い。

 

彼の真本音度合いを高めるだけで、

彼は自然に変わるでしょう。

 

つづく

 

人が人にパワーを与えるその瞬間

「たけうちさん、ちょっと気になる社員が

いるんですが・・・。」

 

ある日のコーチングで、平井さんがふと私に

言われました。

 

「どうされたんですか?」

 

「鈴村(仮名)のことなんです。

よくわからないのですが、何となく気になります。」

 

「どう気になるのです?」

 

「う〜ん、よくわかりません。

そうですねぇ。

なんか、エネルギーが枯渇しているというか・・・。

表面上は元気なんですが、

なんか不自然さを感じます。」

 

鈴村さんとは、当時27歳の若手男性社員です。

いつも積極的で前向きな印象の方でした。

 

「わかりました。今、彼は社内にいますか?」

 

「はい、いるはずです。」

 

「ちょっと彼の顔を覗いてきますね。」

 

私は事務所に入り、遠くから鈴村さんのお顔を拝見しました。

表面上は彼は普通に仕事をされていました。

が、確かに私も不自然さを感じました。

恐らく、心が弱っています。

何かあったのでしょう。

 

「平井さん、確かに彼には何かありますね。

どうされますか?」

 

「ちょっと今、ここに呼んでもいいですか?

彼の話を聴いてみたいです。」

 

平井さんは事務所に入り、鈴村さんを

呼びました。

 

突然の呼び出しでしたので、彼はちょっと

緊張した面持ちで会議室に入ってきました。

 

「こんにちは。

すみませんね。突然お呼び出ししまして。」

と私が言うと、彼は少し微笑みながら、

「いえ、大丈夫です」と言われました。

 

彼のその声を聴いた瞬間、

私は、彼の心が相当に弱っているのを感じました。

 

平井さんは鈴村さんに静かに問いました。

 

「どうした、何かあったか?」

 

その瞬間、鈴村さんの肩の力が

ガクッと抜けるのがわかりました。

 

しばらく彼は無言でしたが、ポツリと

「なんでわかるんですか?」

と呟きました。

 

この時期はゴールデンウィークの直後。

 

話を聴くと、鈴村さんはゴールデンウィークに

ご実家に帰られたそうです。

そこでお父さんと大ゲンカをし、

勘当をされてしまったようです。

 

もともとお父さんとの関係はあまりよくなかったらしく、

しかしここまで酷い親子ゲンカはこれまでになく、

彼はお父さんから

「お前のような子供が産まれない方が良かった」

とはっきり言われたそうです。

 

「まぁいつものことですから、私は全然気にしてませんが、

そう言われてからまだ日が経ってないので、

まだ私は少し引きずっているのかもしれません」

と鈴村さん。

 

口ではそう言うものの、

今回のことが本当に心の底からこたえているのが

わかりました。

 

私がびっくりしたのは、

その話を聴いた平井さんの目に

涙が溜まっていたことです。

 

「お前みたいないいヤツに、なんてことを・・・。」

と平井さんは言われました。

 

「いやいや、大したことないですから」

と、なぜか鈴村さんが平井さんを慰めることに。

 

しかし明らかにこれで鈴村さんの心が

元気になったのがわかりました。

 

ここで重要なのは、

平井さんは、鈴村さんの心を元気にしようと、

そのためにこういった言葉を投げよう、という意図を

まったく持っていなかったということです。

 

平井さんはただ単純に

「人間発電所として鈴村さんと向き合おう」

(→前回記事)

としただけです。

その結果、自然に出た一言が

「お前みたいないいヤツに、〜〜」

だったのです。

 

ただただ相手に向き合い、意図せずに語る言葉。

 

真本音度合いの高い人がそれをすると、

その言葉はスッと相手の心に沁み込みます。

 

何の意図もないその一言によって

鈴村さんの心にはパワーが蘇りました。

 

「いやぁ、平井さんにはかないませんよ。

大丈夫です。業務に差し支えるようなことはしません」

と言いながら、鈴村さんは事務所に帰って行きました。

 

平井さんは特に、

何の解決もしていません。

 

ただ気になる社員さんを呼び、

向き合い、

思ったことを口にした、

それだけです。

 

それだけで、社員さんの心にパワーが

宿りました。

 

まさに「人間発電所」の本領発揮でした。

 

この仕事をしていて、私はよく思います。

 

私達は、人のために「何かをしてあげよう」と

思い過ぎではないか、と。

 

何かをして「あげよう」。

 

その時点ですでに、それは傲慢ではないか、と。

 

でもその一方で、

他者だからこそできる関わり方があります。

他者だからこそできる向き合い方があります。

 

それをただただ真本音に素直にするだけで、

人と人はエネルギーを高め合うことが

できるのではないでしょうか。

 

それこそが人の本来の力。

 

「人間発電所」とは平井さんの言葉ですが、

私はすべての人が「人間発電所」になれるといいなぁと

この時は思いましたね。

 

つづく

 

たった一つの言葉で人は変わってゆく

『人間発電所』

 

・・・これが平井さんの当時の人生理念です。

(→前回記事)

 

「私はどんな時も、みんなにエネルギーを与えられる

自分でいたい。

私のところに来れば、エネルギーが充電され、

元気一杯、自分の魅力と能力を最大に発揮できる状態になる。

そんな自分でいたい。

みんなを主役にできる自分でいたい。」

 

これが彼の揺るがぬ想いでした。

 

これは仕事のみならず、プライベートでも変わりません。

そんな自分でいられれば、

彼自身が幸せを感じるのです。

 

この理念を言語化してから、

平井さんの言動や習慣は大きく変わりました。

 

まず彼は、毎日1時間早く起きるようになったそうです。

その1時間で、自分の心を整えるのだそうです。

 

彼はヨガを習ったり、瞑想法の勉強をしました。

私もセルフコーチング法をお伝えしました。

いろいろ試しながら、彼なりの心の調整法を

編み出したようです。

 

