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雲の上に
出たことはある?
飛行機に乗って
でもいいし、
山に登って
でもいい。
雲が自分よりも
下にある光景。
雲の上に
空が広がっている
光景。
それをナマで
見たことはあるかな?
もしあれば、
その時の光景を
しっかりと
思い出してほしい。
そして、
その場面の中に
入り込み、
もう一度
その場面を体験
してみてほしい。
じっくり
ゆっくりと。
・・・・・・
その場面にいる
あなたの心は
どうだろうか?
気分が
高ぶる感じか?
それとも逆に
どんどん落ち着いて
心が静かに
なっていくだろうか?
今いるその場面、
その場所は、
普段の自分とは
かけ離れた
非日常の場であると
感じるだろうか?
それとも、
こここそが
自分の本来の場所だと
感じるだろうか?
・・・・・・
雲の上にいる
その場所が、
もし自分自身の
「本来の場所」であり、
かつ、
「心が静かになる場所」
であるならば、
あなたは
太陽に向かって
飛ぶとよい。
太陽とは、
あなた自身の
願いだ。
一生変わらずに
一生追い求め続ける
願いだ。
そこに向かい
もっともっと
加速するといい。
もしその場所が
自分にとっては
「非日常の場所」であり、
かつ
「ちょっと落ち着かない」
とか
「気分が高ぶって
しょうがない」
場合は、
あなたは、
大地を踏みしめる
とよい。
足元をもっと
しっかりと見て、
ちゃんと立っている
安心感を
自分に与えることだ。
現実的に言えば、
日々の生活の
安定を、
しっかりと創り出すこと。
人は
安定があってこそ
自由になれる。
前者のタイプは、
飛ぶことそのもので
安定を得られる人だ。
後者のタイプは、
地に足をつけることで
安定を得られる。
どちらが
良い悪い
ではない。
どちらも
その人にとっては
最善のことだ。
・・・・・・
この方法を
行なう場合に、
一つだけ注意点。
それは、
実際に雲の上に出た
という「体験」を
一度でもしたことのある人にしか、
この方法は機能しない
ということだ。
その過去の体験の
場面を思い出しながら
やるところに
意味がある。
単なるイメージでは
正確な「感覚」は
得られないので
ご注意を。
つづく
美しいものを見て、
「美しい!」
と素直に感動できる
心は健康的だ。
言うまでも
ないことだが。
真本音度合いが
高まることで、
まず私が変化したのは、
涙もろくなった
ということかな。
素直に
泣けるようになった。
それは
感動だけでなく、
悲しみや
時には怒りや
寂しさや、
あらゆる感情が
素直に出るように
なった。
とは言え、
人前ではほとんど
泣かないけどね。
真本音度合いが
高まれば高まるほど、
私は
感情の起伏が激しく
大きくなった。
しかし
だからと言って
不安定にはならない。
むしろ
だからこそ
安定できるようになった。
感情とは、
自分を不安定にするもの
ではないのだ、
本来は。
自分を安定させるために
自分の感情を制御せよ、
というのが
一般的に言われたりするが、
それは逆効果だ。
それをとことん
やり尽くした私が
体験的によくわかる。
感情は
解放せよ。
ただし。
その前に
真本音度合いを
上げよ。
・・・ということが
大事だ。
順番が
大事。
真本音度合いが
高まるということは
心の中に「大地」が
出来上がるイメージだ。
揺るがない大地。
嵐が来ようが
槍が降ろうが
ビクともしない大地。
それを常に
実感できるからこそ、
あらゆる感情を
解放しても
まったく揺るがなくなる。
むしろ
あらゆる感情の解放は
自分自身の開放となり、
オープンとなった自分は
「愛」
というエネルギーを
発するようになる。
逆に言えば、
感情をいつも
押し殺している人からは
愛のエネルギーは
発現しない。
・・・・・・
人の悲しみは
深い。
人の苦しみも
深い。
まるでブラックホールの
ように。
永遠の深みを
感じる。
だから怖い。
向き合うのも
見るだけでも
怖い。
しかし
安定の大地を得て、
常に帰る場所を得れば、
私達は
あらゆる心と
向き合うことができる。
そして
その大地は
すべての人の中に
確かに存在している。
存在しているものを
自覚する。
実感する。
これが
本当の自分を生きる
最初のステップだ。
つづく
心が揺れ揺れに
なることは、
人として
当然だろう。
心が揺れる
ことを
恐れる必要は
ない。
人間とは
そのようにできている
存在だから。
調子が悪い
心を、
なんとか
調子良くしようと
みんな
思い過ぎだ。
「あるがまま」
で
いいではないか。
それが
人間だから。
そういった
おおらかな目で
いつも自分と
向き合えば、
それだけで、
揺れ揺れだけど
