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人の感情は
よく荒れる。
「いや、私は荒れない」
と言う人も
いるが、
いやいや、
それは
荒れていることに
気づいていないだけ。
・・・と
あえて断言してしまっても
いい。
台風が来たら
海が荒れるように、
何か出来事があれば
私達の心は
ちゃんと荒れるように
できている。
そう。
荒れることが
「健康」だ。
決して悪い
ことではない。
大切なのは
荒れているその心を
自覚していること。
ちゃんと
見つめていること
だ。
それができれば
私達は
自分を自分で
コントロールできる。
コントロールできない
のは
しっかり最後まで
見つめていないからだ。
私のクライアントは
社長さんが多い。
すると「経営」を
しなければならないので、
そりゃもう
荒れるに荒れる。
しかし
その「荒れ具合」を
見つめないままに
先に進もうとする人も
多い。
そうすると必ず
どこかで
すっ転ぶ。
見つめないから
すっ転ぶ。
だから社長さんほど
私は
セルフコーチングを
しっかりとやっていただく。
それにより
ほとんどの人が
荒れること自体は
なくならないが
荒れても大丈夫な
状態となる。
どれだけ荒れても
静かに粛々と
進むことができるように
なる。
その方が間違いなく
実績につながる。
何度もくどいようだが、
見つめないから
足を取られる。
見つめるから
コントロールできる。
この単純明快な
原理を
私達はもっと真摯に
受け止めよう。
人間として。
つづく
勢いのある人は
凄いなぁ、とは
思うけど、
勢いだけで
進んでいる人は
弱っちいなぁ、と
思う。
勢いに任せて
進むというのは
弱さの現れだと
私は思っている。
勢いがなきゃ
進めないという
ことだもんね。
今の自分に
勢いがあろうと
なかろうと、
そんなことは
お構いなしで、
一つ一つ
淡々と
やるべきことを
やっていく。
そういう人ほど
実はちゃんと
道を創っていく。
自分をコントロール
できるから。
一つ一つに
自分がどれだけの
エネルギーを注げば
良いのかを
見極めながら、
エネルギーの強弱を
絶妙につけながら、
最善の一歩を
進み続ける。
そんな人ほど、
表面は
淡々としていても
その内側に秘めた
パワーは圧縮され、
いざという時には
無尽蔵とも言える
エネルギーを
一点に集中して
注ぎ出すことが
できる。
そんな風に
なれるといいなと
私は思うね。
勢いとは
勢い以上のものには
なれない。
私達が目指すべきは、
勢いを闇雲につける
ことではなく、
勢いをコントロールする
(マネジメントする)
力をつけること
ではないかな。
ただし。
以上をしっかり
わかった上で、
その上で、
あえて勢いに
身を任せる
というのは、
逆に
あり、だと思うよ。
そんな経験が
あるからこそ、
コントロールの力も
養えるんだ。
制御不能。
限界を超える。
という経験をしてこそ、
私達はちゃんと
進めるようになるんじゃ
ないかな。
だから
たまにゃあ、
無茶しろよ。
つづく
自分をコントロールできない
とき、
その原因は2種類ある。
一つは、
自分自身のエネルギーが
枯渇している場合。
もう一つは、
その逆で
エネルギーが高まり過ぎて
制御できていない場合。
・・・だ。
今、
後者の状態にある人が
増えている。
しかし面白いことに
本人は
前者だと思い込んで
いたりする。
もちろん
前者と後者では
対応の仕方はまったく
異なる。
前者だと思い込めば、
上手な対応ができず、
余計に
コントロールが利かなくなる。
・・・・・・
エネルギーが一気に
高まる原因は
真本音度合いが高まる
ところにある。
ところがあまりに
一気に高まり過ぎて
自分の制御力を超えてしまう。
実は私のクライアントさんに
多いケースだ。
その場合、
まずは最もシンプルな
対応の仕方をしてもらう。
それは何かと言うと、
「エネルギーの源を
自覚すること」
だ。
自分の体の中全体に
意識を向け、
自分の中の
「とてつもなく明るい部分」
を
まずは見つけてもらう。
例えば、
胸の中心がとても
明るい気がする、
と
わかった場合、
恐らくそこが
「エネルギーの源」だ。
場所がわかれば、
今度はそこに意識を
向ける。
場合によっては、
その明るいエネルギーの
中に
自分自身が入り込んで
しまってもいい。
エネルギーの源の中を
探検するような感じだ。
あまりに明る過ぎて
怖い、
と思われるかもしれないが、
いやいや、それ
あなた自身だから。
自分自身の内側から
発しているエネルギーだから
大丈夫。
思い切って
その中を探検してみよう。
エネルギーの光の中に
入っていくイメージで
その光の中心に
向かっていこう。
ここが中心かな、
と思える場所に着いたら、
さらにその
中心に入って行こう。
中心の中心の
またその中心に
ずっと入り込んで行く感じ。
すると
「もうここが本当の
中心だ」
と思える場所に
たどり着くだろう。
そこまで来たら
あとはその場で
じっとしていよう。
じっとしながら
そこに存在している
「自分自身の声」
を聴こう。
場合によっては
「このエネルギーは
私自身のどんな願いから
生まれている?」
と
問うてみてもいい。
そこでじっとしていると
自然にわかるはずだ。
あぁそうか、
このエネルギーの源は
〜〜という私の願い
だ、と。
人は
真本音度合いが高まる
ことで、
真本音レベルの願いが
浮上し始める。
それがある一定以上に
浮上すれば、
そこから強烈な
エネルギーが発せられる
ようになる。
エネルギーの源には
必ず、
「願い」があるのだ。
その「願い」を
自覚することで、
エネルギーの意味が
わかる。
と同時に、
「これは私のエネルギーだ」
と
合点がいく。
合点がいくことで
私達は、
「普通」になるのだ。
つまり、
「このエネルギーがあるのは
当たり前のことだ」
と思えるようになる。
するとその瞬間から
コントロールが利く
ようになる。
なぜならそのエネルギーを
どのように活用すればよいか?
