有限

限りがあるぞ

 

私達人間は、

この3次元の世界に

おいては、

 

使える命の力は

有限だ。

 

全身全霊

という言葉があるが、

 

全身全霊になった時に

発揮できるパワーが

有限だ。

 

なぜかと言うと、

二つ理由がある。

 

一つは、

この3次元という

世界そのものの

存在意義が

 

「有限であること」

 

だからだ。

 

限りのある中で

どのように

生きるか?

 

この根本テーマの

もとで

この世界は

成り立っている。

 

有限だからこそ

私達は

進化できるのだ。

 

もう一つの理由は、

 

「リミッター」

 

私達一人ひとりが

自分自身に

つけているからだ。

 

自分が

ある一定以上に

進化・成長できたら、

このリミッターを

外そう。

 

そしてまた

次の段階の

ある一定の進化・成長が

できたら、

また次のリミッターを

外そう。

 

・・・と、

私達は決めて

生きている。

 

もちろん潜在意識の

レベルでの話だが。

 

これもやはり

有限であることの

意味を

私達自身が自分に対して

活用しているわけだ。

 

そして私達は、

有限だからこそ

無限の可能性を

望んでいる。

 

その「望み」もまた

尊い。

 

その「望み」自体が、

有限であるからこそ

発生するもので、

 

これもまた

有限であることの

意義の一つだ。

 

有限から

無限へ。

 

その憧憬を抱きながら

私達は

生きているし、

 

そこに素直に

生きればいい。

 

そして、

有限から無限へ

近づくための

最短の道は、

 

「一点」

を決めること。

 

つまりは、

有限である自分の

命の力を、

 

エネルギーを、

 

どこに一点集中

させるか?

 

毎日、丁寧に

誠実に

決めて、

進むこと。

 

これができている

人は、

 

日々、「無限」に

近づいている。

 

命の力は

絞り込むこと。

 

拡散

させないこと。

 

そのためにも、

 

今は何のための

時間か?

 

今は私は

本当はここで

何をすべきか?

 

何をしたいか?

 

自分は今日、

何に自分の心を

込めるか?

 

魂を込めるか?

 

を、

常に自分自身に

問いながら

一歩一歩を

進んで行こう。

 

つづく

 

自分の可能性は無限? それはハッタリです

このブログをお読みいただいている皆さんは、

自分自身の可能性について

考えたことがあるでしょうか?

 

恐らく、「ある」と答えられる人が

ほとんどだと思います。

 

では、「可能性」とは何でしょうか?

 

可能性とは、無限でしょうか?

それとも、有限でしょうか?

 

今回は、

可能性とは「有限」です、

というお話です。

 

現在このブログでは、

木村さんストーリーをご紹介しています。

(→前回記事)

 

彼はこの後、すごい活躍をすることに

なるのですが、

その彼の活躍の「本質」をお伝えするためには、

その前提として、

どうしても明らかにしておかねばならないことが

いくつかあります。

 

その第1回目が今回である、

という位置付けです。

 

それが、

「可能性とは有限である」

ということなのですが、

ただ、その「有限」の意味が重要です。

 

「有限」という言葉を辞書で調べますと、

「限度・限界のあること」

とあります。

 

私達人間は、自分自身に対して

限度と限界を設ける

という特性を持っています。

 

必ず、自分自身を「枠」にはめるのです。

常に、

今の自分に見合った限度と限界を設定

するのです。

 

これは、私達の真本音の意図です。

 

ですので、よく

「私の可能性は無限です!」

といった言葉を使う人がいますが、

その言葉を放つその人自身の空気感には必ず

不自然・無理

が伴います。

 

つまりは、

ハッタリでそう言っている

ように感じ取れます。

実際に

ハッタリに過ぎません。

 

私達の真本音は、

自分自身に限度と限界を設けることを

非常に大事にしているからです。

 

なぜ限度と限界を設けることを大事にするか?

と言いますと、それは、

自分自身の無限の可能性を発現するため

なんです。

 

なんか、変な言い方になってますが、

これが本質です。

 

つまり、私達人間は、

その時その時の自分に対して的確な限度と限界を

設定することで、結果的に

自分自身を無限に進化させることができる

・・・ということになります。

 

ですから、

今の自分は、自分自身にどのような限度と限界を

設定しているか?

を理解することが、「超」がつくほど重要です。

 

ここを誤ると、

物事の進展が、極めて遅くなります。

 

私達は、自分自身が設定している限度と限界に

即した生き方や、目標設定の仕方をする

ことが大切なのです。

 

つまり、「限度と限界」とは

私達人間にとって、無限の進化を持続するためには

なくてはならないもの

なのです。

 

ですから、次の問いがとても重要であり、かつ

必要です。

 

「私は今、どのような限度と限界を

自分自身に設定しているだろうか?」

 

そして、

 

「私は今、どういった限度と限界の枠の中で

物事の発想をすることが必要だろうか?」

 

という問いです。

 

わかりやすく喩えるならば、

例えば、2歳の幼児がいたとして、

その子に、

「君には無限の可能性があるから

自由に自分のやりたいことを発想して

行動しなさい」

と言っても、危険極まりないし、第一、

本人には意味がわからない

ということです。

 

ですから私達はその2歳の子に枠をはめます。

例えば、公園にその子を連れて行き、

「この公園の中は安全だから、

好きなことをしてもいいよ」

と伝えます。

 

その子は、公園という守られた枠の中で、

自由に遊び、その遊びを通じて、

自分の意志を育てて行きます。

 

要するに、そういうことです。

 

私達の真本音とは、喩えて言えば、

自分自身の「親」であり、「師匠」と言ってもいいかな、

と思うことがあります。

もちろん、真本音とは「本来の自分自身」であるのですが、

「本来の自分」と「今の自分」が

あまりにもかけ離れている場合は、

それは「親」であり「師匠」である、と捉えた方が

受け取りやすくなるケースが多いのです。

 

真本音という「親」「師匠」は、

私達自身を最速で、しかも、一歩一歩着実に

育てようとしています。

 

そのためには、

最初からいきなり、「無限」を提示し、

何の枠もない中で、「自由にしてごらん」とは

決してしないものです。

 

きちんと的確な「枠」を設定し、

その「枠」の中で自分を育て上げ、

その「枠」での「自由」を手に入れたら、

その「枠」を壊し、

さらに大きな「枠」を設定し、その中での

「自由」を学ばせる。

 

・・・そんなことをするのです。

 

ですから、

私達人間に必要なのは、

「的確な枠」

であり、それを最もよくわかっているのが、

私達自身の真本音

だということになります。

 

逆に言えば、

その人は今、的確な枠の中にいるだろうか?

という視点でその人を観察し、

枠が小さ過ぎれば、その枠を外し、もっと大きな枠を設定する、

枠が大き過ぎれば、もっと小さな枠の中にあえて入れる、

というサポートが必要です。

 

そういった的確なサポートができる人こそが、

「コーチ」だと思うのです。

 

特に私は、木村さんにはその視点を

大事にしていました。

 

なぜなら、彼は

「枠設定」

が非常に苦手だったからです。

 

つづく