朝だけでなく、夜寝る前にも

心を整える時間を創るようになったそうです。

それにより、睡眠が随分と深くなったこと、

目覚めがとてもよくなったこと、

一日の始まりが快適になったこと、

何よりも

「人間発電所としてのパワーが宿っているなと

思える状態になると、それだけでウキウキして、

さらにパワーが高まるんです」と。

 

面白いことに、

「人間発電所」になってからの方が

彼は静かになりました。

 

それまではどちらかと言えば、

彼は大声を出しながら皆を鼓舞する場面が

多かったです。

しかしそれはカラ元気に近く、

「そんな無理なことをしなくても、

自然に振る舞うだけで、パワーを与えられる

ことを知りました。」

 

それとともに、

彼からは余分な言動が消えていきました。

 

会議でも、以前は彼がずっと喋っていました。

しかし今は、彼はまるでコーチのように

問いを皆に投げて、あとは聴き役になります。

そして、ここぞという時のみ、

重要な一言を言います。

それはたった一言であるが故に、

逆に皆の心に深く響くようです。

 

しかも彼の発する言葉の多くは

「人間発電所」としてのものでしたので、

それにより皆が元気になりました。

 

そのような会議やミーティングを繰り返すことで

社員さん達の彼への印象が大きく

変わっていったのです。

 

彼は偉いなぁ、と私が思ったのは、

「人間発電所」という人生理念を大事にすることを

皆の前で宣言したことです。

 

「これまでの私は残念ながら、

皆のエネルギーを奪うことをたくさんしてきたように

思います。

しかしこれからは、パワーを与えられる自分に

なります。

もしそうでない言動を私がしていたら、

遠慮なく私にフィードバックしてください。」

 

そうは言っても最初は社員さん達は

なかなかフィードバックする勇気は

出ませんでした。

 

ですので、そこは私が少しサポートしました。

私が社員さん達の前でわざと、平井さんに

「今の態度はエネルギー奪ってますよ」と

フィードバックするようにしました。

 

その度に平井さんは、

「あっそうか。すんません」と言いながら

頭を掻きました。

そこに深刻さはなく、

素直に受け取る彼の姿を見て、

しだいに社員さん達も彼に意見を言うように

なりました。

 

そんな中での、生田さんの

「私はあなたのことが嫌いでした」発言も

出たのです。

 

平井さんは自分を別人に変えよう

としたわけではありません。

自分を変える、というよりも、

本来の自分に戻そうとしたのです。

 

本当は自分はこんな生き方をしたい

人間なんだ。

 

本当は自分はこんな自分であると

幸せな人間なんだ。

 

自分が素直に望む自分像。

それが本来の自分です。

そのためのキーワードが

人生理念なのです。

 

言葉というのはやはり

力があります。

言語化することで、常に意識化することが

できます。

 

その言葉が、反応本音レベルのものであれば

あまり意味はありませんが、

その言葉が、真本音から出されたものであれば、

それは深く自分自身に沁み込みます。

 

そういったキーワードは

誰もが必ず持っています。

 

真本音で望む生き方。

それが人生理念。

 

その言葉をその人が口にする時、

私は、とても心地良い「風」を感じます。

 

平井さんが、「人間発電所」と呟くと、

それだけで心地良い風が吹くのです。

 

そういったキーワードを

誰もが持っています。

 

それを見つけ出すことが、

真本音度合いを高める第一歩となるのです。

 

つづく

 

すべての現実は自分の生き方が引き寄せている

今日という一日を

最高の一日として過ごせましたか?

 

と問われたとき、何の迷いもなく

「はい、最高の一日でした」

と答えられる人はどれだけいるでしょうか?

 

人生をもう一度やり直せられるとしても、

今日という一日の過ごし方は、まったく変わらないだろうな、

と思える人はどれだけいるでしょうか?

 

真本音で生きる度合いが高まれば、

「最高の一日でした」と答えられる一日が

激増します。

 

真本音度合いが100%になれば

毎日がそうなります。

 

つまり、「後悔」というものがまったくなくなります。

 

そんなことがあり得るのでしょうか?

 

はい、あり得ます。

しかもそれは、全然特別なことではありません。

 

むしろその状態が「普通」の状態です。

・・・と私はお答えします。

 

これは、独りよがりでも何でもありません。

自己満足でも無理をしてそう思い込んでいるのでも

ありません。

ただただ単純に、自然に、そう思えるのです。

 

あぁ今日も、最高の一日だったなぁ、と、

一日の終わりに普通にいつものように思えるのです。

 

もちろん、日々、想定外のことは起こります。

 

自分の思惑通りに進むことなんて

ほとんどありません。

 

頭が真っ白になるような試練にも遭います。

 

傷つくことだってあります。

 

でもたとえ、どのような現実が起き、

どのような波に呑まれても、

自分のとった一つ一つの決断や行動が

最高だったな、と思える。

今日という一日は、人生を生き切ったなと

思える。

今日という一日を、存分に満喫できたなと

思える。

・・・そういった状態になれます。

 

そういった状態になれば、

必ず道は開かれます。

 

そういった状態になれば、

必ず、周りとは「完全調和」します。

 

真本音で生きるとは、

わがままに生きることではありません。

 

自分の真本音と他の人の真本音は

つながっています。

 

自分の真本音度合いが高まるということは、

周りの人とのつながり度合いが高まるということです。

つまりは、

真本音に素直に行動すれば、それは

自分=周りのための行動と

自然になります。

 

ですので、そこに争いや諍いや混乱や混沌は

ありません。

 

何をどれだけ頑張っても

どうしても現実が好転しない、

何をどれだけ頑張っても

自分は満たされない、

ということであれば、それは真本音度合いが低い

ということです。

 

自分の真本音を無視している

ということです。

 

前回の記事でも書かせていただきましたが、

自分の真本音を無視することは、

自分自身への信頼度を著しく減退させます。

(→前回記事)

 

自分のことを信頼できなくなった人は

他人を信頼することも、

他人から信頼されることも

なくなります。

それにより、

人生のあらゆる場面で障害が起こります。

 

すべて、自分の生き方の問題です。

 

これに尽きるのです。

 

今この瞬間の自分の生き方

の積み重ね。

 

これによって、どのような人生か?が

決まります。

 

仕事でもプライベートでも

どんな時でも、

自分は、

本当は、

どんな生き方をしたいか?

