深刻

もっと真剣さが必要だ

 

真剣な人生を

生きることと、

適当な人生を

生きることは、

イコールです。

 

・・・と言うと、

ちょっと極端すぎますか?

 

よく私は、

研修やチームコーチングの

最中に

 

「もっと適当に

やってくださいよ」

 

という言葉を

かけます。

 

なぜならみんな

真面目過ぎるからです。

 

いえ、

真面目なのは

とても良いことだと

思っています。

 

真本音度合いも

結局は

真面目な人ほど

早く高まる傾向が

ありますし。

 

しかし、

真面目過ぎると

「深刻」になって

しまうのですよね。

 

深刻さは

実は、

何も生みません。

 

深刻な思考による

物事の決断は

道を開きません。

 

と断言しても

よいと思っています。

 

そして私は、

「適当」の対義語は

「深刻」ではないかと

思っています。

 

そして

「適当」の同義語が

「真剣」であるとも。

 

真剣な人は

いつも

肩の力を抜き、

朗らかで

軽やかです。

 

真剣な人ほど、

私は

表面的には

「この人、ホント、

適当だな」

と笑ってしまうのです。

 

・・・・・・

 

真剣さとは、

全力を尽くす

ということでは

ありません。

 

真剣さとは、

 

「どこで自分が

全力になるかを

見極める」

 

ことです。

 

本当に全力になるべき

ところで

自分の全力を

きちんと発揮できる

こと。

 

その状態を

常に持ち続けて

いること。

 

そういった人を

観ると、

私は

「真剣な人だなぁ」

と思います。

 

常に

何かに必死で、

「私は頑張ってます」感

を出している人は、

残念ながら私は、

「真剣じゃないなぁ」

もしくは

「この人は、

真剣さというものをまだ

わかってないんだな」

という見方をします。

 

・・・・・・

 

私は、

すべての人が

真剣に生きるといいな

と思います。

 

真剣に生きれば

必ず道は

開きます。

 

しかも

自分の望む現実が

拓かれていきます。

 

そのためには

深刻にならないこと。

 

そのためには、

自分の中の

深刻なものと

しっかりと

向き合えること。

 

深刻さから

逃げることで私達は

本当に深刻に

なります。

 

深刻さと

対峙することで、

私達は

深刻さから

自由になれます。

 

ただし、

その対峙の仕方が

大切です。

 

こここそを

私はすべての人に

お伝えしたい。

 

これが

私の言うところの

セルフコーチングの

真髄です。

 

対峙すべきものと

対峙する。

 

そして、

それをすればするほど

どんどん軽くなる。

 

深刻さから

解放されて

自由になる。

 

そして、

適当に、さらに

真剣に

人生の一歩一歩を

楽しめる。

 

一日一日の

満足感が

格段に上がっていく。

 

私の人生は

最高であると

思えるようになる。

 

すべての人が

そうなれると

本当にいいなぁ、と

私は願います。

 

つづく

 

体が感じているものとは?

「深刻にならずに

気楽に行けばいいさ」

 

という人生の進み方は

とても大切なことです。

 

しかし、

深刻にならずに

いるためには、

自分の中に存在している

深刻なものと

向き合うことが

必須です。

 

深刻なものから

逃げれば、

ますます心の中の

深刻さは増幅します。

(→前回記事)

 

向き合うことで

それを浄化し、

結果として

自然に軽やかに進む。

 

それが最も

自然な進み方であり、

セルフコーチングの

極意でもあります。

 

「後悔」というのは、

深刻なものの

代表的な一つです。

 

今回から

「後悔」を題材にして

セルフコーチングのやり方を

じっくりと

ご紹介していきます。

 

題して、

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

 

です。

 

・・・・・・

 

まずは、

後悔した出来事を

一つ思い出してください。

 

それは最近のことでも

昔のことでも

構いません。

 

その出来事を

ありありと

思い出します。

 

可能であれば、

その出来事が

今ここで起きているかのように、

ありありと

イメージします。

 

それを思い出した時の

あなたの体の反応に

意識を向けてください。

 

例えば、

胸の中心が

ググッと苦しくなる、

とか。

 

後頭部が

ドーンと重くなる、

とか。

 

両肩にずっしりと

岩が乗っている

感覚がある、

とか。

 

お腹が痛くなる

感覚。

 

両足が

地面に沈んでいく

感覚。

 

吐き気。

 

頭の中心が

痛い。

 