安定している
という状態に
入れる。
心の揺れとは別の場所に
確かに、
常に安定した
土台を
感じることができる。
その土台が
あるからこそ、
私達人間は
安心して
揺れることができるのだ、
と
わかる。
揺れは
ダメ。
調子悪いのを
何とかしなきゃ。
・・・という
自分に対する
厳しさが、
本当はいつも安定している
はずの
土台の存在を
忘れさせる。
しかし本当は
それは
「厳しさ」とは
言わない。
それはただの
「自己否定」
だ。
否定と厳しさ
は
別物だ。
本当の厳しさ
とは
やさしさであり、
本当のやさしさ
とは
厳しさである。
・・・・・・
そしてその
土台となるもの。
これこそが
私達の真本音。
魂の意志であり、
願いである。
それは
言葉として
明確でなくても
いい。
しかしそれは
誰もの心の
根底に、
土台として
確かに存在する。
その存在を
感じたり
思い出すことで、
私達はいつも
安心して
揺れていられる。
人生とは
揺れ
である。
揺れながら
進むことが
人生の意味であり
意義である。
揺れないのなら、
人生を生きていない
のと
同じだ。
極端に言えば。
だから、
どんどん
揺れることに
挑戦してほしい。
開拓
してほしい。
自分自身を、
そして
人生を。
そうすれば
するほど、
私達は確かに
土台と身近になる。
土台を
思い出す。
本来の自分を
思い出せるのだ。
つづく
無理矢理に
進むことは
良くない。
川が
川上から川下へ
流れていくように、
自然の摂理に
沿って
流れて行けば
いい。
普通に
流れればいいのに、
私達はついつい
余分なことをする。
時には
川下から川上へ
上ろうとしてしまう。
当然、
それには困難が
伴う。
その困難を
越えることが
成長である、
と考える向きも
あるが、
どうしても
私にはそれは
自己満足に
見えてしまう。
ちゃんと自然に
流れて行けば、
その流れに
乗ることで
発生する
「進むための課題」
が来る。
自然に流れる
からこそ、
進むからこそ、
目の前に
立ちはだかる
課題が来る。
どうも
その課題から
逃げるために、
あえて
川下から川上へ
向かい、
「俺は
すごいだろ」
「俺は
頑張っているだろ」
「俺は
挑戦しているだろ」
とやっている
人が多いのが
現実ではないだろうか。
あなたのその
悩みや課題は、
あなたが今、
本当に取り組む
ものなのか?
それが
あなたの人生
であり、
あなたの
真本音の願い
なのか?
・・・・・・
自然に流れる
というのは
楽なことであるが、
しかし
楽なことでは
ない。
「進む」
という意味では
楽に進めるので
あるが、
いつも言うように、
人間とは
「進化を望む」
生き物だ。
進化のために
乗り越える壁を
私達は
自ら自分に
課す。
それが
楽ではない。
楽だったら
課題とは
言えないから。
しかし。
楽ではないが、
それとしっかりと
真正面から
向き合えば、
それに
真正面から
取り組めば、
その一歩一歩
に
魂に満ちるような
充実感が
生まれる。
それを感じながら
日々、進むことは
とても
楽である。
楽では
ないけど、
とても
楽。
という状態に
入る。
「進む」
とは
「安定」
である。
自転車が
前に進んでこそ
安定するように、
前に進むことで
感じることのできる
安定こそを
私達は皆、
求めている。
・・・・・・
進めば進むほど、
不安定さを
感じる
その方向に、
本来の
道はない。
それは
あなたの進む
道ではない。
もっと
安定を
求めればいい。
ただしその
安定は、
止まることによる
安定ではない。
進もうと
決意することだけで
安定感を得る、
その道だ。
川下から
川上へ進もうと
している人は、
自分を
偽っている。
本当は
その道は違う、
とわかっているのに
自分を偽り
その道に進もうと
する。
もう一度
言おう。
あなたの
その道は
あなたの
道ではない。
もっと
あなたには
安定の道が
あるはずだ。
もっと
ぐんぐんと
進める道が
あるはずだ。
もう、
自己満足の
進み方をするには
もったいない
時代に入った。
これからは
川の流れが
とことん速くなる。
早くその流れに
乗ることだ。
あなたの
人生の流れ
だ。
それを
つかむことだ。
そのためには、
本当は
あなた自身が
よくわかっている
あなた自身の
真の課題に、
勇気を持って
向き合うことだ。
つづく
心を静かにし、
目を閉じてください。
自分が今、
一本の道を歩いている
イメージをしてください。
自分の人生の道
のイメージです。
過去から今日までの
道。
そして明日から
さらに未来に続く
道。
過去、今、未来・・・。
その3点を同時に
感じてください。
そうした時に
あなたの魂は
静まるでしょうか?
