未来

未来

 

未来が私に

語りかけてくる。

 

もっと私と

一つになったらどう?

 

と。

 

いや、いいよ。

 

私は返す。

 

私は未来を

知りたくないんだ。

 

ほんの1秒後の

未来でさえ。

 

その気持ちは

わかるけど・・・。

 

未来が呟く。

 

これは好みの

問題じゃないんだ。

 

未来がわからない

のが

この人生の

醍醐味さ。

 

悲しいことも

多いでしょう?

 

もちろんね。

耐えられそうも

ないことも

たくさんあった。

 

でもそれでも

私に未来は

必要ない。

 

寂しいね。

 

どうして?

私は未来を

創っていくものだと

思っている。

 

それはそうだけど、

でも結局はそれは

私と一つとなる

ということだよ。

 

もちろん

わかっているよ。

 

でもそれでも

未来は

私が創っていく。

その方が

面白いし、

ここにいる意味が

あるよ。

 

でもあなたの

歩みは、

私と一つになった方が

随分楽だと思うけど・・・。

 

いや、

今でも充分に

楽だよ。

私は「今」を

愛しているからね。

「今」を愛せば、

未来を感じるよ。

決して未来はわからない

けどね。

 

わかった。

じゃあ、あなたからは

離れておこう。

もっと離れようか?

 

そうだね。

遠くの星くらいで

いてほしい。

未来を星のように

眺めながら、

遠くの存在として

感じながら

進みたいんだ。

 

あなた、

変わってるよね。

 

そうかなぁ。

これが人間の

醍醐味だと思うけどなぁ。

 

つづく

 

未来と繋がる自分になるには

 

自分の「未来」を

大事にしたいのなら、

 

「今」を

大事にすることだ。

 

「今」を大事にできない人は

「未来」を大事にすることも

できない。

 

そういった

とても単純な原理に

基づいて

私達は生きている。

 

今の自分に

文句を言ったり

否定をしたり。

 

今の環境に

文句を言ったり

否定をしたり。

 

もちろん

そういった心が

湧いてくるのであれば

それはそれで良いし、

 

あらゆる心は

存在承認すればいい。

 

でもそれだけで

終えてしまっては

ならない。

 

文句もあるし、

否定したい気持ちも

あるけど、

 

それでも私は

今ここ

にいる。

 

じゃあ

今ここで私は

どう生きるか?

 

何を大切にして

どう生きるか?

 

どんな自分として

在り続けたいか?

 

それを

真摯に見つめ、

 

そして

真摯に行動する。

 

その姿勢を

持ち続けている人は

 

それだけで

心がだんだん

クリアになっていく。

 

エネルギーが

高まってくる。

 

そして

ある時ある瞬間に

何かのきっかけで

 

「未来」

が観えてくる。

 

私達はもともと

自分の未来を

決めている。

 

何を目指し、

何を実現するために

この世を生きるか?

 

その純然たる答えを

抱きながら

生きている。

 

真本音の答えが

あるんだ。

 

しかしそれは

「今」を大事にする

生き方ができていなければ、

 

決して

心の奥底からは浮上

しない。

 

自分の未来への

指針や願いは

自分の望む生き方を

実践できる自分にならねば

隠れたままなんだ。

 

今をちゃんと

生きることができて

初めて、

 

私達は自分自身に

OKを出す。

 

よし。

もう今の私ならば、

私の未来を

見せてあげよう。

 

と、

自分で自分に

OKを出す。

 

それが

私達だ。

 

自分に真摯に

生きること。

 

それは

今を真摯に

生きること。

 

つづく

 

未来との決別

 

とても変な表現

だが、

私達は誰もが、

 

「見張られている未来」

 

というのを

持っている。

 

その「未来」は

自分自身をじっと

見張っているのだ。

 

私達は無意識に

ずっと

その「未来」から

見張られ続け、

 

その「未来」から

怒られないように、

 

その「未来」を

裏切らないように、

 

その「未来」から

見捨てられないように、

 

頑張ってきた。

 

しかし実は、

その「未来」から

自由になることこそが、

 

私達にとっての

「本当の未来」

を築く歩みとなる。

 

そこで

ちょっとやってみよう。

 

あなたの

背後の、

上の方にずっと

意識を向けてみて

ほしい。

 

背中のちょっと

後ろ。

 

その後ろから

上に上にと

意識を上げていく。

 

何メートルくらい

上か?

ひょっとすると

雲くらいか?

宇宙にまで

出てしまうか?

 

などは

人によりけりだろう。

 

とにかく

背後の上の方に

意識を上げていくと、

 

その何処かに

 

「見張られている未来」

があるはずだ。

 

その「未来」は

一見、あなたの味方

であるような趣で、

 

しかし

厳しくあなたを

見張っている。

 

もちろん

「見張られる」こと

自体に

意味があった。

 

だからこそ

私達は精進できた。

 

しかしもう、

私達には「準備」が

整った。

 

もう、

見張ってもらう必要は

ない。

 

だから、

その「未来」には

去っていただこう。

 

やることは

簡単だ。

 

その

「見張られている未来」

に、

感謝の気持ちを

伝えると共に、

 

「もう私はここから

一人で行きますから」

 

毅然と決意を

伝えればいい。

 

そうしたら

意識を「ここ」に

戻し、

 

あとは

毅然と進めばいい。

 

たったそれだけ。

 

すぐにやってみて

ほしい。

 

つづく

 

今、大事な問い

 

今また

大事な問いが

ある。

 

それを

今のあなたに

投げよう。

 

 

『今のあなたが

見つめている未来は、

何年何月何日の未来?』

 

 

例えば

私であれば、

 

この問いを

自分に投げると、

 

2039年7月29日の未来

 

という

答えが浮かぶ。

 

そうしたら、

その未来に意識を

向ける。

 

向け続ける。

 

すると何か

浮かぶイメージが

あるかもしれない。

 

イメージはなくとも

何かの気づきや

発想や

メッセージのようなものが

あるかもしれない。

 

それらを得ることが

できたら

それらを大事にするが、

 

何も得られなかった

としても

問題はない。

 

大事なのは、

今のあなたは

その未来に

意識を向け続けると良い

ということだ。

 

そこに常に意識を

向けながら

一日を過ごしてみて

ほしい。

 

「今の自分」

からは得られない

何かを

得られるかもしれないよ。

 

つづく

 

ここにある未来

 

とてつもなく

広い通りがある。

 

私はその中央に

立っている。

 

気がついたら

ここにいたのだ。

 

人々が

たくさんいる。

 

皆、思い思いに

歩いているのだが、

 

私がキョロキョロと

周りを戸惑いがちに

見渡していると、

一斉に私に注目した。

 

皆が笑顔を

向けてくる。

 

何か、笑いながら

話しかけてくる。

 

でも彼らの言葉が

わからないのだ。

 

にも関わらず、

私も何故か笑顔に

なった。

 

笑いながら

彼らと握手をした。

 

どんどん皆が

来る。

 

凄い人数だ。

 

一人ひとりと順番に

握手する。

 

なんと私は

知らないうちに

自分でも何かを喋っている。

 

勝手に口が

動くのだ。

 

自分で喋っているのに、

自分の言葉が

理解できないでいた。

 

俺はいったい

何をしてるんだ?

 

と疑問符ばかり

なのだが、

そんな気持ちとは

裏腹に

私は笑顔で彼らと何かを

話しながら、

一人ずつと丁寧に

握手を続けた。

 

ポタっと

何かが落ちた。

 

見ると、

涙のようだ。

 

私が泣いている

のだ。

 

なんだこれは?

