妄想

道は決まってる

 

雨が降ろうが、

槍が降ろうが、

 

私達は

自分の決めた

一本道を

 

進もうと

決めている。

 

その覚悟は

最初から備わっている

のに、

 

その覚悟そのものを

忘れてしまう。

 

目の前に

一本道が観えている

のに、

 

わざわざ目を瞑り、

「見えない、見えない」

と言う。

 

目を瞑り、

自分の中で空想を

生み出し、

 

イメージで道を

描き、

 

現実ではない

イメージの道を

目を瞑ったまま

進もうとする。

 

目が開いていない

ので、

当然だが

すっ転ぶ。

 

そして

「痛い痛い!」

と泣く。

 

なんでそんな

面倒なことをしながら

苦しむのか?

 

と思うのだが、

みんなそれを

やっている。

 

もちろん私も

ずっとやっていた。

 

私達は

目の開き方を

忘れてしまった。

 

実在の道が

そこにあるのに、

 

妄想の道ばかりに

行くことに

慣れてしまった。

 

そして

いかにしたら

妄想の道を上手く

進めるか?

 

を開発し、

それを「成功哲学」とか

「なんとか成功法」とか

呼んで重宝している。

 

いやいや、

それは妄想の道だ。

 

妄想の道を

どれだけ上手く

進んでも、

 

私達に真の幸せは

訪れない。

 

何がどう上手く

いっても、

私達は常に何かが

枯渇し、

疲弊し、

喉の渇きがなくならない。

 

上手く道は

進めているのに、

なんでこんなに

幸せ感がないのか?

というところで

 

上手くいけばいくほど

悩むことに

なる。

 

そうかきっと

道が間違っていのだ!

一つの結論を

出し、

 

さらに次の新たな

妄想の道を

創り出す。

 

妄想の連続。

 

妄想の人生。

 

・・・もうそろそろ

そこから脱け出さないとね。

 

それはそれで

人生の一つの醍醐味

かもしれないが、

 

そろそろもう

時間がない。

 

妄想はやめて

目を開かないとね。

 

目を開けば、

実在の道がある。

 

それは

まっすぐ一直線に

伸びている。

 

完全に

決めてしまっている

道。

 

その道に入ると

初めて私達は

 

自由

を感じるんだ。

 

妄想から

実在へ。

 

妄想の時代から

実在の時代へ。

 

今はその

転換点だ。

 

つづく

 

妄想の中で苦しむ人達

水深1mくらいのプールの水に

うつ伏せになって浸かり、

息ができなくなって

全身をばたつかせながら

 

「溺れる〜っ!」

 

とパニックになっている

人がいたとします。

 

その人の身長は

160cm以上はあったとします。

 

それを見ているあなたは

その人に対して

何を思いますか?

 

溺れるも何も、

ただ、そこに

立てばいいのに。

 

なんでその人は

立たないのだろう?

 

ちょっと冷静になって

足を下に向ければ

すぐに水底に足がつき、

スックと立ち上がることが

できるのに。

 

なんでそんなに

パニックに

なっているのだろう?

 

・・・恐らく

そう思いますよね。

 

で、もしそう思ったとして、

その人に対して

どうしますか?

 

その人を

どう助けますか?

 

「おーい!

そこは浅いよ!

立てばいいんだよ!」

 

と声をかけても、

その人の頭と顔は

水の中ですから、

声は届きません。

 

じゃあ私が

引き起こしてあげよう

として、

その人の所まで行き、

その人の身体を

抱きかかえて

立たせようとしても、

その人が本当に

パニクっていて、

あなたは

振りほどかれてしまった

とします。

 

どうしよう・・・?

 

このままではこの人、

呼吸困難のまま

死んでしまう。

 

ただ、そこで

立てはいいだけなのに、

こんな浅いところで

この人は死んでしまう。

 

どうしよう?

 

・・・と困っちゃいますよね。

 

側から見れば、

どうでもいいようなこと、

すぐに解決できるような

ことでも、

本人にとっては

命を失ってしまうかも

しれないくらいの

一大事。

 

その中で

パニックになり、

本当であれば

そんなところで死ぬはずのない

場所で、

命を落とそうとしてしまう。

 

実は。

 

こういう人が

世の中には

いっぱいいっぱい

いるのです。

 

実は。

 

私の現場の実感としては

9割以上の人が

この状態です。

 

つまり、

本来は悩む必要のない

場所で、

悩んでいる。

 

そして、

そこで悩み続けることで

自分の人生を

死なせてしまっている、

もしくは、

人生をふいにしている

のです。

 

水深1mくらいのところで

パニックになるのは

まだマシな方で、

喩えれば、

洗面器に水を張り、

そこに顔をつけて

「溺れる〜っ!」

とやっている人さえ

いるのです。

 

ほとんどの人の

その悩みは、

本当は

悩みではありません。

 

水から顔を

上げれば済むだけの

ことです。

 

しかしそれが

できない。

 

なぜでしょう?