 

今この瞬間に

どんな生き方をしたいか?

 

この問いに対する揺るがぬ答えを

見つけることが、まずは重要です。

 

揺るがぬ答え、つまりは

真本音の答えです。

 

これを私は

『人生理念』

と呼んでいます。

 

人生理念を言語化し、

常に意識しながら今この瞬間の自分の言動を

決める。

 

それが真本音度合いを高める

最も基本的な方法です。

 

つづく

 

自分を本当に信頼していますか?

平井さんが、依存から自律へと変化できたのは

なぜでしょうか?

(→前回記事)

 

平井さんが、深刻から真剣へと変化できたのは

なぜでしょうか?

 

そのきっかけは、

自分自身との「本能的信頼関係を結べた」からです。

(→本能的信頼関係についてはこちら)

 

要するに、本当の意味で自分自身を

信頼することができるようになったからです。

 

ではなぜ彼は、自分を信頼できるようになったのか?

その答えは極めてシンプルです。

 

「真本音で生きるようになった」からです。

 

真本音とは、揺るがぬ自分です。

どのような状況、どのような環境においても

変わることのない自分です。

 

その自分は、人生に対する揺るがぬ願いを

持っています。

 

何のために自分は生きるのか?

この世の中において、どんな役割を自分は果たすのか?

どのような強みを、どう活かしていくのか?

 

それらを「願い」として明確に抱いています。

 

真本音で生きるとは、

その「揺るがぬ願い」に向かって生きる

ということです。

 

今、この瞬間に自分は何をするか?

今、この瞬間に自分は何を言うか?

 

今、この瞬間に自分は何をしないか?

今、この瞬間に自分は何を言わないか?

 

日常における、自分の一歩一歩を

真本音に素直に出し続ける。

その度合いが増せば増すほど、

自分自身が喜びます。

 

そして、自分の揺るがぬ願いに素直な自分を

自分が信頼するのです。

 

逆に言えば、

自分の真本音をないがしろにした言動を

繰り返すことで、

私達は自分への信頼を失くしていきます。

 

自分への信頼を失くしてしまうと、

自分の「決断」を信じられなくなります。

自分の決断が信じられなければ、

常に「迷う」という状態になります。

 

迷いながら進めば、

当然ですが、物事は進展しません。

 

例え同じ選択をしたとしても、

本当に決断をしてその道を進めば、

どのような障害があっても乗り越えられます。

しかし、

迷いながらその道を進めば、

ほんの少しの障害に出会うだけで、

すぐに止まってしまいます。

 

人生に正しいかどうか、という答えはありません。

大事なのは、

自分が決めた道を進めるかどうか?

しかし、

自分が決めること自体ができなければ、

人生は一向に進みません。

望む未来は決して

実現しません。

 

自らの真本音に素直に生きるかどうか?

 

それで、すべてが決まります。

・・・と言っても過言ではないと私は実感しています。

 

「おはようございます」

と、挨拶一つをするにしても、

それを真本音でするかどうか?です。

 

真本音ですれば、

その人らしい、その瞬間における最善の

挨拶ができます。

 

それができるかどうか、で

その後の展開が大きく変わります。

 

今この瞬間における些細な言動の一つによって

人生の展開は大きく変わります。

 

それをわかっているからこそ、

真剣な人は、今この瞬間を大切にします。

 

今この瞬間に真本音で生きる、

という度合いが高まることを私は、

「真本音度合いが高まる」

と表現しています。

 

真本音度合いが高まれば、

自分を信頼する度合いも高まります。

 

決断力も増します。

直観力も増します。

他者との信頼度も増します。

生産性も、必要な能力も、ほしい成果を手に入れる可能性も

増していきます。

 

では、どのようにすれば

真本音度合いは高まるのでしょうか?

 

それを、平井さんの例をもとに

ご紹介していきます。

 

つづく

 

ゆとりがあるのは真剣な証拠

今回も「自律」について、さらに深掘りします。

(→前回記事)

 

「私は私なりに一生懸命やっています。」

 

企業サポートをしていますと、こういった言葉を

よく聞きます。

 

しかし残念ながら、この言葉も

依存している人の典型的なセリフです。

 

自律している人は決してこのようなセリフは

言いません。

 

「一生懸命」によく似た言葉で

「真剣」

という言葉があります。

 

この二つはよく似ていますが、

本質が異なることは、何となくニュアンスとして

わかりますね。

 

もちろん、どちらも大切なことです。

 

自律している人は真剣です。

しかし、依存している人は真剣ではありません。

 

その違いは何でしょうか?

 

私はよく以下のような喩え話を用います。

 

「一生懸命」とは、

竹刀で必死に練習しているイメージです。

 

竹刀をブンブンと振り回して、

自分の能力向上のために努力しています。

 

もしくは、竹刀と竹刀を使った試合のようなもの。

 

勝つために、一生懸命に試合に取り組みます。

 

一生懸命に練習する人とそうでない人。

一生懸命に試合する人とそうでない人。

 

その二人がいたら、もちろん

一生懸命な方が、能力も実力も上がっていきます。

試合に勝てる頻度も高まります。

 

ですので、「一生懸命」は大事なことです。

 

しかし自律した人から言わせれば、

「一生懸命なんて、当たり前でしょ」となります。

わざわざそんなことはアピールすることではない、と。

 

「真剣」とは、

文字通り、真剣(本物の刀)で立ち合いをしているイメージです。

 

つまりそれは、命のやりとりです。

 

