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使命。
命の
使い方。
自分は
自分の人生で
何のために
どのようにして
自分の命を
使って行くか?
自分は
社会において
どのような役割を
自分で
果たしていくか?
それらの
答えは
皆、全員、
自分自身で
決めている。
真本音で
決めている。
ところが
それが
わからない。
見えない。
なぜなら、
準備ができて
いないからだ。
自分で決めた
使命に
自分で気づくには
「準備完了」
と
自分自身が
自分に
OK!
を出さねば
ならない。
しかし、
OK!
さえ出れば、
それは
一気に
浮上する。
側からよく
人を観察
していると、
それがよく
わかる。
あっ、今この人
使命が
浮上したな、
と。
今日も、
ある人のコーチングで
それが
起きた。
その人の中で
一気に使命が
浮上したのが
ありありとわかった。
でも私は
それを言わない。
心の中で
密かに
その人を祝福する
のみ。
ここまで来たら
コーチが
サポートしては
ならない。
使命とは
自分で見つける
もの。
自分で
顕在化するもの。
あとは
楽しみながら
見守るだけ。
もうすぐだ。
コーチとしての
至福の時。
つづく
私のままで
いいじゃないか。
このまんまで
いいじゃないか。
・・・本当に
そう思えるまで
とことん
私として
生きてごらんよ。
徹底的に
私
として。
もしそれが
できたら、
次に
こう思えるんだ、
実に自然にね。
今の私じゃ
ダメだ。
・・・と。
このままじゃ
ダメだ。
・・・と。
この状態での
この想いは
次の想いと
完全に一致する。
今の世界じゃ
ダメだ。
このままの世界じゃ
ダメだ。
・・・とね。
そこで初めて
わかるんだ。
私は
何のために
生まれてきたか?
何を
成し遂げるのが
私の人生か?
・・・がね。
この順番。
この順番でしか
見つからないんだよ。
つづく
「もっと
急がねば
ならない」
・・・と。
ふとした瞬間に
心の奥の方から
そんな意思が
浮上する。
何を急がねば
ならないか、
とか
何をどうすれば
良いか、
とか
具体的なことは
まったく
わからない。
でも、
何かにとても
焦っている。
そんな自分が
奥の方に
確かにいる。
何だろう?
・・・という、
そんな感覚を持った
人達が増えている。
結果的に
その人達は
生き急いでいるかの
ような
毎日になる。
このままの
生活で良いのか?
このままの
仕事で良いのか?
このままの
自分で良いのか?
明確な答えは
わからないままで、
焦りだけが
日々、高まる。
そんな人達が
増えている。
私は、
そんな人達をこそ
サポートしたい。
単純に言えば、
その感覚が高まる
ということは、
自分の使命が
浮上してきている
という証だ。
真の使命
だ。
この人生で
自分は何をするか?
何のために
自分は
生まれてきたか?