 

答えは簡単。

 

自分と

向き合って

いないからです。

 

・・・・・・

 

皆さんもご想像の通り、

私もかつては

その「溺れる人」

でした。

 

私なんかは

ひどかったですね。

 

だって、

自ら地面に穴を掘り、

そこに

自ら水を入れ、

その中に

自ら入り、

「溺れる〜っ!」

ってやってましたから。

 

で、

人生はなんて

辛いのだ。

 

人間はなんて

辛いのだ。

 

・・・って

本気で思って

いましたから。

 

辛いのが人生。

辛いのが人間。

 

心の底から

そう信じていました

から。

 

今は

そういう自分のことを

単なる自己満足だったな

と笑えるのですが、

当時は

本人としては

真剣そのもの。

 

「それがすべて」

でした。

「それが現実」

でした。

 

本当は、

すぐに足がつくくらいに

浅いところにいるのが

「現実」なのに。

 

洗面器に顔をつけている

だけの状態であることが

「現実」なのに。

 

まったく

「現実」が見えなく

なってしまう。

 

それは

なぜでしょう?

 

答えは簡単です。

 

自分と

向き合って

いないからです。

 

・・・・・・

 

自分と向き合うことの

できない人は、

現実と向き合うことも

できなくなります。

 

現実と向き合えない

ということは、

人と向き合えない

ということです。

 

そうなると人は

どうなるかと言うと、

 

「妄想の世界」

 

に入り、

浸ります。

 

自分の妄想。

 

自分が勝手に

創り上げた

狭い世界。

 

そこに入り込んで

出て来れなく

なります。

 

いえ、本当は

目を開ければ、

その瞬間に妄想だと

わかるのですが、

その人は

目をずっと

閉じています。

そして、

自分は目を開けていると

思い込んでいます。

いえ、

思い込むというよりも、

そのように自分で

自分に

信じ込ませています。

 

そういった人を

救い出すことができるのは

本人だけです。

 

周りがどれだけ

何とかしようと思っても、

その人の耳には

何も聴こえません。

 

周りの人達の想いも、

届きません。

 

よろしいですか?

 

だいぶひどいことを

書いていますが、

多かれ少なかれ、

そういった状態にある人が

私は

9割以上いると

申し上げているのです。

 

9割以上です。

 

世の中、

おかしくなるはずですね。

 

誰も現実を

しっかりと見ずに、

自分の妄想に基づいて

次の現実を

創り上げているのです。

 

その結果が

今の世の中です。

 

・・・・・・

 

一人でも

この妄想から

抜け出さねば

なりません。

 

でも残念ながら、

自分が妄想していることに

気づくのは

自分自身です。

 

他者が

気づかせることは

まず、

できません。

 

私もそうでしたし、

そしてコーチとして

本当にたくさんの人に

「それは妄想です!」

と伝え続けましたが、

その声は、

ほぼ、

届きませんでした。

 

自分が

自分を

解放する。

 

それしか

ありません。

 

解放された状態が

「自由」

という状態ですが、

多くの人は今、

自由ではないのです。

 

なのに

自分が自由であると

妄想しています。

 

では、

私にできる最大のことは

何だろう?

 

その

私なりの答えが、

「自分と向き合う方法を

伝えること」

でした。

 

それにより

「自分と向き合う

楽しさを知る」

きっかけをご提供する

ことでした。

 

自分と向き合えば

向き合うほど、

人はどんどん

楽になります。

 

自由になります。

 

その幸せを

感じていただくために、

「向き合い方」

「スキル」

としてご紹介し、

「やってみると楽しいよ」

とお伝えし続ける

ことでした。

 

これが私のこの

十数年です。

 

そして、

自分と向き合う方法。

 

これを

「セルフコーチング法」

と呼んでいます。

 

つまり、

セルフコーチングとは

妄想を取り払う方法。

 

妄想の世界から

自分を

解放させる方法です。

 

それは、

その人本人にしか

できないことなのです。

 

つづく

 

一つの節目を越えました

節目、というものが

私達の人生には

いくつもありますね。

 

年の変わる年末年始は

代表的な節目ですが、

会社で言えば、

期が変わる節目とか、

個人で言えば、

誕生日とか、

結婚記念日とか。

 

様々な節目があり、

その節目ごとに

私達は何かしら

気持ちを新たにしています。

 

それらは

現象レベルの節目

です。

 

