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私達には
「力が宿る」
ということが
実は時々、ある。
もともと先天的に
持っていたもので、
ずっと眠っていた力が
何かのきっかけで
一気に浮上する。
するとそれはまるで
宿ったかのような
印象となる。
しかし本当は
宿ったのではなく、
もともと才能として
あったものが
開花しただけのことだ。
自らの真本音に
素直に生きる人は
そういう体験が
何度も訪れる。
ところが。
せっかく花開いた
その才能を
使わずにいる人が
たまにいる。
その力を使う
ということは
イコール、
それ相応の挑戦をする
ということだ。
これまでの自分では
考えられなかった
挑戦をする、
ということだ。
だからそこで
怖気付いてしまい、
逃げてしまい、
せっかく花開いた
才能を
使わないままに
人生を送ってしまう。
実に
もったいない話だ。
だから私は
「コーチ」として、
そういった才能が
開花し始めた
クライアントさんには
半ば強引に
挑戦をさせることが
ある。
本当は「コーチ」とは
クライアントさんを
引っ張ることは
しないものであるが、
しかし
その人の真本音の
意志を尊重するために、
あえて
強引なことを
することもある。
もちろん
そんなことをせずとも
ご本人が自ら
挑戦できれば、
それに越したことはない。
才能は
使わなければ
意味がない。
せっかく自分自身との
約束を果たすために
あらかじめ
自分自身に備えた力だ。
必然的な
力だ。
それを
使いこなすことこそが
「自分らしさ」
の基本となる。
これまで
苦手だと思っていた
ことが、
ある時にふと、
「そうでもないかな」
と思えたら、
それは
あなたの才能の
開花の始まりかも
しれない。
であれば、
思い切って
試してほしい。
挑戦を
してみてほしい。
つづく
世の中は、
自分一人だけでは
力及ばぬこと
ばかりである。
私には
「できないこと」
ばかりである。
「できないこと」
というのには
二つの要素がある。
「能力的にできない」
ということと、
「やってはならない」
ということだ。
そしてこの二つは
完全に
つながっている。
私達には
「役割」
がある。
それは私達自身が
真本音で
決めている。
自らの本当の役割を
見つけ出すことが
人生の最初の
目的だ。
そして
その「役割」を
全うするために
私達は皆、
先天的な能力を
持ち合わせている。
これをつまりは
「才能」
と呼ぶ。
「才能」とは
少しの努力で
ぐんぐんと伸びて行く
力を言う。
しかし
面白いことに、
どれだけ優れた
「才能」があっても、
それを
使わなければ
それは
まったく発揮されない。
だから
自分の「才能」に
気づかずに
人生を終えてしまう
人も多い。
多い、
と言うか、
びっくりしないで
いただきたいのだが、
私の現場感覚では
9割以上の人が
自らの「才能」に
気づいていない。
そして
「才能」以外の部分を
必死に努力して
伸ばしながら
生きているし、
仕事をしている
という現状がある。
だから私の
「コーチ」としての
目的の一つは、
その人の
「才能」を見出すこと。
そして
その人の真本音が
望む「役割」
を見出すことだ。
組織において、
(組織外でも同じだが)
その「役割」と「才能」が
合致し、発揮されれば、
そういった人達が
増えれば、
間違いなくその組織は
「調和」する。
そして
「進化」を始める。
それが如実に
「数字」となって
現れる。
・・・・・・
「才能」は
見つけ出さねば
発揮されないが、
見つけ出すだけ
ではダメだ。
次は、
それを伸ばす努力
が必要だ。
「才能」は
努力をすれば
すぐに伸びるが、
努力もしなければ
まったく伸びないように
できている。
まったく
人間というのは
面白い。
「才能」が伸びるように
努力するということは、
イコール、
その「才能」に見合った
「役割」に挑戦する
ということだ。
その「役割」を
担うのが
私達の人生の望み
であり、
真本音の望みなので、
要するに、
真本音に素直に
生きることで、
「役割」を見つけ、
「才能」も掘り出される。
その結果、
・自分がすべきこと
・自分がすべきではないこと
が自然に
明確になる。
組織も社会も
ここが混乱している
ので、
不調和が起きてしまう。
一人一人が
