今日という
一日の
テーマを決めよう。
今日は
何の日か?
今日は
何のための日か?
それを
シンプルに一言で
表そう。
それが
この一日の
理念となる。
理念を胸に
今日しかない
この一日を
堪能しよう。
ちなみに、
私の今日の
テーマであり
理念は、
『混乱』
である。
混乱を楽しむ
一日とする。
面白いでしょ?
つづく
今日という
一日の
テーマを決めよう。
今日は
何の日か?
今日は
何のための日か?
それを
シンプルに一言で
表そう。
それが
この一日の
理念となる。
理念を胸に
今日しかない
この一日を
堪能しよう。
ちなみに、
私の今日の
テーマであり
理念は、
『混乱』
である。
混乱を楽しむ
一日とする。
面白いでしょ?
つづく
あなたは、これからの人生で
どんな人と
出会いたいですか?
あなたの出会いたい
理想の人を
描いてみてください。
もちろん、一人だけで
なくても結構です。
こんな人と、こんな人と
こんな人と、さらにこんな人と
こんな仲間と、こんなチームと
こんな家族と、・・・
出会えるといいな。
とにかく
発想されるだけ
描いてみてください。
できれば
何かにそれを書いてください。
書けば書くほど、
さらに発想が広がる
可能性があります。
本当にそのような出会いが
可能なのかどうか?
現実的なのかどうか?
などは
一切、考えないでください。
ワガママで結構です。
独りよがりで結構です。
自己中心で結構です。
とにかく自由な心で
理想の人達を
描いてみてください。
そして。
描き切れたなぁ、と
完了感が出たら
次の発想に進みます。
あなたの描いた
理想の出会い。
理想の人達。
その人達と本当に
出会えたとします。
理想のタイミングで
出会えたとします。
すると、その後、
どのような素晴らしい展開が
待っているでしょうか?
どのような未来が
待っているでしょうか?
あなたはその人達と共に
何をしたいでしょうか?
それをした結果、
どんな現実が手に入る
でしょうか?
これも思いつくだけ
たくさん発想します。
こんなことが
起こるといいなぁ。
こんな未来が
手に入るといいなぁ。
こんなことが実現できたら
もうこれ以上の
幸せはないなぁ。
これも、
ワガママでも独りよがりでも
結構ですから
自由に描きます。
さて。
まだ終わりません。
そういった未来が手に入ることで
さらに、
どのような出会いが
起こると思いますか?
どんな人達と出会い、
どのようなつながりが
広がっていくと思いますか?
今のこの世の中では
そんな出会いは無理だよ、
と思えることであっても
構いません。
現実的でなくでも
構いません。
どんどん発想してください。
そして。
それらの出会いによって
その後にどのような
未来が展開するでしょうか?
自由に、さらに自由に
発想を。
そして。
さらにその後、
どのような出会いが
あるでしょうか?
そして。
さらにその後、
どのような未来が
開くでしょうか?
そして。
さらにどのような
出会いが?
さらに、
どのような未来が?
・・・・・・
というように、
あなたの発想が続くうちは
それを延々と
続けましょう。
もうこれで
満足。
ここまでの未来が
手に入れば
言うことはない。
・・・と思ってからが
スタートです。
その先、
をぜひ発想して
ください。
あなたの理想の幸せ。
あなたから出てくる
最高の発想。
・・・それが
あなたの「枠」です。
自分自身にはめていた
「リミッター」
です。
その「リミッター」を
取り払ってしまってください。
何度も申しますが、
実現可能かどうか?
はまったく考えないでください。
大事なのは、
あなたの心の奥から
どのような発想が
飛び出してくるか?
です。
発想の
掘り起こしです。
どのような夢物語でも
あなたの心の中から
生まれる発想はすべて
あなたのものです。
発想のリミッターを
外していただきたいのです。
それが
目的です。
リミッターが
外れたな。
なんか、すごく自分は
自由な心に
なれているな。
そんな風に思えたら
それでOKです。
そこまで行ったら、
最後の問いです。
その問いの答えは
ぜひ、
頭で考えずに、
ひねり出さずに、
自然に浮かび上がってくるものを
そのまま言葉に
してください。
その問いは
これです。
「私が最高の出会いと
最高の人生を送るために、
今、
最も大事にしたい
私自身の生き方は
何だろう?」
自然に浮かぶ
言葉があるはずです。
それらをすべて
紙に書き出してください。
できるだけ
シンプルな言葉が
よいです。
書き出した言葉のうち、
本当に今、
大事にしたいなぁと思える
「生き方」を
表した言葉を
一つ、選んでください。
それが、
あなたの真本音の願い
の可能性が
高いです。
私達の中には
たくさんの真本音の願いが
ありますが、
その中で最も簡単に
見つけ出しやすいのは
「今ここで、どのような
生き方をしたいか?」
という、
生き方に関する願いです。
これを私は
『人生理念』
と呼んでいます。
これが私の人生理念かな、
と思える一つのワードを
選んでみてください。
選んだら、
それを24時間、
大事にしてみてください。
その理念の通りに
行動しなきゃ、
とは思い過ぎないことが
コツです。
行動に移せるかどうか?
