不安

不安を浴びよ

 

今、

不安に

苛まれている人が

多い。

 

いつもは

安定した生き方が

できているのに。

 

不安には

二つある。

 

反応本音レベルの

不安と、

真本音レベルの

不安だ。

 

真本音そのものが

不安になる

わけではない。

しかし、

真本音がわざと

自分を「不安」の中に

ぶち込む。

 

自らの反応本音と

手を組み、

不安の反応本音の

中に

自分をぶち込んで、

出れなく

する。

わざと。

 

もちろん

理由がある。

 

理由は

単純。

 

大きな脱皮を

するためだ。

 

羽化

と言ってもいい。

 

自分を

「変態」させる

大事なステップだ。

 

人は

不安にならなければ

なかなか

自分を失うことは

ない。

 

もちろん

不安以外にも

様々な手段は

とれるが、

変な表現だが、

不安が最も

お手軽で

効果的・効率的だ。

 

何も事件が

起こらないのに、

勝手に

自分を失うことが

できるからだ。

 

自分を失わねば、

脱皮は

できない。

 

これまでの

自分の範疇に

いるうちは、

決して

自分を超えることは

ないからだ。

 

今、

とてつもなく

不安な人へ。

 

その不安に

具体的な理由が

あるか、

ないか、

は関係ない。

 

いかなる理由から

くる

不安であっても、

 

もし

これまで経験した

ことのないような

巨大な不安で

あって、

 

かつ

 

自分を完全に

失ってしまっている

ようなら、

 

あきらめよ。

 

不安から

逃げることを

あきらめるんだ。

 

その不安を

徹底的に

浴び続けよう。

 

もちろん

その辛さ苦しさは

私もよく

わかっている。

 

そんな簡単な

ことではない。

 

私は何度も

逃げたし、

何度も

乗り越えたことも

ある。

 

だから

強く言う。

 

最後まで

その不安、

 

浴びよ。

 

徹底的に。

 

自分の進化の

ために。

 

つづく

 

 

それが人間だから

 

新たな何かに

チャレンジしようと

したり、

 

何か大きな問題に

立ち向かおうと

するとき、

 

私達はどうしても

不安に苛まれる。

 

不安のモヤモヤに

入り込んでしまう。

 

そんな場合は

そんな自分を

ただあるがままに

感じ取ってみよう。

 

今ある不安を

取り払うのではなく、

 

その不安の

すべてを

そのまま受け止めよう。

 

そして

受け止めている自分自身も

そのまま見つめてみよう。

 

すると

どうだろうか。

 

案外、その不安、

自分が自分の意志で

大切に

抱いているのでは

ないか?

 

まるで

赤ちゃんを抱っこする

ように、

 

不安を大切に

抱っこしているのでは

ないか?

 

不安はなぜ

起こるのか?

 

それは

必要だからだ。

自分にとって。

 

本来は、

自分にとって

不必要なことは

起こらない。

 

必要なことしか

起こらない。

 

特に私達の内面

においては。

 

不安も

必要だから、

私達が自ら

生み出している。

 

そして

抱いている。

 

だから、

不安と共に

進もう。

 

不安を

抱きながら

進もう。

 

理屈云々では

ない。

 

それが

人間だから。

 

つづく

 

不安を越えたい?

 

自分自身の

「不安」

の中に、

埋没してみよう。

 

「不安」を不安として

怖れ、

そこから逃れようと

することで、

 

「不安」は単なる

不安として

心の中にあり続ける。

 

その場合、それは

自分の本来の道のりの

妨げにしか

ならない。

 

「不安」とは

逃げるものではない。

 

「不安」とは

向き合うべきものだ。

 

そして

「感じきる」

べきものだ。

 

そのためにも

まずは、

 

自分の中にある

「不安」の塊を

見つけよう。

 

塊が見つかれば、

その中に

入ってみよう。

 

「不安」の塊の

中に、

自分自身の全身を

突入させて

しまうのだ。

 

そして全身で

その「不安」を

感じ取る。

 

「不安」と

一つになってしまう。

 

「不安」の全部と

一つになるのだ。

 

「自分は不安

そのものである」

 

という状態にまで

なってしまう。

 

それが完全に

成されたとき、

 

私達は

「不安」から

完全に解き放たれる。

 

それは

一瞬のことかも

しれないが。

 

しかしその一瞬が

重要だ。

 

その「一瞬」に

すべての「答え」が

存在している。

 

それをあえて

言葉にすれば

こうなる。

 

「なるほど。

この不安には

このような意味と意義が

あったのか。」

 

「なるほど、

この不安を抱えることで

私の人生には

このような展開が

生まれるのだ。」

 

「なるほど、

今の私には絶対的に

この不安が必要なのだ。」

 

「なるほど、

私は次の一歩として

これをすれば良いのだ。」

 

・・・etc.