 

彼らも皆

泣いていた。

 

泣きながら

笑っていた。

 

それを見ながら

私は理解した。

 

そうか、私は今、

彼らと再会しているのだ、

と。

 

・・・・・・

 

広い通りは

真っ直ぐに彼方へと

続いている。

 

皆は私を手招きした。

 

「あっちですよ」

私を導いてくれている

ようだ。

 

道の彼方は

眩しく輝いていて

その先がどうなっているのか、

よくわからない。

 

しかし彼らの導きの

ままに、

私はその道を進んだ。

 

気がつけば

彼らの姿はもう見えず、

 

私は一人で

光の中を歩いていた。

 

私の涙は

さらに増えているようだ。

 

どこに向かっているのか、

私にはさっぱり

わからないのだが、

 

でも一方では

私はすべてを

知っていた。

 

あぁ、確認だな。

 

わかった。

 

私は未来を一度、

きちんと確認しようと

している。

 

そのために

ここに来たのだな。

 

確認できたら、

そこでの記憶は

消えるのだろう。

 

それがわかっていて

私はあえて

ここに来たのだな。

 

記憶に残らずとも

刺激は残る。

 

その刺激を

私は私に与えたかった

のだな、と。

 

であれば

迷うことはない。

 

この光の先を

見てみようか。

 

私はさらに

歩を進めた。

 

そしてやはり、

そこから先の

記憶は消えた。

 

・・・・・・

 

必要な刺激は

ちゃんと手に入った

のだと思う。

 

かなりさっぱりした

感覚なので、

きっと私は

良いものを見ることが

できたのだと

思う。

 

いや、

そう思うことにしよう。

 

未来は

わからないからこそ

価値がある。

 

わからないからこそ

人生を

人間であることを

噛み締めることが

できる。

 

人としての

最善、最大の一歩を

これからも

進むだけだな。

 

つづく

 

わからないけどよくわかる

 

私の周りには、

子どものような人が

多い。

 

いや。

 

その言い方は

語弊があるな。

 

子どものような

純粋さを持った人が

多い。

 

・・・だな。

 

彼らは

未来を語るときに、

実に

キラキラした目で

語る。

 

未来がはっきりと

観えている

わけではない。

 

むしろ

暗中模索の人が

多いのだが、

 

しかしそうであっても

未来に向かう

眼差しは、

実に清々しい。

 

「未来の自分」

とすでに

つながっているのだ。

 

・・・・・・

 

私達の高い次元の

意識では、

 

「時間」は

分離していない。

 

過去も今も未来も

「一つ」

である。

 

「すべて」が

ここにある。

 

真本音度合いが

高まることで、

自らのそんな意識を

常に感じ取れるように

なる。

 

この世で生きている

私達の意識は

もちろん、

 

すべてと「分離」

している。

 

あなたと私は

別物だし、

 

目の前のパソコンと

私も別物だ。

 

空気と私も

別物だし、

 

自動車と私も

別物。

 

時間と私も

別物だ。

 

それが通常の

私達の意識であるが、

 

それとはまた

別のところで

「すべてと一つ」である

自分自身の意識が

ある。

 

それがいわゆる

高い次元の意識

なのだが、

 

そんな自分を

常に実感しながら、

 

分離している意識と

共に

生きるようになる。

 

それが

真本音度合いの高い

生き方である。

 

つまりは、

「すべてと一つの自分」

「すべてと分離した自分」

コラボである。

 

このコラボが

本当に面白い。

 

人生の醍醐味とは

ここにあるのでは

ないか。

 

・・・・・・

 

だから、

未来が観えなくとも

未来と一つである

自分が

ここにいる。

 

自分が未来で

創り出す現実は

具体的にはわからなくとも

 

でも、

未来のことは

よくわかっている。

 

自分が

何をすべきか?も

わからないのに、

よくわかっている。

 

わからないのに

よくわかっている

自分として、

今、ここで

未来に思いを馳せる。

 

そんな時

人は、

子どものような

純粋な瞳と表情に

なるのだろう。

 

・・・・・・

 

私にも

かなり壮大なビジョンが

ある。

 

現時点では

本当にそれが

成されるのか

さっぱりわからない。

 

具体的に

どうすればいいのか、

どんな状態を

創り出せばよいのか、

 

わずかしか

観えていない。

 

しかしそれでも、

「それができる」

ことは

確信、・・・というよりも

宇宙の真理くらいに

「当たり前」だと

思っているし、

 

今、私の周りにいる

人達は、

そんな私のビジョンに

直結する人達ばかりだ、

というのも

よくわかる。

 

そして

その輪はこれからさらに

加速的に

広がっていく

のもわかる。

 

わかってないけど、

よくわかる。

 

今ここに生きる

自分として、

 

ここからの一歩一歩を

これまで以上に

楽しみながら

進もうと思う。

 

つづく

 

つくづく、美しいなぁ、と

 

もし

未来を見通す力が

あったならば、

人生はもっと楽だろうな、

と思う人は

多いかもしれない。

 

私もそう思う時があるが、

しかし、

やはり、

未来がわからないところに

人生の醍醐味は

あるのだろう。

 

そしてこの

3次元の世界の

意味や意義も

あるのだろう。

 

・・・・・・

 

もし

未来がわかって

しまったら、

 

私達は

「覚悟を持つ」

という体験が

できるだろうか?

 

とも思う。

 

あの独特の

体験。

 

未来がわからない

ままに、

「この道を行こう」

完全に決めた時の

あの感覚。

 

あの

すがすがしさ。

 

それまで

自分を縛っていた

あらゆるものから

解放され、

 

自分は本当は

自由だったんだ、

 

理屈を超えたところで

その真実を

思い出す、

 

あの感覚。

 

あれは

未来がわからない

からこそ

得られるものの

一つではないか。

 

・・・・・・

 

人は進む。

 

未来が見えても

見えなくても、

 

人は進む。

 

どうせ進むなら、

この世界にいる

私達は

 

未来が見えないままに

進もう。

 

それが

私達がここに来た

意味だから。

 

覚悟を持った

人は

 

美しい。

 

新たなステージに

進む

その姿は、

 

未来が見えない

人生だからこそ

出会うことのできる

 

宝物の一つだと

 

私は今日も

つくづく思ったよ。

 

つづく

 

じっと見つめ合ったよ

 

私の自宅の近くには

有名な神社があり、

 

先日、その神社のお祭りに

5歳の息子と一緒に参加した。

 

たくさんの子ども達が

集まって来ていた。

 

顔見知りの子は

ほとんどいないのに、

私の息子は

まるで親友達の中に

いるかのように

一瞬で溶け込んでいた。

 

子ども達は皆、

オープンだった。

 

とは言え、

子どもの心にも

いろいろと抱えている

ものはある。

 

淀みもあるし

ストレスもある。

 

険しさもあるし

憤りだってある。

 

そこは

大人と変わらない。

 

しかしやはり

子ども達は

まだ未発達の小さな体を

持て余しながらも、

 

ただただ

純粋に交じり合い、

笑い合っていた。

 

そんな姿を

見ながら、

 

このような世界に

なるといいな、

思った。

 

・・・・・・

 

ある見知らぬ子が

私のところに寄って来た。

 

そしてじっと

私の目を見つめた。

 

実はこれ、

よくあることだ。

 

幼い子や赤ちゃんほど

それをよくやられる。

(やられる、というのも変だが。)

 

そんな時、私は必ず

同じようにその子の目を

ただ黙ってじっと

見つめることにしている。

 

私達は数秒の間、

見つめ合った。

 

そして何も言わずに

その子は去って行った。

 

その数秒間で

私達は何をしたのか?

 

よくわからないまま

しているのだが、

でも実は

とてもよくわかっている。

 

私達は

「確認」をしているのだ。

 

そして

「エネルギーの交歓」を

しているのだ。

 

「確認」とは

「約束」の確認。

 

言葉にはならない

約束の確認。

 

そして

エネルギーの交換を

しながら、

私達は「合図」を

送り合っている。

 

それにより

私には、その子から

何らかの刺激が入り、

その子にも私から

何らかの刺激が入る。

 

それだけのことだが、

それが、

その子の人生にも

私の人生にも

必要で大切なことなのだ。

 

別にこれは、

私だけが特別に行なっている

ことではなく、

誰もが常に自然に

そして無意識に

行ない続けていることだ。

 

私はそういったことを

自覚できるので、

一つ一つ丁寧に

それを行なっているに

過ぎない。

 

特に子ども達には

丁寧に行ないたいのだ。

 

・・・・・・

 

私達は、

「確認」をし合い

「交歓」をし合い

「合図」をし合い

ながら

共に生きている。

 

それを躊躇なく、

純粋に

笑いながら

行ない合える

世界になるといいな、と

本当に思う。

 

そうなるために

私は

私のできることに

日々、全力を尽くしている。

 

私のビジョンは

約30年後の未来に

向かうもの。

 

30年後と言えば、

今の幼い子ども達が

社会の主役となっている

時代だ。

 

その時代に

あの子達が

真本音で語り合い、

生き合う世の中に

なれるよう、

 

今の大人である私達は

最大速で進もうでは

ないか。

 

つづく

 

見つめ続ける未来がある

 

私の意識は

常に、

未来を

見つめている。

 

「未来」

というのは、

2046年のことだ。

 

つまり、

今から27年後の

未来だ。

 

そこで

何が起きているのか?

どんな

未来が築かれているか?

などを

予測している

わけではない。

 

ただ、

「見つめている」

のだ。

 

潜在意識の部分も

含めれば、

私は24時間常に

そこを

見つめ続けている。

 

その状態で、

「今」

に何をするか?