真剣と真剣で立ち合う時、

そこではほんのわずかな隙も見せられません。

 

竹刀の場合であれば、

エイヤッで、思い切って竹刀を振り下ろせば

よいかもしれません。

一か八か、でもよいかもしれません。

その結果、試合に負けたとしても、

それはそれで悔しいですが、次があります。

 

真剣の立ち合いとは、次がありません。

 

負ける、イコール、命を落とす、ということです。

 

ですから、エイヤッというような、

ただの勢い任せの一太刀を出すわけには

いきません。

 

真剣の立ち合いに出る前には、

当然のごとく、最高の自分に仕上げなければなりません。

そうでなければ、命を落とす可能性が高まるからです。

 

立ち合いでは、自分の集中力のすべてを使って

相手に集中します。

相手の呼吸、相手の思考、相手の空気感、

相手のわずかな動き、・・・。

すべてに意識を向け、

本当に必要な動きのみを自分はします。

 

不必要な動きは、命取りです。

 

自分自身の呼吸を整え、

自分のすべてのエネルギーをその場に集中させ、

自分が本当に必要だと思う動きのみをとります。

 

そのため、力は抜きます。

本当にいざという瞬間に、すべてのパワーを

込めるために、

心も体も自然体で、力を抜いています。

 

そして、「ここぞ!」という瞬間を待ちます。

 

ここぞ!という瞬間に、ここぞ!という一太刀を

振り下ろします。

 

それが「真剣」です。

 

つまり、ある意味、結果がすべてです。

負ける=死ぬ、だからです。

 

そこには、言い訳も努力もありません。

勝つか負けるか。

それだけです。

 

私達の日常では、もちろんこのような命のやり取りは

稀です。

 

毎日、真剣による立ち合いをしているようでは、

神経が擦り減ってしまい、それこそ寿命が縮まります。

 

しかし、先ほども書きました通り、

真剣な人とは、普段は力を抜いています。

 

本当に「ここぞ」という時に力を発揮します。

 

なぜならそれは結果を出すためです。

 

「私は私なりに一生懸命やってます」

という言葉が、いかに真剣な人から見れば

「変な言葉」として映るのか、

その理由がここにあります。

 

人生に言い訳は必要ありません。

人生に弁解は必要ありません。

 

言い訳や弁解が出た時点で

依存です。

 

私達人間には、真本音があります。

 

真本音には、人生の願いが詰まっています。

 

自分はどんな人生を創り上げたいか?

自分は人生において、何を成し遂げたいか?

そのために自分のどのような個性を活かして、

どのような役割を担いながら、それを果たしたいか?

 

それは私達の真本音が決めています。

 

自分が決めた「願い」を

自分が実現する。

 

そこに真剣な人は、

今、自分が何をすればよいか?

今、自分は何をしてはならないか?

に対して、とても真剣です。

 

そして、今自分のすることのみを

真剣に行ないます。

 

今、自分のすべきことをしない、のは

とても気持ち悪くてしょうがありません。

 

今、自分がしてはならないことをする、のも

とても気持ち悪くてしょうがありません。

 

だから、気持ちの良いことをし続けます。

 

すべき時にします。

しない時には完全に力を抜きます。

 

なので、いつもどことなく

「ゆとり」があります。

 

肩の力を抜き、自然体です。

 

それは自分を完全にコントロールできている

状態です。

 

ですから、真剣な人とは自律した人なのです。

 

自律とは真剣なのです。

 

コーチという視点で、私が平井さんを見ていて

最も変化したと思うのは、

平井さんが、「余分な行動をまったくしなくなった」

ということです。

 

それは日常の些細な振る舞いにも現れました。

 

例えば、

余分な一言を彼はまったく言わなくなりました。

 

以前の彼は、相手を茶化すような冗談を

よく言っていました。

恐らくそれは、場の雰囲気を和ませるための

彼なりのコミュニケーション手段でした。

 

しかしその彼の冗談が、

信頼をなくす要因の一つになっていました。

もちろん、彼本人はそれを知りません。

 

それが、自然になくなりました。

 

私はよく、「真剣性」という言葉を使います。

彼の真剣性が高まることにより、

彼は、余分な一言がなくなりました。

 

余分な行動がなくなりました。

 

余分な仕事をしなくなりました。

 

余分な時間の使い方がなくなりました。

 

結果として、彼には時間ができました。

いつもどの社員よりも忙しそうだった彼が、

今は、誰よりも「ゆとり」があるように見えます。

 

ゆとりのある目線で、彼はすべてを観察します。

 

そして、ほんのわずかでも心に引っかかることを

発見すれば、最善のタイミングと方法で、

それに対応します。

 

そんな彼の立ち振る舞いを見ていますと、

あぁこれが真剣性が高まるということなのだな、

とわかります。

 

真剣性が高まるということは

自律性が高まるということです。

 

自律とは、真剣です。

 

そして真剣な人、自律した人は

一緒にいて、心が和みます。

 

こちらも幸せな気持ちになれますね。

 

自分の人生に対して真剣かどうか?

 

すべてはこれに尽きると、

私は思います。

 

つづく

 

目的がわからなくても目的に向かう

「自律」について、さらに話を深めます。

(→前回記事)

 

何のために何をするか?

そして、

何のために何をしてはならないか?

 

自律した人は、

常にゼロからそれを発想します。

 

それまでの過程はもちろん大事ですが、

それまでの過程と、創り上げてきた現実に

執着はしません。

 

「これまではこういったやり方で成功してきたから、

これからもこのやり方で行こう。」

・・・というのは、依存です。

それまでのやり方への依存であり、

過去への依存です。

 

常に原点(ゼロ)に戻ること。

常に「何のために」(目的)に戻ること。

それができるので、自律した人は強いのです。

 

しかしこのような説明をすると、

よく、次のようなご質問をいただきます。

 

「原点とか目的とか言われても、

私にはそれがわからないのです。」

 

実は、コーチング初期の頃の平井さんからも

いつもそのようなことを言われました。

 

平井さんは、

「私には、目的がわかりません。

自分が何のためにこの仕事をしているのか?

