真剣に生きる人であればあるほど、
出会いというものを
大切にしています。
ご縁というものを
大切にしています。
奇跡の出会い、
という言葉も時々聴きます。
私も本当にこれまで
素敵な出会いがありました。
多くの人に救われましたし、
多くの人に力をいただきましたし、
多くの人に支えられました。
あの出会いがなければ、
今の展開はないだろうな、と
言える出会いばかりです。
出会いとは
人生の宝物ですね。
しかしその出会いとは
偶然でしょうか?
いえ、
そうではないですね。
真剣に生きる人ほど、
出会いはすべて必然であることを
どこかでよくわかっています。
自分にとって
本当に必要な人と出会うかどうか?
は、高い次元の私達の意識が
決めています。
次元が高まれば高まるほど、
「すべては一つ」
となります。
次元が低くなるほど、
すべては分離します。
つまり、「私とあなたは別の存在」
と認識します。
私達のいるこの現実世界は
「3次元世界」です。
人の存在という視点で言えば
最も低い次元です。
ここでは、すべてが
分離しています。
ですから、出会いとか
自分に降りかかる物事の多くは
「偶然である」と認識します。
分離しているのですから、
たくさんの分離した存在の内の
ほんの一部と出会うのであれば、
確かにそれは偶然と言えるでしょう。
しかし高い次元から見れば、
すべては一つであり
つながっています。
誰と誰がどう出会うかは、
必然的に決めることができます。
実際に、
私達の真本音は、
自分自身の準備が整うことで
「では、そろそろあの人と出会おうか」
と決めます。
決めることで、
出会います。
出会うことで、
物事が大きく進展します。
しかし逆に、
まだ自分の準備が整っていないな、
と思っている内は、
決してその出会いを実現させません。
出会いとは、
自分だけでなく、相手もいることですから、
自分と相手と、
両方の準備が整うことが
条件となります。
一方の準備が整っても
もう一方が整っていなければ、
その出会いは実現しません。
そういったコントロールを
高い次元の私達は
し続けています。
高い次元においては、
「私」も「あなた」も
ありません。
「すべてが私」です。
こういった話を書くと、どうしても
スピリチュアル的な表現に
なってしまうのですが、
事実はやはりそうなのです。
例えば、今日私は、
嬉しいことに5人の方と出会いました。
すべて、ある一人の人からのご紹介だったのですが、
私は昨日からもう、
自分が喜びで溢れていることを
感じていました。
なぜならこの5人は、
私にとっても、その5人の皆さんにとっても
人生に多大なる影響を与え合う関係である
ということが明確にわかっていたからです。
あぁやっと準備が整ったな、
だから出会うことができるんだな、
ということがわかったからです。
ですから今日の私のテーマは、
喜び過ぎないこと
でした。
あまりに喜び過ぎると、
エネルギーが溢れ過ぎてしまいます。
エネルギーが溢れ過ぎると、
私達の心がそのエネルギーに
呑まれてしまうのです。
そうならないように、
今日は一日、ずっと私は私を抑えていました。
しかしそれでも実際にお会いすると
嬉しくてしょうがありませんでした。
お会いした瞬間から
私達は一つであるという
実感ばかりが湧き上がってきて、
いかんいかん、
この世界では私達は分離しているんだから、
と何度も自分に言い聞かせました。
出会いはすべて
必然です。
それはすべて
高い次元の自分が
コントロールしています。
そして高い次元の自分とは、
すべてが一つ
である自分です。
これを、
理屈でなく
当たり前の「感覚」として
実感できるようになると、
世の中はもっと
健康的に進めると思うのです。
出会いを大切にするのは
当然です。
だって、
目の前のその人は
自分自身なのですから。
これも理屈ではありません。
そう考えなさい、
ということでもありません。
あぁそうなんだ、と
当たり前の感覚として
実感することなのです。
つづく
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