そういった
根本的問いへの
明確な答えだ。
その浮上は、
多くの場合
自分自身を焦らせる。
真の使命に
向かうための
準備が必要だからだ。
真の使命に
向かえるだけの
自分にまで
自分を高めておく
という
準備だ。
焦りの感覚が
生まれるということは
ほぼほぼ
準備は完了した
ということなのだが、
「あと一歩」
という人も多い。
私はその
「あと一歩」を
サポートしたいし、
真の使命を
自然に思い出せる
ような
サポートもしたい。
そして、
真の使命が
見つかった人とは、
仲間として
共に進みたい。
焦りは禁物だが、
その、
焦りの感覚は
とても大事だ。
その感覚と
しっかり
対峙するといい。
つづく
私達の中にある
真本音の願いは、
何があっても
揺らぐものでは
ない。
それは
生まれた瞬間から
存在し、
人生経験を経る
ことで、
徐々に明確に
なっていく。
そして、
ある時ある瞬間に
一気に
その姿を
見せる。
それは
「準備」が整った
証だ。
「準備を整える」
ための
人生のステージと、
「準備完了から」
始まる
人生のステージと、
私達の人生は
明確に二つに
区別される。
残念ながら、
最初のステージを
終える前に
人生を終えてしまう
人が
これまでは
ほとんどだった。
しかし
これからは
違う。
二つ目のステージに
人生の大半を
費やす人の割合が
劇的に
増えていくだろう。
つまりは、
人は
間違いなく
変わっている。
時代は
間違いなく
変わりつつ
あるのだ。
・・・・・・
この、
時代の変化を
私達はきちんと
受け止めねば
ならない。
これまでと
同様の
世の中が続く
と思っては
ならないし、
これまでの
「やり方」
の延長線上に
これからのやり方が
あるとは
思ってはならない。
もっと端的に
言おう。
これまでの時代は、
自分の使命を
見つけるために
人生の大半を費やす
時代だった。
これからは、
自分の使命を
見つけるのは
当たり前。
使命を見つけた
人達が、
使命を実現するために
人生の大半を
費やす時代
だということだ。
当然、
人と人の
関わり方、
そして、
組織のあり方、
仕組み
そのものが
大きく変貌する
はずだ。
ゆくゆくは
資本主義そのものが
何か別のものに
変換されるだろう。
そしてそのための
変換点は、
ほぼ、
この30年以内に
集約されると
私は観ている。
「観ている」
というのは、
予測している
ということではない。
「実在を感じ取っている」
ということだ。
この30年で
ほぼ、すべてが
決まる。
人類の
行く末が、
この30年間で
決定される。
と、
私は感知
している。
・・・・・・
この3次元の世界
では、
「時間」とは
過去から未来へと
一方向に一定の速度で
進むものだ。
つまり、
「時間」に自由は
ない。
これが、
この世界の宿命
だ。
しかし、
それ以上の次元に
なれば、
「時間」は自由
となる。
次元は
高まれば高まるほど、
「すべてが一つ」
になっていく。
つまり、
高い次元では
過去も今も未来も
「一つ」
である。
そして私達の中には
高い次元の意識が
確かに存在している。
ある意味、
3次元の私達の
見方で表現すれば、
高い次元の私達の意識は
「未来を知っている」
ことになる。
もちろん、
3次元的に言えば、
未来とは
無数にあるものだ。
しかし、
高い次元からいえば、
それらすべてを
含めても、
私達は「一本道」の
中にいる。
「実在」とは
心の中の現実。
それを感知する
とは、
高い次元の意識を
感知する
ということ。
私達は
真本音度合いを
高めることで、
誰もが
それができるようになる。
・・・・・・
高い次元の意識は、
「脳」を使わずに
ダイレクトに
理解できるものだ。
そこにチャンネルを
合わせれば、
今後のこの30年が
いかに重要かが、
理屈ではなく
感覚として
よくわかる。
恐らく、
遠い未来から
今を振り返れば、
この30年は
新たな時代の
「始まりのとき」
という位置付け
だろう。
そしてその
「始まり」の
始まりが、
この
2019年
だ。
この一年で
私達が
・何を成し、
・何を成さないか、
によって
この後の流れが
大きく変わるだろう。
だからもう私は、
妥協せずに
進もうと
決意を新たに
しているところだ。
つづく
自分のこの命を
どう使おうか?
ということを
私達は全員、
真本音で
決めている。
単純なことだ。
その
決めていることを
思い出し、
それに素直に
生きれば、
私達は
至福とも言える
感覚を得ながら
人生を
進めることが
できる。
そこから
遠のけば
遠のくほど、
道は閉ざされるし、
ストレスも
多くなる。
単純なこと。
しかし、
遠のいた道で
あるにも関わらず、
上手くいってしまう、
つまりは
成功してしまう
人も多い。
その人の
能力の賜物だ。
力があるからこそ
そこで
成功してしまう。
だから
この道でいい、
と
本人が
思い込んでしまう。
そして
そのままその道を
進んでしまう。
そういった
複雑な人が
多いのが
残念ながら今の
社会だ。
だから
成功している人ほど、
心が
深いダメージを
負っている
という傾向が
現れる。
そして
成功とは、
ダメージとか
犠牲の上に
成り立つものである、
という思い込みが
蔓延する。
単純なことが
複雑化し、
妙な原理原則が
世の中を
支配しているように
私には思えて
ならない。
・・・・・・
本来のその人の
持っている力は、
使命を果たすための
もの。
しかし
自分と向き合わず、
たまたま成功した
その道に進むことで、
その力を
宝の持ち腐れ
としている。
成功しているから
凄い!