すべて決めている。

 

「すべて」

だ。

 

・・・・・・

 

ビジョンとは

そういうものだと

私は思っている。

 

常に自分が

見つめ続ける未来

が、

ビジョンであり、

 

それは、

「今」と共に

ある。

 

ビジョンと今は

つながっている。

 

というよりも、

「一つ」に

なっている。

 

実在のレベルでは

そういった状態に

なれて初めて、

それはビジョンと

なる。

 

27年後の未来は

私からしてみれば、

あまりにも

「近い」のだが、

 

しかし、

その時に世の中は

こうあってほしい、

という

私の願いからすると、

 

今の状態は

あまりにも

そこからは遠い。

 

いったい

どうやってそこまで

たどり着けば

よいのだろう?と、

 

顕在意識の私は

ついつい思って

しまうのであるが、

 

もちろん

ビジョン実現の

自信も

ないのだが、

 

しかしそれでも

私は確信を持って

「今、ここで

自分が何をするか?」

決め続けている。

 

そこには

一切の迷いは

ないし、

この「一歩」が

27年後に直結し、

「一つ」になっている

ことも

感覚で理解できる。

 

だから

「状態」としては

極めて遠いのだが、

 

「進んでいる実感」

「このまま行けば

たどり着ける、

という根拠のない

確信」

は、

常に感じ取れている。

 

これが

「真本音で生きる」

ということなのだと

思う。

 

私は

「今やってはならない」

と思うことは、

何がどうあっても

決してやらない。

 

そして、

「今すべきだ」

と思うことは、

何がどうあっても

必ずやる。

 

その一瞬一瞬の

選択の中で

ここにいる。

 

・・・・・・

 

こういった感性は

すべての人が

もともと持ち合わせている

ものだ。

 

真本音度合いが

高まれば、

皆、思い出せる。

 

だからそうしよう

というのが

私のサポートの根幹に

くるが、

 

この感性を

サポートなしでも

最初から充分に

持ち合わせている

若い人達の存在を、

最近は

特に多く感じるように

なった。

 

ただしその

「若い人達」というのは、

現時点では

「幼児」と言われる

人達だ。

 

私の息子も

含めて、であるが。

 

この感性を

今の世の中が

潰してしまう可能性は

残念ながら

大いにある。

 

大人達が

子ども達を

「未熟なもの」として

思い込み、

「すべてを教えなければ」

とするところから、

感性潰しは

始まってしまうだろう。

 

もちろん、

彼らは未熟だ。

 

いろいろ、

教えなければ

ならない。

 

私の息子に関しても、

毎日、

叱らなければならない

ことばかりだ。

 

それはそれ。

 

しかし、

彼らの感性を

潰してはならない。

 

彼らは

「ビジョン」を持ち

ここにいるのだから。

 

いや、本当は

すべての人が

そうなのだが、

 

特に彼らのビジョンは

顕在意識に非常に

近いところにある。

 

ちょっとのきっかけで

それが浮上し、

 

「自分は何のために

生きればよいか?」

 

を、

彼らは明確に

知るだろう。

 

その感性を

我々大人が

潰してはならない。

 

大人達が

彼らに

「教えるべきこと」

と、

 

逆に彼らから

「学ぶべきこと」

区別をつけること。

 

これが

今の世の中の

最重要テーマの一つ

であり、

 

そのためにも私は

大人達の

真本音度合いを

高めるサポートが

必須だと

思っている。

 

つづく

 

夢はわかるかい?

 

夢を持つことは

やっぱり

大事だなぁ。

 

でも、

とりあえずの夢

なら

持たない方がいい。

 

ちょっと

極端な言い方

だが。

 

とりあえずの夢

は、

とりあえずの人生

創り上げてしまう。

 

であれば、

本当の夢が

見つかるまでは、

 

「今この瞬間」

 

に集中すると

いい。

 

今この瞬間を

本当に

本当に

大事にするのだ。

 

本当に

本当に

大事にする、

とは

 

今この瞬間を

愛でる

ということだ。

 

愛でる、

とは

満喫すること

だと

私は思う。

 

今ここにいる

自分自身。

 

自分の魂。

 

自分の心。

 

自分の体。

 

さらには

自分以外の存在。

 

周りにある

すべてのもの。

 

周りにいる

すべての人。

 

自然、人工物、

目に見えるもの達。

 

そして、

目の届かない

ところにある

すべてのもの達にも。

 

それらに

意識を向け、

すべてを

あるがままに

感じる。

 

これが

満喫であり、

愛でることだと

私は思う。

 

もちろん、

そこには

自分の嫌いなものも

目を向けたく

ないものも

あるだろう。

 

でも、

その「嫌い」という

気持ちも含めて

すべてを

満喫してしまおう。

 

そんなつもりで

今この瞬間を

大切にして

みよう。

 

そんな一日を

過ごして

みよう。

 

今日

それができたら、

明日も

そうしてみよう。

 

一日一日、

そんな毎日を

積み重ねよう。

 

そうすれば、

自ずから

未来が観えてくる。

 

最初はそれは

漠然としたもの

かもしれない。

 

でも、

だんだんと

具体化してくる

だろう。

 

それが

本当の夢。

 

みんなそれは

必ず出会える。

 

ちゃんと

生きれば。

 

そして

本当の夢が

わかれば、

さらに

今日という一日を

愛でることが

できるだろう。

 

それによりさらに

夢は

具体化してゆく。

 

今と未来の

コラボが

始まり、

 

今と未来が

まっすぐに

つながる。

 

誰もが

それはできる。

 

誰もが

今この瞬間から

それを

始められる。

 

つづく

 

もう思惑なんていいじゃない

 

これまでの

延長線上の未来を

描くことは、

 

もういっそのこと

やめて

しまいましょう。

 

そこに

私達の

本当に望む未来は

ありません。

 

よくよく考えると、

人生が

きれいな比例直線

のように

進むことは

ほぼありません。

 

どこかで

これまでの流れが

断絶し、

 

どこかで

これまでとは

まったく別の

地点に飛んだり、

 

別の世界に

ワープしたり、

 

非直線的に

進みます。

 

要するに、

思惑通りには

進まないのが

人生です。

 

なぜなら

私達の真本音が

「思惑を超える」

ことを

望んでいるから

です。

 

非線形

の人生。

 

これが、

普通の人生です。

 

・・・・・・

 

どうせ

思惑通りに

いかないのであれば、

 

その

思惑通りに

いかないこと自体を

楽しみましょう。

 

思惑通りの法則に

則らない、

という法則を

そのまま受け入れる

ことで、

 

私達は

ある種の

次元の異なる

安定感を得ます。

 

何が

起きてもいいし、

 

何も

起こらなくても

いいや。

 

というところに

立ち、

 

すべての思惑を

手放し、

 

ただ

「ここ」

にいる。

 

そのような状態に

入ることで、

非線形の人生は

 

一気に

加速します。

 

反応本音のレベル

では、

それを

「怖い!」

と認識するかも

しれませんが、

 

それは

あくまでも

反応本音。

 

その反応本音すら

そのままに

しておきます。

 

つまり

心もそのまま。

 

何がどのように

動いてもいい。

 

という状態に

しておきます。

 

・・・・・・

 

ということは

つまり、

 

現実で、

何が起きても、

何も起こらなくても、

いい。

 

心の中も、

何が起きても

何も起こらなくても

いい。

 

という状態にします。

 

これを

私のよく使う言葉で

さらに端的に

言えば、

 

実在も

現象も

どうなっても

いいや。

 

・・・という状態。

 

実在も

現象も

あるがままで

いいや。

 

・・・という状態。

 

こうなることで

私達は

完全なる自由を

手に入れます。

 

非直線的で

非線形の

人生を、

 

まったく

思惑を持たずに、

 

完全に

コントロール

する状態と

なります。

 

そこに至って

私達は

知るのです。

 

なんだ、

すべては

「一つ」

ではないか。

 

すべては

「私」

であり、

すべては

「あなた」

ではないか。

 

私がこれまで

「思惑」と

呼んでいたものは、

 

全体の中の

たった一個の

細胞が、

全体から

分離された

とてつもなく狭い

視野の中での

とてつもなく

小さな意図に

過ぎなかったのだ、

と。

 

本当の意図は

ここにあった。

 

本当の意図は

「すべて」に

あり、

そして

「私」にあり、

さらに

「あなた」に

あった、

と。

 

言葉にすると

ややこしく

なりますが、

 

以上を

「感覚として」

完全に

理解している、

・・・というよりも

思い出している

意識を

 

『8次元の意識』

 

と私は呼んでいます。

 

・・・・・・

 

8次元の意識を

思い出したと

言っても、

低い次元の意識が

なくなることは

ありません。

 

すべてが一つである、

とわかっている

意識もあれば、

 

すべてが分離した

中で生きる意識も

あります。

 

すべての次元が

共存する

世界。

 

それが、

「人間」

です。

 

そんな「人間」が

繰り広げる人生

なのですから、

 

それが

面白くないわけが

ありませんね。

 

つづく

 

未来に向かっていきましょう

 

未来がわからない

というのは

素敵なことです。

 

1秒後に

何が起こるかわからない

というのは

素敵なことです。

 

私達は

3次元という世界に

生きていますが、

いつも申し上げることですが、

3次元世界独特の魅力の

大半が

この、未来がわからない

ということです。

 

最近、

ちょっと極端な言い回し

ばかりをしているような

気がしますが、

今回もまた、ちょっと

極端に言いますね。

 

未来を予測するなんて

まったく意味がない。

 

と私は思ってるんです。

 

だって、

せっかく未来がわからない

という魅力的な世界に

いるのに、

予測してどうすんの?