よりも、
いつもその理念を
心の中心に大切に
抱き続けてください。
いつも思い出していて
ください。
それをしながら
いつもの日常を
過ごしてみてください。
それだけで
あなたの空気感が
変わります。
あなた自身は
気づかないかも
しれませんが。
そして、
これまでと同じ日常なのに、
いつもの風景なのに、
少し違って観えるように
なるかもしれません。
自分の行動パターンが
少し変化するかも
しれません。
ただし、
そういった「結果」を
求めないでください。
ただただ、
自分の選んだ理念を
大切に心の中心に
抱いてください。
これが
真本音で生きる
第一歩です。
真本音度合いを高める
第一歩です。
つづく
今、自分は確かな道を
歩んでいる。
・・・という実感は、
未来が見通せているから
得られる、
というわけではありません。
むしろ私達の真本音
(真本音のことをあえて
魂と表現します。
あえて、ですが・・・)
私達の魂は、
わざと自分自身に
「未来を見せない」
ということをするケースが
多いです。
なぜなら、
私達に「準備」ができていない
からです。
「準備」が完了しないうちに、
もし私達が「未来」を
観てしまったら、
どうなるでしょうか?
多くの場合、
私達はその「未来」に
縛られることになります。
「未来」が
プレッシャーになります。
もしくは、
「未来」と今のギャップの大きさに
無気力になってしまう
かもしれません。
私達が真本音(魂)で
決めている「未来」は、
準備ができた時点で
「徐々に」
観えてきます。
つまり
「段階」があるのです。
一つの準備が完了すれば、
一つ、未来へのヒントが
わかります。
そしてもう一つ次の準備が
整えば、
未来像がより具体的になります。
さらにまた次の準備が
整えば、
さらにまた未来の姿が
明確になります。
・・・というように、
自分自身の準備には
ステップがあり、
そのステップに応じるかのように
未来が「徐々に」
観えてきます。
それを真本音(魂)は
意図的に行なっています。
よく、こんな声を
聴きます。
「私はどうしても未来を
描けません。
どう描いても、ピンときません。
違和感ばかりで、
未来を描く気になりません」
と。
それはまだ
未来を観るだけの準備が
整っていないのです。
私も自分自身の
人生のビジョンが浮かぶまでは
だいぶ時間がかかりました。
本当の意味での
私の人生のゴール(と決めていること)
がわかったのは、
たったの3年前です。
「わかった」と言っても
まだまだ抽象的です。
すべてが明確に
観えているわけでは
ありません。
でもそれで充分です。
必要な時に
必要な未来は
必ずわかるからです。
それよりも大切なのは、
「必要な時に
必要な未来が
ちゃんとわかる自分で
あること」
です。
人によっては
「準備」が一生整わない
というケースもあります。
いえ、実は
そんな人が圧倒的
多数です。
もしくは、
「準備」は整っているのに
未来を観ることができない
人もいます。
「必要な時に必要な未来が
ちゃんとわかる自分になる」
ためには、
必須なことが
一つ、あります。
それは言葉を換えれば、
「どんな人が
自分が本当に決めている
未来(ビジョン)に
気づくことができるか?」
という問いの答えです。
その答えは
単純明快です。
「今を大切に
生きている人」
です。
では、
「今を大切に生きる」
とは、
どういうことでしょうか?
