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バランスが
とれている。
・・・というのは
どういうことだろうか。
例えば、
ヤジロベエで言えば、
左と右がちょうど
50%ずつ、
均等になっている
状態だろうか。
いや、
そうとも言えない。
例えば、
右が10%で
左が90%でも、
絶妙なバランスをとる
こともできる。
側から見れば
ヘンテコな格好だが、
それでも
それはそれなりの
バランスであり
個性だ。
むしろ、
50%50%のバランス
よりも
そちらの方が
個性的で面白い。
人間も
同じことが言える。
その人には
その人なりの
バランスがあり、
それが
その人の個性だ。
よく
「バランスが大事だ」
という言葉を
使う人がいるが、
実は私は
この言葉、
あまり好きではない。
なぜなら
バランスをとろう
としている人で、
魅力的な人は
あまりいないからだ。
もちろん
私の主観だ。
でも、
バランスをとろう
とろう
とすることで
その人本来の魅力を
むしろ消してしまっている
ケースは
多いと思うんだ。
だから
極端に言えば、
バランスなんて
とろうとしない方が
いい。
・・・くらいに
言いたい。
バランスなんて
考えるから
おかしくなるんだ。
・・・くらい
言っちゃいたい。
それくらい
自由になった方が
結果的に
その人にしか
現せないバランスが
その人の
真の魅力として
表出すると
思うんだな。
みんなもっと
個性的で
あればいい。
個性を
際立たせると
いい。
その方が逆に、
社会も組織も
調和が生まれると
思うんだ。
真のバランスが
生まれると
思うんだ。
つづく
バランス
というものは
とても大事なことだと
思うのだが、
しかし私は
意図的にバランスを
取ろうとはしない。
バランスを意図すると
結果的には
「表面的な安定」
しか得られないことを
いやというほど
体験してきたからだ。
私自身も。
私がサポートさせて
いただいた人や
組織も。
端的に言えば、
「表面的な安定」
とは
「バランス」の真逆だ
とさえ思ってしまう。
本来のバランス
とは
表面上は結構、
荒れていたりする。
例えば、
人の心で言えば
とても感情が豊かで
ちょっとしたことに
すぐに一喜一憂する
人がいるとして、
その人が
「一喜一憂はいや」
だからと言って
バランスを取ろうとする。
一喜一憂のデコボコを
もっとなだらかなものに
しようと努力する。
そしてそれがもし
上手く成されたとしたら、
私はそこに
不安定さを感じる。
それも強く。
逆に、
「一喜一憂する自分」を
もうそういうものだと
諦め、
そんな自分に
委ね、
あるがままに
一喜一憂すると、
その人は
根底から安定し、
その人にしかない
「アンバランスのバランス」
を実現する。
表面的には
アンバランスに見える
のだが、
しかしそれこそが
その人にとっての
バランスであり、
それによって
その人本来の魅力や
安定感が生まれ、
真本音の人生が
始まるのだ。
人の個性
という意味で言えば
以上のようなことを
よく感じるのだが、
組織の個性
ということでも
まったく同様であると
私は思うのだ。
表面上、
安定している組織は
はっきり言って
面白くも何ともない。
しかも
ほとんどの場合
脆弱だ。
自分達の範疇を
超える現実が来ると、
すぐにその安定は
崩れ去る。
本当にバランスの
取れた組織は
表面的には常に
「何か」が起こり、
いつも流動的で、
昨日と同じ場所に
いない。
そしてその原動力は
恐らく
「成長意欲」
だ。
私の言葉で言えば
「進化意欲」
だ。
進化する人や組織が
表面上、安定するなんて
それこそ
不自然なことだ。
だから、
不安定な状態を
恐れる必要は
まったくない。
次々に
「何か」が起こる
ことを
恐れる必要は
まったくない。
もう毎日、
大変だよ!
という状態こそが
実は
最善のバランス
なんだよな。
つづく
今日のコーチングで
「バランス」
というお話が出た。
そういえば私、
「バランスを取ろう」
なんて考えたこと、
これまでの人生で
一度として
あったかなぁ・・・?
まぁ一度くらいは
あったかもしれないが、
ほぼ
そういうの無しで
生きてきたなぁ、と
思った。
恐らくであるが、
私の場合、
「バランスを取ろう」
と思わずに来たのが、
結果的に
私なりのバランスに
なっていたのかも
しれない。
そして
他の人も
そうなのでは
ないだろうか。
・・・・・・
「自分なりのバランス」
これが「個性」
というものなのかも
しれない。
そしてその「個性」は
本人が最も
気づいてはいない。
なぜなら本来の
「個性」とは
あまりにも「自然」なので、
本人の意図とは
別の次元にある。
ということでいえば、
本来の個性で
生きる人は
必然的に
バランスが良い、
ということに
なるのかな。
であれば
とても私は
納得できる。
たくさんの人と
お会いする中で、
「この人
本当にバランスが
いいなぁ」
と思える人って、
みんな個性的
だから。
しかも
その個性を
抑えようと
していない。
かといって
あえて個性を
出そうとも
していない。
ただ、
あるがまま。
やはり、
自然体。
そういう人こそ、
とても
バランスがいい。
「バランスを取ろう」
としている
バランスは、
ちょっと疲れる。
でも、そんな意図なく
自然に取られている
バランスは、
一緒にいて
とても居心地が良いし、
こちらも
安心する。
落ちないように
バランスばかりを
気にして
進み続ける人よりも、
いっそのこと
自分の翼を手に入れて、
自由に伸び伸びと
大空を飛び回っている人
の方が
バランスなんて
気にする必要がないほど
安定している。
そんな
違いかな。
・・・・・・
だから。
バランスを取るために
自分の個性を
抑えよう、
とする必要はないし、
やっては
ダメだ。
それよりも
もっともっと
自分を解放する。
中途半端な
解放こそが、
バランスを悪くする
ので、
徹底的に
解放する。
そこが大事かな。
で、その「解放」を
私の表現で言えば、
「真本音度合いを
高める」
ということになる。
「解放」とは
決して
「反応本音をわがままに
外に出す」
ことではない。
それは
「解放」ではなく、
私には逆に
「自縛」
にみえる。
真の解放とは、
真の自分を
出すこと。
真本音の自分で
生きること。
それをすることで、
その人なりの
バランスは
より際立っていくだろう。
そういった意味で、
個性の際立つ
バランスの良いコーチ
を
私はたくさん育成
したい。
そういったコーチは
多くの人に
真のバランスを
もたらすことが
できるだろう。
来年に入ったら、
そろそろ
本格的なコーチ育成に
入ろうと思う。
コーチの募集に
入ろうと
思う。
つづく
例えば、あなたが
とてつもない挫折を
したとします。
挫折、まではいかなくても、
心の状態が悪く、
後で振り返って、
とても無為な毎日を
過ごし、
後悔したとします。
そこからようやく
立ち直れた時、
あなたは
何をしますか?
