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これまでの
あなたの
『中心核』
が消えて、
新たな「中心核」が
生まれたと
しよう。
これまでの「中心核」は
あなたの体の
どこにあり、
新たな「中心核」は
あなたの体の
どこに
生まれただろうか?
これまでの「中心核」は
どのような形を
しており、
新たな「中心核」は
どのような形だろうか?
これまでの「中心核」は
何を大切にしており、
新たな「中心核」は
何を大切にするの
だろうか?
これまでの「中心核」は
何を願い、
新たな「中心核」は
何を願うだろうか?
これまでの「中心核」
によるあなたは
何者で、
新たな「中心核」
によるあなたは
何者として
在るのだろうか?
最後に、
新たな「中心核」は
あなた自身に
何をメッセージ
しているだろうか?
中心核が
変わるということは
私達にとっては
かなり根本的な
変化なのだろう。
でも
怖がることも
焦ることもなく、
それすらも
楽しんで
進みたいものだ。
新たな自分を
楽しもう。
つづく
私の中心に
卵のようなものが
生まれた。
いや、
卵というよりも
惑星のようだ。
それはまだ
光を放ってはおらず、
ちょっと暗く
グレーに沈んでいる。
とは言え
悪い感覚は皆無で、
恐らくその中身は
眩いばかりの
光が満たされているだろうな、
と
ヒシヒシとわかる。
その惑星のような
ものは、
私の「中心」にある。
心と魂の中心に
まるで中心核のようにして
ある。
ということは
これは今、生まれた
というよりも
最初からここに
あったものかもしれない。
その存在に
今、初めて気づいた
のかもしれない。
私はその惑星の
ようなものを、
ちょっと離れたところから
眺めている。
中身が何かは
わからないが、
でも
何となくはわかる。
中には、
とてつもなく多くの人達の
願いとか、声とか
そういったものが
多分、詰まっている。
そしてそれは
やはり
とてつもなく眩しい
光を放っている。
それらを
解放、開放することは
きっと
やろうと思えば
今、すぐにでもできる。
でも私は
そのタイミングを
静かにはかっているようだ。
どちらかと言えば、
とても私は
ワクワクしているのだが、
その一方では、
これを開けてしまっては
また大変なことに
なりそうだな。
私にはきっと
どうしてもやりたいことが
発想されてしまいそうだな、
と
まぁでもそれ自体もまた
ワクワクしながら
思っているのかな。
開けるタイミング。
いつだろう?
もうすぐだな。
まぁこのワクワクが
鎮まり、
もう少し冷静になれたら
その瞬間に
開けるとするか。
つづく
地球に中心核が
あるのと同様に、
私達にも
中心核があります。
「中心核」
と言うからには、
それは
中心にあります。
恐らくもし
それがなくなったら、
「それ」は
存在し得ないでしょう。
もしくは、
まったくの別物と
なるでしょう。
もし中心核が
他の何かに入れ替わった
だけだとしても、
「それ」は別物になる
可能性が高いです。
私達も
同様です。
・・・・・・
ところが。
私達には
中心核があるにも
関わらず、
その中心核とは
別の生き方を
してしまっているケースが
あります。
例えば、
中心核が望んでいる
ことと、
真逆の方向に進む
人がいます。
例えば、
中心核の持っている
個性を、
まったく生かさずに
進む人もいます。
中心核は
そこにあるのに、
自分の
中心なのに、
その中心を
自分自身が
無視をする。
ということは、
中心核が入れ替わった
わけでもないのに、
まるで入れ替わって
しまったかのように
生きてしまいます。
始末が悪いのは、
そういった場合、
私達人間は
とても「苦しむ」
ということです。
その苦しみは
想像している以上に
キツく、
その苦しみを私達は
打ち消そうとします。
苦しみを消そうと
するために
生きる、
という状態に入り、
その結果として
ますます
中心核を無視する
ようになります。
当然、
苦しみはさらに
増します。
残念ですが、
とても多い事例です。
・・・・・・
やはり・・・、
中心核があるからこそ
私達は
存在し得るのです。
中心核のない
人は
一人もいません。
それが事実であり、
真実。
にも関わらず、
まるで中心核が
ないかのように
生きてしまう人がいる。
これも事実。
そして、
現実。
この現実が
今の世の中の
現実を
引き起こしています。
現実的に
起こっている
様々な歪みは、
私達自身の
中心核とのズレが
根本原因だと
私は思っています。
中心核と
振る舞いの一つ一つが
結ばれていく。
中心核と
振る舞いの一つ一つが
一致する。
これを私は
『一貫性』
と呼んでいます。
今の社会には
一貫性が
ありません。
それは
私達一人ひとりに
真の一貫性が
ないからです。
まずは。・・・
中心核の存在を
自覚すること。
そして、
中心核の望みを
自覚すること。
そして
一つずつ、
その望みと
振る舞い(行動)を
丁寧に
一致させていくこと
ですね。
つづく
