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以前の私の講座の
受講生さんで、
「喜び」
という言葉と
「悦び」
という言葉を
区別されていた人が
いた。
「喜び」とは
心の喜びのこと。
「悦び」とは
魂の喜びのこと。
だそうだ。
この区別、
私もとても大切だと
思っている。
この区別が
もっとつくようになれば、
人生はもっともっと
豊かなものに
なるのではないか。
・・・・・・
この仕事をしていると、
魂がジンジンと
悦ぶ瞬間が
ほぼ
毎日のようにある。
それが実に
気持ちが良い。
しかもそれは
特別な出来事だけに
起こることではない。
私が、
「悦び」を実感できる
ようになってから
初めて知ることが
できたのは、
「一日の始まり」
と
「一日の終わり」
に
私達人間は
言いようのない悦びを
得ている、
という事実だ。
始まりと
終わりに
私達の魂は
打ち震えるのだ。
ひょっとすると、
この悦びを
定期的に得続けるが
ために、
「一日」というのは
あるのではないか、
とすら、
私は思うことがある。
ところが、
この悦びを
素直に感じ取っている
人がいったい、
どれだけいるだろうか。
今の社会では。
・・・・・・
富士山など、
山に登って
ご来光を拝む時、
ほとんどの人は
独特の喜びや
感動を得ていると
思う。
あれはもちろん
太陽や大自然の美しさを
目の当たりにした
感動もあるだろうが、
あれこそ私は
本質的には、
「始まりの悦び」
を感じているのだと
思う。
このように皆、本当は
「悦び」は感じられる
はずなのに、
日常にどっぷりと
浸かってしまうと、
それを
忘れてしまう。
これは
実にもったいない
ことだと
思わないか?
・・・・・・
私の推奨する
セルフコーチング法は、
この「悦び」を
取り戻していく方法
とも言える。
普段、
本当は感じているのに
感じられていない
麻痺してしまっている
私達の心を、
正常に戻していく。
そのために必要なのが、
『リブート』
だ。
つまりは
「再起動」。
心を再起動させる
やり方と力を
身につけていく。
一昨日の記事で
「リブート」には
二つの意味がある、
と書かせていただいたが、
(→【やっと動画を撮り終えました】)
二つ目の意味
とは、
「毎日のリブート」
だ。
本当は、
一日の終わりと
次の一日の始まりは、
私達にとっては
「リブート」
するというとても
重要な意味がある。
しかしそれが
きちんとできていない。
だから、
始まりと終わりの
「悦び」も
感じ取ることが
できない。
だから、
本来の
エネルギーも
湧いてこない。
昨日書かせていただいた
エネルギー管理も
できなくなる。
(→【自分のエネルギー管理を】)
だから私は
「リブート」の
具体的な方法を
皆さんがきちんと知る
必要があると
思っている。
それを
お伝えしたい。
これができると、
いつでもどこでも
「リブート」できる
私達になれる。
それをしっかり
正しく練習する場
としての講座を
開きたいと思っている。
つづく
私は
「コーチ」というお仕事を
させていただいている
関係上、
これまで何度も
「達成感」
というものを
体験させていただいた。
もちろん
自分自身が何か
達成するのも嬉しいが、
クライアントさんが
何かを達成した喜びは、
形容のしようがない。
そんな時は、
心の底から
うわーーーっ!!
という激しい感情が
湧いてくるのであるが、
ここで私は
一つのことを
学んだ。
これ、
結構オススメ
である。
・・・・・・
何かと言うと、
溢れんばかりの
喜びは、
「体の中心に
大事に
抱いておくとよい」
ということだ。
まぁ、時には
その気持ちを
思う存分に
発散させてしまうのも
アリなのだが、
ぜひこれ
やってみてほしい。
体の中心
と言うと、
おヘソの奥の
体の中心部分だ。
ここに
喜びのエネルギーを
大事に大事に
しまうイメージだ。
「しまうなんて
もったいない」
と
思うかもしれない。
でも、
やってみてほしい。
中心に抱いた
その瞬間から、
体の中心から
あたたかい何かが
ずっと自分を
満たしてくれるのだ。
喜びは
発散すると
短時間で
消えていってしまう。
しかし
大事に抱くと、
長時間
ずっとずっと
そこから自分を
満たし続けてくれる。
とても
安定するし、
安心する。
心が
豊かになる。
そしてその状態で
また
次への一歩を
進む。
すると
さらにまた
新たな喜びが起こる。
それをまた
体の中心に
抱くのだ。
大事にね。
するとずっと
喜びに満たされた
人生となる。
実は
これを発見したのは
10数年前。
その時から
私はずっと
喜びを感じながら
生きているのかも
しれない。
かなり
オススメ。
やってみてね。
つづく
あぁ、私は
もう、すべてを
知っているんだなぁ・・・。
しみじみと
そのように実感
することは
ありませんか?
すべての答えは
自分の中にあるし、
自分の人生において
どのようなタイミングで
何を始めれば
よいのか?
そして、
何を終えれば
よいのか?
何を手放せば
よいのか?
どこで
加速すれば
よいのか?
どこでいったん
止まれば
よいのか?
誰と出会えば
よいのか?
誰と離れなければ
ならないのか?
何を目指し、
どのような
試行錯誤をし、
どのような学びを
次に活かせば
よいのか?
・・・そういった
様々な
自分にしかわからない
人生の選択の
答えは、
やはり
自分の中に
明確に存在するのだなぁ、
と、
しみじみと
自覚する瞬間。
その瞬間、私達は
自分の中に
確かに存在する
始めから
存在する
「覚悟」のようなものを
感じ取ることも
できます。
その覚悟とは、
自分自身との
「約束」を果たす
覚悟です。
・・・・・・
今、
私がしようとしている
この選択は、
私自身との
「約束」を
果たすことに
繋がるのだろうか?