両腕の

力が入らない。

 

みぞおちが

ギュギュッと

痛くなる。

 

などなど。

 

ちょっとした変化でも

よいです。

 

まず、

セルフコーチングの一歩目は

こういった

「体感覚」

に敏感になるところ

からです。

 

ところが、

これは特に男性に

多いですが、

体感覚がよくわからない

という人がいます。

 

実は、

昔の私が

そうでした。

 

しかしこれは

「慣れ」です。

 

誰もが

意識を向け続けることで

慣れていくことができます。

 

最初は、わずかでも

よいですから、

体の中で

気持ち悪さのある箇所や

違和感のある箇所を

探してみてください。

 

・・・・・・

 

体の中の

反応した部分。

 

ここに

あなたのモヤモヤが

あります。

 

つまり、

後悔の念が

そこに溜まっている

可能性が高いです。

 

今度はそこに

意識を向けて

みましょう。

 

深呼吸をして、

できるだけ心を

落ち着かせ、

目をつぶり、

体のその箇所に

意識の矢印を

向け続けます。

 

じーっとただただ

向け続けます。

 

例えば、

両肩が重い、

という場合は

両肩のみを

意識するようにします。

 

その時には

できるだけ

思考は止めてください。

 

解釈をしたり

評価をしたり

するのもやめます。

 

ただ単に

両肩を観察する

イメージです。

 

もしくは、

感覚のみを

「楽しもう」

とします。

 

後悔の出来事を思い出し

「感覚を楽しもう」というのは

さすがに無理だろう、

と思われるかも

しれません。

 

しかしあえて、

「そういった感覚を

楽しもう」

「そういった感覚を

味わおう」

としてみてください。

 

言ってみれば

「人間体験」

みたいなものです。

 

あなたが宇宙人だとして、

「へぇ、人間って

こんな感覚の中で

生きてるんだ」

というのを

体験しているイメージです。

 

それくらいに

客観的に

自分の体の反応を

体験します。

 

・・・・・・

 

まずは、

ここまで。

 

ここまではまだ

セルフコーチングの

準備段階ですが、

もしここで

あまりに辛くてしょうがない、

という場合は、

練習として、

もう少し軽めの出来事

で行なってみると

よいでしょう。

 

ここまでで

重要なのは、

「感覚を掴む力」

です。

 

もしもそれが足りないな、

と思われたら、

ぜひ練習してみてください。

体感覚は

普段の日常生活の中でも

いつでも

養うことができます。

 

一つ一つの自分の

行動や体験、

例えば

目に見えるものや

聞こえるものに対して、

体の感覚に

都度、意識を向ければ

よいのです。

 

例えば、

道端で綺麗なお花を

見つけた時、

「あぁ可愛らしいな」

と思うだけでなく、

その時自分の体の

どこがどのように

反応しているか?

を確認するのです。

 

そういったことを

続けるだけで、

たったの数日で

体感覚がよくわかるように

なる人も多いです。

 

私達は

この3次元の世界では

体を使って生きています。

 

体は日々、

いろんなことを

感じ取っています。

 

感じていることを

把握する。

 

それだけのことです。

 

まずはここから

始めましょう。

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

は、

明日以降も続けます。

 

つづく

 

自分を矯正する人生は、深刻になるだけ

「虚勢を張る」ということについて

書かせていただきましたが、

(→前回記事)

それは、

「反応本音のクセ」

の一つです。

 

反応本音とは、

私達人間が現実(現象)世界と

関わる中で、

現実(現象)からの影響を受けることで

発生する心です。

 

一つの現実に対して

様々な反応本音が大量に

発生します。

 

そのうちの一つを

私達は選択し、

その反応本音に基づいて

私達は行動します。

つまり、

次の自分の言動や振る舞いを

決定します。

 

その、

反応本音の選び方を

私達は無意識に

パターン化します。

 

それが

反応本音のクセ

となります。

 

「虚勢を張る」

というのはそういったクセの

一つです。

 

もちろん、

それ以外のクセもあります。

 

例えば、

「虚勢を張る」のとは

真逆のクセがあります。

 

それは、

「自分を卑下する」

です。

 

自分なんて

どうせダメだから。

自分なんて

どうせできないから。

自分なんて

価値のない人間だから。

自分なんて

どうせ上手くいかないから。

自分なんて

・・・

と、最初から諦めて

物事に挑戦しない、とか

積極的に取り組まない

などの出方をします。

 