・・・と。

 

これは私の体験上の

ことですが、

未来を予測すればするほど、

反応本音が

たくさん発生します。

 

そして

肝心なことが、

観えなくなってしまいます。

 

肝心なことの

代表的なものが、

「次の一歩」

です。

 

自分が本当は

どのような「次の一歩」を

踏み出そうとしているのか。

 

それが

わからなくなって

しまうのです。

 

未来とは、

予測するものでは

ありません。

 

・・・・・・

 

しかし、

未来に意識を向けることは

とても大事です。

 

「未来に向かって

いきましょう!」

 

というメッセージは

すべての方々に

お伝えしたいことです。

 

なぜなら私達は

紛れもなく、

未来に向かって生きて

いるからです。

 

未来とは、

予測するものではなく、

願うものです。

 

心から、

というよりも

魂から願うものです。

 

そして

その願いに向かって

未来とは

自ら創り上げるものです。

 

予測をして

それに合わせて、

自分の道を決める。

 

小賢しい!

と、私は思います。

 

・・・はい、

かなり極端な言い回しです。

すみません。

 

でも、

そこから自由になれると

その人は本当に

毅然と

「今」

に集中できるんです。

 

最も大切なのは

「今」

に生きることです。

 

「今」

に集中することです。

 

未来の予測は

そこを阻害します。

 

「今」

には、

「すべて」

があります。

 

本当は、

「今」

には

「過去」も「未来」も

すべてが

融合されています。

 

私達の高い次元では、

過去も今も未来も

すべてが「一つ」です。

 

これを

3次元的な表現で言えば、

高い次元の私達は

未来をわかっています。

 

未来を

知っています。

 

すべてを

知っています。

 

その、

高い次元の私達の意識が

発動する唯一の条件が

「今」に

集中することなんです。

 

「今」に生きる

ことなんです。

 

ですからそこに

淀みが起こることは、

自分が本来創り上げる

未来を

創り上げられなくなる

ということにつながります。

 

3次元の世界に住む

私達にとって

最も大切な生き方が

「今」に生きる

ことです。

 

・・・・・・

 

素直な気持ちで

「未来」を

願いましょう。

 

できるかどうか?

実現できそうかどうか?

ではなく、

自らの純粋な想いが

大切です。

 

その願いをいつもいつも

大切にしながら、

「今」に

向かいましょう。

 

「今」に向かうとは、

「今、何をするか?」

をとことん大切にする

ということです。

 

淀みのない

「今の行動」を

決めるということです。

 

その「淀み」が

いつも完全になくなっている

状態を

真本音度合い100%と

私は呼んでいます。

 

この状態には

本当は

すべての人が

なれるのです。

 

私の願いは、

そういった人が

一人、また一人と

増えること。

 

そして世の中の

1割以上の人が

そうなれること。

 

1割の人がそうなれば、

世界は間違いなく

変わります。

 

それが私の

未来への願い

です。

 

つづく

 

生まれたばかりの自分を取り戻そう

以前、私の母親から

聴いたのですが、

私は生まれたばかりの

赤ん坊の頃、

ほとんど

泣かなかったそうです。

 

ただ大仏のように

ジーッとしていたそうです。

 

あんまり泣かないものだから、

心配になって

産婦人科の先生に

相談に行ったそうです。

 

産婦人科の先生は

「どれどれ・・・」

と言いながら、

私のお尻を思いっきり

つねったそうです。

 

すると

私は大泣き。

 

「あっ大丈夫ですね。

これだけ泣けば

健康です」

 

・・・だって。

 

「大丈夫ですね」

じゃねーだろうよ。

こっちは落ち着いて

この世に生まれたことを

しみじみと

味わっていたのによぉ。

 

・・・と私は

思っています。笑

 

実は、

当時の私は

この世に生まれた悦びを

一人静かに

噛み締めていたのでした。

 

その記憶が

あります。

 

というよりも、

いつでもその時点の自分に

戻れるのです。

 

人生の最初の頃の

自分。

 

私はたまたま

「実在」をあるがままに

感じ取れるので

それが顕在意識レベルで

できますが、

本当はすべての人が

(当たり前のことですが)

生まれたばかりの頃の

自分をちゃんと

覚えています。

 

その時の

自分の想い、願い、

そして

強い意志。

 

この世には、

強い意志がなければ

生まれてくることは

できません。

 

この世に

生まれてきたということは

もうそれだけで

大変なことですし、

私達は

自分の人生を引き受ける

覚悟が

できているのです。

 

最初から。

 

それが、

今ここにいる

すべての

私達です。

 

・・・・・・

 

3歳の頃。

 

私はふと、

青空を見上げ、

自分の体が健康であることを

とてつもなく深く

感謝しました。

 

健康とは

なんて素敵な

ことなんだ!

 

と、

とてつもなく深い

悦びを感じました。

 

6歳の頃。

 

あれは確か、

小学校の入学式の

直後です。

 

田んぼに咲く

満開の蓮花の花々を

見ながら、

「あぁここから、

私の人生は本当に

始まるのだな」

と、

感慨にふけっていました。

 

これから何度も、

春のこの始まりの気持ちを

感じるだろうが、

今この目の前にある

満開の蓮花の花々を

私は一生忘れずにいよう

と思いました。

 

そして、10歳の頃。

 

私は、

私の人生の終わりに

想いを馳せました。

 

死を迎えるというのは

なんと、

恐怖を伴うものだろうか、

ある意味びっくり

しながら。

 

しかし、

私はどのように人生を

終えるのだろうか。

 

私はその時、

どのような自分に

なれているのだろうか、

と、

何十年も先の自分に

想いを馳せました。

 

そして

その想いを

「ラストページ」

という名の

詩にしました。

 

どこでどうなったのかは

まったく覚えていませんが、

その詩が

朝日新聞に掲載される

ことになりました。

 

それは、

人生の最期が

迫っている人が

人生の最期に

書くような内容の

詩でした。

 

ませたガキだと

お思いでしょう。

 

確かに

そうですね。

 

でも、恐らくそういった

ませた自分が出る

その瞬間の私は

「実在」を

感じ取っていたのだと

思います。

 

ませているのは

本当にその瞬間だけで

あとは普通の

子供でした。

・・・だったと思います。

 

「実在」を感じ取る

とは、

過去も未来もすべてを

「今ここ」に

感じ取れるという

ことです。

 

過去の自分にも

なれますし、

未来の自分にも

なれます。

 

それは

イメージでも想像でもなく、

本当の

「実在」です。

 

私はたまたま

それを顕在化できますが、

顕在化できるかどうかは

別として、

すべての人が

本当はそういったことが

できます。

 

つまり、

過去も未来もすべて

自分の人生を

引き受けて、

「今ここ」における

判断や決断を

下すことができる

ということです。

 

・・・・・・

 

私達は、

自分の人生を

自分で

引き受けています。

 

最初から。

 

生まれた

その瞬間から。

 

だから

ここに存在

できています。

 

にも関わらず、

自分の人生から

逃げる方向の

発想や決断や行動を

し続けてしまう人が

います。

 

それもまた人間

なのですが、

でも、

なんか、

もったいないですね。

 

せっかく

人生を引き受けたのですから、

そんな自分を

思い出せるといいなぁ、と

よく思います。

 

そんな自分を

思い出した方が

よっぽど人生は

楽なんですけどね。

 

逃げれば逃げるほど

辛くなる。

・・・それが人生。

 

楽になるために

逃げようとしますが、

それをすればするほど、

苦しみは

増してしまいます。

 

開き直って、

私の人生は

私のものだ。

私の人生は

私が決める。

となった方が

よほど、

身が軽くなります。

 

あなたは

あなたです。

 

他のどこにも

あなたは

いません。

 

あなたが

あなたなのです。

 

そして

あなたの人生は

あなたのものです。

 

その人生を

良くするも

悪くするも

それは

あなたしだいです。

 

もちろん、

何が良くて

何か悪いのかも

あなたが

決めるのです。

 

・・・こう言われて

辛さを感じる人は、

もう少し

自分の想いや願いや

意志を

大切にした方が

よいですね。

 

つづく

 

あなたのリミッターを取り払う一つの発想法

あなたは、これからの人生で

どんな人と

出会いたいですか?