という問いを
常に自分自身に
投げ続けることは
とても有用です。
思えば、日々、
私がやり続けている
自分への問いは、
極端に言えば、
要するにこの問いに
集約されるのかも
しれません。
それくらいに
重要な問いです。
ただし、
やはりここでも
念のために申しますが、
約束を果たす、
というと
実に窮屈な感じが
するかもしれません。
しかしそれは
まったく逆です。
あぁ自分は今、
自分自身との約束を
果たし続けているなぁ、
と思える
安堵感。
そして
安心感。
そして
充実感と
満たされ感は、
他のあらゆる喜び
よりも
勝るものでしょう。
さらには、
約束を果たしていると
実感できる毎日は、
イコール
「調和の毎日」
でもあります。
あらゆる物事が
必要な時に
必要な形で
起こるようになります。
出会いや別れ、
試行錯誤や気づき、
達成や未達成。
それらすべてが
最も良い形として
現れます。
・・・・・・
よく、
「自分のために生きる」
という言葉が
使われますが、
私は、
「自分のために生きる」
とは、
「自分との約束を
果たすために生きる」
ことであると
思っています。
そのためには、
自分との約束を
思い出さなければ
なりませんね。
真本音で生きる
とは、
約束を思い出す
生き方にシフトする、
ということでも
あるんですよ。
つづく
私達の心は
「現実」によって
翻弄されます。
翻弄されないように
生きていこうと
どれだけ思っても、
翻弄されてしまいます。
なぜなら
私達の心は
「現実」によって
反応するように
もともと
できているからです。
それが、
私達の心の仕組み
だからです。
この、
反応・翻弄されるように
できている心を
『反応本音』
と言います。
反応本音は
常に揺れ動いています。
しかし
だからこそ、
喜びを感じたり
幸せを感じたり
することもできます。
心の揺れ動きを
きちんと感じ取れるのは
健康である証です。
「たけうちさん、
私はこんな辛い目に
遭いました。
もう会社を辞めようと
思ってしまいました。
私は大丈夫でしょうか?」
「会社を辞めたいと
思ったのでしょ?
ちゃんと心が
揺れ動いているじゃ
ないですか。
健康的ですね。」
いつも私は
このようなやり取りを
しています。
「現実」に対して
きちんと翻弄されている内は
大丈夫です。
それが
麻痺するようになることこそ
私が最も深刻だと
思う事態です。
・・・・・・
「私には
怖いものはありません」
と言われる人と、
これまで私は
数多く出会ってきました。
実は、
昔の私も
そう思っていた時期が
あります。
ですから
よくわかるのです。
これは不健康だな、
と。
怖いものが
ないはずがありません。
もし本当に
「怖いものがない」
と思うのであれば、
それは、
心にフタをしている
ということです。
そして、
心の麻痺が
始まっているという
ことです。
もしくは、
単なる自己顕示かな。
私はこんなに
凄い人間だ、という
自己顕示欲が
怖さを麻痺させることが
あります。
いずれにしても、
普通の状態では
ありません。
・・・・・・
翻弄されるように
できている心が
「反応本音」であるならば、
どのような「現実」に
対しても
揺らぐことのないもの、
・・・それは、心というよりも
魂と言った方が良いですが、
それを私は
『真本音』
と呼んでいます。
真本音度合いが高まる
ということは、
真本音の意思に基づいて
動く度合いが高まる
ということですが、
それが高まることで
私達は
揺るがない自分
安定した自分
になれます。
しかしそれは決して
怖さがなくなる
ということではありません。
むしろ、
真本音度合いが高まるほどに
怖さに敏感になります。
怖いものは
怖い、
と素直に感知できるように
なります。
もう少し言葉を変えれば、
あらゆる反応本音を
素直に感じ取ることが
できるようになります。
しかし、
どれだけ怖さを感じても、
どれだけ反応本音を
感じても、
それは感じているだけ。
それにより
次の一歩が揺らぐことは
ありません。
一方、
幸せについても
かなり敏感に感じることが
できるようになります。
これまで感じなかった
ちょっとしたことに
深い喜びを得たり、
人としての
嬉しさを覚えたり。
嬉しさも
悲しさも
怒りも
怖さも
あらゆることを
あるがままに
そのままに
感じ取る感性が
豊かになります。
でも、
それによって
不安定になることは
ありません。
あらゆることを
感じながらも、
自分が決めた一歩を
ずっと
出し続けることが
できるのです。
それが、
真本音で生きる
ということです。
それが、
人としての喜びを
最大化する
原則です。
・・・・・・
セルフコーチングとは
本来、
真本音度合いを高める
ものでなければ
意味はありません。
つまり、
人としての喜びを
増やす方向に
行くためのものです。
「人生」とは
翻弄されるもの。
「現実」とは
翻弄されるもの。
でも、
だからこそ
面白い。
そのように
無理なく自然に
感じ取れるようになる。
それが
セルフコーチングの
本質です。
その本質に基づいた
セルフコーチングの手法を
これから私は
意図的に様々な形で
世の中にご紹介させて
いただこうと思っています。
もちろんこのブログも
そうですし、
メルマガも
始めようかな、と
思っています。
セルフコーチングの
講座やセミナーも
やってみようかな、とも。
まだ企画段階ですが、
これまでにないものを
生み出せる予感が
あります。
楽しみにしていて
くださいね。
つづく