五感

高まってるんだ

 

ただ

純粋な存在

として

 

私はここに

いる。

 

ただ

純粋な存在

として

 

あなたもここに

いる。

 

私達は

向かい合って

いる。

 

ただ

純粋な存在

として。

 

その事実だけを

そのまま

受け取るとき、

 

そこには

エネルギーの

渦が観える。

 

脳が感知する

渦ではない。

 

そこに実在する

ものを

 

そのまま

受け取っている

だけだ。

 

脳を使わずに

受け取っているものは

多い。

 

それを自覚することは

人生の

あらゆる場面の

意味を

 

根底から

覆すだろう。

 

一見、

ピンチに見える

出来事が

 

実は

とてつもない

愛に満たされている

ことを知ったり、

 

逆に

 

愛に満たされている

思い込んでいたものが、

 

実は

空虚の塊に過ぎない

ことを知ったり。

 

そういうことを

「わかる」

というのは

怖いことかもしれない。

 

でも本当は

私達人間は

最初から

わかっているのだ。

 

わからないフリを

しているだけ。

 

フリをするために

脳に

逃げている。

 

脳の創り出す

五感に

逃げている。

 

それだけの

ことだ。

 

もう

逃げる人生からは

卒業しようと

 

覚悟をすると

いい。

 

その覚悟は

自分自身の

鼓動の質を

変える。

 

人生の質を

変える。

 

すべては

実在している。

 

それらは

幻ではなく、

 

むしろ

五感で得るものの

方が

幻に近い。

 

薄っぺらい。

 

本当の存在、

本物の存在を

 

私達はもっと

知った方がいい。

 

世の中は

変わりつつあるように

見えるが、

 

それも五感。

 

本当は

変わるとか

変わらないとか

ではなく、

 

ずっとそこに

あるんだ。

 

存在しているものを

ただそのまま

感じ取れる度合いが

 

私達自身に

 

高まっている

だけなんだ。

 

つづく

 

五感を超えよう

 

「自分」と「世界」との

境界をなくして

じっとしていると、

 

様々なことを

感じることができる。

 

いや。

 

「感じる」

というのは実は

正確ではない。

 

私達は常日頃、

脳を使って

生きている。

 

言い換えれば

五感を使って

生きている。

 

しかし、

「自分」と「世界」の

境界をなくしてしまえば、

 

五感からも

解放される。

 

すると、

脳というフィルターを

介することで

わからなかったことが

 

途端に

わかってくる。

 

そこで感じ取る

あらゆるものを

私は

 

『実在』

 

と表現している。

 

本当は

すべての人は

常に「実在」を感じながら、

(正確には「感じながら」

ではないのだが、

それ以外の適切な言葉が

ないので、

便宜上、この表現でいく)

 

それに

影響されながら

自分の行動を

決めている。

 

五感で得るものと、

五感以外の実在で

得るもの、

その両方によって

人生を

左右されている。

 

しかし普段は

五感しか

把握できない。

 

その「狭さ」が

生きづらさを

生み出している。

 

本当は

感じ取っているはずの

実在を、

ちゃんと一つ一つ

自覚しながら

生きていけたら、

どんなにか

楽か。

 

私の推奨する

セルフコーチングの

コンセプトの一つは

ここにある。

 

すでに

実在として感じ取っている

ものを、

自覚する方法が

セルフコーチングである

言える。

 

私はよく、

コーチングセッションの最中や

普段の会話の途中で、

少し時間をいただいて

静かに目を瞑る、

ということをさせていただく。

 

私と関わっている人であれば、

それは日常的な光景

だろう。

 

あれは、

私がすでに感じ取っている

実在を

自覚するためにしている。

 

セルフコーチングを

しているわけだ。

 

そして、

目を開けた直後、

私はいつも確信的に

ものを言っていると思う。

 

まったく迷いのない

言葉が

自然に出てくる。

 

実在を感じ取ることで

ある意味

「すべてがわかる」

状態となれるからだ。

 

「すべてがわかる」

という言葉だけを見ると、

かなり傲慢だが、

 

そうではなく、

 

むしろ、

今この瞬間に

私達が自覚すべき発想が

何か?

