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私達が
人生の始まりの瞬間を
迎えた時、
私達は
自らの人生の
終わりの瞬間に
想いを馳せる。
始まった瞬間から
私達は
終わりに向かう。
こんな終わり方を
したい。
そのためには
こんな人生に
したい。
その強烈な願い
のもとで
私達は
意志を固める。
そして
自分自身との
約束を交わす。
その「約束」は
一生、
自分と共にある。
意識することは
ほとんどないかも
しれない。
でもそれは
いつでも
「ここ」にある。
約束=自分
である
とも言える。
私達は
約束に生きる者
だ。
・・・・・・
「約束」を
思い出すことは、
自分自身の
決意を思い出す
ことでもある。
その決意は、
勇気を生み出す。
本来の勇気
とは、
単なる意気込み
ではない。
「約束」を果たそう
とする
私達の本能から
来るものだ。
そういった勇気を
誰もが
持ち合わせている。
ただ、
忘れているだけだ。
「約束」を
忘れてしまうように。
・・・・・・
本来の自分を
取り戻す
ということは、
その「勇気」を
取り戻すことでも
ある。
不安だから
先に進めない。
怖いから
この道は
行けない。
そう言いながら
止まってしまう人が
多い。
その場合に、
私が
サポートするに当たり
とても注意している
ことは、
意気込みレベルの
勇気で
先には進ませない、
ということだ。
意気込みレベルの
勇気では
確実に
止まる。
途中で
投げ出す。
この道は
「約束」への道だ、
とわかれば、
心を落ち着かせ
自らと
完全に向き合う
ためのサポートを
する。
勇気を奮う
のではなく、
約束を思い出す
のだ。
そして
そこから生まれる
勇気は
「遊気」
でもある。
人生、
遊ぶが
ごとし。
この境地は、
「約束」
から来るものだ。
つづく
自分の中の
最もエネルギーの高い
自分の心に
到達しようとすると、
そこは
必ず、
厚くて黒い雲に
覆われている。
ある意味、
最も近づきたくない
場所なんだ、
そこは。
しかし、
その雲に
私達は
立ち向かわなければ
ならない。
雲から逃げずに
雲に
突入しなければ
ならない。
雲をくぐり抜けてこそ、
初めて
自分の「真」を
目の当たりにすることが
できるからだ。
その勇気を
持てる人を
私は育成している
のだと思う。
それが私の
志であり、
もし10人に一人の人が
それが
できるようになれば、
この世の中は
大きく変わると
思っている。
・・・・・・
「立ち向かう」
と言うと、
どうしてもかなり
キツいイメージが
ついてしまう。
勇気と言うと、
怖いとか、
気合いとか、
そんなイメージも
あるかも。
しかし私は
真の勇気とは
『遊気』
だと
思っている。
遊び心。
人生、
遊ぶが如し。
これは、
少し短絡的に言えば、
結果を気にしない
ということ
でもある。
もちろん
「結果」は大事だ。
ある意味、この世は
結果がすべて
とも言える。
仕事や経営では
特にそうだ。
しかしそれを
すべて
受け入れた上で、
あえて、
結果を
気にしない。
人事を尽くして
天命を待つ
ではないが、
どのような結果が
出ても
それはそれで
しょうがないではないか、
との
開き直りができると、
逆に
凄いパワーが出ることが
ある。
もちろん
すべての結果を
自分自身が
飲み込む覚悟があっての
話だが、
その覚悟ができると
人は
途端に
楽になる。
力が抜ける。
自然体になる。
そうなった時に
発生するのが
「遊気」
だ。
そういった意味で
言えば、
遊気をもって
事に当たれる人
を、
私は育成したいし、
それがやはり
私の志だ。
・・・・・・
人は
怖気づく。
当たり前だ。
それが
人だ。
それをなくす
必要は
ない。
一切ない。
というか、
なくそうとしては
ならない。
なくならない
からだ。
なくならないところに
人の価値と
存在意義が
あるからだ。
怖気づく
ヘナチョコな
自分。
それと共に
歩む。
その覚悟を
持った時に、
遊気は
生まれるね。
つづく
勇気を持って
進むことは
難しいかな?