これも
単純明快です。
「自分の本当に望む生き方を
今この瞬間に
大切にする」
ということです。
「今」とは、
この3次元の世界においては
唯一の「現実」です。
過去も未来も、
「現実」ではありません。
私達の頭の中にあること
です。
自分を大切にするとは、
「現実の自分」を
大切にすること。
人生を大切にするとは、
「現実の人生」を
大切にすること。
それはつまり、
唯一の現実である
「今」を大切にすること。
・・・私達の真本音(魂)は
そのように捉えてます。
どれだけ
未来を大切にしようと
思っていても、
今を大切にしない人は
一生、未来を大切にすることは
できないのです。
だって、
今の積み重ねが未来を
創るのですから。
今を大切にできる人が
未来を大切にできる。
そして、
今、望む生き方のできる人が
望む未来を実現できる。
そんな「事実」を
私達の真本音(魂)は
大切にしています。
「人生のあらゆる場面において
今、大切にしたい生き方」
のことを
私は、「人生理念」と
呼んでいます。
それは、
「今この瞬間に、
私は本当はどんな生き方を
したいか?」
の、その人その人の
真本音の答えです。
魂が望んでいる
答えです。
私はそれを
シンプルに言語化
することを
お勧めしています。
言葉として表すことは
有意義です。
それがもし
真本音(魂)から浮かび上がる
言葉であれば、
その言葉そのものに
深いパワーが宿るからです。
その言葉を
心の中でつぶやくだけで、
シュッと「本来の自分」に戻れる、
・・・そんなパワーが
宿ります。
そして、
その「人生理念」を
自分自身の心の中心に
いつも置いておくのです。
つまり、
魂の望む生き方を
心の中心に据えるのです。
それにより、
「今を大切にする度合い」は
圧倒的に高まります。
真本音度合いも
圧倒的に高まります。
そして、
その状態でいつも楽しく
未来を描くのです。
未来を描こうと
するのです。
すると、
必要な時に必要な未来が
自分の中心から
湧き上がってきます。
それは
頭で無理矢理に考える
ものではありません。
それはもう
私達の中にすでに
存在していますから、
必然的に
浮かび上がってくるのです。
「徐々に」
ではありますが。
たとえ
未来がわからなくとも、
今を大切に生きていれば、
「今の私は望む未来に
着実に向かっている」
という確信に
満ちてきます。
「今と未来のつながり」
を実感できます。
それはとても
気持ちのよいこと。
未来を見通せるから
確信が起こるのでは
ありません。
今を大切にするからこそ
未来への確信が
自然に生み出されるのです。
つづく
私達人間は
真本音のこだわりを持つことで
進化します。
しかしその「こだわり」は
なぜ持つかと言うと、
「手放す」ためです。
真本音のこだわりは、
必ず
手放す時が来ます。
なぜならそれは
自分自身だからです。
私で言えば、
私が初めて見出せた
真本音のこだわりは
「向き合う」
でした。
私はそれを自分の人生理念として
大切にし続けました。
それこそ、
24時間、その言葉を
思い出し続けました。
特に人とコミュニケーションを
とるときは、
「向き合う」という言葉を
自分の体の中心に
貼り付けているようなイメージを
いつもしていました。
すると、本当に
人と向き合うことができた
からです。
それ以前の私は、
人と向き合うことが
至難の業でした。
向き合っているフリは
できましたが。
人生理念「向き合う」ということを
いつも意識し続けることで、
私は私にとっての至難の業だと
思っていたことを
乗り越えることができました。
で、ある時に
その「向き合う」という言葉が
どうでもよくなりました。
むしろ、
「向き合う」という言葉に
違和感を覚えるように
なりました。
「向き合おう」とすると
逆に力が入ってしまうような、
自然体が崩れるような
感覚となりました。
それはそうです。
だって、
本当は、
「向き合う」とは
私自身だったから
です。
たけうちなおと
という人間は、
「向き合う」が
現象化したものだった
のです。
向き合う=私。
私=向き合う。
ということです。
つまり、
真本音のこだわりとは
本来の自分自身を
ある一面から
表現しているに
過ぎません。
「向き合う」と「私」は
同じであり、
「一つ」です。
でも、以前の私は
もともと「一つ」であったものが、
分離してしまって
いました。
私は向き合うことが
できない人間だ。
・・・と私は思い込んで
いました。
本当はそうではないのに。
そこで、その分離をなくし、
本来の姿に戻るために、
私はあえて
「向き合う」という言葉を
言語化、明確化し
それを意識するように
したのです。
意識し続けることで、
その分離はだんだんと
修正され、
ある時ある瞬間に
「一つ」に戻ることが
できたのです。
その瞬間から私は、
「向き合う」ということを
わざわざ言語化すること自体に
不自然さと違和感を
覚えるようになったのです。
当然のことです。
実はこれは私だけでなく、
誰にでもよくあることです。
私達の多くは、
本来の自分を忘れています。
そして、
本来の自分を
自分から分離しながら
生きています。
それは非常に
不自然な状態です。
不自然が故に、
ストレスが生じます。
エンティティが
発生し続けます。
その不自然さを
修正するために必要なのが
言葉。
言語化することで
修正し、
修正できればもう
その言語は
必要ありません。
手放せば
良いのです。
ところが、
もうすでに
修正が完了し、
もうすでに
「一つ」に戻れているにも
関わらず、
「まだ自分はそれができていない」
と思い込み、
ずっと自分の「こだわり」に
こだわり続ける人がいます。
それは、
本質的なこだわりではなく、
ただの「執着」であり
「依存」です。
「執着」の段階に
入ってしまっているにも関わらず、
それにこだわり続ければ、
逆に、
ストレスやエンティティが
発生します。
だからこそ
大事なのです、
「手放す」ことが。
そこで、
自分自身にぜひ
問うてみてください。
私にとっての
最大のこだわりとは
何だろうか?
