情熱

呑み込まれそうだった

 

凄まじい「情熱」が

内側から

湧き上がってくる。

 

いわゆる

「やる気」で

全身が満たされる。

 

前に向かおうとする

エネルギーが

溢れ出ようとする。

 

全身全霊

という言葉がぴったりの

自分に

すぐにでもなれそうな

気がする。

 

怖いものが

なくなる。

 

何でもできるような

気がする。

 

全能感。

 

・・・今日、

久しぶりにこんな

感覚になった。

 

いわゆる

「幸せだなぁ」

という気持ちを

抱かせる状態であるが、

 

しかし私は

これが出た時には

 

すぐにその状態から

外れることに

している。

 

状態を無理に

変えようとするわけでは

ない。

 

ただ、

そこから外れる。

 

つまりは

客観的に自分を

見つめるのだ。

 

すると、

すぐにわかる。

 

あぁこのまま行くと

やばいな、

ということが。

 

「情熱」という名の

エネルギーに

自分は完全に

呑み込まれてしまって

いるな、と。

 

エネルギーそのものは

とても大事なものだし、

それが溢れるくらいに

高まることも

大事だ。

 

しかし、

呑まれては

ならない。

 

呑まれることで

観えなくなるのだ。

「現実」が。

 

それはつまり、

その瞬間から

「現実と向き合わずに

生きる」

ことになる。

 

それはつまり、

本質的には

「現実逃避」

何ら変わらないのだ。

 

当然、

真本音度合いは

一気に

落ちて行く。

 

だから私は、

自分自身のエネルギーに

呑まれそうになっている

自分を発見すると、

すぐに、

 

そのエネルギーを

凝縮させる。

 

エネルギーの高さは

そのままに、

 

全身を覆っている

それを凝縮し、

小さな光の球に

する。

 

かなりの

高密度の

エネルギー体だ。

 

そしてそれを

身体の中心部分に

大切に抱くようにして

据える。

 

すると、

全身がホカホカとして

温かくなる。

 

まるで

カイロを入れている

かのようだ。

 

こうすれば

「現実」は

はっきり観えてくる。

 

やれやれ、

となる。

 

中心に据えた

高エネルギー体は

高エネルギーなので、

しばらくはずっと

私の中におり、

私を温め続けてくれる

だろう。

 

それはとても

居心地の良いもの

だし、

それがあるが故に

私は疲れることなく、

いろんな物事に

取り組めるだろう。

 

これは

「冷静になれ」

とか

「冷静に生きろ」

ということでは

ない。

 

これをすることで、

自分のエネルギーの

コントロールが

効くようになる。

 

その結果、

ここぞ!という

本当に必要な

その瞬間に、

 

一気にそのエネルギーを

注ぎ込むことも

できる。

 

だからこれは

「冷静に生きる」

というよりも、

 

これこそが

「真剣に生きる」

ことなのだと

私は思っている。

 

つづく

 

本当の情熱で生きよう

 

「情熱」

という言葉がある。

 

情が熱すること。

 

感情が熱くなって

いること。

 

このもともとの

語源は

「受難」から

来ているらしい。

 

つまり、

苦難の中で

それに立ち向かおう

とするところから

発生する状態。

 

それが「情熱」

ということのようだ。

 

・・・・・・

 

以下は

私流の解釈だが、

 

情熱の「情」とは

反応本音のことだ。

 

反応本音が

熱くなっている。

 

反応本音が

燃えている。

 

それが

エネルギーとなり

目の前の物事に

取り組んでいく。

 

大事なのは、

 

「誰」が

その反応本音を

燃やしているか?

 

だ。

 

これ、

結構、いろんな

「誰」が

いるもんだ。

 

私が思う

人として最も幸せな

情熱とは、・・・

 

その人自らの

真本音が

 

自らの反応本音を

燃やしている。

 

・・・という状態だ。

 

真本音が

一つの「現実」に

向かおうとする。

 

その自分に

さらにエネルギーを

与えるために、

 

自らの

情(反応本音)に

熱を与える。

 

熱を与えられた

反応本音は

その熱を「炎」に

する。

 

それにより

人間としての

心のパワーが

増幅する。

 

それにより

その「現実」に

立ち向かうパワーが

増幅する。

 

それにより

道が開かれる。

 

真本音が

反応本音を

燃やす。

 

それは喩えれば、

会社の創業者が

一つの目的を果たす

ために、

組織を編成し、

 

そこにいる

社員さん達に

エネルギー(熱)を

与え、

 

自分一人ではなく、

組織としての

相乗効果を発揮しながら、

 

自分一人では

成し得ないことを

成し遂げていく。

 

・・・というような

ものだ。

 

私はよく、

人の心を「組織」に

喩える。

 

真本音が

創業者で、

 

反応本音は

その創業者に共感する

社員さん(仲間)達。

 

これが

本来の私達の

心の有り様だ。

 

真本音と反応本音が

このような関わりに

なることが

本来の私達の

心の姿であり、

 

この状態になることを

 

「真本音度合いが

高まる」

 

と、

私は表現している。

 

つまり、

真本音度合いが

高まることで、

 

私達は、

真本音と反応本音の

パワーの相乗効果が

発揮される。

 

それこそが、

真の情熱であり、

 

これが発揮されて

いる時、

 

その人は

その人らしさを

最大限に発揮する。

 

その人らしい

道を

切り拓く。

 

だから。

 

「情熱」って

いいね。

 

情熱的な人生で

ありたいと

私はいつも願って

来たし、

 

みんなもそうなれると

いいな、と

思う。

 

無理な

熱じゃない。

 

自らの願いや

祈りの込められた

真本音の熱で、

 

自分をさらに

熱くしよう。

 

つづく