 

あなたの出会いたい

理想の人を

描いてみてください。

 

もちろん、一人だけで

なくても結構です。

 

こんな人と、こんな人と

こんな人と、さらにこんな人と

こんな仲間と、こんなチームと

こんな家族と、・・・

出会えるといいな。

 

とにかく

発想されるだけ

描いてみてください。

 

できれば

何かにそれを書いてください。

 

書けば書くほど、

さらに発想が広がる

可能性があります。

 

本当にそのような出会いが

可能なのかどうか?

現実的なのかどうか?

などは

一切、考えないでください。

 

ワガママで結構です。

 

独りよがりで結構です。

 

自己中心で結構です。

 

とにかく自由な心で

理想の人達を

描いてみてください。

 

そして。

 

描き切れたなぁ、と

完了感が出たら

次の発想に進みます。

 

あなたの描いた

理想の出会い。

理想の人達。

 

その人達と本当に

出会えたとします。

 

理想のタイミングで

出会えたとします。

 

すると、その後、

どのような素晴らしい展開が

待っているでしょうか?

 

どのような未来が

待っているでしょうか?

 

あなたはその人達と共に

何をしたいでしょうか?

 

それをした結果、

どんな現実が手に入る

でしょうか?

 

これも思いつくだけ

たくさん発想します。

 

こんなことが

起こるといいなぁ。

 

こんな未来が

手に入るといいなぁ。

 

こんなことが実現できたら

もうこれ以上の

幸せはないなぁ。

 

これも、

ワガママでも独りよがりでも

結構ですから

自由に描きます。

 

さて。

 

まだ終わりません。

 

そういった未来が手に入ることで

さらに、

どのような出会いが

起こると思いますか?

 

どんな人達と出会い、

どのようなつながりが

広がっていくと思いますか?

 

今のこの世の中では

そんな出会いは無理だよ、

と思えることであっても

構いません。

 

現実的でなくでも

構いません。

 

どんどん発想してください。

 

そして。

 

それらの出会いによって

その後にどのような

未来が展開するでしょうか?

 

自由に、さらに自由に

発想を。

 

そして。

 

さらにその後、

どのような出会いが

あるでしょうか?

 

そして。

 

さらにその後、

どのような未来が

開くでしょうか?

 

そして。

 

さらにどのような

出会いが?

 

さらに、

どのような未来が?

 

・・・・・・

 

というように、

あなたの発想が続くうちは

それを延々と

続けましょう。

 

もうこれで

満足。

 

ここまでの未来が

手に入れば

言うことはない。

 

・・・と思ってからが

スタートです。

 

その先、

をぜひ発想して

ください。

 

あなたの理想の幸せ。

 

あなたから出てくる

最高の発想。

 

・・・それが

あなたの「枠」です。

 

自分自身にはめていた

「リミッター」

です。

 

その「リミッター」を

取り払ってしまってください。

 

何度も申しますが、

実現可能かどうか?

はまったく考えないでください。

 

大事なのは、

あなたの心の奥から

どのような発想が

飛び出してくるか?

です。

 

発想の

掘り起こしです。

 

どのような夢物語でも

あなたの心の中から

生まれる発想はすべて

あなたのものです。

 

発想のリミッターを

外していただきたいのです。

 

それが

目的です。

 

リミッターが

外れたな。

 

なんか、すごく自分は

自由な心に

なれているな。

 

そんな風に思えたら

それでOKです。

 

そこまで行ったら、

最後の問いです。

 

その問いの答えは

ぜひ、

頭で考えずに、

ひねり出さずに、

自然に浮かび上がってくるものを

そのまま言葉に

してください。

 

その問いは

これです。

 

「私が最高の出会いと

最高の人生を送るために、

今、

最も大事にしたい

私自身の生き方は

何だろう?」

 

自然に浮かぶ

言葉があるはずです。

 

それらをすべて

紙に書き出してください。

 

できるだけ

シンプルな言葉が

よいです。

 

書き出した言葉のうち、

本当に今、

大事にしたいなぁと思える

「生き方」を

表した言葉を

一つ、選んでください。

 

それが、

あなたの真本音の願い

の可能性が

高いです。

 

私達の中には

たくさんの真本音の願いが

ありますが、

その中で最も簡単に

見つけ出しやすいのは

「今ここで、どのような

生き方をしたいか?」

という、

生き方に関する願いです。

 

これを私は

『人生理念』

と呼んでいます。

 

これが私の人生理念かな、

と思える一つのワードを

選んでみてください。

 

選んだら、

それを24時間、

大事にしてみてください。

 

その理念の通りに

行動しなきゃ、

とは思い過ぎないことが

コツです。

 

行動に移せるかどうか?

よりも、

いつもその理念を

心の中心に大切に

抱き続けてください。

 

いつも思い出していて

ください。

 

それをしながら

いつもの日常を

過ごしてみてください。

 

それだけで

あなたの空気感が

変わります。

 

あなた自身は

気づかないかも

しれませんが。

 

そして、

これまでと同じ日常なのに、

いつもの風景なのに、

少し違って観えるように

なるかもしれません。

 

自分の行動パターンが

少し変化するかも

しれません。

 

ただし、

そういった「結果」を

求めないでください。

 

ただただ、

自分の選んだ理念を

大切に心の中心に

抱いてください。

 

これが

真本音で生きる

第一歩です。

 

真本音度合いを高める

第一歩です。

 

つづく

 

本当に望む未来を描くには

今、自分は確かな道を

歩んでいる。

 

・・・という実感は、

未来が見通せているから

得られる、

というわけではありません。

 

むしろ私達の真本音

(真本音のことをあえて

魂と表現します。

あえて、ですが・・・)

私達の魂は、

わざと自分自身に

「未来を見せない」

ということをするケースが

多いです。

 

なぜなら、

私達に「準備」ができていない

からです。

 

「準備」が完了しないうちに、

もし私達が「未来」を

観てしまったら、

どうなるでしょうか?

 

多くの場合、

私達はその「未来」に

縛られることになります。

 

「未来」が

プレッシャーになります。

 

もしくは、

「未来」と今のギャップの大きさに

無気力になってしまう

かもしれません。

 

私達が真本音(魂)で

決めている「未来」は、

準備ができた時点で

「徐々に」

観えてきます。

 

つまり

「段階」があるのです。

 

一つの準備が完了すれば、

一つ、未来へのヒントが

わかります。

 

そしてもう一つ次の準備が

整えば、

未来像がより具体的になります。

 

さらにまた次の準備が

整えば、

さらにまた未来の姿が

明確になります。

 

・・・というように、

自分自身の準備には

ステップがあり、

そのステップに応じるかのように

未来が「徐々に」

観えてきます。

 

それを真本音(魂)は

意図的に行なっています。

 

よく、こんな声を

聴きます。

 

「私はどうしても未来を

描けません。

どう描いても、ピンときません。

違和感ばかりで、

未来を描く気になりません」

と。

 

それはまだ

未来を観るだけの準備が

整っていないのです。

 

私も自分自身の

人生のビジョンが浮かぶまでは

だいぶ時間がかかりました。

 

本当の意味での

私の人生のゴール(と決めていること)

がわかったのは、

たったの3年前です。

 

「わかった」と言っても

まだまだ抽象的です。

 

すべてが明確に

観えているわけでは

ありません。

 

でもそれで充分です。

 

必要な時に

必要な未来は

必ずわかるからです。

 

それよりも大切なのは、

「必要な時に

必要な未来が

ちゃんとわかる自分で

あること」

です。

 

人によっては

「準備」が一生整わない

というケースもあります。

 

いえ、実は

そんな人が圧倒的

多数です。

 

もしくは、

「準備」は整っているのに

未来を観ることができない

人もいます。

 

「必要な時に必要な未来が

ちゃんとわかる自分になる」

ためには、

必須なことが

一つ、あります。

 

それは言葉を換えれば、

 

「どんな人が

自分が本当に決めている

未来(ビジョン)に

気づくことができるか?」

 

という問いの答えです。

 

その答えは

単純明快です。

 

「今を大切に

生きている人」

 

です。

 

では、

「今を大切に生きる」

とは、

どういうことでしょうか?