もうそのこだわりは、
私は
手放してもよいのではないか?
・・・と。
理屈でも何でもなく、
直観として
「そうだな。手放そうかな」
と思えたら、
その通りにすることを
お勧めします。
もうあなたは
それ、そのものに
戻れているのですから。
つづく
区別をつける
というのは、
大切なことです。
この世の中には
似て非なるもの
が非常に多いです。
つまりは、
表面上は一見、ほとんど同じに
見えるけれども、
本質はまったく異なるもの
というものが多いです。
本質がまったく異なる
と言った場合、
それは要するに
次元が異なる、
ということになります。
例えば、
ある人がある一言を言ったとして、
その一言が
どの次元から出た言葉か?
によって、
本質は大きく異なります。
「我社はお客様の満足のために
存在します」
・・・と言ったとして、
この言葉がどの次元から
出ているかによって、
まったく同じ言葉でも
まったく本質は異なる
ということですね。
こういった
似て非なるもの
の区別がつくようになると、
生きることは
とても楽になります。
そして私は、
すべての人が、
こういった区別がつくように
なるといいなぁ、と思っております。
私のコーチングサポートは
クライアントさんが
こういった区別をつけられるようになる、
というのも重要な目的の一つです。
区別がつくようになれば、
例えばビジネスで言えば、
誰と協業すれば良いか?
とか、
組織で言えば、
誰を「要」(かなめ)として
育てれば良いか?
など、
重要な方向性が瞬時に
判断できるようになります。
以前にも書かせていただきましたが、
組織というのは
100人いたとしたら、100人全員を
変えようとしても
変わりません。
それには
膨大なエネルギーと時間が
かかります。
お金もかかってしまうでしょう。
しかし、
100人の中の「要」となる人を
見つけ、
その人達を集中的に育てれば、
その人達を中心に
組織はどんどん活性化します。
その方が
時間もお金も労力も
圧倒的に少なくて済みます。
ですので私は
組織活性化戦略としては
まずは、
「要」となる人を抽出する
ことを重要視しています。
では、
どんな人を「要」とするのか?
と言いますと、実は
組織上の立場とか
仕事の能力が高いかどうか、
というよりも
次元で決めることが
多いのです。
つまりは、
意識の次元の高い人を
「要」とするのです。
意識の次元の高い人は、
次元の高いエネルギーを
注げば、
すぐに変化を始めます。
次元の高いエネルギーを注ぐ
というのはつまり、
真本音のメッセージや
真本音による指示を
与える、ということです。
例えば、社長が、
会社の理念やビジョンを
真本音で語ったとします。
「こんな会社にしたい」というお話を
真本音で語ったとします。
するとそれに真っ先に共鳴
するのが、
意識の次元の高い人達です。
しかもそれは、
共鳴だけでなく、
行動の変化としても
現れます。
真本音で語ったり、
真本音で行動したときに、
そこに真っ先に敏感に反応するのは
意識の次元の高い人です。
そういった人達は
たとえ現時点では仕事の能力が
低くても、
すぐに自ら主体的に
能力を高めるようになります。
社長の真本音の想いに
共感し、
自らも「そうしたい!」と
強く思うからです。
これまでも申した通り、
次元が高いということは、
「すべてが一つ」ということですので、
次元の高い人達は
次元の高い社長の言葉を
「社長の想い」ではなく
「自分の想い」として
受け止めることができるのです。
残念ながら現時点においては、
「会社の理念やビジョンの浸透」
という視点で言えば、
真本音ではない理念やビジョンを
創り、
・・・つまりは、次元の低い
理念やビジョンを創り、
それを無理矢理に
次元の高低に関わらずに
すべての社員さん達に
強引に浸透させる、
というやり方を取っている会社が
多いです。
それでは理念は浸透
するかもしれませんが、
その理念は社員さん達を
縛るだけのもの
になってしまいます。
我社はこういうことを大事に
しているから、
しょうがないから
そうするか。
・・・みたいに、
自分を縛るもの、
自分を制御するもの
として理念を認識するように
なります。
よく私は企業研修などで
皆さんにお訊きします。
「皆さんにとって
理念は居心地のよいものですか?
自分をどんどん開放できる
ものですか?