 

それらは

理屈ではない。

 

頭で考え、

思考によって出される

答えではない。

 

完全に解き放たれた

その「一瞬」こそが

もたらしてくれるもの。

 

自ら導き出す答え

ではなく、

 

まさにそれは

「思い出す」

ものだ。

 

その「答え」が

わかれば、

 

あとはその通りに

行動することだ。

 

その行動には

ほとんどの場合、

大きな勇気が必要

だろう。

 

しかしそれを

飛び越える

覚悟を持とう。

 

そうすれば

その一歩は

私達の人生を、

次のステージへと

間違いなく

導いてくれるんだ。

 

つづく

 

対処法は、ないんだ

 

うーむ。

 

脱皮が

始まるな。

 

そこかしこに

脱皮の

空気感が

漂っている。

 

人もそう。

 

組織も

そう。

 

脱皮前の

今のこの時期を

いかに過ごすか?

とてつもなく

大事だ。

 

・・・・・・

 

脱皮の直前は

極めて

不安定になる。

 

しかも

その不安定さは

耐えられる

ものではない。

 

足元から

地面が

崩れ落ちる

かのよう。

 

すべてに対して、

不安になる。

 

恐怖は湧くし、

苛立ちも

高まるし、

 

悲しくもなる。

 

そして、

絶望感。

 

何をどうしても

結局は

何も上手くいかない

のではないか、

 

という心に

常に

苛まれる。

 

これまで

がんばって

続けてきたことにも

意義が

見出せなくなる。

 

すべてを

ストップ

させたくなる。

 

すべてを

投げ出したく

なる。

 

すべてから

逃げ出したく

なる。

 

これが

脱皮前の

兆候だ。

 

大きな脱皮で

あればあるほど、

この傾向は

強くなる。

 

そして中には

本当に

逃げ出して

しまう人も

いる。

 

・・・・・・

 

対処法は、

 

・・・ない。

 

今は

じっと

耐えるしか

ない。

 

もちろん

逃げても

いけない。

 

脱皮とは

古い皮を

脱ぎ捨てること。

 

それは

当の本人から

してみれば、

 

自分のすべてを

脱ぎ捨てるに

等しい感覚だ。

 

だからこそ

不安定に

なるのだが、

 

ここは

耐えるしか

ない。

 

じっと

一つ一つの

不安定な

心を

見つめるのだ。

 

丁寧に。

 

本当は

見つめるような

余裕はないと

思う。

 

しかし

それでも

「ちゃんとここで

脱皮するために」

という

目的を意識しながら、

 

できるだけ

客観的に

見つめるのだ。

 

ここを

じっと耐えれば、

 

ある瞬間に

突然、

その時は

やって来る。

 

・・・・・・

 

物事の

決断をするのも

今は

やめておこう。

 

すべては

脱皮後に

すればいい。

 

今は、

日々、粛々と

自分の

すべきことを

すべき通りに

 

一つ一つ

今できる最大の

力で

やっていこう。

 

ここを越えることが

できれば

本当に

強くなる。

 

人も

組織も

同じ。

 

脱皮の経験こそが

人を

組織を

強くするんだ。

 

つづく

 

これ以上の一日はない人生

 

明日の今頃は、

私は

どんな気持ちで

いるのだろうか?

 

と考えたことは

ありますか?

 

私はよく

あります。

 

特に、

「明日」にとても大きな

お仕事が入っている場合は、

ちょっとした緊張感と共に

そんなことを

考えたりします。

 

しかし、

そこに「不安」は

ありません。

 

いえ、

正確に言えば、

反応本音レベルの不安は

たくさんあります。

 

それは人間ですから

当たり前です。

 

しかし、

その不安をじっと

見つめると、

本当にそこには何もない

ことが瞬時にして

わかります。

 

私は昔は

かなりの不安症でしたので、

そのクセが

出ているだけなのですね。

 

不安感を出すという

反応本音のクセ。

 

そこがそこにあるだけで、

そこを見つめると、

 

あれ?

不安、どこ行った?

どこにある?