それがわからなくなります。

もちろん表面上の目的はありますし、頭では

理解できます。

でも、その目的を頭に置いたとしても

力も湧いてこないし、発想も出ません。

多分それは、私の本当の目的ではないからです」

と言われていました。

 

そして、

「たけうちさん、目的を見つけるためには

どうすればよいですか?」

と。

 

実は、

「目的を見つけるためにはどうすればよいですか?」

という質問は、

依存している人の典型的な質問です。

 

自律している人は決して、

そのような質問はしません。

 

それは、

すでに目的がわかっているから

ではありません。

 

目的がわかっていなくても、

自律している人は、そんな質問はしません。

 

自律している人は、

目的とは自分で見つけるものである、

自分で見つけようとしなければ決して見つけられないものである、

ということを、何となくでもわかっているからです。

 

そして、今はまったく目に見えない目的を

自ら見つけよう、とします。

 

そこが大事なのです。

 

なぜなら、

自ら目的を見つけようと真剣になることで、

私達の「真本音」が発動するからです。

 

真本音とは、

「私達の人生の目的に向かおうとし続ける

揺るがぬ心」

と表現することもできます。

 

その真本音が発動します。

それにより、

「目的はわからなくとも、目的に向かう」

という状態に入っていきます。

 

本当は、

私達の目的は、最初から私達の中にあります。

ただそれが、

顕在化していないだけです。

 

私達の頭が

認識していないだけのことです。

本当は目的は

心の中にガッシリと存在しています。

 

何のために私は生きればよいのか?

何のために私はこの仕事をすればよいのか?

何のために私はこの役割を果たせばよいのか?

何のために・・・

 

自分自身が今、ここにいる理由(目的)を

私達は本当は誰よりもよくわかっています。

ただ、

顕在化していないだけ。

 

ですから、目的は他人に教えてもらうものでは

ありません。

自ら見つけようとするものです。

 

それをすることで、

私達の真本音は発動し、

真本音に素直に行動することで、その先に

自分自身の目的が見えてきます。

 

説明すると、以上のようなことになりますが、

自律している人は、理屈ではなく感性として

以上のことがよくわかっています。

 

ですので私のコーチングは、

その人の真本音が活性化するための刺激のみ

を入れるようにしています。

それ以外のことはできるだけご本人が自力で

進めるようにしています。

 

平井さんのコーチングはその典型でした。

 

私が行なったのは、

平井さんの真本音を活性化させることだけ。

 

自らの真本音を自らキャッチできるようになった

平井さんは、自らの真本音に素直に

すべての道を開いていきました。

 

それが自律状態です。

 

真本音で生きるとは、自律すること。

 

そして自律した人が、

周りとの調和を起こしていきます。

 

つづく

 

私とあなたは、本当に調和していますか?

『自律調和』という言葉を

私はよく使います。

 

この言葉は、私が尊敬するある社長が

生み出した言葉です。

 

「たけうちさんがやっていることって、

こういうことですよね」

と彼に言われた時、

あぁなるほど!と思いました。

 

この言葉の凄いところは二つあります。

 

一つは、

「自立」ではなく「自律」というところです。

 

「自立」と「自律」の違いは、

様々な解釈の仕方があると思いますが、

私の解釈で言えば、

自立の先にあるのが自律です。

 

人は、自ら立つことができて、初めて

自らを律することができます。

 

自ら立つことをせず、依存状態のままで

自らを律しても、それは自律もどきです。

社長に依存していた時代の平井さんがまさに

この状態でした。

(→前回記事)

 

そして、自分を律する、とは、

自分を縛り付けることではありません。

 

自分自身をコントロールすることです。

 

つまりそれは、「自由自在に自分を操ること」です。

 

要するに、本質的な「自由」です。

 

自律している人とは、自由な人なのです。

 

これが私の解釈です。

 

『自律調和』という言葉の凄いところの二つ目は、

 

「調和自律」ではなく「自律調和」である

というところです。

 

よく、「仲間がいるから私はがんばれる」

という言葉を聞きます。

 

私はそれを聞くと、「依存だな」と思います。

 

仲間がいるからがんばれる、

じゃあ、いなかったら?

いなかったら、がんばるのをやめるの?

と。

 

もちろん、仲間は大事です。

調和できる環境や、職場や、人間関係は

とても重要です。

 

しかし、「みんながいるから私はがんばれる」

というのは、調和もどきです。

 

依存の集合体です。

 

依存とは、寄りかかること。

もしくは、ぶら下がること。

 

寄りかかる対象がなければ、

ぶら下がる対象がなければ、立つことができない状態

を言います。

 

お互いがお互いに寄りかかり、

お互いがいなければ立っていられない状態で

一つの調和を作っていても、

それは調和とは言いません。

 

そこに、「自由」はありません。

 

本来の調和とは、

一人一人がまずは自分で立ち、

自分で自分を自由にコントロールし、

そういうことのできる人達が、

お互いに寄りかかるのではなく、

自ら立った状態で、手をつなぐこと

です。

 

手を放そうと思えばいつでも放せます。

 

つなごうと思えば、いつでもつなげます。

 

どちらもできる状態。

 

今は、手を放すことが大切か?

それとも、手をつなぐことが大切か?

 

いつでもどちらの選択もできる状態。

 

そうなれると、

くっついていても、離れていても、

どのような状態でも

その人とその人は「調和」しています。

 

調和とは、「距離感」です。

 

その人とどれくらいの距離感で関わることが

今は最も相乗効果を発揮することに

なるだろうか?