真本音で望む「役割」を
しっかりと担えば、
組織も社会も
自然に調和する。
つまり、
本当に面白いことだが、
「この組織を
こうするために
人をどうするか?」
という方向で
考えるよりも、
「この人を
本当に活かすために
どうするか?」
を出発点にする
ことで、
自然に組織は
進化して行く。
組織とは
人の集まり
だからだ。
この原則を
実践しているのが、
私のサポートの
真髄だと言ってもいい。
私は
こういった「コーチ」を
育成したいのだ。
(→【コーチ探し、始めます】)
つづく
このお仕事を
させていただいていて、
私が楽しみにしている
ことの一つは、
その人の中に潜む
『種』
を見つけること
である。
「種」と言うくらいだから、
まだ、
芽は出ていない。
つまりは
本人にその自覚は
ないし、
本人だけでなく、
周りの人達も
よくわかっていない。
しかしそれは
確実に存在していて、
その種が
発芽し、
一気に伸びることで
「この人には
こんな面があったんだ!」
と、皆が
驚くことになる。
本人も含めて。
そういった「種」を
見つけることが
私の役割の一つであると
思っている。
そして、
そういった「種」こそが、
実は、
その人の真本音の個性
だったりする。
つまりは、
本来のその人の魅力
であり、
本来のその人の能力
である。
それが「発芽」することで
その人の所属している
組織に
大きなインパクトと
進化をもたらすことは
とても多い。
・・・・・・
自分の持っている
「種」と
真逆の人生を
生きている人は多い。
例えば、
「私は人と関わることが
苦手なんです。
本当は、一人で生きて
行けるものなら
一人だけで生きて
行きたい。
できるだけ人と
関わりたくないんです」
と言いながら、
私と向き合うと本当に
オドオドしてしまう
人。
そんな人にこそ
コーチに向いている人が
多かったりするのだ。
その場合、
私は結構いつも
ダイレクトに
フィードバックする。
「あなたは私のような
コーチという職業に
向いているんですよ」
と。
当たり前のことだが、
最初は
ほぼほぼ信じて
もらえない。
しかし私は
その人に
「人と向き合う機会」
を創る。
時には
半ば強引にでも
創る。
すると、
初回からその人の
「コーチとしての能力」
は開花し始める。
そして、
「人と向き合うのは
結構楽しいのですね」
と、
かなりの短期間で
なる。
それはそうだ。
「種」とは
言葉を変えれば
その人の
「天性の才能」
だ。
「天性の強み」
だ。
才能や強みとは、
現時点で
発揮されているものとは
限らない。
しかし
少しのチャンスと
少しの努力で
開花し始めるのが
才能であり強み
である。
・・・・・・
同じような展開として、
これまで
人と関わることも
嫌い、
ましてや
リーダーシップなどとは
無縁の人生だった人の
中に、
とてつもないリーダーが
いたりする。
その場合も
私は結構、ダイレクトに
本人にフィードバック
する。
「あなたは本当は
リーダーに向いて
いるんですよ」
と。
これは本当に
いつも信じて
もらえない。
しかしやはり、
リーダー的な活躍の
機会を
半ば強引に
創っていく。
すると同様に、
それは開花する。
このように、
一人の個人には
眠っている「種」が
必ずある。
その「種」を
「発芽」させることは
組織にとっても
重要な「発芽」
となる。
・・・・・・
少しの刺激を
与えることで
「発芽」しそうな
「種」を持っている人。
その人のことを
私は
『要』
と呼んでいる。
組織の中ではまずは、
この、「要」を
見つけることが
とても重要な
ステップだ。
そして、
「要」に対して、
刺激を与えていく。
「発芽」のための
刺激だ。
面白いことに、
一人の人の
「発芽」は、
次の人の
「発芽」を
誘発する。
それにより
「発芽」の連鎖が
組織に起こる。
そして、
「発芽」する人が
組織全体の中の
1割を超えると、
その組織自体が
「発芽」を始める。
つまり、
組織の性質が
変わり始めるのだ。
この変質を
「進化」
と言ってもいい。
「要」を見つけ、
「発芽」を誘発させ、
組織に「進化」を
もたらす。
これが
私の仕事だ。
これができる人の
ことを私は
「コーチ」
と呼んでいる。
そういった意味での
「コーチ」は
今とても
求められている。
だから早々に
育成しなければ
ならない。
つづく