例えば、
これまでの環境を
大きく変革したり、
新たな環境に
移ったり、
例えばそういった
かなり大きな決断を
したい!と
本気で思っても、
その一歩を踏み出すのは
怖いことかな?
そんな時、
その怖さや気弱さを
消そうとする人が
とても多いのだけど、
そんな時ほど
怖さも弱気も
しっかりと
味わい尽くすといい。
むしろ
その怖さと弱気と
ずっとずっと
共に進もうという
意志を持つくらいが
いい。
人として
怖さがあるのは
当たり前。
弱気があるのも
当たり前。
これらと私は
一生、親友でい続けよう。
くらいに
思ってしまおう。
そこを
決めてしまおう。
すると
その覚悟によって
初めて発現する
境地がある。
それが
「遊気」
だ。
私はよく
勇気を
「遊気」
と書く。
結構これ
本質を突いていると
思うんだ。
人生
遊びが如し。
という
どこかの偉い人が
言われた言葉が
あるらしい。
かなり昔から
好きな言葉だ。
本当に
人生の辛さや
自分の弱さを
引き受けた者からしか
出ない言葉では
ないだろうか。
人生
遊びが如し。
どうせなら
怖さも弱気も一緒に
なって
すべてを
遊び心を持ちながら
引き受けてしまおう。
「自分」
のすべてを
引き受けてしまおう。
そんな自分だからこそ、
観える景色や
道が
あるもんだ。
つづく
怖いことを
「怖い」と感じる
感性は
とても大事だ。
怖さとは
乗り越えるもの
ではない。
怖さとは
純粋に感じ取る
ものだ。
感じ取る
だけでいい。
しっかりと
感じ切ることだ。
ここを
中途半端にするから
足が前に
出なくなる。
感じ切ることで
「怖さがあるからこそ」
の進み方が
できるようになる。
それは多くの場合、
「地に足のついた」
進み方となる。
つまり怖さとは、
「味方」である。
・・・・・・
それは
私の5歳の息子を
見ていると
よくわかる。
私の息子は
かなりの怖がりだ。
すぐに
「怖い、怖い」
と言って
尻込みをする。
私も子どもの頃は
極度の怖がりだったが、
それ以上に見える。
しかしあえて私は
そのままに
放っておく。
「怖がらずにやれよ」
とは
あえて言わないことに
している。
ただ、
それをする意味だけ
伝える。
これに挑戦することで
こんな良いことが
あるのだよ、と。
それでも
「怖い」を連発する
のだが、
ある一定の時間が
経つと、
まるでそれまでの
記憶がなくなって
しまったかのように、
突然に
毅然とそれを
始めるのだ。
その変わり身に
私はいつも
茫然とするのだが、
あぁ彼は、
怖さをきちんと
感じ切ったな、
とわかるのだ。
反応本音を
しっかりと
感じ切ると、
真本音が
発動する。
今、自分が
何をすべきか?
に対して
真摯になれる。
毅然となれる。
それは
大人も子どもも
同じだ。
ただしこう書くと、
「邪魔な反応本音を
捨て去ることで
真本音が発動する」
という印象を
持たれてしまうかも
しれない。
いや、そうじゃない。
反応本音が
あるからこそ、
真本音の一歩は
より
毅然としたもの、
安定したものと
なるのだ。
反応本音は
真本音の
「味方」だ。
自らの
反応本音を
愛する人は、
自らの
真本音を
愛することができる。
つまりは、
自分自身を
本当の意味で
愛することができる。
それにより
私達は
自分を信じ、
最善の一歩を
踏み出し続けることが
できる。
・・・・・・
怖がる自分を
責めないで
ほしい。
責めても
何も生まれない。
怖がるからこそ
最善の一歩が
踏み出せるという
事実を
知ってほしい。
怖さは
次元を低める
ものではない。
怖さがあるからこそ、
私達は
次元の高い選択が
できる。
これからの時代は
「勇気」の
必要となる時代だ。
過去のやり方を
あらゆる意味で
手放さなければ
ならない。
過去の常識を
超えてゆかねば
ならない。
そんな時代に
存在している我々が
大事にすべきが、
「怖さ」
である。
あえて
「怖い」方に
向かおう。
「怖さ」を
感じ切りながら。
つづく
始めよう!