 

それをお互いに見極め、

最適な距離感で関わり合うことが

真の調和をもたらします。

 

それができるのは、

自律した人同士のみです。

 

ですので、『自律調和』なのです。

 

自律→調和 なのです。

 

この順番しかあり得ない。

逆はあり得ないんだ、ということに

いつからか私は気づくことができました。

 

そこに気づいてから、

人や組織への関わり方が

非常に楽になりました。

 

何をすれば良いか?が

明確に掴みやすくなりました。

 

そしてさらに次のことも言えます。

 

自律した人は、

次の自律した人を生む、

と。

 

平井さんの例はまさしくそうです。

 

もともとは社長に依存していた平井さん。

その平井さんが自律することで、

自律した社員さんが一気に増えました。

 

組織全体が、

依存状態から自律調和状態へと

脱皮し始めました。

 

一人の自律は、

組織のパワーになるのです。

 

つづく

 

深刻になっても何も生まない

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

この問いにすぐに答えられる人は

稀です。

 

時々、すぐに答える人と出会いますが、

その答えは、大概、浅いです。

 

そんなに簡単に答えられる問いではないですね。

 

でも、

この問いに真摯に向き合うことは

本当に重要なことだと、

私はこの仕事を通じて、深く実感しています。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

答えがわからなくとも、

その答えを真摯に見つけようとする。

 

そういった人には、独特の空気感が

現れます。

 

その空気感をシンプルに表現すると、

「明るい」

「軽い」

「あたたかい」

となります。

 

逆に言えば、

その問いと真摯に向き合ってない人の空気感は、

「暗い」

「重い」

「冷たい」

となります。

 

人は、自分の人生と真摯に向き合う時に

本来の魅力を発揮します。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

その答えを見つけようとしている人は、

「真剣」です。

そして真剣な人は、

明るく、軽く、あたたかく

なります。

 

それは行動ベースの話ではなく、

空気感の話です。

 

自分の人生と向き合わない人は、

「深刻」になります。

深刻な人はすぐに、

暗く、重く、冷たく

なります。

 

あなたは、

真剣な人でしょうか?

それとも

深刻な人でしょうか?

 

平井さんは、

深刻な人から、真剣な人へと

変化したのです。

それにより、

彼の醸し出す空気感が変わりました。

 

ただそれだけのことです。

(→前回記事)

 

では、「真剣」とはどういうことでしょうか?

 

これに対しては私は

明確な答えを持っています。

 

真剣とは、

「自分の真本音に素直に生きること」

です。

 

ということは、

「自分の真本音を無視して生きること」

により、人は深刻になっていきます。

 

真剣な人生は、

明るく、軽く、あたたかく

なっていきます。

 

深刻な人生は、

暗く、重く、冷たく

なっていきます。

 

自分が今この瞬間に創り上げている人生がそのまま

その人の空気感となって現れます。

 

ただそれだけのことです。

 

そして人は、

真剣に生きる自分を

喜びます。

 

深刻に生きる自分を

蔑みます。

 

自分を蔑み続けている人が

自分自身を本当の意味で信頼することは

不可能です。

 

そういった人は、

自分の中に「見たくない自分」が生まれると、

間違いなく、その自分にフタをします。

 

見たくない自分。

例えば、

怒りまくる自分、

人を憎む自分、

すぐに揺れる弱い自分、・・・。

 

そういった自分にフタをして、

見たい自分だけを見るようになります。

 

見たい自分。

例えば、

前向きな自分、

エネルギッシュで強い自分、

人を愛する自分、・・・。

 

見たい自分は居心地がいい。

見たくない自分は居心地が悪い。

だから、居心地の良い自分だけを承認します。

 

そして、

「私は何があっても前に向かうんだ」

と言います。

「私は、どんな時もプラス指向だ」

と言います。

そして明るい表情を作り、

元気を作り、

たくましさを作り、

進みます。

 

そして、

それができている自分に

自信を持ちます。

自分はすごいなぁと、

自信を持ちます。

 

しかしその自信とは裏腹に、

心の奥底ではどんどん不安が増します。

深刻さが増します。

 

自信のある自分だからこそ、

立っていられる。

でもこの自信がなくなってしまったら、

自分はどうなるのだろう?

・・・そんな深刻さが日々、増していきます。

 

何としてでも、

自信のある自分でなければならない。

この自信を失ってはならない。

そんな恐怖感が、心の奥底に

溜まり続けます。

 

その恐怖感を消すために、

さらに前向きな自分を作ります。

 

・・・そんな人が多過ぎる!

 

そんな人が世の中を牽引している。

 

その現実が、私はとても悲しいです。

 

自分の良き部分のみに光を当て、

自分の見たくない部分にはフタをする。

それを前向きとは、言えません。

 

本当の前向きとは、

自分のすべてを受け止めること。

自分のすべてを見つめること。

その上で、それでも前に向かおうとすること。

それが真の前向きだと私は思います。

 

そしてそういった人は例外なく、みんな

明るく、

軽く、

あたたかく、

なります。

 

もっともっと自分の心と

向き合えばいいのに。

 

もっともっと、あるがままの自分を

見つめればいいのに。

 

そうすれば、

もっと楽に進めるのに。

 

そうすれば、

もっと望む現実を創り出せるのに。

 

・・・私はそう思うのです。

 

人は本来、

真剣です。

 

真剣に生きることが

楽しいのです。

 

真剣に生きる楽しさを

思い出すだけのことだと

私は思うのです。

 

それが私のサポートのすべてです。

 

真剣になることの楽しさを

思い出せば、

人は皆、(・・・そうです、全員です)

びっくりするような行動を起こし、

現実を創り上げていきます。

 

そんな時私はいつも

人ってやっぱり凄いんだなぁ、

と感嘆します。

 

つづく

 

その提案は止めなきゃならない

今回も平井さんとのやりとりをご紹介しましょう。

(→前回記事)

 

「たけうちさん、

部下からの提案を聴いていると、時折、

私の提案を止めてください、

って言われているように聴こえることが

あるんですよ。

その部下は一生懸命、説明をしているのに。

どうしても、

止めてください、止めてください、

としか聴こえないのです。

そんな時は思わず、思いっきり反対してしまうんです。

本当は賛成してあげたい気持ちは山々なのに。

こんなんでいいんでしょうかね、私は?」

 

「ちなみに、それはどのような提案

だったのですか?」

 

「二つあるんですけどね、・・・」

と平井さんは二人の部下からの提案内容を

私に教えてくださいました。

まったく別の部署の、まったく別の提案。

 

しかし、その二つの提案には

共通するものがありました。

それが、・・・

 

「平井さん、恐らく私もその提案、

止めてますよ。」

 

「やっぱりですか?