 

となり、

どこをどう探しても

見つからなくなります。

 

そしてふっと

力を抜くと、

そこには

 

「確信」

 

しかないのです。

 

・・・・・・

 

少なくとも私は

2012年からは

真本音100%の人生を

送っています。

 

もちろんそれは

何ら特別なことではなく

「普通」のことです。

 

やっと「普通」の自分に

戻れたな、

という感覚です。

 

真本音100%と言っても、

反応本音がなくなる

ことはありません。

 

なぜなら、

反応本音とは

真本音がこの世で

生きやすく(行きやすく)する

ために

発生させるものだからです。

 

つまりは、

真本音と反応本音は

コラボするために

存在しているのです、

本来は。

 

ですから、

真本音100%になるということは

その時その時に

最も必要な反応本音が

きちんと発生する

という状態になります。

 

それは極めて

「自分らしい」

状態です。

 

「自然体」

です。

 

何の力みも無理も

そこには

ありません。

 

そして当然のことですが、

真本音100%になった

からと言って、

未来が予測できるようには

なりません。

 

むしろ、

ますます予測できなく

なりますし、

ますます思惑通りには

進まなくなります。

 

なぜなら、

私達の真本音は

「未来がわからないこと

こそが大切なこと」

であると決めて

いるからです。

 

これがこの

3次元の世界の

ルールであり

摂理であり、

そして

面白味の真髄です。

 

そして、

未来がわからなく

なるからこそ

「確信」

が湧くようになります。

 

面白いことですが、

未来を予測すれば

するほど、

「確信」は

遠のきます。

 

未来は

まったくわからない。

 

わからないからこそ

面白い。

 

わからないことを

楽しもう。

 

となれた時に、

「確信」が

湧き始めるのです。

 

何が「確信」の根拠

なのかは

わかりません。

 

根拠のない確信。

 

しかしこれほど

強いものはありません。

 

根拠ありの確信は

根拠がもしなくなれば、

もうそれは確信では

なくなります。

 

しかしそれを本当の

確信とは言いません。

 

確信とは本来。

根拠のないものです。

 

・・・・・・

 

とはいえ、本当は

根拠はあります。

(どっちなんだよ。笑)

 

私達の高い次元では

「すべては一つ」

ですから。

 

そこでは、

過去も今も未来も

一つです。

 

確信とはそこから

来るものですから、

そういった意味では

根拠はあります。

 

でもそれは

この3次元の世界に

生きている私達の頭では

理解不能な領域です。

 

・・・・・・

 

真本音に素直に

生き(行き)、

真本音の度合いを

高めれば、

 

そういった意味での

確信は

毎日、当たり前のように

湧き続けます。

 

2012年から今日に

至るまで、

もちろん私にとっては

「成功」ばかりでは

ありません。

 

その時点だけで見れば、

望まない結果は

出ますし、

想定外の出来事や

辛いことも、

もちろんあります。

 

でも、

例えば、それらをすべて

経験した後の今の私が

タイムマシンに乗って

2012年に戻ったとして、

今のこの記憶のままに

戻ったとしても、

 

それでも私は

まったく同じ歩みを

するでしょう。

 

同じ選択を

するでしょう。

 

それくらいに

後悔はありません。

 

悔いはありませんし、

本当に最善の

一日一日だったな、と

思えますし、

 

あの日は

あれ以上の一日は

ないな、

とも思えるのです。

 

そんな人生、

素敵だと思いませんか?

 

で、

なんでこんな

自慢話のようなことを

しているかと言いますと、

こういった日々は、

そして

真本音100%の状態は、

すべての人が

可能だからです。

 

なぜなら、

先ほども書きました通り、

真本音度合い100%こそが

「普通の状態」であり、

「本来の自分に戻れたな」

と実感できる

状態だからです。

 

みんながそこに

戻れるといいな、と

本当に強く思うのです。

 

私のクライアントさん達は

次々に

真本音100%になって

います。

 

そんな方々は

本当に自然体ですし、

実に魅力的です。

 

こういった人を

一人、また一人と

増やしていきたいです。

 

とはいえ、

それをするのは

ご本人です。

 

私はそのための

やり方を

お伝えするだけ

なんですけどね。

 

つづく

 

 

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真本音度合い100%を

目指しませんか?

 

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『人生を真剣に変えたいあなたへ』

 

不安や恐怖に苛まれたら・・・

心の中に、

未来に向かう不安や

恐怖や、

絶望感がどうしても

出てしまう時、

まずは次の二つの区別を

してみてください。

 

一つ目の区別。

 

それは、

「この心は、

私の心だろうか?

それとも

誰か他の人からもらった

心だろうか?」

 

の区別です。

 

だいぶ以前にこのブログで

「エンティティ」について

書かせていただきました。

 

エンティティとは、

ストレスの濃度がある一定の

水準を越え、

ストレスが物質化(に近い状態)

したもの。

 

日本語では

「生き霊」

と訳される怖そうなものですが、

しかしエンティティは

誰もが多かれ少なかれ

常に持っています。

 

エンティティがゼロの人は

私はこれまで

一人もお会いしたことは

ありません。

 

ですので、

それほど怖いものでは

ありませんが、

このエンティティ、

まるで風邪のウィルスのように

人から人へ

伝染します。

 