を、

謙虚にあるがままに

受け止めることができた

証だ。

 

私達には

今、ここで、

自覚しなければならない

発想がある。

 

それが

次の行動を決める。

 

この当たり前のことを

しっかり丁寧にすることで、

人生も現実も

すべてが調和する。

 

そんなことを

すべての人ができるように

なるといいな、

というのが

私の願いだ。

 

つづく

 

脳で感知できる世界は、とても狭い世界

「実在」と「イメージ」とは

まったく異なるものです。

 

「イメージ」とはあくまでも私達の頭の中で

創り出したもの。

悪い言葉で言えば、妄想と同じです。

 

しかし「実在」は、実在と言うだけあって

実際にそこに存在するものです。

 

ただし、私達が生きているこの3次元の

現実世界の事象としては、

捉えることができない、と言うだけのことです。

 

私達が現実世界で捉えているものはすべて

私達の脳で捉えているものです。

 

視覚・聴覚・体感覚。

つまりは五感と言われるものはすべて

脳という機関を通じて捉えているものです。

 

しかし、私達の脳で感知できる周波数は

非常に限られています。

脳で感知できないものの方が

圧倒的に多いのです。

 

脳では感知できないが、

確かにそこに存在しているもの。

それが「実在」と私が呼ぶものです。

 

それは霊感ですか?

と訊かれることもありますが、

霊感ではありません。

 

もちろん、幽霊というものも

脳では普通は感知できない周波数だと

思いますので、実在の一つかもしれませんが、

私自身は幽霊を感知することはありませんので、

よくわかりません。

 

もし、幽霊というものがあっとしても、

それは恐らく、エネルギーレベルとしては

かなり弱いものだと思いますので、

私が感知できないだけかもしれません。

 

私は、エネルギーレベルの高い実在を

感知することができます。

エネルギーレベルの高い実在というのはつまり、

人の「真本音」です。

 

そしてそういったエネルギーレベルの高いものを

感知する能力は、

本当は誰もが持っています。

しかし、

使わないだけなのです。

使い方を知らない、とも言えますが。

 

「真本音」とは圧倒的にエネルギーの高いものです。

ですから、「実在」を感知する能力がつけば、

「真本音」の存在感は

否が応でもわかります。

 

本当の意味で、

「実在」を感知するためには、

脳を使わずに感知する力を高めることです。

その力が伸びれば、

脳を使わずに物事の本質をつかむことが

できるようになります。

 

脳(五感)を使って捉える物事が、

いかに薄く、淡いものであるか、ということも

まざまざと知ることになります。

 

その能力は、

きちんと訓練をすれば誰もが伸ばすことが

できますが、

そのためには、まずは

五感(脳)を使って実在を捉える、というのが

ファーストステップです。

 

二人コーチングの場で、

弓江さんの脱皮をサポートするにあたり、

弓江さん自身に、古い皮がどうなっているかを

見てもらったり、

木村さんに、その皮をもぎ取ってもらったりしたのは、

「実在」を感知する力を伸ばす訓練の一つ

でもありました。

 

弓江さんも木村さんも

かなり的確に「実在」を捉えていました。

 

そして実際に、

弓江さんは「脱皮」を果たしました。

(→前回記事)

 

弓江さんは、

「正義」という名の古い皮を

手放しました。

 

そこから解放されたのです。

 

結果的に、

弓江さんの古い皮は私が受け取りました。

私は腰がドーンと重くなるのを感じました。

そして、言いようのない苦しみを覚えました。

 

この苦しみは、

無意識に弓江さんが味わい続けていた

ものです。

 

私はすぐに、その古い皮を

浄化しました。

 

今はコーチングのその場で

同時並行で浄化できますが、

以前の私にはそれができませんでした。

 

一日のコーチングが終わって

家に帰ってから必死に浄化をする、

という毎日が何年も続きました。

 

時には、浄化が

次の日の朝までかかることもありました。

いえ、

何日もかかることもありました。

 

浄化力というのも

訓練によってかなり高まります。

 

今はその場で大半のものは浄化できますので、

随分と楽になりました。

 

私は、コーチには、

・「実在」を感知する力

・「実在」に変化を起こす力

・「実在」を浄化する力

が必要であると思っています。

 

そういった力を持ったコーチを

養成するというのも

私の使命の一つだと思っています。

 

つづく

 

脳みそを使う五感だけが、すべてではないのです

心、って何でしょうね?