ではない。
本来であれば、
その人は
もっともっと凄いことが
できるはずなのだ。
実は、
そう感じる人が
とてつもなく多い。
能力や力だけで
生きることは
もうやめよう。
能力や力とは
「手段」
である。
その手段を
使うための
「目的」
がある。
それこそが、
自分自身で決めている
「使命」
だ。
・・・・・・
「使命」と言ったって、
様々だ。
大きなことを
しなければならない、
ということではない。
実は、
規模の大きさは
あまり関係ないのだ。
実在のレベルでは。
規模の大小ではなく、
「使命」に基づいて
生きるという
その行為そのもの、
その一歩そのもの
によって、
実在のレベルでは
世の中に
大きな影響を
与えることになる。
自分の能力だけを
使い、
使命とは異なる
道において
100万人の人に
何らかの価値を
提供するよりも、
自分の使命として
目の前の一人の
人に、
自分が与えるべき
本来の価値を
与える方が、
それこそ
100万倍も
影響が大きくなるのだ、
実在のレベルでは。
今、世の中は
そのエネルギー
こそを
欲している。
形だけの
成功は
もはや欲して
いない。
それはもう
古い。
それはもう
時代遅れだ。
それよりも、
たった一つの行動に
どれだけ
魂を込めるか、
使命に向かう
真摯な意志を
込めるか、
である。
・・・・・・
「コーチ」を
使命としている
人がいる。
その人が
「コーチ」としての
一歩を
踏み出すことが、
どれだけ
良い影響を
生み出すかを、
私は確信している。
だから私は、
「コーチ」を
使命としている人を
サポートしたい。
「コーチ」を
使命としている人を
発掘したい。
それが
今の私の最大の
使命だ。
つづく
あなたの
心のどこかに、
ほんのわずかで
いいのですが、
心のどこかの
ちょっとの部分に
掻きむしりたいくらいの
ジレンマは
ありませんか?
心の全体から見れば、
0.0001%以下かも
しれない。
でも、
そこだけに焦点を
当てると、
ウオーーーーッ!!
と、
叫び続けている
自分がいませんか?
こんな私じゃ
いやだ。
こんな人生じゃ
いやだ。
こんな毎日じゃ
いやだ。
私にはもっと
何か
できることがあるはずだ。
私にはもっと
別の人生が
あるはずだ。
私には本当は
もっとすべきことが
あるはずだ。
私には
人生の目的があり、
そこに向かうはず
だったのに、
全然、向かって
いない。
こんな私では
ダメなんだ。
こんな私では
我慢ならないのだ。
今の私は
いやだ。
いやだ。
いやだ。
・・・そんなジレンマ。
そんな葛藤。
そんな、
言いようのない
魂の叫び。
ほんのわずか
0.0001%以下かも
しれませんが、
そういった
掻きむしりたくなる
自分は
あなたの中には
いませんか?
もし、
そんな自分が
いるような気が
するのであれば、
ちょっと勇気を持って
その自分と
しっかり
向き合うことを
お勧めします。
そこにこそ、
あなたの本当の
幸せの原点が
隠されている可能性は
大いにあります。
思えば、
これまでの私は
そういった自分を
お持ちの皆さんを
サポートし続けてきた
のだと思います。
そしてこれからも
そういった方々を見つけ、
全力でサポートしたいと
思っているのです。
なぜなら
そういった人には
必ず、
その人ならではの
人生の目的と、
自ら決めた
「使命」
があるからです。
それは、
誰かから与えられた
使命では
ありません。
自分が自分自身に対して
「約束」した
使命です。
自分自身との
約束。
それを思い出し、
その推進をサポート
するのが、
私の本来の役割の
一つであると
私は認識しています。
0.0001%の中にこそ
あなたの
真実があるのかも
しれません。
つづく
「命の捧げる」
というと、ちょっと重いイメージが
ありますか?