 

これも

単純明快です。

 

「自分の本当に望む生き方を

今この瞬間に

大切にする」

ということです。

 

「今」とは、

この3次元の世界においては

唯一の「現実」です。

過去も未来も、

「現実」ではありません。

私達の頭の中にあること

です。

 

自分を大切にするとは、

「現実の自分」を

大切にすること。

人生を大切にするとは、

「現実の人生」を

大切にすること。

 

それはつまり、

唯一の現実である

「今」を大切にすること。

 

・・・私達の真本音(魂)は

そのように捉えてます。

 

どれだけ

未来を大切にしようと

思っていても、

今を大切にしない人は

一生、未来を大切にすることは

できないのです。

だって、

今の積み重ねが未来を

創るのですから。

 

今を大切にできる人が

未来を大切にできる。

そして、

今、望む生き方のできる人が

望む未来を実現できる。

 

そんな「事実」を

私達の真本音(魂)は

大切にしています。

 

「人生のあらゆる場面において

今、大切にしたい生き方」

のことを

私は、「人生理念」と

呼んでいます。

 

それは、

「今この瞬間に、

私は本当はどんな生き方を

したいか?」

の、その人その人の

真本音の答えです。

 

魂が望んでいる

答えです。

 

私はそれを

シンプルに言語化

することを

お勧めしています。

 

言葉として表すことは

有意義です。

 

それがもし

真本音(魂)から浮かび上がる

言葉であれば、

その言葉そのものに

深いパワーが宿るからです。

 

その言葉を

心の中でつぶやくだけで、

シュッと「本来の自分」に戻れる、

・・・そんなパワーが

宿ります。

 

そして、

その「人生理念」を

自分自身の心の中心に

いつも置いておくのです。

 

つまり、

魂の望む生き方を

心の中心に据えるのです。

 

それにより、

「今を大切にする度合い」は

圧倒的に高まります。

 

真本音度合いも

圧倒的に高まります。

 

そして、

その状態でいつも楽しく

未来を描くのです。

 

未来を描こうと

するのです。

 

すると、

必要な時に必要な未来が

自分の中心から

湧き上がってきます。

 

それは

頭で無理矢理に考える

ものではありません。

 

それはもう

私達の中にすでに

存在していますから、

必然的に

浮かび上がってくるのです。

「徐々に」

ではありますが。

 

たとえ

未来がわからなくとも、

今を大切に生きていれば、

「今の私は望む未来に

着実に向かっている」

という確信に

満ちてきます。

 

「今と未来のつながり」

を実感できます。

 

それはとても

気持ちのよいこと。

 

未来を見通せるから

確信が起こるのでは

ありません。

 

今を大切にするからこそ

未来への確信が

自然に生み出されるのです。

 

つづく

 

未来を描いたら、心がほぐれた

私達の心の中には

「実在」の世界が

広がっています。

 

その「実在」の世界とは

自分のみの世界では

ありません。

 

隣のAさんや遠くのBさんや、

知らないCさんや、

・・・様々な人と

つながっています。

 

そのつながりとは、

次元が高くなればなるほど

深くなり、

もともとは「一つ」であることを

高い次元の私達の意識は

よくわかっています。

 

さらに、

「実在」の世界においては

過去も未来も今も

すべて「一つ」です。

 

ですから

一年後の未来も、

20年後の未来も、

100年後の未来もすべて

今ここにあります。

 

私達が「現象(現実)」のレベルで

「自分の望む未来」

と呼んでいるものは、

「実在」のレベルでは、

 

「今ここにある未来」

 

と言ってよいでしょう。

 

今ここに実在している未来

なのです。

 

真本音で生きている人は

その「実在の未来」を

自らキャッチできるように

なります。

 

しかし残念ながら、

真本音を忘れてしまっている人には

それがキャッチできません。

 

すると、自分の未来を

「実在の未来」とは関係のない

単なる「イメージの未来」として

描いてしまいます。

 

それは、

自分が本当に望む未来

とは別のカタチです。

 

自分の望む未来とは

別の未来を目指すことで、

私達の中には

多大なるストレスが生じます。

 

自分で自分のビジョンを

せっかく描いたのに、

そこに向かえば向かうほど

苦しい人生になる場合、

その根本的原因は

そこにあります。

 

「実在の未来」を

自らキャッチできるように

なること。

 

そのためには、

「今を大切に生きる」

ことが必須です。

 

つまり、

今を真本音で生きる

ことが日々できれば、

ある時ある瞬間に、

「実在の未来」が

急に目の前に開けてきます。

 

「あぁそうか、

私はこんな未来を実現するために

生まれてきたんだったな」

ということが、

それがまるで当たり前で

あるかのように、

忘れていたことを思い出す

感覚で、

顕在化します。

 

ですので、

「今を大切に生きる」

ことを第一にし、

その結果として

「自分の本当に望む未来を知る」

という順番が

自然です。

 

・・・という原理原則を

わかった上で、

私はあえて、

「イメージの未来を描く」

というサポートを

することがあります。

 

その人が

本当に望む未来とは

違う可能性が高い。

反応本音レベルの

発想である。

ということをわかった上で

それでも

未来をイメージしていただくのです。

 

どんな場合にそれが有効か、

というパターンがいくつか

ありますので、

それをご紹介します。

 

一つ目は、

「イメージの未来」を描くことで、

その人の視界が広がる場合

です。

 

私達はどうしても、

目の前の物事をこなす、

ということに意識を捕らわれ過ぎる

傾向にあります。

 

例えば、

毎日の仕事が忙しいと、

目の前の仕事を必死にこなす

だけで日々の時間が

過ぎていきます。

 

すると、

視界が非常に狭くなります。

 

視界が狭まれば

発想も狭まります。

 

発想が狭まれば、

問題解決力とか

悩んでいること迷っていることの

答えを見つける力が

著しく減退します。

 

ちょっと広い視野から

ものを考えればすぐに

見つかりそうな答えが

なかなか見つからなく

なるのです。

 

側から見れば、

「こうすればいいじゃん」

とすぐにわかることでも、

本人からしてみれば、

まったくの視界外。

思考外です。

 

視界が狭まれば、

とても些細なことや

普通なら気にもならないことが

気になり出し、

悩まなくてよいことで

悩み始めてしまう

という傾向も出ます。

 

そういった

狭い世界に入ってしまっている

その人の顕在意識を、

一度、その狭い世界から

解放する。

 

一度、抜け出してみて、

もっと広い視野で

今の現実を眺めてみる。

 

そんなことをする場合に

有効な方法の一つが、

自由に未来を描く、

ということです。

 

これはコーチングの手法として

一般的に使われている

ことですね。

 

そしてこれは個人だけでなく、

組織にも言えることです。

 

例えば、

私がコーチの仕事を始めた

初期段階でのお話ですが、

ある20名くらいの

中小企業さんがありました。

 

そこの社員さん達は

日々の業務をこなすだけで

精一杯でした。

 

ある意味の職人集団で、

社員さん同士の団結力は

ほぼ、ない状態で、

それが社長さんの悩みの種

でした。

 

そこで、

何とかならないか?という

ご依頼を受けました。

 

当時はまだ

真本音という概念そのものに

私が気づく前の時代でしたが、

私は全社員さんを集めて、

4つのグループに分け、

次のような問いを投げました。

 

「もし、魔法使いが現れて、

何でも望む未来を叶えてあげよう、

と言われたら、

どんな未来を叶えてもらう?」

 

これをまずは

一人ずつ発想していただき、

その後、グループごとに

みんなで一つの答えを

出していただきました。

 

若い方が多かったこともあり、

それが結構

盛り上がりました。

 

「お前、そんなことを

考えていたのか!」

 

という笑いが、

あちこちで聞かれました。

 

そしてまた

1ヶ月後に同じように

全社員さんを集め、

今度は、

 

「もし1000万円のお金が

手に入ったら、

それでどんな事業をしたい?」

 

という問いを投げて

みました。

 

これもかなり

盛り上がりました。

 

こんな感じで、

未来に対する自由発想を

毎月、続けました。

 

そこで出される発想は

もちろん、

お遊びのような発想です。

 

今から見れば、

反応本音レベルの発想ですし、

「実在の未来」とは

ほど遠い発想です。

 

しかし、

それを続けて4ヶ月目。

 

いつものように

楽しく発想する場が終わり、

皆がそれぞれの職場に

戻ろうとした時に、

ある一人のパートの女性が

みんなに声をかけました。

 

「ねぇ、

会社の自販機の周りにさ、

いつも空き缶が散乱してるけど、

みんなできれいにしない?

掃除係を当番でやるとかさ。」

 

すると、

 

「あっそうだね。

そうしようよ。」

 

と、すぐに別の人が反応

しました。

 

これがすべての

始まりでした。

 

ここからその会社の

雰囲気が変わり始めました。

 

皆で力を合わせて

何かを行なう、

という雰囲気が生まれたのです。

 

一年後、

その会社の売上は

2倍になりました。

 

皆で力を合わせて

新規営業をするという展開が

その後、始まったからです。

 

それは、社長が考えても

みなかった展開でした。

 

しかも、社員さんの中から

「社長、我社は将来、

全国展開しましょうよ!