 

心は目には見えないものです。

でもよくよく考えると、

「見る」という行為は、私達の脳みそが感知する行為

でしかありません。

 

私達は、脳で感知できるもののみを

「そこにある」

と判断しています。

 

が、脳で感知できる周波数はほんのわずかです。

 

「見る」ということだけでなく、

「聞く」ことも「体で感じる」ことも、

つまり私達の五感はすべてが、脳によるものです。

 

脳という機関を通じないと

私達は、私達の世界や現実を感じることは

できません。

・・・と一般的には言われています。

 

が、本当にそうでしょうか?

 

脳を使わずに、

そこにあるものを

感知することは

本当にできないのでしょうか?

 

これに対しては

私は明確な答えを持っています。

 

もちろん答えは、

「できます」

です。

 

というよりも、

「できますよ。それが当たり前のことです」

という言葉になるかな。

 

第六感という言葉がありますが、

第六感どころか、第七感も第八感も第九感も、

もっともっと私達にはあります。

 

脳を使わなければ何もわからない、

という私達の固定観念が

それらを使わなくしているだけのことです。

 

私はコーチングというお仕事を通じて

たくさんの方々の「心」と向き合いました。

 

ある時から、

脳みそを使わなくても、

皆さんの心を感知することができるように

なりました。

 

それは、「超能力」と表現するような

特別なものではありません。

 

あぁなんだ、私達人間には最初から

こういった能力が備わってるんだな、

ただ使ってないだけなんだな、みんな、

とわかりました。

 

脳の五感を使わずに感知できるものを

いつからか私は

『実在』

と表現するようになりました。

 

そこに確かに「実在」しているもの、

という意味です。

 

それに対して、脳レベルで感知するものを

『現象』

と呼ぶようにしました。

 

『実在』と『現象』。

 

すべての物事は、この二つによって

成り立っています。

 

『実在』があるからこそ

『現象』が起こります。

 

しかし、

『実在』があったとしても、それがまだ

「現象化」していないものもあります。

 

この話については、

今後、少しずつこのブログでも

明らかにしていきます。

 

さて、

木村さんの話に戻りますが、

私はコーチングをしながらも、木村さんの『実在』を

感知し続けていました。

 

木村さんの『実在』をあえて

わかりやすく表現すれば、次のようなイメージに

なります。

 

木村さんという、もの凄く強いエネルギー体が

真っ黒な雲に覆われてしまっている。

 

・・・こんなイメージです。

 

もちろん、『実在』ですので、

脳で見るわけではありませんので、

本当にそのように見えるわけではありません。

 

でも、脳を使わずに感知したことを

まるで脳を使ったように表現すると、

こうなるのです。

 

ですから、

こんなにエネルギーの高い人なのに、

あんな雲で覆われてしまって

本当にもったいない人だなぁ、

というのが、私の木村さんへの印象でした。

 

なんとかあの黒い雲を

取り払うことはできないかな、

というのが、私のコーチとしての木村さんに対する

テーマでした。

 

木村さんが

「プロのコーチになりたい」

と言い出した時、

私は、彼の黒い雲がますます黒く重くなり、

ますます彼のエネルギーが閉ざされていくのを

感じました。

 

しかし、

彼のコーチングを続けることで、

彼は自らの「真本音の言葉」を語りました。

 

それが、

「平井にもっと伸び伸びとしてもらいたい」

という願いでした。

(→前回記事)

 

彼がその一言を口にした途端に、

木村さんの実在に変化が現れたのが

わかりました。

 

イメージで言えば、

黒い雲に一箇所だけ穴が空き、

そこから彼本来のエネルギー(光)が

洩れ始めた、

・・・そんな感じです。

 

この光を大きくすればいいんだ!と

私はとっさに思いました。

 

そのためには、

私の次の一言がすべてを決めます。

 

ここがコーチとしての

最も重要な瞬間だとわかりました。

 

私は、彼の目を

見据えました。

 

そしてその時その瞬間、

自然に浮かんだ言葉をそのまま

彼に投げたのです。

 

その言葉は、

木村さんの真本音が

「今、私に投げてください!」と望んだ

一言でした。

 

つづく