それとも、自分を縛るものですか?」
・・・と。
私の研修は
皆さんが本音で喋れる場を
創りますので、
皆さん、結構本音を教えて
くださいます。
ほとんどの人が、
「我社の理念は、
言葉としては素晴らしいなと
思いますし、共感もできますが、
実は居心地のよいものでは
ありません」
と答えます。
これが、
理念の浸透
の実態です。
しかし私は、
これでは何の意味もない
と思っています。
いや、むしろ
このような浸透の仕方をするくらいなら
理念などない方がよい
とすら思います。
理念やビジョンは
自分事になってこそ
価値のあるものです。
自分事になることで、
「この理念があるからこそ
私は自分らしさを発揮できる」
という状態になります。
理念があるからこそ、
発想が広がり、
理念があるからこそ、
伸び伸びと行動ができる。
・・・という状態になるのが
理念の本来の存在意義です。
そうなるためには、
言葉だけ素晴らしい理念を
創るのではなく、
真本音の理念を
創ることです。
そして、それをまずは
意識の次元の高い人達に向けて
発信することです。
高い次元では、
すべてが自分事になります。
そこに
「浸透」は必要ありません。
それは
「自分のもの」
なのです。
ですから、
次元の高い理念を発信すれば、
次元の高い人は
すぐに自分事として
自らの発想と行動を変えます。
そういった人を
集中的にサポートすることで
その人達は
大きく成長(進化)します。
人の成長(進化)には
高いエネルギーが発生します。
そのエネルギーは
周りに伝播します。
それにより、
周りの人達も成長(進化)を
始めます。
これが、
組織活性化の原則です。
つづく
木村さんは、新規事業プロジェクトチームの
真本音を「理念」として言語化することが
できました。
それが、
『全員がチームの代表として
お客様と向き合う』
です。
言語化することで、
自分自身がこの理念に外れる行動をとっていたことを
木村さんは自覚しました。
彼は、とても清々しい表情で
「自分は間違っていた」
と言いました。
自分が正しいとか間違っているとか、そんなことよりも
真本音の理念を見つけ出した喜びの方が
大きかったのでしょう。
もちろん、弓江さんも喜びました。
木村さんが「間違っていた」と言った時、
弓江さんは、「そうでしょう!」と相づち。
そして二人で笑い合いました。
いい感じです。
すかさず私は次の問いを投げました。
「弓江さん、
弓江さんは木村さんをサポートするために
何をすればよいですか?」
「えっ?」
「今ならわかるのではありませんか?」
弓江さんは少し目を瞑って考えました。
そしてこう言ったのです。
「木村リーダー、
私は木村リーダーに何をすれば
サポートになりますか?」
この一言。
これは本当に木村さんには嬉しかった
ようです。
「えっ、そう言われてもなぁ・・・。」
と言いながら、とても嬉しそうな表情。
「木村さん、
ここはしっかり考えて、弓江さんに
指示を出してください。
真本音の指示を。」
しばらく木村さんは考え、
言いました。
「私と一緒にミーティングの場を
創ってください。
弓江さんにミーティングの司会を
お願いします。」
これには弓江さんが驚きました。
「えっ? 私が司会ですか?
いや、私は司会の経験はありませんし、
向いていないと思います。」
「いや、私は弓江さんに司会をしてもらいたい。
それが、とてもいい気がする。
たけうちさん、どうです?」
私は大賛成でした。
「実はね、木村さん。
弓江さんにはコーチの才能があるんですよ。」
「そうですか!
実は今、私も何となくそんな気がして。
私は以前、自分がプロのコーチになるなんてことを
言っていましたが、私なんかよりも
弓江の方がいいかな、って思ったんです。」
さすが木村さんです。
「弓江さん、私が弓江さんに司会のやり方を
教えますので、やってみませんか?
司会というよりも、チームコーチングのコーチ役
ですよ。」
最初、弓江さんは「え〜っ?」と言いながら
拒んでいましたが、
木村さんが、「これはリーダーとしての指示です」
の一言で、あきらめました。笑
「そのかわり、しっかりと事前準備をしましょう。
ミーティングの目的と、
そこでどのような問いを投げるか?を
しっかり準備しましょう。
その上で、あとはアドリブでやればいいんです。
コツはすべて私が教えます。」
ということで、弓江さんは司会をやることに
なりました。
今思えば、これが本当に
運命の分かれ道でした。
司会をすることで弓江さんは、
本来彼女が持っていた天性の力を
ぐんぐん発揮することになります。
彼女こそ、
プロのコーチと言ってもよいくらいの
力を持っていたのです。
つづく
「たけうちさん、
私はどうやら間違っていたようです。」
木村さんは、そう言われました。
そう言いながらも、その彼のあまりの清々しい表情に
一瞬私は惹き込まれました。
彼は続けました。
「弓江はいつも、このチームの真本音の視点から
意見を言い続けてくれていたんです。
それがようやく今、わかりました。」
チームの真本音
『全員がチームの代表として
