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実は個人的には
「奇跡」
という言葉は
あまり使いたくありません。
安易に使っている
人を見ると、
奇跡なんて本当は
ないのになぁ、
と思ってしまいます。
だって、
すべて「必然」
ですからね。
一見、奇跡に見えても、
そこに至るまでには
着実な
一歩一歩が
必ずあるのです。
しかもそれは
現実(現象)レベル
だけではなく、
実在レベルでこそ。
・・・・・・
このブログでは
ずっと
・実在
・現象(現実)
と言う書き方を
しています。
もともとこの言葉は
大昔の哲学者の方々が
使われていたようですが、
私は彼らがこれを
どう捉えていたか?よりも、
この言葉の持つ
本質的な響きがとても好きで
使っています。
現象の奥には
必ず実在が
あります。
「人間」という
視点で言えば、
・人の起こす現実
・人の行動や振る舞い
・人の顕在意識
・顕在意識のちょっと下の
潜在意識(ほぼほぼ顕在意識)
この4つを私は
「現象」
と呼んでいます。
そしてその奥にある
潜在意識のレベルを
「実在」
と呼んでいます。
一見すると、
本当に実在しているのは
私達の創り出す現実とか
私達の行動や振る舞い
のように思いますが、
いえいえ、
それらは単なる
反映に過ぎません。
心理学の世界で
よく言われるのですが、
それらは
映画のフィルムが映し出した
映像に過ぎないのです。
とは言え、
映像だから意味がない、
実体がない、
とも
私は思っていません。
この世は
映像によって
成り立っていますから、
映像(つまりは、カタチ)
こそが大事だとも
思っています。
つまり、
映画でいうフィルムが
実在ですが、
フィルムも大事、
映像も大事
なのです。
実際に映画を
楽しむためには
映像がなければ
なりませんしね。
どんな
フィルム(実在)があり、
それが
どのように
映像化(現象化)
されているのか?
こここそが
最も大切なところですね。
・・・・・・
そして、
映像(現象・現実)は
私達の脳みそがキャッチ
します。
つまりは、
五感がキャッチします。
しかし、
フィルム(実在)は
五感では
キャッチできません。
脳を使っては
キャッチできない
のです。
ところが、
実在を
そのままキャッチする
力を、本当は
誰もが持っています。
大変、ありがたいことに
私は
ずっとコーチを続けてきたことで
ある時から
実在をキャッチできるように
なりました。
自分の脳を使わずに
映像化(現象化・現実化)
する以前のものを
キャッチできるように
なりました。
もちろん
先ほど述べた通り、
これは私独自の力では
決してありません。
人間であるならば、
すべての人が
もともと持ち合わせている
能力の一つであり、
それは私達人間が
言葉を覚えるのと同様に
努力によって
すべての人が
身に付けることができます。
その方法さえ
知っていれば。
実在をキャッチ
できるようになることで、
あぁ、奇跡なんて
本当はないんだな、と
よくわかります。
すべては
必然です。
起こるべきことが
起きているだけ。
私は、
実在をキャッチし、
実在と現象のつながりを
あるがままに
観察でき、
適切なサポートのできる人
のことを
「コーチ」
と呼んでいます。
そして、
そのような「コーチ」を
私は
増やしていきたいのです。
嬉しいことに、
すでに何人かの人が
「コーチ」として
活躍し始めています。
・・・・・・
「コーチ」になるためには
まずは、
セルフコーチングできることが
必須です。
自分自身の
実在を
脳を使わずに
感知できること。
そして、
自分の実在の意思を知り、
それを的確に
現象化(現実化)
できること。
これができると、
人は
とてつもなく幸せ
です。
まずは
そのような状態になることが
ファーストステップ
です。
そのためにも
セルフコーチング系の
学びの場を
これから増やして
いきます。
楽しみにしていて
ください。
つづく
私達が人生において、
意図的にできないことは
数多くありますが、
その代表的なものの一つは、
「出会い」
ですね。
これだけはどうしても
意図や思惑では
実現できません。
そして、
意図的にできない
もう一つ代表的なものが、
「他者からの一言」
です。
しかし、
私達の人生において
非常に重要な転機の
きっかけとなるのが、
この
「出会い」
と
「他者からの一言」
ではないでしょうか。
あの人のあの一言が
なければ、
今の自分はない。
あの一言がなければ、
自分の人生は
まったく違った展開を
していただろう。
・・・そういったことが
誰にでもあるのでは
ないでしょうか。
もし仮に、
意図的にそれらを
得ることができたとしたら、
逆に
人生を変えるほどの
インパクトは
ないはずです。
私達の人生は、
意図を超えたところで
展開していきます。
その事実を
謙虚に受け止める
必要があるのでは
ないでしょうか。
・・・・・・
とは言え、
その「出会い」も
その「他者からの一言」も
偶然の産物では
ありません。
すべてが必然
です。
すべてが必然ですが、
その必然を
意図的に起こすことが
不可能だと言うことですね。
では私達はいったい
何を
意図すれば
よいのでしょうか?