俺、支店長やりたい!」

という声が出始め、

皆で、本当のビジョンを描く

という展開にもなりました。

 

さらに次の年には

1.5倍以上の売上と

なりました。

 

実はこの会社、

私が単独でサポートさせていただいた

初めてのお客様です。

 

私のチームコーチングの

スタートでした。

 

もっとも当時はまだ、

コーチングそのものが

日本に入ってきていませんので、

チームコーチングという

概念はありませんでしたが。

 

しかし、

未来を描くということは

とても楽しいことなのだな、

ということを

身をもって知りました。

 

たとえ「イメージの未来」だとしても、

それがきっかけで

「今を大切に生きる」

ということにつながれば、

「実在の未来」につながる、

という最初の体験だったのかも

しれません。

 

つづく

 

未来を描くことで、道が閉ざされる

現象レベル(現実世界)においては、

私達は

今この瞬間

に生きています。

 

現象レベルにおいては、

過去も未来も

存在しません。

 

もちろん実在レベル(心の中の世界)では

過去も未来も

実在としてしっかりと

存在しています。

 

しかし、

現象レベルでは

「今」

しかありません。

 

過去と未来の存在は

ここにはないのです。

 

今がすべて、

なのです。

 

ですから、

現象レベルにおいて

「自分を大切にする」

とは、

「今を大切にする」

とイコールです。

 

今を大切にしない人に

望む未来は

訪れない

ようにできています。

 

私達のこの顕在意識も

現象レベルのものです。

 

この顕在意識に

自分自身の確かな未来、

つまりは

真本音のビジョン

が浮かび上がるためには、

今を大切に生きる

という大前提が必須です。

 

要するに

一言で言えば

こうなります。

 

「今を大切にすることで初めて、

本当に望む未来が観える。」

 

そして逆に表現すれば、

 

「今を大切にできていない人には

望む未来は決して観えない。」

 

という大原理です。

 

ところが、

いかがでしょうか?

 

「未来志向」という

言葉があります。

 

まずは未来を

描きなさい、と

よく言われます。

 

まずは自由に未来を描き、

その未来から逆算して

今の行動を決定しなさい、と。

 

上記の原理だからすれば、

それは自然の流れからは

反しているということになります。

 

実際に、

ずっと以前は私も

まずは未来を描くという

サポートの仕方をしていたことが

あります。

 

しかしほぼ9割以上、

上手くいきませんでした。

 

未来を描いているその時点では

気持ちが良いのですが、

その未来に向かって

行動を始めると、

途中で皆、あきらめてしまうのです。

 

そして、

「あんな未来、描かなればよかった」

と言う人も出てしまいました。

 

今から考えると

そうなるのは当然です。

 

その人達は、

今を大切にしていなかった。

その状態で自由に描いた未来とは

反応本音レベルのものだった

からです。

つまり、

本当に望む未来とは別の未来、

ただ単に

「こうなればいいな」

くらいの空想、

今の状況下で反応的に湧く

だけの妄想、

に過ぎなかったからです。

 

それでは

行動に移せば苦しくなるのは

当然です。

 

すぐにあきらめるのも

当然です。

 

ですから、

個人に対しても組織に対しても

現在の私のサポートの基本は

「今」に集中する

ところから始まります。

 

「今」を大切にするとは

どういうことか?

を頭の理解ではなく、

全身で理解できるように

なることを

最初のステップとしています。

 

それはつまり、

今の自分の心と向き合い、

今の目の前の現実と向き合い、

次の一歩を

自らの真本音で決断し、

その通りに行動する

ということの連続です。

 

これをし続けると、

その人の真本音度合いは

どんどん高まります。

 

そして、

ある一定以上の真本音度合いに

なれば、

ある時ある瞬間から

その人の発する空気感が

変わります。

 

その空気感は

独特のものです。

 

それは、

 

「未来と繋がった空気感」

 

と言ってよいでしょう。

 

つまり、

その人の実在レベルですでに

存在していた未来

(本当に望む道と、その先にある未来)

が、

顕在化しようとする空気感

です。

 

この空気感の変化は

個人も組織も同じです。

 

個人も組織も

その空気感を漂わせるように

なったら、そこで初めて

私は、

「では、未来を描きましょう!」

とお勧めします。

 

すると、

真本音の未来が

浮上し始めます。

 

その未来とは、

「こうなれたらいいな」

レベルのものでは

ありません。

 

「あっそうだよね。

こうなるよね。

これを実現するのは

当然のことだよね」

という非常に確信に満ちた

力強いものとなります。

 

「イメージの未来」

ではなく、

「実在の未来」

だからです。

 

単なるイメージの未来や

無理な未来を描いても、

現実逃避につながります。

 

今と向き合い、

今を大切に生きることで

本当に望む未来が観えます。

 

そして

本当に望む未来が

明確になることで、

今をもっともっと

大切にできるようになります。

 

この順番を

私達は

大切にしましょう。

 

つづく

 

もう私達は未来を知っている

一本道を歩いて来たら、

目の前に分岐が現れました。

 

道は二つに

分かれています。

 

右の道を、A

左の道を、B

とします。

 

Aを行くか?

Bを行くか?

答えを出すのに非常に

苦労したとします。

 

どうしても

決められない。

 

どうしても決められないけど、

決めなければならない。

 

自分の気持ちをしっかり

見つめると、

Aに行きたい気持ちが51%

Bに行きたい気持ちが49%

であることが

わかりました。

 

そんな場合、

あなたはどちらの道を

選びますか?

 

第3の道は

ないものとします。

AかBか、

必ずどちらか一方に

決めなければならないと

します。

 

あなたはどうしますか?

 

恐らく、

多くの人が、

51%であるAを選ぶと

思います。

 

ほんのわずかでも

気持ちが多く傾いている方に

向かうと思います。

 

ところがその場合、

Aに行ったとしても、

「本当はBの方が

よかったのではないか?」

という気持ちが

49%も残っているのです。

 

49%の気持ちが

後ろに引っ張られながら

Aの道を進むことになります。

 

するともし、Aの途上で

何か壁にぶつかった場合、

「ほらやっぱりBの方が

よかったじゃん」

と、その時点で進むことを

諦めてしまう。

・・・そんな恐れが高まるでしょう。

 

迷いながら進む、

葛藤しながら進む

というのは、そういうことです。

 

では、どうして私達は

迷ってしまうのでしょうか?

 

その最もシンプルな答えは、

「未来がわからないから」

ですね。

 

AかBか、どちらに行けば

どうなるか?

そういった未来の結果が

明確にわかるのでしたら、

私達は迷うことはありません。

 

未来がわかっていて

進むのであれば、

たとえ壁があっても、

それを乗り越えられます。

 

では、

未来がわかる方法は

ないのでしょうか?

 

実は、

あるのです。

 

ただし、正確に言えば、

未来がわかるわけではありません。

ですが、

未来がわかっているのと同様の

選択をすることが

できるのです。

 

それが、

高い次元の自分の意識で

物事を進める

・・・ということです。

 

この3次元の世界では、

時間は過去から未来へと

一方向に同じスピードで

流れ続けています。

ですから、未来を見ることが

できません。

 

しかし、高い次元においては、

過去・今・未来という分離そのものが

もともとありません。

 

過去も今も未来もすべて

ここにあるのです。

すべてが、「一つ」なのです。

 

その自分自身からの

判断や選択に素直になれば、

上手く行くだろうか?

上手く行かないだろうか?

という葛藤や不安をすべて超えたところでの

確信的な決断をすることが

できるようになります。

 

「なんかそれ、

答えを教えてもらって進むみたいで

つまらないじゃないか」

そう思われる人もいるかも

知れませんね。

 

でもご安心ください。

 

たとえ高次元の自分で

進んだとしても、

壁や課題はいっぱいいっぱい

現れます。

 

実は、

私達の真本音は、

どの道を選ぶか?については

何もこだわっていません。

 

大事なのは、

どの道を選んだとしても

一歩一歩をどのように進むか?