自己犠牲的な
ニュアンスを感じますか?
私達は自らの命を
捧げています。
誰に捧げているかと言いますと、
自分自身に捧げています。
この3次元世界においては
時間は過去から未来へと
一方向に一定のスピードで
流れ続け、
その流れに乗る私達の命は
時間という視点から見れば、
限られています。
その限られた命を
私達は自分自身に捧げ、
自分自身に委ねています。
この命をどう使うか?
をすべて
自分に委ねています。
命の使い方。
これを
『使命』
と言います。
この言葉もちょっと
重い感じがしますか?
でも私達の真本音は
自分自身の命の使い方、
つまり使命を
決めています。
どうせ限られた時間であれば、
その中で
何のためにどのように
この命を使うか?
を明確に決めています。
自らが真本音で決めた
その使命に
素直に生きている人は
内側からエネルギーが
湧き続けます。
常に魂と心が満ちている
非常に安定した状態
となります。
その結果、
どのような現実が
目の前に現れても、
どことなく常に
「ゆとり」
があります。
そして、どのような現実に
対しても
しっかりと向き合い、
納得の一歩を出し続ける
ことができます。
結果として、
現実は開かれていきます。
しかし残念ながら、
自らが決めた命の使い方を
していない場合は、
私達の心は非常に
脆弱になります。
ちょっとしたことで
すぐに揺れ動き、
外的な要因に左右され続け、
人生のハンドルを
外部環境の何物か、
つまり、自分以外の何物かに
握られ続けます。
自分の人生なのに、
自分でハンドルを
握っていない。
その不安定さ。
その不安。
それがあるために、
常に何かを恐れ続けて
生きることになります。
同じ人なのに、
使命に素直か
そうでないのか
によって、
真逆の自分になります。
真逆の人生に
なります。
何が幸せか?
何をもって
成功と言えるのか?
それは
その人その人それぞれ
です。
現実・現象レベルで
どうなっているか?ではなく、
その人の生き方そのもの
つまりは
使命に向かっているかどうか
によって、
その人の抱く
幸せ感や成功感は
は左右されます。
そういった意味で、
自分の命を
自分とは分離して
捉えることを
私はお勧めします。
自分=命
ではなく、
自分は、
この与えられた命を
どう使おうか?
というように、
命を与えられたプレゼントのように
見つめるのです。
そう捉えた時、
あなたの命は今、
どこにありますか?
あなたの体の
内側にありますか?
それとも
外側にありますか?
あなたが命を
包んでいますか?
それとも
あなたが命に
包まれていますか?
その命は今、
どのくらいの輝きを
放っていますか?
その光は
何色ですか?
その光は
輝きを日々、
増していますか?
それとも
輝きが
減退していますか?
その命の光を見つめると、
命からあなたへの
メッセージを感じますか?
もし感じるとすれば、
あなたのその命は
あなたに何を
伝えようとしていますか?
・・・このように
自分自身の命と
対話をしてみると良いですね。
これはつまり、
真本音との対話と
本質的には同じものです。
命を大切にするとは、
自分を大切にする
とは少し異なるものです。
命を大切にするとは、
命との対話を大切にし、
命からのメッセージを
大切にし、
命の使い方を
大切にするという
ことなのです。
つづく
今、私達が
本当に為すべきことは
何でしょうか?
こんな疑問を持ったことは
ありませんか?
今、皆さんには
全力を注いでいる何かが
あると思います。
これは自分の
したいことだ。
自分の
すべきことだ。
そう信じて
エネルギーを注いでいることが
あると思います。
職業で言えば、
「天職」と思えること。
もっと広くみれば、
「使命」と思えること。
それが見つかっている人も
多いと思います。
でも。
ほんのふとした瞬間に、
「これは本当に
私の為すべきこと
なのだろうか?」
という問いが、
自分の中に浮かぶことは
ありませんか?