それとはまったく別として

実在レベルの節目

というものもあります。

 

実在レベルの節目

というのは

現象レベルのように

何月何日と日付が

決まっているわけでは

ありません。

 

不定期にその節目は

訪れます。

 

実は。

 

4月18日から19日にかけて、

ここに一つの

節目がありました、

実在レベルでは。

 

・・・・・・

 

「実在」とは、

私達の心の中の世界

です。

 

私達の心は

宇宙のように広く

そして深いです。

 

そして、

すべての人の心は

つながっています。

 

集合無意識、という

言葉がありますが、

私達は無意識下で

つながっています。

 

しかもそのつながりの

深さには

階層があります。

 

表面的なつながりから

深〜いつながりまで。

 

その奥の奥の奥まで行けば、

私達は「一つ」となります。

 

「一点」に集約されます。

 

その「一点」とは

「一点」ではあるのですが、

「無限」です。

 

そこには「すべて」が

存在しています。

 

何もない状態を

「無」と言いますが、

その真逆で、

すべてが存在している状態

です。

 

それを

「空」(くう)

と言います。

 

その、「空」である中心の一点

であり

無限であるものを

アメリカでは「Source(ソース)」と

呼んでいます。

 

日本では

『源』(みなもと)

と訳されているようです。

 

名前のごとく

これがすべての源である

と捉えられているのですが、

実は、

本当は、そうではありません。

 

「源」のさらにその奥にも

さらなる「一点」が

あるのですが、

それについてはまだ

ここでは言及しません。

 

とにかく私達の心は

深いです。

そして、

すべてがつながっています。

 

その心の中に実在している

ものを私は

『実在』

と呼んでいます。

 

心の中に実在しているもの

という言い方をすると、

それは

「イメージのことか?」

と思われそうですが、

そうではありません。

 

イメージとは

単なる幻に過ぎません。

言葉は悪いですが、

妄想と同じです。

 

「実在」は

妄想ではありません。

イメージでもありません。

本当に実在しているものです。

 

心の中の世界。

 

すべてとつながっている

世界。

 

それは

『実在の世界』

と言ってよいでしょう。

 

実在の世界において

実在しているものが

心の外の世界に

反映されます。

 

つまり、

私達のいるこの現実世界に

反映されます。

 

それを

『現象』

と言います。

 

この世にある

あらゆるものは

「現象」です。

 

それは、

「実在」の反映です。

 

「実在」がなければ

決して生まれないものが

「現象」です。

 

「実在」から

「現象」は生まれます。

 

つまり、

心の中にあるものが、

現実化するのです。

 

心理学の世界で

よく喩えられるのですが、

実在とは、映画のフィルムであり、

現象とは、フィルムによって

映し出された映像

のようなものです。

 

・・・・・・

 

さて、話を

戻しましょう。

 

そんな実在の世界において

4月18日と19日の境目が

一つの節目でした。

 

どんな節目かと言いますと、

一言で表現すれば、

 

『手放す期限』

 

です。

 

私達は、

人生において

何かを手放さなければ

先に進めない

という法則のもとに

生きています。

 

真本音で

手放そうと思っていたものを

きちんと

手放せたかどうか?

 

ということは逆に、

これは手放してはならない

と真本音で決めているものを

ちゃんと大事に抱いて

いるかどうか?

 

そのチェックを

自分自身がする節目

だったのです。

 

あくまで

自分自身のチェックです。

 

他の誰かが

するわけでは

ありません。

 

自分の真本音が

自分をチェックするのです。

 

チェックの結果

真本音が満足すれば

次のステージに

その人は進みます。

自らの意志でもって。

 

チェックの結果、

真本音が

これはまだまだダメだな

と判断すれば、

次のステージには行かず、

もう一度、同じステージに

戻ります。

もしくは、

もっとずっと前のステージから

やり直しをします。

もちろん、

これも自らの意志で。

 

その分かれ道が

4月18日と19日の

節目だったのです。

 

ダメだったな

という人も

落胆する必要はありません。

 

ちゃんとやり直しを

すればいいだけのこと。

 

しかし恐らく

その人はかなりの

後悔をするでしょう。

 

その、後悔こそが

大事です。

 

後悔するからこそ

進化があります。

 

人の人生には

やり直しが効きます。

自分で自分に対して

不合格を出しても、

やり直しをすれば

よいのです。

 

自分で自分に

合格を出せた人は

本当に

よかったですね!

 

おめでとう!

とお伝えしたいです。

 

その人達は

次のステージへ出発です。

 

そこには

これまでに経験したことのない

新たな冒険が

待っています。

 

それは

ドキドキワクワクする

冒険です。

 

つづく