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今回は
セルフコーチングの
やり方を一つ
ご紹介しよう。
私達は、
あーでもない
こーでもない
と
頭の中でグルグルと
同じ悩みについて
考え続けてしまうことが
ある。
決して答えが
出ない悩みであっても
それをしてしまう
時がある。
そのグルグルから
抜け出せなく
なっているときに
有効な方法だ。
・・・・・・
まずは、
あーでもない
こーでもない
と言い続けている
自分を何人か
特定する。
悩んでいる
ということは、
何人かの自分が
心の中にいて
それぞれの自分が
言い合いを続けている
ということだ。
答えの出ない
言い合いとか
話し合い。
そこには何人の自分
がいて、
それぞれ
何を主張しているのか?
を
ざっと把握するといい。
大雑把に言って
最低でも二人。
細かく見ていけば、
5〜6人以上の自分が
いるかもしれない。
それぞれの自分は
それぞれの意見を
持っている。
「こうしたい」
とか
「こうすべきだ」
とか。
もしくは
「これはしたくない」
とか。
私達の悩みの
答えの出ない時の
多くは、
それぞれの自分が
割り込み割り込み
話をし続けるからだ。
例えば、
Aを主張している自分が
心の中で声を上げている
その最中に、
途中から
Bを主張している自分が
割り込んでくる。
そして
Bが喋り始めると
CやDや、
さっきのAや、
やはり他の自分達が
割り込んでくる。
で結局
大勢の自分達が
声を張り上げ続け
収集がつかなくなるのだ。
だから、
一人ひとりの自分の
声を、
一人ずつ丁寧に
「聴き切る」
のだ。
例えば、
まずはAを主張する
自分の声を聴く。
B以下の他の自分達
には
少しの間、離れていて
もらう。
その自分は
なぜAを主張するのか?
Aを選択するのには
どんなメリットや
目的・欲求があるのか?
そういったことを
じっくりと耳を傾けて
聴き切るのだ。
可能であれば、
Aを主張する自分の声を
すべて
紙に書くといい。
B以下の自分が
途中で割り込んできたら、
「後でしっかり聴くから
しばらく退いていて」
とお願いする。
そして、
Aの主張をしっかりと
聴き切ったところで、
次は
Bを主張する自分の声
を聴く。
聴き切る。
これを
順番に丁寧に
やり切るのだ。
しっかりやれば
メチャクチャ
すっきりする。
要するに
モヤモヤの多くは
自分自身が
自分の声をしっかりと
聴き切っていない
ことによる。
そして
すべてを聴き切ると、
その直後に
「では、本当は
どうすればよいか?」
「今回はどうすることが
最善の選択か?」
が
瞬時に浮かぶことも
ある。
この方法は
昔はよく私は
社長さんのコーチングで
使った。
時間はかかるが
これでかなり
すっきり経営判断された
人も多かった。
人の話も
聴き切ることは
大事なのだが、
自分自身の声も
聴き切ることは
大事なんだよね。
つづく
心が
100%スッキリしないと
出て来ない発想が
ある。
ということはつまり、
その発想とは
一生出会えない人も
多い。
100%のスッキリ状態を
知らず、
そこで生まれる発想も
知らないまま
人生を終えて、
それで果たして
「自分を生きた」
ということに
なるのだろうか?
もちろん、
100%スッキリせずとも
自分は自分だ。
淀みも含めて、
淀みの出方(パターン)も
含めて、
すべて自分だ。
それもまた事実
ではあるが、
本当にそれで
いいか?
本当の自分の
想いや発想を
知らないままに
生きて、
それで満足だろうか?
満足かどうかは
別として、
私はその「事実」は
実にもったいないと
思うのだ。
100%スッキリ
した時、
自分はどのような
発想をするのか?
何を決め、
何を決めないのか?
何を
願っているのか?
何を
目指しているのか?