それとも
騒がしくなるでしょうか?
魂が静まるのと
心が静まるのは
本質的に異なります。
例えば、
心が大騒ぎをするような
大都会の雑踏の中にいても、
時折、
魂が非常に静かになる
瞬間があります。
魂の静けさとは、
外部環境から影響を受けるもの
ではありません。
それよりも、
自分自身の生き方、
自分自身の
意思の持ち方、
そして、
自分自身の
願いの持ち方によって
魂は騒がしくなったり
静かになったりします。
要するに
内面的な理由です。
そこでもう一度。
自分の人生の道を
イメージした時、
自分の過去、今、未来の
3点を感じた時、
あなたの魂は
静かになるでしょうか?
もし
静かになれば、
今のあなたの生き方と行き方に
あなたの魂は
納得しています。
もし騒がしくなるのであれば、
あなたは
自分が本当に望む
生き方と行き方とは別の
生き方と行き方を
しているのでしょう。
その場合は、
何が問題なのだろうか?
と、
自分自身に問うてみて
ください。
自分の心に問うのではなく、
自分の魂に
問うのです。
・・・・・・
魂が静まる道。
それは、
現実レベルでは
冒険の道、である可能性が
高いです。
つまりは、
ハラハラドキドキするような
道です。
これまで
やったことのないことに
挑戦する。
自分にはできない、と
思い込んでいたことを
やってみる。
未開の地に
一歩ずつでも
進んでみる。
本質的には、そのような道を
望んでいる人が
多いからです。
この傾向は、
今年に入ってから
飛躍的に高まりました。
今の多くの人達の
人生の潮流は
「冒険」
です。
冒険すればするほど、
私達の魂は
静かになります。
それが望む
生き方であり、
行き方だからです。
冒険しようとすると、
「いやいや、私は安定がいい!」
という心が
反動のように発生するでしょう。
人は皆、
安定を求める生き物でも
あります。
しかし、
冒険を止める安定とは
反応本音に過ぎません。
なぜなら、
真の安定とは
冒険の中にこそあるからです。
冒険をせずに
同じところに止まり続けることで
私達の心は安心するかも
しれませんが、
私達の魂は
逆に不安定になります。
その不安定さを
打ち消そうとして、
さらに私達は止まって
しまいます。
しかし止まれば止まるほど、
さらに魂は不安定に
なります。
そしてさらにその人は
止まり・・・。
挑戦をしない人ほど
弱くなるのは、
挑戦をしないという
経験不足が招いている
からではありません。
挑戦をしない、
冒険をしない、
ということによる
魂の不安定さが
その根本原因です。
私達の魂は
もともと冒険を望んでおり、
というよりも、
冒険するために生まれたのが
「人間」という存在であり、
その本来の生き方を
取り戻そうという意志が
ニョキニョキと
芽生えてきているのが、
今年に入ってからの
傾向なのです。
つまりは、
自分自身に本当に
素直に生きるということを
すれば、
私達は自然に冒険の道に
入っていくことになります。
・・・・・・
「冒険」とは、
表現を変えれば、
既存の何かを壊し、
新たな何かを創造する
ということです。
「壊す」
という表現をすると
さらに怖さや不安が
増すかもしれません。
しかしやはりそれも
反応本音です。
今、
私達の中には
壊したいものが
あるはずです。
その衝動に
素直になることが
冒険への第一歩です。
魂の衝動。
これも最近、
本当によく感じることです。
魂の衝動に
今、
突き動かされようとしている人が
激増しています。
そんな時は
その衝動に
素直になることです。
怖いかもしれません。
でも、
素直になることです。
そうすれば、
一気に自分が
変わります。
そして、
一気に
安定を得ます。
ドッシリと
構えることができるように
なります。
真の安定とは
こういうことだったか、と
わかります。
冒険を
躊躇している人へ。
その躊躇は横に置き、
一歩を踏み出して
みましょう。
今が、
人生を変えるチャンス
です。
つづく
想像を絶する展開、
という書き方をすると
なんと大袈裟な、
という印象になるでしょうね。
このような文章を書いている時
私はいつも思うのです。
事実をなかなかその通りには
書けないなぁ、と。
なぜなら、事実をその通りに書けば、
なんか嘘っぽくなるんです。笑
本当にそんなことあるの?