です。

 

高次元の迷いのない自分で

進めば進むほど、

そのレベルに見合った

壁や課題は降って来ます。

 

それらを一つずつ乗り越えることに

私達は人生の生き甲斐を感じます。

 

高次元の道であればあるほど、

難易度は高まりますが、

それが楽しくてしょうがなく

なります。

 

なぜならそれはまさしく、

進化への道のり

だからです。

 

つづく

 

未来は予測できないが、未来のことはすべてわかっている

私達のいるこの3次元の世界は

すべてが分離している世界です。

 

「私」と「あなた」は別物ですし、

私が今使っているパソコンも

携帯電話も

机も椅子も本棚もプリンターも

そして私のいる部屋や建物も

すべてそれぞれが別個の存在として

ここにあります。

 

それがこの世界の特徴です。

 

すべての物が分離しているのと同様に

時間も分離しています。

 

本来、高い次元においては、

過去も

今も

未来も

すべては「一つ」です。

 

こういった書き方をすると

3次元世界の私達には

わけがわからなくなります。

理解不能になります。

 

それは当たり前のことで、

低い次元からは

高い次元のことを

決して理解できないように

なっています。

 

ですが、

あえて無理矢理に

3次元の我々にもある程度

想像できそうな表現で

書き続けますね。

 

この世界では

「時間」

は分離しています。

 

つまりは、

過去と今と未来が

別個のものとして

存在しています。

 

私達の「現実」としては

「今この瞬間」

しかありません。

 

1秒前の過去も

1秒後の未来も

「現実」にはありません。

私達の

頭の中や心の中にしか

ありません。

 

「今この瞬間」

という唯一の「現実」が

分離して、

それが連続的に

流れています。

 

例えば、

今、私がこの文章を書いているのは

2018年1月16日午前2時18分

のことです。

で、

2018年1月16日午前2時18分27秒

2018年1月16日午前2時18分28秒

の「現実」は

別物です。

それぞれが分離しています。

 

その分離しているものが

連続しているわけです。

 

もっと言えば、ちょっと変な表現ですが、

2018年1月16日午前2時18分27.0001秒

2018年1月16日午前2時18分27.0002秒

というように

「今この瞬間」をもっと細かく区切っても

同じように分離しています。

 

もっともっと無限大に細かく区切っても

同様に分離しています。

 

「今この瞬間」は

「今この瞬間」でしかありません。

 

すべての分離された「今この瞬間」が

連続して起きているので、

時間がつながっているように

感じるだけなのです。

 

2018年1月16日午前2時18分27.0001秒

の現実と

2018年1月16日午前2時18分27.0002秒

の現実は

まったく別個のものなのです。

 

これが3次元世界の

特徴です。

 

しかもこの世界では、

時間は

過去から未来へと

一方向にしか流れません。

 

過去に戻ることはできませんし、

未来に一気に飛ぶことも

できないようになっています。

 

分離された「今この瞬間」が

一方向に一定のスピードで

流れ続ける、

というのがこの世界であり、

高い次元から見ると、

とてつもなく縛られた世界です。

 

例えば、

3次元世界よりも少しだけ上の次元では、

時間は分離されていますが、

過去から今、そして未来へと

一方向に流れなければならない

という制約はありません。

 

自由に過去にも未来にも

行けるのです。

 

そしてさらにもっと上の次元では、

そういった

過去・今・未来

という分離そのものがなくなります。

 

「すべてが一つ」

です。

 

ここまで来るともう

私達の想像では

理解ができません。

 

ただ一つ言えるのは、

未来とは決して

未知のものではない、

ということです。

 

高い次元では

未来も「ここ」にあるのです。

 

ここまで書きますと、

何割かの人は

私が何を書きたいか

ご理解いただけているかも

しれません。

 

高い次元の自分で生きる、

とは、

「今この瞬間だけを生きる」

のとはまったく別の生き方が

できる、

ということです。

 

高い次元では

過去も今も未来も

一つです。

 

ということは、

3次元世界の我々でも理解できる

表現を使えば、

未来を完全にわかった上での

今の行動を決めることができる

ということです。

 

ということは、

望む未来を実現するための

今の行動を決めることができる

ということなのです。

 

真本音で生きる、

ということは

自分自身の現時点での最高次元での

自分として生きる

ということです。

 

ということは、

真本音で生きれば生きるほど、

私達は

自分自身の望む未来を

実現しやすい

ということになります。

 

しかも、高い次元においては

時間の分離もありませんが、

「私」と「あなた」の分離も

ありません。

 

ということは、

高い次元での「私」の望む行動は

高い次元での「あなた」の望む行動と

完全に一致します。

 

つまり、

自分も周りも望む行動、

自分も周りもより幸せになれる行動を

今この瞬間に選択する

ことができるということなのです。

 

真本音で生きれば生きるほど、

周りとの調和が

高まっていく理由が

そこにあります。

 

そして、

真本音で生きれば生きるほど

すべての物事が

自然にスムーズに進んでいく理由も

そこにあります。

 

真本音のレベル、

つまりは、高い次元の意識のレベルで言えば、

私達は自分の未来を

完全に決めています。

だって、

過去も今も未来も

「一つ」だから。

 

その決めている通りのことを

粛々と

今この瞬間に実践すれば

よいだけのことなんです。

 

ですから、

真本音で生きるとは

とてつもなく

楽なことなのです。

 

つづく

 

あなたの心は自由ですか?

目を閉じてください。

 

今、自分が一本の道の途上にいるイメージを

してください。

 

イメージといっても、頭で無理に創り出すのではなく、

自然に浮かび上がってくるイメージを

待ってください。

 

道が見えますか?

 

道の先に目を向けてください。

 

これから自分が進んで行こうとしているその道は

まっすぐな一本道ですか?

 

それは伸びやかに未来に向かって、

淀みなく伸びていますか?

 

それは気持ちの良さそうな道ですか?

 

その道の先には、光がありますか?

 

もしそういった感覚がなければ、

あなたには何らかの修正が必要です。

 

今立っている道が違うかも知れません。

 

もしその道で良かったとしても、

その道の先に障害があるのでしたら、

今はまだ、その障害ときちんとあなたは

向き合っていないのかも知れません。

 

今実際に、どれだけの苦境にあろうとも、

あなたの中から自然に浮かんでくる道が

まっすぐに気持ちよく伸びているのであれば、

必ず現実においてもあなたの道は開かれます。

 

もしそうでないならば、

今、何らかの修正が必要です。

 

さらに問います。

 

そのあなたの道の先には、

大勢の人達の笑顔が待っていますか?

 

それとも、それはあなた一人だけの道ですか?

 

もし、あなた一人だけの道だとしたら、

今の現実においては、あなたは独りよがりな

選択をし続けている可能性があります。

 

これから自分の未来がどうなるのか?

 

それを最もよくわかっているのは、

本当は自分自身です。

 

なぜなら、

真本音で進む未来は必ず実現するからです。

 

実現しないのであれば、

それは真本音の道ではないのです。

 

もちろんそれは短期的な意味ではありません。

 

短期的に見れば、物事が上手くいかないことは

たくさんあります。

それらの経験が、真本音の未来を実現するための

財産にもなります。

 

ただ、心を鎮めて自然に浮かぶ道が

まっすぐではないとしたら、

その道は長期的に見ても、あなたの望む未来は

実現してくれません。

 

今、自分は真本音の道にいるのかどうか?

 

今、自分は真本音の通りに進んでいるのかどうか?

 

それを一番よくわかっているのは、

自分自身です。

 

だから、未来がどうなるのかは

自分が一番よくわかるのです。

 

しっかりと、

今あなたの中にある道を見極めた上で、

自分に降りかかる現実と対峙しましょう。

 

先日、あるクライアントさんがおっしゃっていました。

 

「自由とは、何でしょうね?」

 

その方は、続いてこう言われました。

 

「私は、どれだけ状況が自由であっても

心が自由でなければ、それは自由とは言えないのではないか、

と思うんです。」

 

どのような状況下にあっても

心が自由であること。

 

そんな人はきっと、

常に、心の中では、自分自身の真本音の

一本道に立っています。

 

いついかなる時にも、

心が自由な人こそが、

望む未来を創るのだと思います。

 

平井さんのメッセージを思い出します。

 

社長と平井さんの公開コーチングを初めて

社員さん達の前でさせていただいた時、

(→前回記事)

平井さんは社員さん達に向かって、

こう言われたのです。

 

「みんな、もっと心を自由にしようよ!

みんな、窮屈なんだよ。

以前の私も窮屈だった。

でも、今の私は心が自由だ。

そっちの方がよほど仕事は楽しい。

みんな、心が窮屈すぎて、私はつまらない。

私は心の自由な人達と仕事をしたい。

みんな、もっと心を自由にして、

仕事に取り組もうよ!」

 

これが効いた。

 

もちろん、すべての社員さんに効いたわけではありません。

でも、その時はまだわずか数名でしたが、

この平井さんの言葉が、ぐっと響いた人達がいました。

 

彼らはその後、平井さんの会社の幹部として

大活躍をされるようになります。

 

この日が、“平井チーム”の

スタートでした。

 

つづく