お客様と向き合う』
弓江さんは常に、この視点を持ち続けた
唯一のチーム員であると、
木村さんは言われたのです。
これには弓江さんも納得されました。
「そうです。
言われてみれば、私はいつも
それを大切にしていました。
このチームの真本音と別の行動を見る度に
苛立っている自分がいました。
特に、木村リーダーが外れた行動をとると
イライラが止まりませんでした。」
このチームの真本音は木村さんが
表現した言葉です。
しかしそれは木村さんの「解釈」の言葉
ではありません。
つまり、木村さんの言葉でありながら、
木村さん一人の言葉ではありません。
こういったことが、真本音度合いが高まりますと
当たり前のように起こります。
チームの真本音というのは、
そのチーム員全員が自然に生み出します。
それは最初は言葉にはなりません。
しかしチームが真本音度合いを高めながら
一つになっていくと、自然にそれが
言語化されるようになります。
それこそが、そのチームにとっての
本当の「理念」です。
木村さんのチームには、その理念が
言葉ではなく、すでに「何となく」できあがっていました。
それはそれだけチームが一体化した証拠です。
その「何となく」できあがっていた理念を
木村さんは、あるがままにキャッチし
言語化したのです。
それが
『全員がチームの代表として
お客様と向き合う』
ということでした。
ですので、これは木村さん一人のものでは
ありません。
「みんなのもの」を木村さんがキャッチしただけ
ですので、弓江さんが共感するのは当然なのです。
今回は、木村さんのチームを例にして
お話しさせていただいていますが、
私は常に、このような理念の創り方を
大切にしています。
チームに理念が醸成される前に無理に
理念を言語化して創るのではなく、
無意識レベルで、チームに真本音の理念が
醸成されるのを促し、
それができた時点で言語化する、という
ステップです。
それをすれば、本物の理念になります。
皆の魂が入ります。
そして、やはり私は
チーム(組織)の理念は、言語化することを
お勧めします。
なぜなら、
言語化することで、簡単に意識を向けることが
できるからです。
そして言語化することで、
それが、本当に真本音によるものならば、
私達の心は非常にスッキリします。
これまでの迷いやモヤモヤが
払拭されるからです。
この時の木村さんが
まさしくそうでした。
チームの理念を言語化することで、
彼は、自分の中の淀みに気づいたのです。
そして、チーム員の中で、
最も理念に対して淀みない心で向き合っていのが
弓江さんであるということに気づいたのです。
『全員がチームの代表として
お客様と向き合う』
「私はこれと真逆のことをしていたかも
知れません。」
と木村さんは呟きました。
つづく
生きる、ということに対して、
人が幸せを感じるか、感じないか?
それを左右する最もシンプルな「境目」は、
「自分の望む生き方(在り方)ができているかどうか?」
です。
それは、あるべき論ではありません。
つまり、私はこうあるべき、こう生きるべき、
ということではありません。
自分は本当は、どんな生き方(在り方)をしたいか?
そこに素直であること。
「今、この瞬間」に素直であること。
まずは、それに尽きます。
どれだけ実績を上げても、
どれだけ経験を積んでも、
自分が本来望む生き方(在り方)ができていない人は
間違いなく疲弊していきます。
するとその人は、
「疲弊することで実績を上げられるのだ」
と勘違いします。
「実績とは、疲弊しなければ上がらないものだ」
と勘違いするのです。
それは苦しみの人生です。
そういった苦しみの人生ではなく、
人はある意味、もっと「楽な人生」を
生きることができます。
「楽な人生」にするために最も基本的な必要条件が
「自分が望む生き方(在り方)」を実践することなのです。
しかも、その生き方(在り方)が
真本音で望むものであるならば、
それは、周りとの「調和」を高めます。
自分の望む生き方(在り方)ができればできるほど、
周りにもより良い影響を与えます。
ですから、
自分の幸せ=周りの幸せ
となります。
ですから、
現実が開かれます。
真本音で望む生き方(在り方)のことを私は、
『人生理念』
と呼んでいます。
ビジネスでも、それ以外のコーチングでも、
組織(チーム)コーチングにおいても、
あらゆるサポートにおいて、私はまずは必ず、
その人の『人生理念』を掘り起こすことを第一歩としています。
それをするのとしないのとでは、
その後の物事の進展の仕方の次元が変わるからです。
サポートそのものも非常に楽になります。
木村さんは、
“生まれたばかりの無邪気”
という人生理念を掘り起こすことができました。
その理念を日々、大事にすることで、
明らかに雰囲気と行動に変化が起こり始めました。
それを上司である平井さんは
非常に喜ばれました。
しかし本当のサポートはここからです。
私達の「心と行動」には、
これまでの経験で培ったパターンがあります。
それは、「心と行動のクセ」と
言ってもよいでしょう。
「クセ」とは、
私達人間の持つ大いなる力の一つです。