未来に対する不安や

恐怖や絶望感が

なぜ起こるのかがよく

わからない時は、

恐らく、複数人の人から

そういったエンティティを

受け取ってしまっています。

 

みんなの不安を

少しずつ合わせて

受け取ってしまい、

大きな恐怖や絶望感として

感じてしまっているのです。

 

自分の心ではないのに、

不安や恐怖があるのは

なんか、イヤですよね。

 

この場合は、

不安や恐怖が

体のどの辺りに憑いて

しまっているかを

特定してください。

 

時には、

体全体を

エンティティが覆って

しまっているかも

しれません。

 

場所を特定したら、

そこに意識を向けて

ください。

 

するとそこに

何かが観えたり、

存在を感じたりすると

思います。

 

そしてそこに、

あなたの

「愛のパワー」を

送ってください。

 

エンティティを

「よしよし」と

子供をあやすようにし、

「私の愛だよ」

とエンティティに向かって

エネルギーを照射するような

イメージをすればよいです。

 

するとそのエンティティは

浄化されます。

 

逆に言えば、

このやり方で浄化されるならば、

それはエンティティだった

ということになります。

 

・・・・・・

 

さて、

二つめの区別です。

 

もしその不安や恐怖が

エンティティではなく、

自分自身が発生させて

いるものならば、

(つまり、上記の方法で

浄化できないならば)

 

その不安や恐怖は、

①単なる反応本音か?

それとも、

②真本音と結びついた

反応本音か?

 

の区別をしましょう。

 

これのやり方は

簡単です。

 

まずは自分の真本音の場所

を特定します。

 

つまり、

お腹の奥の体の中心と

頭のてっぺんの中心を

結び、中心軸をイメージ

します。

 

そしてその中心軸の上の

どこかに

「ここが私の中心核だな」

と思える場所を

特定します。

それが、

真本音の場所です。

 

この特定がすぐにでき、

しかも真本音の存在を

強く感じるのであれば、

②である可能性が高い

です。

 

つまりは、

その不安や恐怖は

自分が真本音でわざと

自分にもたらしているもの

ということです。

 

その場合は、

この不安や恐怖そのものに

とても大切な意味が

ありますので、

そのままにします。

 

ちょっと辛いですが、

不安と恐怖を感じるままで

過ごしていきます。

すると必ずどこかで

大事な気づきやひらめきや

成長へのヒントを

得られるでしょう。

 

さて、そして、

真本音の存在を感じられない

場合は、

それは①です。

つまり、

単なる反応本音です。

 

あなた自身が

反応本音として

発生させている不安や恐怖

です。

 

この場合は普通に、

「自分は何に恐怖しているか?」

を自分に問いかけて

ください。

 

普通に頭で考えれば

よいですが、

もしどうしても答えが

わからない場合は、

エンティティの時と同じように

その反応本音の場所を

特定して、

その場所に

「何が不安なの?」

と問いかけてください。

 

そして答えが返ってくるまで

待ちます。

 

ただし、

①の場合はほとんど、

不安の原因は

あなた自身がよくわかって

いるはずです。

しっかりと考えれば。

 

原因がわかったら、

無理に反応本音を

無くそうとせず、

普通に、

「どうすればその不安を

取ることができるだろうか?」

を考えてください。

 

その発想ができない場合は、

自分の真本音に

問いかけてみてください。

 

不安や恐怖が

単なる反応本音の場合は、

自分の行動で持って

(つまりは現実への働きかけにより)

不安を取るのが一番です。

 

そこを逃げずに

立ち向かっていけば、

自然にあなたの

真本音が発動します。

 

反応本音から

逃げれば、

その反応本音は

エンティティ化し、

さらに不安や恐怖は

大きくなります。

 

反応本音と向き合い

理解できれば、

あとは行動です。

 

・・・・・・

 

以上をまとめますと、

不安や恐怖や絶望感は、

 

・エンティティ

・自分の反応本音

・自分の真本音がもたらしているもの

 

の3つに分かれます。

 

それらをきちんと区別することが

次の一歩の

大きな指針となります。

 

以上は

セルフコーチングの基本

です。

 

ご参考までに。

 

つづく

 

なんだ?この異様な不安感は・・・

今回は、次のご質問に

お答えします。

 

「どうしても未来に対して

不安になってしまいます。

自分なりに真本音を大切にして

生きているつもりですが、

すぐに不安になり、

そこから抜け出せなくなります。

私の真本音度合いは

上がっていないのでしょうか?」

 

・・・実は、こういったご質問が

とても増えています。

 

これは、世の中全体の

ある潮流による影響もあるのですが、

それについてはまた改めて、

別の機会に書かせていただきます。

 

今回は、ダイレクトに

このご質問にお答えします。

 

