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似て非なるもの。
という言葉が
ありますね。
一見すると
同じように見えて、
実は本質は
まったく異なるもの。
真逆なもの。
そういったものが
世の中には
たくさんあります。
例えば、
将来への
「ビジョン」。
ビジョンとは
未来に対する願いを
描いたものですが、
本当に真本音の願いの
もとに描かれたビジョン
もあれば、
ただの夢想で
あったり、
現実逃避をするために
未来に意識を向けた
結果であったり、
そんなビジョンも
あります。
同じ「ビジョン」でも
本質は
まったく異なります。
当然ですが、
後者のビジョンは
私達自身の真本音が
とても嫌がります。
ですから
そのようなビジョンを
描いたり、
未来にばかり目を
向けている人には
私は、
「今ここに集中しなさい」
とか、
「今すべきことを
しっかりしなさい」
とお伝えします。
逆に、
真本音のビジョンを
描いている人には、
「徹底的にそのビジョンを
大切にするといいですね」
とか
「もっともっと自由に
そこに向かいましょう」
とご提案します。
ビジョンは
描けばいい、
というものでは
決してありません。
同じビジョンでも
真本音から外れた
ビジョンは
人生の足を引っ張ります。
・・・・・・
似て非なるもの、
の真逆もあります。
一見すると
全然違うのに、
実は本質は同じだった、
というものです。
例えば、
私のあるクライアント企業様の
営業部長さん。
彼は、
「我社には新商品は
必要ない。
既存の商品をいかに
売るか、が最重要だ」
と、
いつも言われていました。
その一方で、
同じ企業様の
経営戦略室の部長さん。
彼は、
「我社に今、最も必要
なのは、
新しい商品だ」
と、
いつも言われていました。
で、二人は
いつもぶつかって
いました。
俗にいう
「犬猿の仲」
というやつです。
そのため、
その会社では
二人を「会わせないようにする」
ということが
行われていました。
二人が顔を合わせれば、
間違いなく
ぶつかり、会議にならないからです。
そして、
経営戦略部長さんが
新商品をせっかく開発しても、
営業部隊のトップである
営業部長さんが
それを真面目に売ろうと
しない。
そんな状態が
何年も続いていたようです。
二人を何とか
できないか?
という社長からのご依頼で、
私はその企業様の
サポートに入りました。
詳細は省きますが、
私はお二人の部長さんと
一人ずつお話をし、
「なんだ、
似た者同士じゃん」
とすぐにわかりました。
「同じ真本音の想いを
持っているじゃないか」
と。
あえて言葉にすれば、
お二人の真本音の
共通の想いというのは、
「お客様の期待を
超える仕事をしたい」
ということでした。
それがお二人の
本質。
しかし、
お客様の期待を超える
ためには、
「自己満足の商品開発
など要らない。
それよりも、お客様の
声に耳を傾け、
できる最大のサービスを
行なうことが大切」
というのが、
営業部長さんの考え。
それに対して、
戦略部長さんは、
「既存の商品に
捕らわれているようでは
お客様の本当のご期待
以上のことはできない。
もっともっと新たなものを
生み出せる私達で
あるべきだ」
というお考え。
これ、
どう見ても、
相乗効果を起こすでしょ。
でもお二人は
恐らく、ずっとお互いを
否定し合ってきたのでしょう。
反応本音レベルの
拒絶感がすごく、
最初は大変でした。
でも、
真本音の想いは同じ
です。
結局、今ではお二人は
「同志」
となっています。
「社内で最も
理解し合える仲」
なんだそうです。笑
そりゃそうです。
真本音の想いは
同じなのですから。
・・・・・・
似て非なるもの。
まったく似ていないように
見えて、
実は同じもの。
そういったものが
世の中には
溢れています。
表面上だけで
判断するのは
やめたいですね、
もったいないから。
本当は
どうなんだろう?
本質は
何だろう?
という視点が
もっともっと
必要ですね。
つづく
区別をつける
というのは、
大切なことです。
この世の中には
似て非なるもの
が非常に多いです。
つまりは、
表面上は一見、ほとんど同じに
見えるけれども、
本質はまったく異なるもの
というものが多いです。
本質がまったく異なる
と言った場合、
それは要するに
次元が異なる、
ということになります。
例えば、
ある人がある一言を言ったとして、
その一言が
どの次元から出た言葉か?