挫折をした自分、
無為な時間を
過ごした自分。
つまりは
ちょっと前の過去の
自分に対して、
あなたは
何をしますか?
無視をしますか?
それは
なかったものとして
前に進みますか?
もしくは、
否定をしますか?
あんな自分は
ダメだったと、
否定をして
そうではない自分として
次の一歩を
進もうとしますか?
私があなたに
お勧めするのは、
その
どちらでもありません。
私が
あなたにお勧めするのは
『チャンククロス』
です。
・・・・・・
「チャンク」とは、
一つの塊を意味します。
例えば、
一つの発想。
一つの経験。
一つの理論。
一つの概念。
一つの願い。
一つの意思。
つまり、
一つ一つの存在。
あなたの中にある
存在。
それを
「チャンク」と言います。
「クロス」とは
織り交ぜること。
紡ぐこと。
すべてを
合わせ融合させる
ことを言います。
要するに、
「チャンククロス」
とは、
二つ以上の塊を
織り交ぜたり
融合させること
です。
もっとわかりやすく
言えば、
「そこにあるものを
すべて大切にする」
ということです。
例えば、
あることに関して
AさんとBさんの
意見が食い違っていた場合、
Aさんの意見が正しいか?
Bさんの意見が正しいか?
どちらを選ぶか?
というような展開に
なりやすいです。
しかし「チャンククロス」とは、
「そのどちらもを
大切にしたら、
どのような発想が
生まれるか?」
を自由発想することを
言います。
それは、
AさんとBさん
でなくてもよいです。
例えば、自分の心の中の
様々な発想、
別々の発想、
時には、相反する発想
について
チャンククロスすることも
面白いです。
例えば、
仕事において、
・質を優先させるか?
・効率を優先させるか?
という葛藤が
あったとします。
質を優先させようと
した場合、
時間をたくさん食って
しまいます。
効率を優先させようと
した場合、
質の低下が
起こり得ます。
どちらを優先するか?
を考えた場合、
よく言われるのが
「そのバランスが
大事です」
と。
しかし私は
知っています。
バランスを取ること自体は
とても大事なことですが、
「バランスを取ろう」
と意識すればするほど、
それは
「妥協」
につながると。
そして
「妥協によるバランス」とは
本当のバランスとは
程遠いことを。
ですから私はよく
コーチとして、
「バランスなど
取らなくていい」
という言い方をします。
もちろん
本意ではありません。
バランスは大事です。
でも、
思惑ではバランスは
取れないのです。
そこで私が
いつもお伝えするのが
「チャンククロス」
です。
・質を取るか?
・効率を取るか?
ではなく、
そして、
その二つのバランスを
取るのでもなく、
その二つを
両方とも、
徹底的に大事にしよう!
とすると、
どのような発想が
浮かびますか?
ということです。
この問いを
追求することが
チャンククロスの
本質です。
つまり、
こっちが60%で、
こっちが40%で、
というバランスを取る
のではなく、
「両方を100%にしよう」
とすることです。
この発想をすることで
初めて、
私達は
「次元の壁」
を突破できます。
つまり、
一つ上の次元に上がり、
これまで観えていなかった
高みからの答えを
得ることができるのです。
その答えは、
現実の展開の仕方を
根こそぎ
変化させる力を
持っています。
・・・・・・
AかBか?
でははなく、
両方ともを
徹底的に
大事にすることで
どのような発想が
生まれるか?
これが、
「チャンククロス発想」
です。
そう捉えた上で、
最初のお話に
戻りましょう。
あなたは
挫折をしたり、
無為な時間を過ごして
後悔した自分に対して、
ちゃんと、
チャンククロス
していますか?
挫折した自分を
無視するのでもなく、
否定するのでもなく、
そんな自分と
そんな経験と
これからの未来を
「チャンククロス」
させてみるのです。
すると、
「その経験が
あったからこそ」
得られた、
「果実」に
気づくでしょう。
あなたのその「経験」は
あなたにたくさんの
「果実」を
すでに
もたらしているのです。
せっかく
挫折したのです。
せっかく
無為な時間を
過ごしたのです。
それを経たからこその
「果実」に
ぜひ気づいてください。
その果実を
ぜひ、ちゃんと
摘み取って、
未来の次の一歩に
活かしてください。
その「果実」は
間違いなくあなたの
栄養素に
なりますから。
・・・・・・
「チャンククロス」
これも
セルフコーチングの
基本です。
つづく