自分の真本音を大事にすれば

するほど、

逆に不安感が増してしまう、

という場合、

最も多いケースが、

 

「エンティティ」

 

によるものです。

 

エンティティとは、

ストレスがある一定以上の

濃度に凝縮されたものを

言います。

 

ある一定以上になれば、

それは、3次元化します。

つまり、

物質化します。

 

まぁ、物質とまではいかなくても

それに近い状態にまで

なります。

 

それは強烈な「念」であり、

エンティティを日本語に訳すと

「生霊」

と訳されることもあります。

 

こう書くと、非常に怖いですが、

実はエンティティとは

多かれ少なかれ

すべての人が持っています。

 

持っていない人はいない、

と言い切ってしまっても

よいでしょう。

 

そしてそれはまるで

風邪のウィルスのように、

人から人へ

伝染します。

 

いつも空気がドヨ〜ンと

淀んでいる人や、

空気感の重たい人、

顔つきが、まるで獣のように

険しい人などは、

エンティティが多い人です。

 

そういった人と一緒にいると、

エンティティがこちらに

移ってきたりします。

 

こう書くと、

いやだ、気持ち悪い!

となると思いますが、

これは私達が日常において

当たり前のように行なっている

ことです。

 

極端な言い方をすれば、

私達はエンティティの交換を

しながら関わり合っている、

とすら言えます。

 

さて。

 

真本音度合いが高まると、

通常はエンティティは

とても少なくなります。

 

自らエンティティを発生させる

ことは激減します。

 

ところがその分、

稀にですが、

他者のエンティティを

どんどん吸収してしまうタイプの

人がいるのです。

 

ほとんどの人が

他者のエンティティを受けても

真本音度合いが高まれば

それを「流す」ことが

できます。

つまり、エンティティによる

ストレスやダメージを

受けずに済むのですが、

稀に逆になるタイプの人が

いるのです。

 

それは、

その人の真本音の使命に

よるものです。

 

つまり、

真本音レベルで

「私は人のサポートをしたい」

と決めている人のうち、

「私は人のエンティティを

あえて受け取り、

そのエンティティの状態を

把握することにより、

その人の苦しみを把握し、

それによりその人に

適切なサポートをしたい」

と決めている人が

いるのです。

 

実はその典型が

私なのですが。

 

私の場合、

その傾向が極度に高く、

私の真本音度合いが急激に

高まった時代は、

道端でも何でも、

会う人会う人のエンティティを

全部吸収してしまい、

本当に大変でした。

 

今は、おかげさまで

その人のエンティティを

吸収するかどうか?を

自分で決めてコントロール

することができるように

なりましたが、

当時はもう、死ぬ思いでした。

 

おかげで

自律神経がいかれてしまい

ご飯をほとんど食べられなくなった

時期もありました。

 

しかしおかげで

エンティティ浄化の方法を

研究し編み出すことが

できたのですけど・・・。

でもそれには

数年を要しました。

 

で・・・。

 

何が言いたいかと言いますと、

真本音度合いが上がっている

にも関わらず、

未来に対する不安感が

増してしまう場合の多くは、

 

人からのエンティティを

大量に吸収してしまっている

可能性が高い、

 

・・・ということです。

 

エンティティは多くの場合、

未来に対する

・絶望

・不安

・憤り

などの塊です。

 

その塊を受けることで、

・自分の心が発生させている不安と

・エンティティが持っている不安の

区別がつかなくなるのです。

 

つまり、その不安は、

「あなた自身のものではなく、

エンティティのものなんだよ」

・・・ということになります。

 

まずは、

その区別をつけるだけで

相当に楽になるはずです。

 

ですので、

自分は真本音を大事にしている

のに、

なぜか不安が高まってしまう、

という場合は、

 

「この不安は本当に

私のものだろうか?」

 

と自分自身に問うてください。

 

そして、

体の中のどこにその不安感が

あるか?を

特定してください。

 

そして、

そこに意識を向ければ、

「うわっ、なんか

気持ち悪いものがある!」

となるかもしれません。

 

そうなったらそれが

エンティティです。

 

エンティティだとわかれば、

それをただ

存在承認してあげてください。

 

愛の眼差しで

そのエンティティを

観てあげてください。

 

それだけでエンティティは

浄化されるはずです。

 

エンティティも

人の心です。

 

反応本音の塊です。

 

すべての反応本音は

存在承認すれば

よいのです。

 

つづく

 

もう私達は未来を知っている

一本道を歩いて来たら、

目の前に分岐が現れました。

 

道は二つに

分かれています。

 

右の道を、A

左の道を、B

とします。

 

Aを行くか?

Bを行くか?