によって、
本質は大きく異なります。
「我社はお客様の満足のために
存在します」
・・・と言ったとして、
この言葉がどの次元から
出ているかによって、
まったく同じ言葉でも
まったく本質は異なる
ということですね。
こういった
似て非なるもの
の区別がつくようになると、
生きることは
とても楽になります。
そして私は、
すべての人が、
こういった区別がつくように
なるといいなぁ、と思っております。
私のコーチングサポートは
クライアントさんが
こういった区別をつけられるようになる、
というのも重要な目的の一つです。
区別がつくようになれば、
例えばビジネスで言えば、
誰と協業すれば良いか?
とか、
組織で言えば、
誰を「要」(かなめ)として
育てれば良いか?
など、
重要な方向性が瞬時に
判断できるようになります。
以前にも書かせていただきましたが、
組織というのは
100人いたとしたら、100人全員を
変えようとしても
変わりません。
それには
膨大なエネルギーと時間が
かかります。
お金もかかってしまうでしょう。
しかし、
100人の中の「要」となる人を
見つけ、
その人達を集中的に育てれば、
その人達を中心に
組織はどんどん活性化します。
その方が
時間もお金も労力も
圧倒的に少なくて済みます。
ですので私は
組織活性化戦略としては
まずは、
「要」となる人を抽出する
ことを重要視しています。
では、
どんな人を「要」とするのか?
と言いますと、実は
組織上の立場とか
仕事の能力が高いかどうか、
というよりも
次元で決めることが
多いのです。
つまりは、
意識の次元の高い人を
「要」とするのです。
意識の次元の高い人は、
次元の高いエネルギーを
注げば、
すぐに変化を始めます。
次元の高いエネルギーを注ぐ
というのはつまり、
真本音のメッセージや
真本音による指示を
与える、ということです。
例えば、社長が、
会社の理念やビジョンを
真本音で語ったとします。
「こんな会社にしたい」というお話を
真本音で語ったとします。
するとそれに真っ先に共鳴
するのが、
意識の次元の高い人達です。
しかもそれは、
共鳴だけでなく、
行動の変化としても
現れます。
真本音で語ったり、
真本音で行動したときに、
そこに真っ先に敏感に反応するのは
意識の次元の高い人です。
そういった人達は
たとえ現時点では仕事の能力が
低くても、
すぐに自ら主体的に
能力を高めるようになります。
社長の真本音の想いに
共感し、
自らも「そうしたい!」と
強く思うからです。
これまでも申した通り、
次元が高いということは、
「すべてが一つ」ということですので、
次元の高い人達は
次元の高い社長の言葉を
「社長の想い」ではなく
「自分の想い」として
受け止めることができるのです。
残念ながら現時点においては、
「会社の理念やビジョンの浸透」
という視点で言えば、
真本音ではない理念やビジョンを
創り、
・・・つまりは、次元の低い
理念やビジョンを創り、
それを無理矢理に
次元の高低に関わらずに
すべての社員さん達に
強引に浸透させる、
というやり方を取っている会社が
多いです。
それでは理念は浸透
するかもしれませんが、
その理念は社員さん達を
縛るだけのもの
になってしまいます。
我社はこういうことを大事に
しているから、
しょうがないから
そうするか。
・・・みたいに、
自分を縛るもの、
自分を制御するもの
として理念を認識するように
なります。
よく私は企業研修などで
皆さんにお訊きします。
「皆さんにとって
理念は居心地のよいものですか?
自分をどんどん開放できる
ものですか?