なぜでしょうねぇ?

内容自体はいいと思うんですけど・・・。」

 

「平井さんは、部下の皆さんの真本音を

キャッチできるようになったんですよ。」

 

「えっ? 私がですか?」

 

そうなんです。

提案内容を聴いて私が感じたのは、

その提案に対して、その社員さんは

本気ではないな、ということでした。

つまり、真本音から出た提案ではない、ということ。

 

そういう時は、何らかの別の思惑があるか、

もしくは、本人にも気づかない

心の淀みがあるか。

 

いずれにしてもそういった提案を

受け入れても、物事は上手く運びません。

何らかの不調和が起こるからです。

 

それが二つの提案に共通するものでした。

 

平井さんは、そういったことを

キャッチできるようになっていたのです。

 

一般的にはこれを第六感と言うのかも知れませんが、

第六感とは、実は何も特別なものではなく、

私達は他の五感と同じように、

普段、いつも感じていることなのです。

 

しかしその感じていることに

自分が気がつかない。

 

人間が本来持ち合わせている能力を

私達は随分と使わずに、

勿体ないことをしているのです。

 

ところが、自分自身の真本音度合いが高まれば、

その本来の力も発揮しやすくなります。

平井さんがまさに、そうでした。

 

「平井さん、では逆にお尋ねしますが、

平井さんからご覧になって、

あぁ今、あの社員からは良い提案が出そうだな、

という人はいませんか?」

 

「あっ、いますいます!

3人ほどいますよ。」

 

「それは何か理由があって

そう思うのですか?」

 

「いや、特に理由はありません。

実際、その3人から自発的な提案を受けたことは

これまでに一度もありませんし。

でも、何となく、出てきそうな気がしますね。」

 

「じゃあ、その3人に声をかけてみてください。

で、指示を出してください。

何でもいいから、いついつまでに私に何か

提案をしなさい、って。」

 

平井さんは半信半疑で実際にそうしてみました。

すると、なんと、期限よりも前に3人ともから

提案が提出されたそうです。

しかもそれを見ると、・・・

 

「かなり未熟な提案には違いなかったのですが、

私と一緒にブラッシュアップすれば

とても良いものになると確信できるものでした。」

 

この展開があった時に、私は

あぁ本当に、平井さんは真本音度合いが上がったんだ、

としみじみ実感しました。

 

平井さんの直観力は以前と比べて、

並外れて向上していたのです。

 

このように、真本音度合いが高まると、

理解や理屈を超えた「感覚」や「直観」が働くようになります。

 

それは、心の中が常に淀みのないスッキリした状態

にあるという理由と、もう一つ、・・・

 

「平井さん、今の平井さんは心の奥底からずっとずっと

パワーが湧き続けていることがわかります?

ずっと心が満ち足りているでしょ?」

 

「あっ、そうですね。

言われてみれば、確かにそうです。

いつの間にか、今の状態が当たり前になっていますが、

車で言えば、以前はずっとガス欠状態で

頑張っていた気がしますね。

今はずっと満タンです。

外からガソリンを入れなくても、内側から

ガソリンがずっと湧き続けているようです。」

 

私はこれを

「内発的モチベーション」とか

「内発的パワー」と

呼んでいます。

 

つづく

 

私達の心には二つの本音がある

このブログでよく書かせていただいている言葉

『真本音』

について、改めてご説明しましょう。

 

真本音とは、私の造語なのですが、私が頭をひねくり回して

作った言葉ではありません。

 

お客様と向き合う中で、自然と生まれた言葉です。

 

その真本音と同じように、ある研修中にふと生まれた言葉として、

『反応本音』

というのもあります。

この二つを合わせてご説明します。

 

まず単純に言って、

私達の心は、二つに分けることができます。それが、

・真本音

・反応本音

です。

 

真本音とは、本当の本当の本当の本音です。

自分の中で、何があっても揺るがないもの。

どのような環境にいても、どのような状況に見舞われても

揺るがないもの。

その多くは、「願い」という形で心の中心に存在しています。

 

それに対して、反応本音とは、

外部からの様々な働きかけによって発生する

私達の心です。

「本音」という言葉がついていますので、あくまでも

建前ではありません。

その時その時の、本当の気持ち。

でも、それは外部からの影響によって、

その反応として創られています。

そのため、外部環境や状況が変わることで変化する

可能性は高いです。

 

一般的に反応本音は心の表面に現れやすいので、

それが「自分の本音である」と認識されやすいです。

 

そして、反応本音の出方は、その人その人によって

パターン化されやすいので、いつも同じパターンを

繰り返していますと、そのパターンそのものを

「私である」

と思い込みます。

 

つまり、多くの人達は、

「反応本音のパターン」を、「自分自身である」

と思い込みます。

で、そのパターンを繰り返すことで人生を進めます。

 

しかし私達の心の中心には真本音があります。

しかしそれは、なかなか表には出てきません。

 

自分自身の真本音を見つけ、

真本音に素直に行動することで、

その人は、これまで自分が創り上げた反応本音のパターンを

超えて、

本来の自分として生きることができるようになります。

 

反応本音は、外部環境によって創り上げられてますので、

外部環境によって揺らされます。

しかし、真本音にはそれがありません。

 

その結果、真本音に素直に生きる人は、

自分の本当に望んでいるものを実現します。

 

反応本音のみに生きる人は残念ながら、

外部環境に揺らされながら生き続けることになります。

 

どちらが幸せな人生か?