答えを出すのに非常に

苦労したとします。

 

どうしても

決められない。

 

どうしても決められないけど、

決めなければならない。

 

自分の気持ちをしっかり

見つめると、

Aに行きたい気持ちが51%

Bに行きたい気持ちが49%

であることが

わかりました。

 

そんな場合、

あなたはどちらの道を

選びますか?

 

第3の道は

ないものとします。

AかBか、

必ずどちらか一方に

決めなければならないと

します。

 

あなたはどうしますか?

 

恐らく、

多くの人が、

51%であるAを選ぶと

思います。

 

ほんのわずかでも

気持ちが多く傾いている方に

向かうと思います。

 

ところがその場合、

Aに行ったとしても、

「本当はBの方が

よかったのではないか?」

という気持ちが

49%も残っているのです。

 

49%の気持ちが

後ろに引っ張られながら

Aの道を進むことになります。

 

するともし、Aの途上で

何か壁にぶつかった場合、

「ほらやっぱりBの方が

よかったじゃん」

と、その時点で進むことを

諦めてしまう。

・・・そんな恐れが高まるでしょう。

 

迷いながら進む、

葛藤しながら進む

というのは、そういうことです。

 

では、どうして私達は

迷ってしまうのでしょうか?

 

その最もシンプルな答えは、

「未来がわからないから」

ですね。

 

AかBか、どちらに行けば

どうなるか?

そういった未来の結果が

明確にわかるのでしたら、

私達は迷うことはありません。

 

未来がわかっていて

進むのであれば、

たとえ壁があっても、

それを乗り越えられます。

 

では、

未来がわかる方法は

ないのでしょうか?

 

実は、

あるのです。

 

ただし、正確に言えば、

未来がわかるわけではありません。

ですが、

未来がわかっているのと同様の

選択をすることが

できるのです。

 

それが、

高い次元の自分の意識で

物事を進める

・・・ということです。

 

この3次元の世界では、

時間は過去から未来へと

一方向に同じスピードで

流れ続けています。

ですから、未来を見ることが

できません。

 

しかし、高い次元においては、

過去・今・未来という分離そのものが

もともとありません。

 

過去も今も未来もすべて

ここにあるのです。

すべてが、「一つ」なのです。

 

その自分自身からの

判断や選択に素直になれば、

上手く行くだろうか?

上手く行かないだろうか?

という葛藤や不安をすべて超えたところでの

確信的な決断をすることが

できるようになります。

 

「なんかそれ、

答えを教えてもらって進むみたいで

つまらないじゃないか」

そう思われる人もいるかも

知れませんね。

 

でもご安心ください。

 

たとえ高次元の自分で

進んだとしても、

壁や課題はいっぱいいっぱい

現れます。

 

実は、

私達の真本音は、

どの道を選ぶか?については

何もこだわっていません。

 

大事なのは、

どの道を選んだとしても

一歩一歩をどのように進むか?

です。

 

高次元の迷いのない自分で

進めば進むほど、

そのレベルに見合った

壁や課題は降って来ます。

 

それらを一つずつ乗り越えることに

私達は人生の生き甲斐を感じます。

 

高次元の道であればあるほど、

難易度は高まりますが、

それが楽しくてしょうがなく

なります。

 

なぜならそれはまさしく、

進化への道のり

だからです。

 

つづく

 

いつまで不安解消のためだけの人生を続けるの?

私達人間の心は

二つに分けることができます。

 

一つは、揺るがない心。

もう一つは、揺らぐ心。

 

揺るがない心を、『真本音』。

揺らぐ心を、『反応本音』。

私はそう名づけました。

 

どちらが良い・悪い、ということではありません。

 

どちらにもそれぞれの存在意義があります。

 

揺らぐ心など、最初からなけりゃいい、と

思われるかもしれませんが、

揺らぐ心があるからこそ、私達は

人間としての幸せを感じることもできます。

 

揺らぐ心があるからこそ、私達は

状況に応じて生き方を対応させることができます。

 

ところが、揺らぐ心(反応本音)は

本質的には弱いです。

 

反応本音で生きる、とは

あえて短絡的に言えば、

「不安や恐怖に基づいて生きる」ということになります。

 

不安を解消するためにどうすればよいか?

恐怖から逃れるためにどうすればよいか?