という疑問符が、
初めての人にはついてしまうでしょう。
でも、
事実は小説よりも奇なり
という言葉があるように、
本当は
私達人間が頭の中で想像するよりも
遥かに凄いことが
実際には起こります。
で、私はそういうことを
日々、当たり前のように
体験しています。
すげーなぁ。
こんな展開になるんだなぁ・・・。
と感嘆することが
毎日の日課のようなものです。
人間とは本来、
想像を絶するものです。
ですから私は、
想像することを、ある時から
やめてしまいました。
どれだけ想像しても、
それ以上のことが起こるからです。
想像するだけ損だな、
と、ある時から思うようになりました。
そして
想像するだけ、自分を枠にはめてしまうな
とも気づいたのです。
私達は私達自身を
あらゆる方法によって
枠にはめています。
枠とは限界です。
限界にはめることで、
想像を絶する展開を
起こらないようにしています。
しかも
想像を絶する展開を起こそう!
と意図すればするほど
それは、自己満足になります。
自己満足の想像を絶する展開は
想像内の展開に過ぎません。
しかも自己満足は、
自分の次元を著しく下げることにも
なります。
すべての意図を手放した時、
初めて想像を絶する展開は起こりますし、
それが起きているその瞬間は
想像を絶する展開、とは
認識しません。
その時その瞬間には
当たり前のこと
当たり前の展開が
起きているように思います。
普通に
物事が進んでいる。
そう思えるのです。
でも、ちょっと時間が経った後で
振り返ると、
すげーなぁ、なんでこんなことになったんだ?
とびっくりします。
しかもそれはもう
起きてしまったことなので、
後には引けません。
先に進むしかなくなるのです。
で、ある意味あきらめて
先に進みます。
するとそこにはまたもや
凄い展開が待っています。
真本音で生きるということは
そういうことになります。
そして、
真本音とは
その時の自分自身の最高次元の意識
と言うこともできます。
私はすべての人が
真本音度合いが100%になれればいいなぁ
と思っています。
そうすれば、
すべての人が
その時その瞬間の最高次元の自分として
物事の判断と決断が
できるからです。
すると、
その人にとっての
想像を絶する展開が起こります。
しかし、想像を絶してはいても、
その人の心が壊れてしまうほどのものでは
ありません。
あくまでも、
その人の範疇です。
ちょっと変な言い方になりますが、
その人の魂での範疇
になります。
でも、
その人の心では
想像を絶しています。
魂では範疇であり、
しかし心では想像を絶する。
その絶妙さ。
それを味わえるのが、
その時その瞬間の最高次元の自分で生きる
と言うことです。
真本音で生きる
と言うことです。
そうなると人は
人生をとてつもなく面白く
感じます。
一般的によく言われることですが、
人は、
安定を求めます。
その一方で、
安定を手に入れると逆に
冒険を求めます。
例えば、
毎日安定した日々を送ることが
できるようになった人は、
ジェットコースターに乗るような
刺激が欲しくなる、
と言うことですね。
これはよく言われることですが、
しかし本当は
安定と冒険は反対のことを言っているのではなく、
安定と冒険は一致するのです。
なぜなら人は
自分に出せる最速で前に進んでいる時
こそが
最も安定を感じるからです。
魂では範疇にあり、
しかし心では想像を絶する展開を
生きる。
これは、
安定と冒険を同時に実感できる
私達人間にとって
最も幸せな人生です。
そしてその人生は、
誰もが、
そう、人類全員が
手に入れることが可能なのです。
つづく
人が人に与える影響力の大きさ
というのは、どこで決まると思いますか?