もし、今何かを
始めようかどうか?と
迷っている人が
いたとしたら、
私はそう
オススメします。
始めよう!
2018年は、
始めるには
うってつけの年
です。
世の中全体の
真本音には
潮流というものが
あります。
今は
その潮流が、
始めよう!という
意志に
力を与えてくれます。
新たに何かを
始めることは
もちろん
勇気の要ること
ですが、
勇気さえ出せば、
最初の一歩を
踏み出せば、
新たな世界が
一気に
広がるでしょう。
これまで、
私はちょっと
真本音の度合いの
低い人生
だったかな?
と反省している人も
ここで思い切って
始めることで、
人生の転換を
はかることも
できるかもしれません。
もちろん
闇雲に
やけっぱちに
始めるのは
オススメできませんが、
心を静かにして
目を閉じて、
自分の心と
しっかりと向き合って
「私が
私自身の人生を
しっかりと創っていく」
という
覚悟の気持ちが
あるのでしたら、
ここは
一歩を踏み出して
みましょう。
・・・・・・
いつも
書かせていただくこと
ですが、
この3次元の世界は
未来に何が起こるか?が
わからないところに
魅力があります。
これは
3次元世界特有の
魅力です。
これがあるからこそ、
人生の難しさも
あるわけですが。
しかしよくよく
考えますと、
私達はまずは
勇気を奮って
この世界に生まれて
きました。
これ以上に
勇気の要る
始まりは
ありません。
そこを
くぐり抜けてきた以上、
私達にはすでに
必要な勇気は
備わっています。
少し前の私は
「勇気とは
遊気である」
とよく
自分自身に
語りかけていました。
おかげで
結構、
いざという本番には
強かったかな。
いざとなると
「遊気」
が働いてくれたので。
でもその「遊気」は、
「始めよう」と
思った瞬間に
実際に始めてしまう、
という経験の
連続によって
育まれるものだと
思うのですよね。
・・・・・・
始まり。
というのは
ワクワクしますね。
ヒリヒリも
します。
人生の
醍醐味です。
毎日が始まり、
というくらいに
人生を楽しめると
よいですね。
昨日まで
創り上げたものを
守る人生も
大事ですが、
毎日、心の中では
ゼロリセットをして、
新たな人生が
始まるくらいの意識で
一日を始められる
というのも
なかなかのもんです。
むしろその方が、
昨日まで培ったものが
結果的にはすべて
活かされるかな。
人生とは
始まりである。
極端に言えば
そんな人生にしても
よいのでは
ないでしょうか。
つづく
今は
加速すべき
時です。
もし
迷っている人が
いるとすれば、
私は必ず
そうアドバイス
するでしょう。
今はもう、
止まっている
時では
ありません。
準備は
整っています。
あとは
必要なのは
前に踏み出す
勇気のみ。
勇気を出せた
人は
一気に進み、
勇気を出せなかった
人は
ずっと止まり続ける。
その
わかりやすい
二者択一の
どちらを選ぶかによって
恐らく、
今後の何十年かの
人生展開が
根本的に
変わるでしょう。
それくらいに
今の
世の中全体の
「潮流」は
重要な時を
迎えています。
・・・・・・
私は
進むべき価値のある
人間でしょうか?