もし「クセ」というものがなければ、
私達は、生きることが非常に困難になります。
例えば、
「クセ」があるからこそ、
私達は、お箸を使うことができるようになります。
自転車に乗ることもできるようになります。
パソコンを使うことも、新たな能力を身につけることも
できるようになります。
すべては「クセ付け」と言ってもよいでしょう。
私達が自分の経験を通じて能力向上を図る時に
最も必要となる力が「クセ」ということです。
ですので「クセ」は
それだけ強いのです。
「心と行動のクセ」は
自分にとってメリットが高いからこそ、
身についたものです。
一度身についた「クセ」は
そんなに簡単には壊れません。
もし壊そうとするのであれば、
何度も何度も、その「クセ」が出るのを自ら
止めなれければなりません。
「クセ」を止めて、その上で「新たなパターン」で行動する、
ということを意図的に行なう必要があります。
お箸の持ち方が間違っていた場合に、
正しい持ち方に直すためには、
何度も何度も意図的に、お箸の持ち方を変えなければならない、
というのと同じです。
しかし何度も意図的に行なううちに、
いつの間にか自然に意図せずに
正しい持ち方ができるようになります。
大切なのは、何度も何度もそれをし続けること。
継続することです。
それはある意味、
「新たなクセをつける」
ということになりますが、
その「新たなクセ」が
「真本音で望むクセ」であることが大切です。
「真本音で望むクセ」がつけば、
その人自身が幸せを感じ、
しかも、周りにも好影響と調和をもたらすからです。
結局、私が行なっているサポートは
ここに尽きるかな、と思う時があります。
真本音で望んでいないクセを持っている人が
真本音で望んでいるクセに変えていく。
それをサポートするのが
私のコーチング、と言えるのかなと。
それ以上のことは
私はしていないのかも知れません。
なぜなら、
真本音で望むクセがつけば、
あとはもうその人の自力で、
望む現実をその人自身が創り出していくからです。
そういった意味で、
私が木村さんに対して注意して見ていたのは、
木村さんの「これまでのクセ」が
どのような形で「再発」するか?
ということでした。
人生理念を明確にすることで、
木村さんの雰囲気も行動も変化を始めました。
しかしまだ、彼の「これまでのクセ」は
残っているはずです。
それがどのように現れ、
どのように影響するのか?
それを見つめ、
彼が本当に真本音から望むクセをつけるための
有効なサポートをすること。
それが私の次の役割でした。
そして案の定、
彼のクセは、現れたのです。
つづく
『人間発電所』
・・・これが平井さんの当時の人生理念です。
「私はどんな時も、みんなにエネルギーを与えられる
自分でいたい。
私のところに来れば、エネルギーが充電され、
元気一杯、自分の魅力と能力を最大に発揮できる状態になる。
そんな自分でいたい。
みんなを主役にできる自分でいたい。」
これが彼の揺るがぬ想いでした。
これは仕事のみならず、プライベートでも変わりません。
そんな自分でいられれば、
彼自身が幸せを感じるのです。
この理念を言語化してから、
平井さんの言動や習慣は大きく変わりました。
まず彼は、毎日1時間早く起きるようになったそうです。
その1時間で、自分の心を整えるのだそうです。
彼はヨガを習ったり、瞑想法の勉強をしました。
私もセルフコーチング法をお伝えしました。
いろいろ試しながら、彼なりの心の調整法を
編み出したようです。
朝だけでなく、夜寝る前にも
心を整える時間を創るようになったそうです。
それにより、睡眠が随分と深くなったこと、
目覚めがとてもよくなったこと、
一日の始まりが快適になったこと、
何よりも
「人間発電所としてのパワーが宿っているなと
思える状態になると、それだけでウキウキして、
さらにパワーが高まるんです」と。
面白いことに、
「人間発電所」になってからの方が
彼は静かになりました。
それまではどちらかと言えば、
彼は大声を出しながら皆を鼓舞する場面が
多かったです。
しかしそれはカラ元気に近く、
「そんな無理なことをしなくても、
自然に振る舞うだけで、パワーを与えられる
ことを知りました。」
それとともに、
彼からは余分な言動が消えていきました。
会議でも、以前は彼がずっと喋っていました。
しかし今は、彼はまるでコーチのように
問いを皆に投げて、あとは聴き役になります。
そして、ここぞという時のみ、
重要な一言を言います。
それはたった一言であるが故に、
逆に皆の心に深く響くようです。
しかも彼の発する言葉の多くは
「人間発電所」としてのものでしたので、
それにより皆が元気になりました。
そのような会議やミーティングを繰り返すことで
社員さん達の彼への印象が大きく
変わっていったのです。
彼は偉いなぁ、と私が思ったのは、
「人間発電所」という人生理念を大事にすることを
皆の前で宣言したことです。
「これまでの私は残念ながら、
皆のエネルギーを奪うことをたくさんしてきたように
思います。
しかしこれからは、パワーを与えられる自分に