後悔の念が生まれたら、
まずはその後悔の念と
しっかり向き合うこと。
それにより、
後悔の念をしっかりと
理解すること。
これが、
「後悔」を「未来」につなげて
いくための必須のことです。
後悔から逃げてしまうと
せっかくの「未来」が
開けなくなります。
後悔とは、
チャンスです。
(→前回記事)
後悔の念を
しっかり理解することで、
その「念」は
それだけで随分と
浄化されて軽くなります。
その状態になれたら
次に私達がすべきは、
自分自身の
「真本音との対話」
です。
言ってみれば、
ここまでは
自分の中に湧き上がった
「反応本音との対話」
をしてきたわけです。
反応本音をしっかりと
理解したら、
次に行なうのが
「真本音との対話」
なのです。
これも、
単に「思考する」とか
「発想する」というのとは
異なる行為をします。
自分自身の真本音と
まるで他人のように
向き合い、
真本音からの声を
キャッチするのです。
・・・・・・
まずは、
真本音の場所を
特定する必要があります。
私のセミナーや研修や
コーチングを
受けていただいた方は
その場所がすでに
ある程度わかると思います。
まだ受けていただいて
いない方の場合は、
次のことをするとよいでしょう。
まずは
自分の体の中心軸を
感じます。
「中心軸」というのは、
おへその奥の体の中心と
頭のてっぺんの中心を
結んだ線です。
その「中心軸」を
まずはしっかりと
感じ取ってください。
人によっては
それだけでもう
真本音発想の始まる
ケースもあります。
「中心軸」を意識する
だけで、
シャンとした
「本来の自分」に
戻れる感覚が
あるかもしれません。
もしここで、
「中心軸」を感じ取ること
自体が難しい場合は、
まだまだ「後悔の念」との
対話が不足している
ということです。
その場合は、
今一度、「後悔の念」を
理解しようとするための
対話を続けてください。
反応本音をある程度
浄化することができて
初めて、
私達は自らの真本音を
感じ取る感性を
取り戻せるのです。
さて。
「中心軸」を
感じ取ることができたら、
次に、
その中心軸上のどこかに
自分の
「中心核」
となる場所があります。
「中心核」とは、
「ここが自分の中心だ」
と思える場所のことです。
中心軸上のどこか
にあるはずです。
その場所を
特定してください。
なかなかわからない場合は
「ここに私の中心核が
あってほしいな」
と思うところで結構です。
・・・・・・
「中心核」の場所が
わかりましたか?
そこが、
あなたの真本音の
場所です。
ここが特定できましたら、
今度はその
真本音の場所に
意識を向けます。
すると、そこに
何かが観えてくると
思います。
もしくは、
人によっては何かを
感じるだけ、
というケースもあります。
できれば、
「何か」がしっかりと
観えるまで
意識を集中していただけると
よいですね。
例えば、
そこに意識を向けると、
「とてもまばゆい光
があります。
それは緑色に輝いて
います」
とか、
「大樹の根っこのような
ガッシリとしたものが
あります」
とか、
「すごく柔和な笑顔
が浮かんでいます」
とか。
人によって様々な
ものが観えます。
ここで大切なのは、
それは
無理にイメージした
ものではない
ということです。
自然に浮かぶものが
よいです。
自然に浮かぶものは
「実在」
です。
単なるイメージとは
「幻影」
です。
「実在」と「幻影」は
本質的に異なるものです。
「幻影」は単なる
イメージですので、
次々に変化します。
儚く消えたりします。
「実在」とは
そこに本当に実在する
ものであり、
この現実世界における
「現象」を生み出す
大本のようなものですから、
そこに意識を向ければ、
いつでもそれがそこに
在ります。
それは
絶対的な存在感
です。
その「実在」を
特定できたら、
いよいよ真本音との
対話です。
・・・・・・
まずは、
その「実在」である真本音に
次のように問いかけます。
「ここまでの
私と、私の後悔の念との
対話を聴いていて、
どんなことを思った?」
と。
そう問いかけたら、
「答え」を
待ってください。
その「答え」は
まるで本当に会話を
しているかのように、
言葉として
返ってくると思います。
もしくは、
そうでない場合は、
自然に意識の塊のような
ものが、
浮かんでくるかも
しれません。
いずれにしても、
「答え」を
待っていてください。
もし何も返ってこない
場合は、
返ってくるまで
待ちます。
今はまだ全然、
返ってくる気配がないなぁ、
と思ったら、
問いだけをそこに残して
セルフコーチングそのものを
中断します。
そして、思い出した瞬間に
何度かその問いを
自分の真本音に投げてください。
それを続けていると、
ある瞬間にふと、
「答え」が浮上してくる
ことがあります。
そうなるまで、
何日もかかるかも
しれません。
しかしそれは単に
慣れていない
というだけのことです。
慣れるまでは
時間がかかるかも
しれませんが、
原則は同じです。
つまり、
「問うて、待つ」
のです。
つづく