そのような
問いを受けることが
あります。
いやいやいや、
それを決めるのは
あなたでは
ありません。
それに、
それを決めるのは
今では
ありません。
むしろ、
もし自分の愚かさを
知っているので
あれば、
それはチャンス
です。
本当に愚かなのは、
自分の愚かさを
自覚していないこと。
愚かさを知る者は
ちゃんと
「観えている」
のです。
そして、
観えている人
こそが
加速できるのです。
自分の価値は
人生の最期の
瞬間くらいに、
きっと自然に
わかるでしょう。
・・・・・・
あなたの中に
夢や希望が
ありますね。
それは
「幻影」
ですか?
それとも
「実在」
ですか?
もしも
「実在だな」
と思えるのならば、
すぐにでも
加速を
始めてください。
今は
本当に
チャンスです。
今、始めなければ
いつ始めるの?
というくらいの
チャンスです。
それは
あなた自身が
本当は
最もよくわかっている
はず。
あなたの中に
確信は
あるはず。
そこに素直に
進んでください。
勇気とは
今のこの時の
ために
あるのです。
つづく
私達一人一人の真本音は、
自分の進化のために
次はどのような一歩を進めば良いか?
という「最善の一歩」を
常に私達に教えてくれます。
(→前回記事)
「最善」とは、「現実的」ということでも
あります。
つまり、
決して無理をしません。
無理をしないということは、
自分の現時点の能力を使えば、
必ず道を開くことができる
ということです。
ところが。
真本音で判断する一歩が
わかったとしても、
その一歩を踏み出せない人が
多いのです。
なぜならその「一歩」は
かなりの勇気を必要とする場合が
あるからです。
つまり、
真本音では「できる」「やれる」と判断しても、
顕在意識では「できないのではないか」と
思ってしまうのです。
そこで、
「怖いかもしれないけど、
勇気をもって真本音の選択通りに
動いてみてください」
と後押しするのが私のサポートです。
実際に、
そのクライアントさんがもし勇気を奮って
真本音通りの一歩を進んだら、
必ず道は開くのです。
それどころか、
一度その経験をすると、
自分が感じていたその「怖さ」が
どうでもよくなってしまいます。
「なんだ、こんな簡単なことだったのか」
と思えます。
そりゃそうです。
私達の真本音は
「簡単にできること」
しか選択しないからです。
しかし逆に言えば、
そういった「やれば簡単にできること」を
「できない」と思い込み、
「やらない」状態で生き続けている人が
実に多いということです。
それこそ、宝の持ち腐れです。
宝の持ち腐れをしている人達が
チームや組織を組めば、
もちろんですが、
宝の持ち腐れのチームしかできません。
でも同じメンバーが
宝の持ち腐れをやめて、
真本音で進み始めたら、
そのチームの進み方は本質的に
変化します。
成果も根本的に変わって来ます。
要するに、キーワードは、
『真本音に素直になる』
であり、そのためには
『真本音度合いを高める』
のです。
それにより、
『進化のスピードが加速する』
ようになり、結果として
『みんな幸せを感じながら進む』
という状態に入ります。
そうなると、成果が出るのは
あまりにも当たり前のことになります。
いついかなる時にも
どんな組織やチームや個人に対しても、
私は以上の基本軸に沿った
サポートをします。
これを外すことは
あまりにも不自然であることを
実感しているからです。
不自然に成果を出しても
人は疲弊します。
疲弊すれば、
長続きしません。
進めば進むほど、
加速すれば加速するほど、
パワーが高まるのが
自然の摂理です。
ビジネスでこそ、
自然の摂理を大事にしたい、
いや、大事にすべきであると
私は考えています。
人が集まり、
組織が成り立ちます。
そして、
組織が集まり、
社会が成り立ちます。
すべては、
「人」が原点です。
一人一人が
自然の摂理に基づいた
自然の道を進むことが、
社会全体の自然な進化に繋がるのは
当然のことであると、
私は考えています。
今、自分は、次の一歩を
どう進むのか?
それを自らの真本音で決める
その一つ一つが、
「社会」を左右するのです。
つづく