また、例えば、

「人に迎合する」

というクセの出方も

よくあります。

 

自分を出すことよりも、

人の意見に合わせたり、

イエスマンになったりしながら、

その場を取り繕う

ことをすぐにしてしまいます。

人間関係において、

波風を立たせたくない

のです。

波風が立つくらいなら、

自分が我慢すればよい、

と、ほとんどの物事に対して

打算的に考えています。

 

その逆に、

「人を否定する」

というクセもあります。

 

自分の考えが一番正しいと

思い込み、

他の人はすべて未熟だと

思い込み、

自分の考えに合わないことは

すべて否定しようとします。

要するに、

頑固ということなのですが、

悪い意味での

評論家っぽくもあり、

口を出す割には

口だけしか出さない。

自分が責任を負って

すべてを引き受けることは

しません。

理論的に否定するだけの

口だけ大将です。

 

・・・というように

反応本音のクセを書き出せば

本当にキリがないくらいに

様々なパターンがあり、

その一つ一つを

しっかりと見ていくと、

かなり深刻に思えます。

 

自分の

・心と

・行動(振る舞い)と

・起こす現実

に悪循環を起こし、

結果として自分の望まない

人生を創り出します。

 

しかも

面白いことに、

一つの反応本音のクセを

治そうとして

たとえそれができたとしても、

さらに次のクセが

出来上がるだけなのです。

 

一つのクセを見つめると、

深刻になり、

そのクセを必死に治しても、

さらに次のクセが

出来上がる。

 

それに対して

また深刻になり、

クセを矯正しようとする。

 

でもまた次のクセが

浮上する。

 

・・・という感じで、

本当にキリがありません。

 

それをやり続けているうちに

人生が

終わってしまうでしょう。

 

しかもその人生とは、

深刻なクセを治すための

深刻な人生だった、

ということになります。

 

しかし

「深刻な人生」

「真剣な人生」

は根本的に異なります。

 

残念ながら

深刻さからは何も

生まれません。

 

反応本音を矯正し続ける人生

からは

何も生まれないのです。

 

むしろ

自分の本当の「道」を

見出すためには、

その深刻さのサイクルから

抜け出す必要があります。

 

そのための

第一歩とは

何でしょうか?

 

それは、

 

『どうでもいいじゃん』

 

という一種の

おおらかさを持つこと

なのです。

 

「何があってもいいじゃんか」

とか

「どんなクセがあっても

構わないよ」

という

おおらかな目線で

自分の心と行動を

見つめることです。

 

ただし、

あるがままに

見つめること。

要するに

『観察』であり

『観る』ことです。

 

やはりまずはそれが

すべての土台に来ます。

 

そしてその上で

一つ、

とても重要なことをします。

 

それがすべての

始まりとなります。

 

続きは次回に。

 

つづく

 

前向き、と言うけれど、本当は後ろ向きの反動でしょ?

私達の心の中には、「作用・反作用の法則」が

成り立っています。

 

例えば、

自信満々な自分が心の中に存在している場合、

そのもう一歩奥には、自信のない自分が

必ずいます。

 

自分の自信のなさや不安を搔き消すために、

あえて自信のある自分を創り出している、

という人が非常に多くいます。

 

一般的に言われる「過信」状態ですが、

過信しやすいのは、自信のなさの現れとも

言えるのです。

 

これが反応本音の特徴です。

 

反応本音とは多くの場合、

相反する心がセットで存在し、

その相反する心同士が常に「引っ張り合っている」

という状態になっています。

 

例えば、

前向きな心の裏側には、ほぼ必ず

後ろ向きな心が隠れています。

人の意見に迎合しようとする心の裏側には、ほぼ必ず

その人に対する不満感が隠れています。

 

それらの相反する心は引っ張り合っているので、

疲れます。

 

引っ張り合いとは、綱引きです。

 

運動会で行われる綱引きを

もし一日中行なっているとしたら、

相当な体力を消耗します。

しかし、

心の中では常にそれをしている人が

多いのです。

 

ですから私は、

ただやみくもに「前向きに生きよう」

と言われる人を注意深く観察します。

そういった人ほど、

後ろ向きな心にフタをして見ないようにし、

しかし本人の知らないところで

前向きな心と後ろ向きな心が綱引きをしている

可能性が高いからです。

 

このような綱引きのことを一般的には

「葛藤」

と言います。

 

葛藤の多さによって

心の疲労度合いが決まります。

 