それとも、自分を縛るものですか?」
・・・と。
私の研修は
皆さんが本音で喋れる場を
創りますので、
皆さん、結構本音を教えて
くださいます。
ほとんどの人が、
「我社の理念は、
言葉としては素晴らしいなと
思いますし、共感もできますが、
実は居心地のよいものでは
ありません」
と答えます。
これが、
理念の浸透
の実態です。
しかし私は、
これでは何の意味もない
と思っています。
いや、むしろ
このような浸透の仕方をするくらいなら
理念などない方がよい
とすら思います。
理念やビジョンは
自分事になってこそ
価値のあるものです。
自分事になることで、
「この理念があるからこそ
私は自分らしさを発揮できる」
という状態になります。
理念があるからこそ、
発想が広がり、
理念があるからこそ、
伸び伸びと行動ができる。
・・・という状態になるのが
理念の本来の存在意義です。
そうなるためには、
言葉だけ素晴らしい理念を
創るのではなく、
真本音の理念を
創ることです。
そして、それをまずは
意識の次元の高い人達に向けて
発信することです。
高い次元では、
すべてが自分事になります。
そこに
「浸透」は必要ありません。
それは
「自分のもの」
なのです。
ですから、
次元の高い理念を発信すれば、
次元の高い人は
すぐに自分事として
自らの発想と行動を変えます。
そういった人を
集中的にサポートすることで
その人達は
大きく成長(進化)します。
人の成長(進化)には
高いエネルギーが発生します。
そのエネルギーは
周りに伝播します。
それにより、
周りの人達も成長(進化)を
始めます。
これが、
組織活性化の原則です。
つづく
「素直な自分であろう」
とすることと、
「本当の素直」
は、
実は根本的に似て非なるもの、
まったくの別ものです。
私達人間が、「本当の素直」を手に入れれば、
すべてが楽になります。
自由になります。
何の気負いも無理もなくなります。
しかし、「素直な自分であろう」とすると、
私達は疲れます。
「あろう」とすればするほど、
心の奥にストレスが生じ続けます。
一見、表面的には両者は
似ているかも知れません。
しかし、
見る人が見れば、
真逆であることが、感じ取れるはずです。
残念ながら、前芝さんは、
「素直な自分であろう」タイプのようです。
(→前回記事)
「弓江さんは前芝さんに
どんな風に成長してもらいたいですか?」
「そうですね・・・。
私は彼はムードメイカーだと思っています。
彼がいると場が明るくなります。
そういった部分はそのままで、
でも、もっと強くなって欲しいですね。」
「それは、どのような強さですか?」
「揺るがない大木のような
強さです。
何が起きてもビクともしないような。」
「今はその要素はあまり
ないのですね?」
「そうですね。
今日この場で初めて気づいたのですが、
いつも彼はビクビクしているのかも
知れません。
そういった雰囲気は出しませんが。」
「なぜ彼はビクビクしているか
わかりますか?」
すると木村さんが言われました。
「これはちょっと以前の私に
似ているのかも知れません。
自分を演じている、というか。
仕事の中での自分を形作っている
というか。
それを良かれと思ってやっていると
思うのですが、それは実は
とても辛いことです。
自分を演じる、って
どこかにいつも後ろめたさを伴うものですから。
私はそれを身をもって知ったわけですが。
彼も同じかも知れません。」
「なるほど。
彼は何か趣味はあるのかな?」
「そういえば、そういった話をしたことが
ないですね。
彼のプライベートなどはよくわからないです。
一緒に飲みに行って、馬鹿騒ぎをすることは
ありますが、よく考えたら、
馬鹿騒ぎするだけで、私は彼のことを
何も知りませんね。」
恐らく前芝さんは、
意図的に仕事とプライベートを区別して
いるのでしょう。
それはそれで悪いことではありませんが、
区別し過ぎて、自分自身が苦しくなるのは
勿体無い話です。
人は、どんな時も
本来の自分を発揮しながら活躍できることが
自然な喜びとなる生き物です。
「弓江さん、
ここまでの話以外で、彼の長所は他に
ありませんか?」
「う〜ん・・・。
彼は、敵をつくらない、というところでしょうか。」
「誰とでも連係できる?」
「はい。
でもそれは一方から見れば、
短所にもなってしまいますね。
ただの八方美人になる場合もありますから。」
弓江さんは最初、
前芝さんのことを「要になり得る」と
言われていましたが、少し
自信がなくなってきたようです。
ただ、ここではそういった結論は
あえて出しません。
ここで私は直観的に
一つの質問を口に出しました。
「前芝さんって、
人のことが好きなのでしょうか?」
二人は、
えっ?という顔をされました。
つづく