 

その視点からの発想に基づき、

私達は動くことになります。

 

それを「自己保身」と表現していますが、

自己保身を第一に考えてしまうと

本来の自分をいつの間にか見失ってしまいます。

 

それに対して、真本音で生きる、とは、

「自分の揺るがぬ願いに基づいて生きる」

ことになります。

 

しかしそれは決して理想論ではありません。

 

「自分の願いと、今の現実を観察しながら

今この瞬間における最善の一歩一歩を進む」

 

ということを、私達の真本音は大切にしています。

 

「今を生きる」とは

「今できる最善を尽くす」ことです。

 

最善とは、妥協ではありません。

理想でもありません。

 

自分の理想を大切にしながらも、

「今はこの一歩が最も良いな」と自分自身が納得できる

そんな一歩が「最善」です。

 

「妥協」とは自分自身が納得できていない状態を

言います。

 

反応本音で生きる場合は、

そういった最善かどうか?は考えず、

とにかく、不安や恐怖を解消するために、

妥協だろうが何だろうが、最も楽だと思える道を

とります。

 

しかしそれは極めて刹那的な判断となりますので、

後悔することが多いのです。

 

木村さんは、後悔しました。

(→前回記事)

 

村瀬さんとのやりとり。

本当は、木村さんには心の底から発したい言葉が

ありました。

それが、

「お前、すげーな!」

という村瀬さんを賞賛する一言です。

 

しかしそれを発することで、

「自分は村瀬に追い抜かれるかもしれない」

という恐怖を彼は抱きました。

その恐怖を消すために、後輩である村瀬さんの考えを

自分の経験則を前面に出しながら潰しにかかりました。

 

上司である平井さんからも、

そしてその他の社員さんからも

木村さんは「評価」を得たいのです。

 

ところが自分への評価を守るために行なった言動が、

結果的に、皆からの評価を著しく下げることになりました。

 

これが、反応本音で生きる人の

典型的なパターンです。

 

真本音で生きる人は、

評価どうこう、という視点がありません。

いえ、

正確に言えば、そういった視点や心は誰にでもありますが、

それに捕らわれずに、

本来自分が望んでいる生き方や、

自分の目指したい人生への願いに基づいて

今この瞬間の言動を決めます。

 

そこから出される一つ一つの言葉や行動は、

人々の心に響きます。

その結果として、

「あの人はいいなぁ」という印象につながります。

評価が上がります。

 

評価に捕らわれないことで

評価が上がります。

 

皮肉な感じがしますが、それが世の常ですね。

 

評価云々はともかくとして、

何よりも、木村さん本人が

「後悔する」

というところが問題です。

 

自分が後悔する行動を自分がとり続ける。

それは私達人間の心のパワーを著しく

減退させます。

それにより、パワーを失った私達は、

さらに不安や恐怖を覚え、

その解消のための言動につながる、

という悪循環に入ります。

 

その悪循環から抜け出せない人は多いです。

 

抜け出すためには、

①本来自分が望む生き方を言語化して常に思い出すこと

②自己保身のための自分のクセが現れそうになれば、

その瞬間に止めること

そして

③本来自分が望む生き方に基づいて行動してみること

 

この3つを行ない続けることです。

日常の中で行ない続けることです。

 

自己保身に基づいた行動のクセを、

願いに基づいた行動のクセに

変換していくのです。

 

それができればできるほど、

誰もが、心の根底から「楽」になってきます。

 

心に「自由」を感じるようになります。

 

本質的な「楽・自由」を手に入れるための

「クセ直し」ですね。

 

私はこれを木村さんには徹底的に

行なっていただきました。

 

すると、何が起こるか?

 

木村さんのさらに深いところに存在していた

新たな「クセ」が浮上してくるのです。

 

つづく

 

自分の誤魔化しは、自分が一番よくわかっている

木村さんの「これまでの心と行動のクセ」を

表現すると、以下の二つになります。

 

・「私は常に、一番でなければらない」

・「結局は、私が一番物事をよくわかっている」

(→前回記事)

 

これだけを見ると、自信家であったり

ある種の傲慢さを感じたりしますが、

しかしこの二つの心の根底にあるのは

「不安」

なのです。

 

その不安とは、「自己保身」からきます。

 

もちろん誰もが「自己保身の心」は持っています。

それがない方が不自然ですし、

自己保身そのものは、人間として必要でしょう。

 

しかし、自己保身しているという事実にフタをして

それを自分自身で理解しないままに

自信家としての自分を出す。

 

・・・これは非常に「不安定」です。

 

しかも周りの人達は皆、その不安定さを

何となくわかっています。

 

木村さんが周りからの信頼感を失くしてしまう

最大のクセが現れたと言ってよいでしょう。

 

ちなみに平井さんは、木村さんのことを

「枠の中から出てこないヤツ」

という評価をされています。

 

「自分が一番であり、自分こそが最も

よくわかっている人間だ」

という彼のパターンは、自分以上の人や意見を

目の当たりにすると、

それを潰しにかかります。

そして、

自分自身も決して「これまでの自分の枠」から

出ようとしません。

 

ですから、

「木村は小心者です。

枠から出ようとしないんです。

能力は高いのに」

という評価を平井さんは下しています。

 