実は、
その問いに対する
とてもシンプルな
答えを
私は持っています。
「私は」というよりも、
それが自然の摂理だと
思うのですけどね。
その答えは
簡単です。
「真本音に素直に
生きること」
これ以上でも
これ以下でも
ありません。
自らの真本音に
一歩一歩
素直に生きている人には
必然的なことが
本当に必然的に
起こります。
必要な「出会い」が
必要なタイミングで
起こります。
不必要なことは
起こりません。
そして、
必要な「他者からの一言」が
必要な瞬間に
プレゼントされます。
それはまさしく
プレゼントです。
そのプレゼントが
あった直後に、
そのプレゼントが
もしなければ
到底くぐり抜けられないような
出来事に放り込まれた、
あぁあの一言があって
本当によかった!
ということが、
皆さんにもあるはずです。
それが
日常茶飯事のように
普通に日々
起こるようになるのが、
真本音で生きている人の
ありがたい現実です。
ですから、
感謝ばかりが
湧き起こります。
感謝とは
無理に意図的に
するものでは
ありませんね。
本来は。
自然に
泣けてくるくらいの
勢いで
心の底から
湧き上がるのが
感謝の想いです。
誰かに対する
本気の感謝の想いは
自分自身を
本当に幸せに
してくれます。
感謝しなければ!
ではないですね、
本当は。
感謝は
自然に湧くものです。
・・・・・・
真本音で
生きましょう。
迷ったら、
自らの真本音に素直に
行けばよいのです。
それ以外の
「最善」は
ありません。
そしてそれができる
ためには、
自らの真本音と
きちんと向き合い、
語り合えることが
必須です。
それが
セルフコーチング
です。
本当は、
「セルフコーチング」
などという
なんか特別な感じのする
手法など
必要ないんですけどね。
人が人として
普通に健全に
生きることができれば
自らの真本音の意思は
必ずキャッチできる
ものですけどね。
でも、
残念ながら
それがなかなかできない
今の社会です。
多くの人達が、
自分自身の真本音の
意思を知らないままに
もがいています。
普通に生きましょう、
と言っても、
普通じゃない生き方を
してしまいます。
ですからあえて
「セルフコーチング」
などと、言わなければ
なりません。
コーチも
セルフコーチングも
必要ない世の中になれば
いいなぁと
思います。
でもそうなるためにも
コーチや
セルフコーチングが
必要ですね。
・・・・・・
来月か、再来月に
新しい
セルフコーチング系の
公開講座を
始めようと思っています。
ただ、
講座というと、
どうしても受講料も
かかりますし、
時間をとって
わざわざ出かけなければ
なりません。
もちろんそれが
ベストだとは思いますが、
「講座に来なければ
何もわからない」
という状態はどうかな?