葛藤の多い人は

常に心が疲れ、

その疲れている状態がその人にとっての

「普通の状態」

となります。

 

疲れているのが「当たり前」の状態と

なってしまうのです。

 

私達が、反応本音のみで生きていると、

以上のような、葛藤と疲労を非常に起こしやすくなります。

 

木村さんの場合、

常に彼は、「自分の方が凄いんだ」ということを

皆にアピールするパターンを無意識に行なっていました。

そのため、自分以上の素晴らしい意見を持った人に対して、

自分の経験を傘に着て、それらを潰しにかかっていました。

 

その一方で、

そんなことをして自分はなんて愚かな人間なんだ

という罪悪感も常にその裏側で発生させていたのです。

 

人の意見を自分が潰せば潰すほど、

自分を責める自分が増殖する。

 

そういったことを続けるうちに、

彼の心はどんどん疲弊していきました。

 

人は、心が疲弊すると「深刻」になります。

ドヨ〜ンとした重い空気感を発するようになります。

それがまた、周りの人達に

「この人は居心地が悪い」

という印象を与えます。

 

その印象によって、彼に対して反発心を持つ人が

増えてしまう。

そんな悪循環が起きていました。

 

しかし木村さんが人生理念を見つけ、

真本音に素直に生きるようになり、

それらのパターンは瞬く間に減少しました。

 

もちろん木村さんには上記以外にも

反応本音のパターンがいくつかありましたから、

完全に真本音で生きる、という状態には程遠かったのですが、

それでも、一つ、また一つ、とパターンを改善することで

木村さんは彼の放つ空気感を大きく変えたのです。

(→前回記事)

 

私はこれまで多くの企業で、

「あの人はもう変わらない」

という諦めの声を、非常にたくさん聴いてきました。

 

人間、諦めると、何もしなくなります。

みんなが諦めてしまった人でも

「もしその人が変わったら、組織は素晴らしく良くなるだろう」

と思える人がいたら、私はその人に真っ先に

向き合うようにしました。

 

その人が変わらないのには、

その人なりの理由があります。

その人なりの強い信念があるのです。

それを尊重しながらも、その人と向き合い続け、

その人の真本音度合いを高めることで、

「えっ? なんであの人、こんなに変わったの?」

とびっくりされることが数え切れないほどありました。

 

人が変わることに対して

人は敏感です。

 

「あの人は嫌い」と一度思ってしまった人は

一生嫌いなままだ、と思われがちですが、

私が企業現場で実感したことは、

それとはまったく逆の現実でした。

 

変な言い方ですが、

「出来の悪い人ほど、もしその人が本当に変われば、

皆は賞賛したり、感動する」

という結果の方を、私は多く見てきました。

 

以前のブログにも書きましたが、

「進化」とは、人の本能です。

「進化」そのものを、人は望んでいます。

表面上だけの進化ではなく、本当の進化を目の当たりにすれば、

人は自然に感動するものである、

というのは、私の実感です。

 

ですから、

木村さんが変わり始めた時も、

その影響は極めて大きかったのです。

 

何度も言いますが、

表面上の変化だけではダメです。

例えば、行動が変わった、というレベルではダメです。

しかし、

空気感とか、その人の在り方そのものからの変化を感じることで

人は、感動を覚えるのです。

 

木村さんと一緒に仕事をしていた人達の声を集めると、

木村さんが変わったところで最も大きかったのは、

「一緒にいると、楽しく発想できるようになったんです」

ということでした。

 

これを私は、

『調和力』

と呼んでいます。

 

 

つづく

 

自分を本当に信頼していますか?

平井さんが、依存から自律へと変化できたのは

なぜでしょうか?

(→前回記事)

 

平井さんが、深刻から真剣へと変化できたのは

なぜでしょうか?

 

そのきっかけは、

自分自身との「本能的信頼関係を結べた」からです。

(→本能的信頼関係についてはこちら)

 

要するに、本当の意味で自分自身を

信頼することができるようになったからです。

 

ではなぜ彼は、自分を信頼できるようになったのか?

その答えは極めてシンプルです。

 

「真本音で生きるようになった」からです。

 

真本音とは、揺るがぬ自分です。

どのような状況、どのような環境においても

変わることのない自分です。

 

その自分は、人生に対する揺るがぬ願いを

持っています。

 

何のために自分は生きるのか?

この世の中において、どんな役割を自分は果たすのか?

どのような強みを、どう活かしていくのか?