しかしその一方で、真本音レベルで見た場合に

「私は、木村にすごく可能性を感じるんです」

という見方も平井さんはされていました。

だからこそ私に、木村さんのコーチングのご依頼をされました。

 

私はアポなしで事務所に現れました。

 

そして木村さんに声をかけました。

「今、少しだけお時間いただけます?」

 

もうそれだけで木村さんは何かを

察知されました。

 

木村さんが怯え始めたのが

すぐにわかりました。

 

大変面白いことなのですが、

いつもいつも私は真本音コーチングをしていますし、

真本音コミュニケーションをしていますので、

そういったコーチングを一度でも体験された方は

私の顔を見るだけで真本音度合いが高まるようです。

 

真本音度合いが高まれば、

あっ、自分は何かがおかしいかもしれない、

と、すぐに感じるようになります。

 

すると中には、

私の顔を見るだけで、罪悪感も発生させる人も

います。

 

木村さんがそうでした。

 

会議室で私は短時間ですが、

木村さんと向き合いました。

 

私が開口一番、

「村瀬さんとのやりとりを平井さんから

お聴きしました」

とお伝えした瞬間に、

木村さんはすべてを合点したようです。

 

「私、やっちまいましたね。」

 

「何をやっちまったんです?」

 

「以前の自分が出ました。

村瀬を私の枠の中に押し込めました。」

 

「そのようですね。

どうしてそうしてしまったかわかります?」

 

「なんか、すごく面白くなかったんです。

村瀬のことを疎ましい、と思いました。」

 

「木村さん、凄いですね。

一瞬でご自分と向き合えましたね。」

 

「いやぁ、お恥ずかしい。

たけうちさんの顔を見るまで、ずっと自分を

誤魔化してました。

自分の中で、あれは正しかったんだ、って

言い訳を続けてました。」

 

「それを続けて、どんな気分でした?」

 

「いや、やっぱり苦しいし、

気持ちが悪かったです。」

 

「そうですよね。

でもその気持ち悪さは、村瀬さんも、そして

他の人も感じてることなんですよ。」

 

「そうですねぇ・・・。

あのミーティングから、チームの雰囲気が

とても悪いです。

みんな、よそよそしい。

あまり会話したくない雰囲気です。」

 

「木村さん、

ここまで人生理念を大事にしてきた木村さんが、

ここで以前のクセを出してしまった理由は

わかりますか?

そのクセが出る瞬間、

どのような心の声が浮かんできたか

わかります?」

 

しばらく木村さんは考え込みました。

あの時の状況を懸命に思い返しているようでした。

 

「・・・あぁ、わかりました。

いやぁ、お恥ずかしい。」

 

「どんな心の声でした?」

 

「“こいつ、俺よりもできるんじゃないか”、でした。」

 

これを聴いた時、私は本当に木村さんのことを

凄い!と思いました。

 

これだけ素直に自分の心と向き合える人は

そんなにはいません。

その心の声を見つけるまでは、大抵はもっと

時間がかかります。

 

「木村さん、自信を持ってください。

木村さんはご自分と向き合う力が高いです。

私が何のフォローもしなくても、

ご自分の心の声を見つけることができました。

これができれば、大丈夫です。」

 

こんなところで褒められると思っていなかったのでしょう。

木村さんはだいぶホッとされたようです。

それによりさらに、

ニュートラルに自分を見つめられるようになりました。

 

「私がもし、私の部下だったら、

こんなヤツは絶対に嫌ですね。

だって、後輩の可能性をどんどん潰していくヤツですから。

平井もそうやって私のことを見ているのかな・・・。」

 

「平井さんの願いはね、

木村さんが木村さんの真本音に素直に生きること、

真本音で仕事をすること、なんですよ。

それができれば木村さんの本当の魅力が出るに違いない、と

平井さんは見ています。」

 

「でも、ついつい以前の自分が出てしまいますね。

難しいねぇ、これまでの自分を壊すのは。」

 

「いえいえ、簡単なことです。

今回、木村さんはご自分で心の声を発見しましたね。

これまでのクセが出てしまうきっかけとなる心の声を。

“俺より、できるんじゃないか”という。

ここまでわかれば8割方大丈夫です。

あとは、この心の声が発生した瞬間に、自分の行動を

止めるのです。

一時停止して、そこで人生理念を思い出してください。」

 

そしてさらに問いました。

 

「木村さん、もしあの村瀬さんとのやりとりの中で、

木村さんの人生理念、“生まれたばかりの無邪気”

を思い出していたとしたら、

木村さんはどんな一言を発していましたか?

あの場面にもう一度戻ったつもりで発想してみてください。」

 

即座に答えが返ってきました。

 

「お前、すげーなぁ、・・・て叫んでました。」

 

「それです、それ!

それでいいんですよ。」

 

つづく