実は、
私の人生は
その問いの連続でした。
昔の私は、
自分の中にその問いが
浮かんだとしても、
その問いを
瞬時に抹殺していました。
見なかったことに
していました。
ブレるのが
怖かったからです。
今振り返れば、
もっと早い段階から
その問いときちんと
向き合っていればよかったな、と
思います。
今の私にも、
その問いは、
浮かんできます。
浮かんできたら、
「しめた!」
と喜びます。
そして、
その問いが浮かべば
その後に必ず
することがあります。
何だと思います?
実は、その問いとは、
今すぐに答えを見つけなさい、
という問いとは
少し性質の異なるものです。
実は、
問いというよりも
メッセージなのです。
私はその問い(メッセージ)が
自分の中から自然に浮かべば、
必ず、自分の心を整えて、
最も良い状態(真本音状態)にします。
そして、
「覚悟」
を持ちます。
何の覚悟かと言いますと、
『すべてをゼロリセットする覚悟』
です。
これまで自分が
長い年月をかけて
培ってきたあらゆるものを
すべて
「崩壊させてもいい」
と思える覚悟です。
そして
その覚悟を持つことができれば、
ほぼ必ず、
その後にその「崩壊」は
起こります。
ただしそれは
現象(現実)レベルではなく、
実在レベルにおいて
起こります。
わかりやすく言えば、
心の中ですべてのことが
一度、「崩壊」するのです。
完全なる
「ゼロ」
となります。
で、また一つずつ一つずつ
積み上げていきます。
これを喩えて言うならば、
引越しのようなものです。
例えば、これまで
6畳一間の部屋に
住んでいたとします。
そこには、
様々な家財道具があり、
自分なりに快適な生活を
実現できていたとします。
ゼロリセットとは、
大掃除をするという
レベルではなく、
その6畳一間の部屋を
引き払うということです。
そして、
新たな部屋を
見つけます。
例えば、
もっと広い部屋がいいな。
もっと日当たりの良い部屋が
いいな。
部屋は8畳が二間くらい
あった方がいいな。
・・・などなど、
自分の本当に望む生活を
目指して、
住むところそのものを
変えてしまうのです。
で、
その新たな部屋に見合う
家財道具を取り揃えます。
しかしそれは、
新たな家財道具を購入する
とは限りません。
部屋を変えても
家財道具はこれまでのままがいい、
というケースの方が多いです。
もちろん、
買い換えたいものは
買い換えます。
これが、
「ゼロリセット」の
意味です。
私は、ここ数年だけでも
何度も、
人生のゼロリセットを
繰り返してきました。
その度に
すべてを崩壊させる覚悟を
持つのですが、
結果的に現象レベルでは
何も変わりませんでした。
表面上では、
これまでの延長線上での
人生が続いています。
仕事も同じです。
でも実は、
その中身がまるっきり
変化(進化)しているのです。
それは家財道具は
変わらないけど、
住んでいる部屋が
6畳一間から
8畳二間に変わる
ようなものです。
同じ家財道具でも
快適さが全然違うのです。
「ゼロリセット」というと
怖い感じがしますが、
しかし、本当にゼロリセットしてみると、
これまで培ってきたものが
いかに素晴らしいものであったか、
素晴らしい財産であったか、
ということを
改めて再認識することが
できます。
ただし、
前提条件としては、
本当にすべてが崩壊してもよい、
という覚悟を持つこと。
これがないと
ゼロリセットはできません。
しかしその覚悟は、
日々を真本音に素直に
生きている人にとっては
結構、容易いことです。
「これは本当に
私の為すべきこと
なのだろうか?」
もし自然にその問いが
浮かんできたら、
ぜひ、大切にしてください。
それはきっと
人生の醍醐味に
つながりますよ。
つづく