と最近、
思い始めました。
そこで、
まずは動画を配信しようと
思っています。
それをご覧いただいても
特にお金はかかりません。
動画をご覧いただき、
自分なりに
セルフコーチングを
していただき、
それでも
「もっとしっかりと学びたい」
と思った人のみが
講座に来れるような、
そんな仕組みにしようと
思っています。
そういったやり方を
しないと、
なかなか「真本音」は
広まらないな、
と思っています。
多くの人が
どんどん
「真本音」の存在を知り、
どんどん
自分自身と向き合い、
自らの
本当に望む人生に
舵をとってほしいな
と、
心より願っています。
つづく
真剣に生きる人であればあるほど、
出会いというものを
大切にしています。
ご縁というものを
大切にしています。
奇跡の出会い、
という言葉も時々聴きます。
私も本当にこれまで
素敵な出会いがありました。
多くの人に救われましたし、
多くの人に力をいただきましたし、
多くの人に支えられました。
あの出会いがなければ、
今の展開はないだろうな、と
言える出会いばかりです。
出会いとは
人生の宝物ですね。
しかしその出会いとは
偶然でしょうか?
いえ、
そうではないですね。
真剣に生きる人ほど、
出会いはすべて必然であることを
どこかでよくわかっています。
自分にとって
本当に必要な人と出会うかどうか?
は、高い次元の私達の意識が
決めています。
次元が高まれば高まるほど、
「すべては一つ」
となります。
次元が低くなるほど、
すべては分離します。
つまり、「私とあなたは別の存在」
と認識します。
私達のいるこの現実世界は
「3次元世界」です。
人の存在という視点で言えば
最も低い次元です。
ここでは、すべてが
分離しています。
ですから、出会いとか
自分に降りかかる物事の多くは
「偶然である」と認識します。
分離しているのですから、
たくさんの分離した存在の内の
ほんの一部と出会うのであれば、
確かにそれは偶然と言えるでしょう。
しかし高い次元から見れば、
すべては一つであり
つながっています。
誰と誰がどう出会うかは、
必然的に決めることができます。
実際に、
私達の真本音は、
自分自身の準備が整うことで
「では、そろそろあの人と出会おうか」
と決めます。
決めることで、
出会います。
出会うことで、
物事が大きく進展します。
しかし逆に、
まだ自分の準備が整っていないな、
と思っている内は、
決してその出会いを実現させません。
出会いとは、
自分だけでなく、相手もいることですから、
自分と相手と、
両方の準備が整うことが
条件となります。
一方の準備が整っても
もう一方が整っていなければ、
その出会いは実現しません。
そういったコントロールを
高い次元の私達は
し続けています。
高い次元においては、
「私」も「あなた」も
ありません。
「すべてが私」です。
こういった話を書くと、どうしても
スピリチュアル的な表現に
なってしまうのですが、
事実はやはりそうなのです。
例えば、今日私は、
嬉しいことに5人の方と出会いました。
すべて、ある一人の人からのご紹介だったのですが、
私は昨日からもう、
自分が喜びで溢れていることを
感じていました。
なぜならこの5人は、
私にとっても、その5人の皆さんにとっても
人生に多大なる影響を与え合う関係である
ということが明確にわかっていたからです。
あぁやっと準備が整ったな、
だから出会うことができるんだな、
ということがわかったからです。
ですから今日の私のテーマは、
喜び過ぎないこと
でした。
あまりに喜び過ぎると、
エネルギーが溢れ過ぎてしまいます。
エネルギーが溢れ過ぎると、
私達の心がそのエネルギーに
呑まれてしまうのです。
そうならないように、
今日は一日、ずっと私は私を抑えていました。
しかしそれでも実際にお会いすると
嬉しくてしょうがありませんでした。
お会いした瞬間から
私達は一つであるという
実感ばかりが湧き上がってきて、
いかんいかん、
この世界では私達は分離しているんだから、
と何度も自分に言い聞かせました。
出会いはすべて
必然です。
それはすべて
高い次元の自分が
コントロールしています。
そして高い次元の自分とは、
すべてが一つ
である自分です。
これを、
理屈でなく
当たり前の「感覚」として
実感できるようになると、
世の中はもっと
健康的に進めると思うのです。
出会いを大切にするのは
当然です。
だって、
目の前のその人は
自分自身なのですから。
これも理屈ではありません。
そう考えなさい、
ということでもありません。
あぁそうなんだ、と
当たり前の感覚として
実感することなのです。
つづく