ちょっと極端に
言うと、
「自分」として
この世に生まれてきた
以上、
私はそれらを
知ることは、
人間としての「義務」
ではないかと
思うのだ。
せめてそれを
知ろうと
努力することは、ね。
・・・・・・
最近、特に
思うのだけど、
みんな
悩まなくていいところで
悩んでいるよな。
先ほど、
100%のスッキリ
と書いたが、
これを手に入れることの
できる人は、
ちゃんと
悩むべきことに
悩んでいる
人だ。
本当に悩むべきことに
向き合い続けている
人だ。
だから、
変な風に聴こえるかも
しれないが、
100%スッキリできる
人ほど、
悩みが深い
のだ。
深い悩みと
向き合い続け、
いつも
ある意味
混沌としている。
でも
その混沌としっかり
関わり続けることで、
ある時
ある瞬間に
必要なタイミングで
100%晴れる
という状態が
訪れる。
100%晴れる
ためには
雲をなくそうと
してはダメだ。
あらゆる雲と
ちゃんと向き合い
続けることだ。
そして
そういう人ほど、
軽やかになる。
今、「悩みが深い」
という表現を
使ったが、
これは
「悩みが深刻だ」
ということでは
ない。
深刻ではなく、
深い。
深刻とは、
本来悩むべきことに
向き合わないことで
発生する状態だ。
それとは
まったくの真逆。
悩みが
深くなればなるほど、
その人は
軽やかに
なっていくんだ。
・・・・・・
そういう意味で
もっとちゃんと
悩もう、
我々は。
悩みと
向き合おう。
毅然と。
悠然と。
真正面から
ね。
つづく
悩む必要のない
ところと、
悩むべきところ。
この二つの区別が
本当につくように
なったら、
人生も仕事も
急加速する。
コーチングによる
サポートの際、
ひょっとすると
私は
ほとんどこの部分のみを
させていただいている
のではないか?
とさえ思える。
だって、
本当に悩むべきところ
が明確になれば、
クライアントさんは、
その時点で
スッキリする。
そして
サポートなどなくても、
勝手に答えを見つけ出し
邁進していく。
一度のコーチングが
終わり、
次のコーチングの日が
来て、
「例のあの件は
どうでした?」
と訊くと、
「あの件?
なんだっけ?」
と返ってくるケースが
とても多い。
そんなことはもう
とっくの昔に解決済みで
意識はもう
次の次の次くらいに
行っている。
人って
こんなもんなんだなぁ、
と
いつも思う。
人生や仕事が
進まない根本原因の
大半は、
悩みどころを
間違えている。
もしくは、
悩みどころが
ズレている。
のではないか。
・・・・・・
私達の真本音は、
「今ここで
自分のエネルギーを
全力で注ぎたいこと」
を、
常に決めている。
もしそこに
本当に真剣に取り組んだら、
真本音が
望んでいるだけに、
凄まじいパワーが
炸裂する。
凄まじいパワーが
炸裂すると言っても、
怒鳴ったり
叫んだり
妙に明るくなったり
するわけではない。
内側から
本当に凄まじいパワー
が湧くと
大概、我々は
穏やかになる。
心にゆとりが
出て、
物事がとてもよく
観えてくる。
だから、
今ここで何を
すればよいか?
次は
どのような一歩を
踏み出せばよいか?
が
ありありとわかる
状態となる。
それを私は
凄まじいパワー
と表現している。
だから、
凄まじいパワーが
発揮されている組織ほど、
皆、
穏やかで
自然な笑顔が
絶えないのだ。
・・・・・・
だから、
人の本質的な元気さは、
自分の悩みどころを
しっかりと知り、
そこにちゃんと
向き合っている、
ことにより
自然に高まっていく。
本当の悩みから
逃げていたり
目を逸らすことで、
元気を失っていくのだ、
私達は。
だから。
しっかり
悩もう。
今のうちに。
つづく
人生は
試行錯誤の連続
である。
悩み、迷い、
それでも決断し、
やってみて
結果が出て、
また、迷う。
その連続。
真本音度合いが
高まると、
それがなくなるのですか?