なります。
もしそうでない言動を私がしていたら、
遠慮なく私にフィードバックしてください。」
そうは言っても最初は社員さん達は
なかなかフィードバックする勇気は
出ませんでした。
ですので、そこは私が少しサポートしました。
私が社員さん達の前でわざと、平井さんに
「今の態度はエネルギー奪ってますよ」と
フィードバックするようにしました。
その度に平井さんは、
「あっそうか。すんません」と言いながら
頭を掻きました。
そこに深刻さはなく、
素直に受け取る彼の姿を見て、
しだいに社員さん達も彼に意見を言うように
なりました。
そんな中での、生田さんの
「私はあなたのことが嫌いでした」発言も
出たのです。
平井さんは自分を別人に変えよう
としたわけではありません。
自分を変える、というよりも、
本来の自分に戻そうとしたのです。
本当は自分はこんな生き方をしたい
人間なんだ。
本当は自分はこんな自分であると
幸せな人間なんだ。
自分が素直に望む自分像。
それが本来の自分です。
そのためのキーワードが
人生理念なのです。
言葉というのはやはり
力があります。
言語化することで、常に意識化することが
できます。
その言葉が、反応本音レベルのものであれば
あまり意味はありませんが、
その言葉が、真本音から出されたものであれば、
それは深く自分自身に沁み込みます。
そういったキーワードは
誰もが必ず持っています。
真本音で望む生き方。
それが人生理念。
その言葉をその人が口にする時、
私は、とても心地良い「風」を感じます。
平井さんが、「人間発電所」と呟くと、
それだけで心地良い風が吹くのです。
そういったキーワードを
誰もが持っています。
それを見つけ出すことが、
真本音度合いを高める第一歩となるのです。
つづく
今日という一日を
最高の一日として過ごせましたか?
と問われたとき、何の迷いもなく
「はい、最高の一日でした」
と答えられる人はどれだけいるでしょうか?
人生をもう一度やり直せられるとしても、
今日という一日の過ごし方は、まったく変わらないだろうな、
と思える人はどれだけいるでしょうか?
真本音で生きる度合いが高まれば、
「最高の一日でした」と答えられる一日が
激増します。
真本音度合いが100%になれば
毎日がそうなります。
つまり、「後悔」というものがまったくなくなります。
そんなことがあり得るのでしょうか?
はい、あり得ます。
しかもそれは、全然特別なことではありません。
むしろその状態が「普通」の状態です。
・・・と私はお答えします。
これは、独りよがりでも何でもありません。
自己満足でも無理をしてそう思い込んでいるのでも
ありません。
ただただ単純に、自然に、そう思えるのです。
あぁ今日も、最高の一日だったなぁ、と、
一日の終わりに普通にいつものように思えるのです。
もちろん、日々、想定外のことは起こります。
自分の思惑通りに進むことなんて
ほとんどありません。
頭が真っ白になるような試練にも遭います。
傷つくことだってあります。
でもたとえ、どのような現実が起き、
どのような波に呑まれても、
自分のとった一つ一つの決断や行動が
最高だったな、と思える。
今日という一日は、人生を生き切ったなと
思える。
今日という一日を、存分に満喫できたなと
思える。
・・・そういった状態になれます。
そういった状態になれば、
必ず道は開かれます。
そういった状態になれば、
必ず、周りとは「完全調和」します。
真本音で生きるとは、
わがままに生きることではありません。
自分の真本音と他の人の真本音は
つながっています。
自分の真本音度合いが高まるということは、
周りの人とのつながり度合いが高まるということです。
つまりは、
真本音に素直に行動すれば、それは
自分=周りのための行動と
自然になります。
ですので、そこに争いや諍いや混乱や混沌は
ありません。
何をどれだけ頑張っても
どうしても現実が好転しない、
何をどれだけ頑張っても
自分は満たされない、
ということであれば、それは真本音度合いが低い
ということです。
自分の真本音を無視している
ということです。
前回の記事でも書かせていただきましたが、
自分の真本音を無視することは、
自分自身への信頼度を著しく減退させます。
自分のことを信頼できなくなった人は
他人を信頼することも、
他人から信頼されることも
なくなります。
それにより、
人生のあらゆる場面で障害が起こります。
すべて、自分の生き方の問題です。
これに尽きるのです。
今この瞬間の自分の生き方
の積み重ね。
これによって、どのような人生か?が
決まります。
仕事でもプライベートでも
どんな時でも、
自分は、
本当は、
どんな生き方をしたいか?
今この瞬間に
どんな生き方をしたいか?
この問いに対する揺るがぬ答えを
見つけることが、まずは重要です。
揺るがぬ答え、つまりは
真本音の答えです。
これを私は
『人生理念』
と呼んでいます。
人生理念を言語化し、
常に意識しながら今この瞬間の自分の言動を
決める。
それが真本音度合いを高める
最も基本的な方法です。
つづく