は明白ですね。

 

ちなみに、

真本音と頑固、

真本音とわがまま、

真本音と独りよがり、

は本質的に異なります。

 

真本音で生きることは、独りよがりに生きることに

なりませんか?

とよく問われますが、全くの逆です。

 

私達は真本音で生きれば生きるほど、

周りとの調和性も高まるのです。

 

なぜそうなのか?については、

このブログで徐々に明らかにしていきますね。

 

さて。

真本音にはもう一つの特徴があります。

 

それは、

ある人が真本音の想いを述べたり、

真本音の生き方を見せることで、

他の人の真本音を喚起させることができる、

ということです。

 

つまりは、

真本音度合いの高い人のそばにいる人は、

真本音度合いが高まるのです。

 

ここで平井さんのお話に戻りますが、

平井さんの狙いは、そこでした。

 

平井さんは、社長の真本音を

社員の皆さんに示したいと思ったのです。

(→前回記事)

そのためにまずすぐにできる方法として、

社長の真本音の想いを

社員さんに向かって語ってもらおうと思われたのですね。

 

しかし私が平井さんにご提案したのは、

それだけでは勿体ない、ということでした。

 

一人の真本音をぶつけるよりも、

二人の真本音の相乗効果を起こしませんか?

というのが、私からのご提案でした。

 

つまりは、

社長と平井さんの真本音コミュニケーションを

社員さん達の前で見せる、

ということを私はご提案したのです。

 

なぜなら、

真本音と真本音の相乗効果は凄いのです。

 

本当に、凄い!の一語に尽きるのです。

 

一人の真本音の想いと

もう一人の真本音の想いが

統合し、融合されることで、

それは2倍どころか、20倍、200倍、いや

時には2000倍といっても過言ではないくらいの

エネルギーを発揮します。

 

それが、社長と平井さんであれば可能であると

私は思ったのです。

 

そしてそれは大当たりしました。

 

つづく

 

心の傷は治さなくていい

多くの人達と向き合い続けて

わかったことですが、

すべての人に「心の傷」はあります。

私自身も含めて。

 

そしてある時ある瞬間、何かのきっかけで

心の傷が疼く時があります。

もしそれが、深いところにある傷ならば、

その疼きによって、その人は

本来の自分とは別の行動を取ってしまいます。

 

それは、体の傷が痛むことで

まっすぐに歩けなくなる、変なポーズで歩くようになる

のと同じことです。

 

でもその変なポーズで歩くのが日常化してしまうと、

人はその人のことを

「そのようなポーズで歩く人なんだ」と

レッテルを貼ります。

本人はそのレッテルを「自分自身である」と

思い込みます。

つまりは、その「変なポーズ」こそが自分であると

思い込みながら生きるようになります。

 

本当は、普通に歩くのがその人の本来です。

 

そして、普通に歩いた時にこそ、

その人本来の個性が

醸し出されるようになります。

 

私はその個性のことを

『その人本来の味』

と、このブログでは表現しています。

 

本来の味を醸し出すことができている人は

魅力的です。

本来の味を醸し出すことができれば

誰もが魅力的になります。

 

その魅力を仕事に活かすことができれば、

その人の仕事は明らかに「次元」が変わります。

 

私達の中から、心の傷が消えることは

なかなかありません。

いえ、心の傷を消そうとすること自体が

必要のないことです。

 

心の傷はそのままで。

しかし、私達は普通に健康的にまっすぐに

歩くことができます。

 

そのためのサポートを、

私は「コーチング」と呼んでいます。

 

以上のようなお話を平井さんにさせていただいた時、

平井さんの目の色が変わりました。

 

「そうか!たけうちさん。

心の傷は治そうとしなくていいんですね。

私は社員達と向き合うことで、皆全員に心の傷があることを

知りました。

私はその心の傷を治すにはどうしたらよいのだろうか?

と、そればかりを考えていました。

それをしなくてもいいんですね。」

 

「はい。そこに意識を向けると、

心の傷治しの旅が始まってしまいます。

その旅は、永遠に続きます。

心の傷は無数にあるからです。

一つの傷を治しても、必ずその奥には、そのもととなる

傷が存在しています。

だからその旅は永遠に続きます。

それをしていても、その人の仕事の質は変わりません。

人生の質も一向に変わりません。」

 

「では、私にできることは何でしょうか?」

 

「それは平井さんご自身が一番身をもって

体験されているではありませんか。」

 

「真本音で進むことですか?」

 

「その通りです。

その人が、その人自身の真本音に素直に

次の一歩を進むこと。

そのサポートをし続けるだけのことです。」

 

「確かに、真本音度合いが高まると、

それだけで心は満ちますね。

だからそこに傷があろうとなかろうと、

関係なくなります。

むしろ、傷があることがその人の魅力につながる

かもしれません。」

 

「平井さんは、平井さんの傷があるからこそ

平井さんなりの魅力が出てますもんね。」

 

「そうですか。そう言われると嬉しいですねぇ。

そうか、傷がその人の財産になってくるわけだ。」

 

では、みんなの真本音度合いを高めるために

我社では何をすればよいのだろうか?

という議論に、その後入っていきました。

 

そこで平井さんが発想されたこと。

それは、

 

「私は社長の真本音を、

社員全員にぶつけてみたい」

 

ということでした。

それが社員の皆さんの真本音を

大きく刺激することになるだろう、と。

(→前回記事)

 

私はすかさず、平井さんにご提案しました。

 

「社長だけでなく、平井さんご自身の真本音も

皆さんにぶつけてみたらいかがですか?」

 

「えっ、そんなことしてしまって大丈夫ですかね?」

 

「何言ってるんですか。笑

今の平井さんだったら大丈夫どころか、

皆さんにとって、すごくいい刺激になると思いますよ。」

 

つづく