 

それらを「願い」として明確に抱いています。

 

真本音で生きるとは、

その「揺るがぬ願い」に向かって生きる

ということです。

 

今、この瞬間に自分は何をするか?

今、この瞬間に自分は何を言うか?

 

今、この瞬間に自分は何をしないか?

今、この瞬間に自分は何を言わないか?

 

日常における、自分の一歩一歩を

真本音に素直に出し続ける。

その度合いが増せば増すほど、

自分自身が喜びます。

 

そして、自分の揺るがぬ願いに素直な自分を

自分が信頼するのです。

 

逆に言えば、

自分の真本音をないがしろにした言動を

繰り返すことで、

私達は自分への信頼を失くしていきます。

 

自分への信頼を失くしてしまうと、

自分の「決断」を信じられなくなります。

自分の決断が信じられなければ、

常に「迷う」という状態になります。

 

迷いながら進めば、

当然ですが、物事は進展しません。

 

例え同じ選択をしたとしても、

本当に決断をしてその道を進めば、

どのような障害があっても乗り越えられます。

しかし、

迷いながらその道を進めば、

ほんの少しの障害に出会うだけで、

すぐに止まってしまいます。

 

人生に正しいかどうか、という答えはありません。

大事なのは、

自分が決めた道を進めるかどうか?

しかし、

自分が決めること自体ができなければ、

人生は一向に進みません。

望む未来は決して

実現しません。

 

自らの真本音に素直に生きるかどうか?

 

それで、すべてが決まります。

・・・と言っても過言ではないと私は実感しています。

 

「おはようございます」

と、挨拶一つをするにしても、

それを真本音でするかどうか?です。

 

真本音ですれば、

その人らしい、その瞬間における最善の

挨拶ができます。

 

それができるかどうか、で

その後の展開が大きく変わります。

 

今この瞬間における些細な言動の一つによって

人生の展開は大きく変わります。

 

それをわかっているからこそ、

真剣な人は、今この瞬間を大切にします。

 

今この瞬間に真本音で生きる、

という度合いが高まることを私は、

「真本音度合いが高まる」

と表現しています。

 

真本音度合いが高まれば、

自分を信頼する度合いも高まります。

 

決断力も増します。

直観力も増します。

他者との信頼度も増します。

生産性も、必要な能力も、ほしい成果を手に入れる可能性も

増していきます。

 

では、どのようにすれば

真本音度合いは高まるのでしょうか?

 

それを、平井さんの例をもとに

ご紹介していきます。

 

つづく

 

深刻になっても何も生まない

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

この問いにすぐに答えられる人は

稀です。

 

時々、すぐに答える人と出会いますが、

その答えは、大概、浅いです。

 

そんなに簡単に答えられる問いではないですね。

 

でも、

この問いに真摯に向き合うことは

本当に重要なことだと、

私はこの仕事を通じて、深く実感しています。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

答えがわからなくとも、

その答えを真摯に見つけようとする。

 

そういった人には、独特の空気感が

現れます。

 

その空気感をシンプルに表現すると、

「明るい」

「軽い」

「あたたかい」

となります。

 

逆に言えば、

その問いと真摯に向き合ってない人の空気感は、

「暗い」

「重い」

「冷たい」

となります。

 

人は、自分の人生と真摯に向き合う時に

本来の魅力を発揮します。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

その答えを見つけようとしている人は、

「真剣」です。

そして真剣な人は、

明るく、軽く、あたたかく

なります。

 

それは行動ベースの話ではなく、

空気感の話です。

 

自分の人生と向き合わない人は、

「深刻」になります。

深刻な人はすぐに、

暗く、重く、冷たく

なります。

 

あなたは、

真剣な人でしょうか?

それとも

深刻な人でしょうか?

 

平井さんは、

深刻な人から、真剣な人へと

変化したのです。

それにより、

彼の醸し出す空気感が変わりました。

 

ただそれだけのことです。

(→前回記事)

 

では、「真剣」とはどういうことでしょうか?