能力ですか?
経験ですか?
人格ですか?
生き方ですか?
立場ですか?
役割ですか?
個性ですか?
それらすべては確かに
重要な要素です。
しかし私は、
人が人に与える影響度を左右している
要素として、超重要なものとして、
「その人の成長度」
があると、いつも実感しています。
「成長」とは
このブログでも申し上げている通り、
単なる「膨張」ではなく、
「進化」のことを指します。
現時点における力の大きさよりも
今、その人がどれだけ日々進化しているか?
によって、私達人間は
本質的な影響を受けます。
なぜなら、私達人間の根本欲求は、
・・・つまり、本能の中心にあるものは
「進化」だからです。
私達は本能的に
「進化」しているものに対して
畏敬の念を覚えます。
どこまで進化したか?ではなく、
どれだけの勢いで進化し続けているか?
に畏敬の念を覚えるのです。
それは、
本能的な信頼
です。
本能的な信頼を感じる人の言葉は
私達の心、というよりも
魂に響きます。
ですから私はいつも
コーチを目指す人達に言い続けています。
「クライアントさん以上に
コーチが進化をし続けなさい」
と。
クライアントさんの進化スピードよりも
遅い進化スピードのコーチは
クライアントさんに良い影響は
起こせないのです。
そういった意味で、人のサポートというのは
非常に厳しいものです。
サポートされる側よりも
サポートする側の進化の度合いが
高くなくては、
本質的なサポートができないからです。
このように書くと、恐らく多くの人は
うわっ、進化というのは大変そうだ、
そんなのは自分には無理だ、
と思われるかもしれません。
しかし先ほども書きました通り、
進化とは人間の本能の中枢です。
ということは、
進化とはとても
「気持ちいいもの」
なのです。
「進化」とは
安定です。
「進化」とは
安心です。
止まっている方が安定したり
安心できるのではありません。
人は、進化し続けている時こそが
最も安定し、安心できるのです。
ですから、
進化し続けている人は
端から見れば
「あの人、凄いなぁ」となりますが、
本人にとってはまったく
凄いことをしているという認識は
ありません。
むしろ、自然体で淡々と
普通に毎日を生きているだけであり、
それが最も幸せであり
安定・安心であるのです。
そういったことを
クライアントさん以上にコーチは
実感として知っていることが
重要です。
私ももうすぐ50歳ですので、
さすがに最近は年下のクライアントさんが
増えてきましたが、
以前は、私のクライアントさんは
10歳も20歳も年上の方ばかりでした。
しかも経営者が多かったものですから、
人生経験も、経営経験も
私以上の人達ばかりでした。
本当に素直に尊敬できる方達が
多かったです。
そんな方々をクライアントさんにするわけですから、
私にできることはただ一つ。
クライアントさん以上のスピードで
自分自身が成長(進化)すること
でした。
もちろんそれは
勝った負けた、
ということではありません。
でも私は、
自分の進化スピードを加速
し続けました。
加速して、加速して、加速して・・・。
その中で初めて知ったのです。
どれだけ加速しても、
まだ足りない、と。
まだ自分は満足できない、と。
まだ、自分が本来望んでいる
進化スピードには程遠い、と。
それは、
私個人だけに当てはまることでは
ありません。
すべての人が、
自分の進化スピードは
まだ遅過ぎる、という
ジレンマを持っていると
ある時に気づいたのです。
その時から私のコーチングの
テーマの一つが決まりました。
どんなクライアントさんにも
当てはまるテーマです。
それは、
「その人の望む進化スピードまで上げる」
ということです。
すべての人が、
自分の進化スピードに
満足していないのです。
本当に満足している人とは、
現時点ではまだ一人もお会いしたことが
ありません。
それだけ私達人間は、
「進化」したい存在なのです。
今のスピードは
気持ち悪いのです。
もっと気持ちよく
なりたいのです。
だからこそ、です。
だからこそ、
コーチは、クライアントさん以上の
スピードで
進化し続けることが必要であると、
私は思います。
クライアントさん以上に
気持ちのよい人生を送るのが、
コーチの必須条件です。
つづく