あえて怖い方に進もう

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怖いことを

「怖い」と感じる

感性は

とても大事だ。

 

怖さとは

乗り越えるもの

ではない。

 

怖さとは

純粋に感じ取る

ものだ。

 

感じ取る

だけでいい。

 

しっかりと

感じ切ることだ。

 

ここを

中途半端にするから

足が前に

出なくなる。

 

感じ切ることで

「怖さがあるからこそ」

の進み方が

できるようになる。

 

それは多くの場合、

「地に足のついた」

進み方となる。

 

つまり怖さとは、

「味方」である。

 

・・・・・・

 

それは

私の5歳の息子を

見ていると

よくわかる。

 

私の息子は

かなりの怖がりだ。

 

すぐに

「怖い、怖い」

と言って

尻込みをする。

 

私も子どもの頃は

極度の怖がりだったが、

それ以上に見える。

 

しかしあえて私は

そのままに

放っておく。

 

「怖がらずにやれよ」

とは

あえて言わないことに

している。

 

ただ、

それをする意味だけ

伝える。

 

これに挑戦することで

こんな良いことが

あるのだよ、と。

 

それでも

「怖い」を連発する

のだが、

 

ある一定の時間が

経つと、

まるでそれまでの

記憶がなくなって

しまったかのように、

 

突然に

毅然とそれを

始めるのだ。

 

その変わり身に

私はいつも

茫然とするのだが、

 

あぁ彼は、

怖さをきちんと

感じ切ったな、

とわかるのだ。

 

反応本音を

しっかりと

感じ切ると、

真本音が

発動する。

 

今、自分が

何をすべきか?

 

に対して

真摯になれる。

 

毅然となれる。

 

それは

大人も子どもも

同じだ。

 

ただしこう書くと、

「邪魔な反応本音を

捨て去ることで

真本音が発動する」

という印象を

持たれてしまうかも

しれない。

 

いや、そうじゃない。

 

反応本音が

あるからこそ、

真本音の一歩は

より

毅然としたもの、

安定したものと

なるのだ。

 

反応本音は

真本音の

「味方」だ。

 

自らの

反応本音を

愛する人は、

自らの

真本音を

愛することができる。

 

つまりは、

自分自身を

本当の意味で

愛することができる。

 

それにより

私達は

自分を信じ、

最善の一歩を

踏み出し続けることが

できる。

 

・・・・・・

 

怖がる自分を

責めないで

ほしい。

 

責めても

何も生まれない。

 

怖がるからこそ

最善の一歩が

踏み出せるという

事実を

知ってほしい。

 

怖さは

次元を低める

ものではない。

 

怖さがあるからこそ、

私達は

次元の高い選択が

できる。

 

これからの時代は

「勇気」の

必要となる時代だ。

 

過去のやり方を

あらゆる意味で

手放さなければ

ならない。

 

過去の常識を

超えてゆかねば

ならない。

 

そんな時代に

存在している我々が

大事にすべきが、

「怖さ」

である。

 

あえて

「怖い」方に

向かおう。

 

「怖さ」を

感じ切りながら。

 

つづく

 

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