は
自分自身が最初から
一番よくわかっているからだ。
・・・・・・
多くの場合、
人は
自分自身をしっかりと
理解することで
自分をコントロール
できるようになる。
自分を制御できない人は
理解が足りていない
だけだ、
と言っても
言い過ぎではない。
「自分」
とは、
恐ろしいものではない。
「自分」
とはどんな存在なのか?
を楽しくいつも
探検しよう。
つづく
自分をコントロール
することは
とても大事で、
自分を自由自在に
コントロールできていることを
私は
「自律」
と呼んでいるが、
ちょいと、
コントロールを
やめてみないかい?
完全に
自分に自分を
委ねてしまうんだ。
ちょっと怖いかい?
でも、
今ならオススメ。
勇気を持って
やってみるといい。
委ねたその瞬間から
「大丈夫だろうか?」
という不安と
「どうなるのだろうか?」
という恐怖心が
さらに高まるかも
しれない。
しかしそれらを
自分から
離してしまおう。
あえて。
そして完全に
自分に委ねるんだ。
すると
自分はどう動き、
何が起こるか?
試してみないかい。
はっきり言って
結果は保証しない。笑
でも、
肚が座るよ。
あなたの「自律」が
次のステージに
進むよ、きっと。
つづく
私はよく
『自律』
という言葉を使います。
「自分を律する」という
言葉を見ると、
自分を縛るようなイメージ
があるかもしれません。
が、
私はまったく逆の意味
として捉えています。
自分を律することが
できるということは、
自分を完全に
コントロールできる
ということです。
言葉を換えれば、
自由自在に自分を
操ることができる
ということです。
つまりそれこそが
本当の
「自由」
ではないか、と
私は思います。
自由自在に
自分を操ることの
できる人というのは
世の中にいったい
どれだけいるでしょうか?
まず、
自分の心を
自分で操ることは
できますか?
できませんよね。
自分が本当に望む
行動を
望むままに
し続けることが
できますか?
できませんよね。
自分のちょっとした
振る舞い、
しぐさ、
表情など、
自由自在に
できますか?
できませんよね。
私達は
思っている以上に
自分を
自由自在に
できていないという
事実があります。
しかも、
人に依存している人は
どうでしょう?
あの人がなければ
私は立っていられない。
もしくは、
あの組織がなければ
あの仕事がなければ
あの人間関係がなければ
私は立っていられない。
・・・つまり、
何かに寄りかかりながら
生きていることを
依存と言いますが、
もちろん人は、
誰もが何かに
必ず依存していますが、
しかしその依存度が
高い人は、
依存している対象が
なくなってしまったり、
なくなってしまう可能性が
見えたりすると、
途端に
我を失ってしまいます。
そういった人が、
自分を自由自在に
コントロールできている
とは
到底言えないですよね。
「自分」
であるのにも関わらず、
私達は
その「自分」を
きちんとコントロール
できていないのです。
その原因の
最も大きなものが、
「自分の心を
コントロールできない」
からです。
・・・・・・
例えば、
誰かに対して
とても深い憎しみを
抱いてしまった場合、
その憎しみを
自ら解消することが
できるでしょうか?
何かに対して
とても深い後悔を
抱いてしまった場合、
その後悔の念を
自ら解消することが
できるでしょうか?
実は、
私達の心とは
「自分でコントロール
しようと思えば思うほど、
コントロールできない」
ものなのです。
これは、
他人に対しても
同じですね。
他人をコントロールしようと
思うと、
逆に反発が返って
きます。
コントロールされるのは
誰だって
嫌ですから。
自分自身も
同じです。
私達の心も
コントロールされることを
とても嫌います。
たとえ
コントロールしようと
しているのが
自分自身で
あったとしても。
私が、
「自分」と「私」を
区別して捉えた方が良い
と思っている理由が
ここにあります。
自分のことは
自分が何とでも
できる。
自分の心は
自分が何とでも
操ることができる。
・・・と思うのは
傲慢なんです。
もしそれが本当に
できていると
思っている人がいると
したら、
それこそ、
思い違いです。
恥ずかしながら、
昔の私が
そうだったんですが。
だから
私は自分が体を壊し、
それが心の問題で
あると知ったとき、
衝撃を受けたんです。
自分が自分の心を
まったく
コントロールできていない
どころか、
理解すらできていない
という事実を
目の当たりに
したからです。
傲慢に
なっちゃいけないですね。
傲慢は必ず、
足元をすくわれます。
・・・・・・
私達の心は、
コントロールしようと
思えば思うほど、
コントロール不能と
なります。
しかし、
理解・尊重しよう
とすればするほど、
結果的に
コントロールが
効くようになります。
いえ、
それはコントロールと
言うよりも、
「私」が「自分」と
調和している、
とか
協業している、
と言った方が
正確ですね。
私達は
自分自身と
信頼関係を
結ばねば
ならないのです。
なんか
変な表現だと
お思いでしょうが、
これこそが
最も大切なことです。
そして、
自分自身との
信頼関係を深めて
いくことこそが、
セルフコーチングの
真髄なのです。
つづく