と、時々
訊かれるが、
それは
なくならない。
何も
変わらない。
えぇ〜?
じゃあ、意味ないじゃん。
と
思われるかもしれないが、
そうではない。
試行錯誤には
2種類あるからだ。
つまりは、
どれだけ試行錯誤しても
前には進めない
という
試行錯誤がある。
同じところを
グルグル回り続ける
試行錯誤だ。
これは本当は
試行錯誤とは
言わない。
停滞、
と言った方がよい。
もう一つは、
手応えのある
試行錯誤だ。
これは、
試行錯誤自体に
とてつもない充実感を
得る。
とはいえ、
あくまでも試行錯誤
なので、
本気で悩むし
本気で迷う。
しかし、そこを越えて
自分なりの決断ができると、
目の前の視界が
一気に開ける。
それはまるで、
すべてから
解き放たれ、
すべてから
自由になれたような
そんな感覚。
これを私は
「脱皮」
と呼んでいるが、
この、脱皮を伴う
試行錯誤が
本来の試行錯誤だ。
真本音度合いが
高まるということは、
「停滞の試行錯誤」が
なくなり、
「脱皮の試行錯誤」のみが
始まる
ということになるのだ。
・・・・・・
もちろん、
悩むのも
迷うのも
苦しいことだ。
できれば、
悩みも迷いも
まったくない
人生がいい、
と思うだろう。
しかし人間、
面白いもので
そういった意味での
安定を得ると、
途端に
生きがいを失くし、
「自分」を失くす。
生きがいとは、
生きる意味を
感じていること。
生きる意味を
感じない人生は
誰もが
放棄したくなる。
「私は安定を
求めます」
と
誰もが言う。
安定のために
がんばっている人は
多い。
しかし、
そういった意味での安定を
実際に手に入れてしまうと、
残念ながら
冒険したくなるのが
人間だ。
実はここで言う
安定
は、本来の安定では
ないからだ。
・・・・・・
本来の安定とは、
自転車のような
ものである。
つまりは、
進み続けることで
安定する。
止まってしまうと
倒れてしまう。
それが自転車であり、
人間も
同じようなものだ。
ということを、
何万人という人達と
向き合うことで
私は実感した。
私達は
「進むことによる安定」
を
最も望む生き物
なのだ。
恐らくこれが
宇宙の摂理
だ。
だから私は
人間の本能の中心は
「進化」
であると思っている。
・・・・・・
進化が始まると、
誰もが
イキイキする。
目は輝き、
その人らしさが溢れ、
「毎日が楽しくて
しょうがありません」
と言う。
進化が止まると、
途端に人は
元気を失くすし、
輝きを失くす。
それは
あまりにも
顕著だ。
顕著すぎて
笑ってしまう。
そして、
進化にどうしても
必要なのが
「試行錯誤」
である。
もちろん
「脱皮の試行錯誤」
だ。
真本音で生きる、
とは
そういった
私達人間の本能に
素直に生きる、
ということで、
それにより
多くの人達の人生は
冒険的になる。
冒険、
と言っても
決して、無茶は
しない。
真本音は
「できることしか
しない」
のだ。
しかし、
素直にそれを
やり続けると、
側から見れば、
「あの人
無茶だ」
と思われることは
しばしばあるが。
でも本人は
決して
無茶はしていない。
できることを
着実に
日々、行ない続けて
いるだけ。
しかもそれは
自分にとって
最も「適度」な
刺激を伴いながら。
だから、
楽しい。
真本音の人生に
入ると、
すべてが楽しくなる。
そういった人生は
誰もが、
つまりは全員が
手に入れることが
本当はできる。
・・・・・・
実は、
今の私は
試行錯誤の真っ只中
にいる。
迷いの
真っ只中だ。
手がかりが
つかめない。
まったく
つかめない。
だからこそ、
とてつもなく
面白い。
と、
素直に感じることが
できるのは、
ずっと真本音で
生きてきた成果かな、
とも思う。
つづく