 

これに対しては私は

明確な答えを持っています。

 

真剣とは、

「自分の真本音に素直に生きること」

です。

 

ということは、

「自分の真本音を無視して生きること」

により、人は深刻になっていきます。

 

真剣な人生は、

明るく、軽く、あたたかく

なっていきます。

 

深刻な人生は、

暗く、重く、冷たく

なっていきます。

 

自分が今この瞬間に創り上げている人生がそのまま

その人の空気感となって現れます。

 

ただそれだけのことです。

 

そして人は、

真剣に生きる自分を

喜びます。

 

深刻に生きる自分を

蔑みます。

 

自分を蔑み続けている人が

自分自身を本当の意味で信頼することは

不可能です。

 

そういった人は、

自分の中に「見たくない自分」が生まれると、

間違いなく、その自分にフタをします。

 

見たくない自分。

例えば、

怒りまくる自分、

人を憎む自分、

すぐに揺れる弱い自分、・・・。

 

そういった自分にフタをして、

見たい自分だけを見るようになります。

 

見たい自分。

例えば、

前向きな自分、

エネルギッシュで強い自分、

人を愛する自分、・・・。

 

見たい自分は居心地がいい。

見たくない自分は居心地が悪い。

だから、居心地の良い自分だけを承認します。

 

そして、

「私は何があっても前に向かうんだ」

と言います。

「私は、どんな時もプラス指向だ」

と言います。

そして明るい表情を作り、

元気を作り、

たくましさを作り、

進みます。

 

そして、

それができている自分に

自信を持ちます。

自分はすごいなぁと、

自信を持ちます。

 

しかしその自信とは裏腹に、

心の奥底ではどんどん不安が増します。

深刻さが増します。

 

自信のある自分だからこそ、

立っていられる。

でもこの自信がなくなってしまったら、

自分はどうなるのだろう?

・・・そんな深刻さが日々、増していきます。

 

何としてでも、

自信のある自分でなければならない。

この自信を失ってはならない。

そんな恐怖感が、心の奥底に

溜まり続けます。

 

その恐怖感を消すために、

さらに前向きな自分を作ります。

 

・・・そんな人が多過ぎる!

 

そんな人が世の中を牽引している。

 

その現実が、私はとても悲しいです。

 

自分の良き部分のみに光を当て、

自分の見たくない部分にはフタをする。

それを前向きとは、言えません。

 

本当の前向きとは、

自分のすべてを受け止めること。

自分のすべてを見つめること。

その上で、それでも前に向かおうとすること。

それが真の前向きだと私は思います。

 

そしてそういった人は例外なく、みんな

明るく、

軽く、

あたたかく、

なります。

 

もっともっと自分の心と

向き合えばいいのに。

 

もっともっと、あるがままの自分を

見つめればいいのに。

 

そうすれば、

もっと楽に進めるのに。

 

そうすれば、

もっと望む現実を創り出せるのに。

 

・・・私はそう思うのです。

 

人は本来、

真剣です。

 

真剣に生きることが

楽しいのです。

 

真剣に生きる楽しさを

思い出すだけのことだと

私は思うのです。

 

それが私のサポートのすべてです。

 

真剣になることの楽しさを

思い出せば、

人は皆、(・・・そうです、全員です)

びっくりするような行動を起こし、

現実を創り上げていきます。

 

そんな時私はいつも

人ってやっぱり凄いんだなぁ、

と感嘆します。

 

つづく

 

『心とはチームだ』

人の心とは
組織(チーム)です。

私達の心の中には
様々な人格・個性の自分が
存在しています。

例えば、
・がんばり屋の自分
・怠け者の自分
・思いやりのある自分
・自分勝手な自分
・慎重な自分
・大雑把な自分
などなど。

様々な個性の自分達が集まり、
チームを組んで
「私」という
一つの心を形創っています。

そして面白いことに、
それらの自分達は
本当に、まるで別人
のようです。

つまりは
この現実世界における
組織と同じように
様々な価値観をもった
人同士が集まっています。

当然そこには
「人間関係」が存在します。

現実世界の組織と
同じように
チームが一丸となる
組織(心)もあれば、
みんながバラバラで
足を引っ張り合っている
組織(心)もあります。

もちろん
前者の場合は
その人の心はパワーに溢れ
いつも元気です。

後者の場合は
その人はいつも疲弊し
深刻で暗くなります。

パワー溢れる心の人は
心にゆとりがあるので
いつも周りを
大切にできます。

いつも疲弊している人は
自分のことで精一杯なので
自分勝手になります。

心の中の状態が
現実世界における
人間関係をも
決定します。

人生の展開を
決定します。

そういった原理を
理解しているのが
チームパフォーマンスコーチ
です。

チームパフォーマンスコーチとは
まずは、
一人ひとりの「心」
というチームを
活性化サポートできる
人なのです。

つづく