それ、手放せます?

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あなたの中にある

最大の「こだわり」とは

何ですか?

 

それは、

人生に対するものでも、

仕事に対するものでも、

人間関係に対するものでも、

その他のことでも

何でもよいです。

 

「こだわり」と聴いて、

最初に思いつくことは

何ですか?

 

恐らくその「こだわり」は

人生経験を踏む中で

できあがったものだと

思います。

 

とても

大切なものでしょう。

 

でももし、

その「こだわり」を

あなた自身が手放したとしたら、

あなたは

どうなりますか?

 

あなたの人生は

どうなりますか?

 

人生展開は

どうなりますか?

 

以上の質問を受けると、

多くの場合、

その「こだわり」をなくすことで、

人生展開は

暗転するイメージを

持たれるではないでしょうか。

 

それはそうです。

 

人生を好転させるために

私達は「こだわり」を

持っているのですから。

 

私で言えば、

私の最大のこだわりは

「向き合う」

ということかもしれません。

 

これは、

私が初めて明確化した

最初の真本音キーワード

であり、

私の最初の人生理念でも

あります。

 

「向き合う」ことで

物事は好転し、

自分の真本音度合いも高まり、

良い意味での真剣さと

良い意味での「楽」を

手に入れることができる

と、私は考えています。

 

私にとっては

なくてはならないもの。

 

私から

「向き合う」ということを

取ってしまったら、

もう私ではなくなるのではないか、

と思えるほどのものです。

 

ところが・・・。

 

今回、書かせていただく内容は

 

その最大の「こだわり」を

手放しましょう。

 

・・・ということなのです。

 

つまり私で言えば、

私のこだわりである

「向き合う」

という自らのポリシーを

手放してしまおう、

ということです。

 

これを、

すぐにできる人のことを

 

『天真爛漫』

 

と言います。

 

真本音度合いが高まったり、

意識の次元が高まることで、

人は自然に

天真爛漫になっていきます。

 

ですので、

真本音度合いが高まったり、

意識の次元が高まることで、

人は自分の最大の「こだわり」を

すぐに手放すことが

できるようになります。

 

正直に言いまして、

私はですね、

最大のこだわりは

「向き合う」ということですが、

じゃあ、

「その、向き合う、というこだわりを

手放してしまってください」

と言われたら、

 

あっそっか、

それも面白そうだね、

 

・・・などと思えてしまいます。

 

いつからそうなったのかは

定かではありませんが、

少なくとも

以前の私はこうでは

ありませんでした。

 

「手放してください」

と言ったその人に対して、

以前の私であれば

食ってかかっていたでしょう。

 

「何言ってるんですか。

あなたは私が最も大事にしていることを

蔑ろにするのですか!」

とか、

「大事にしたいことを

大事にし続けることこそが

大事なことではありませんか!」

とか、

「自分の中心軸を取り除いたら

もうそれは、自分では

なくなるではありませんか!」

とか。

 

でもこれらのセリフって、

本当はちょっと

不自然だと思いませんか?

 

皆さんは

いかがですか?

 

皆さんの中の

最大のこだわりを

手放してください、と言われたら、

拒絶感が

出ますか?

 

それとも逆に

好奇心が

出ますか?

 

もし拒絶感が

出るとしたら、

残念ながらその人は、

 

「自分のこだわりに依存している」

 

ということになるのです。

 

私の場合で言えば、

「向き合う」ということに

自分は依存していた

ということになるのです。

 

実はそれは

人間本来の生き方では

ありません。

 

自然な生き方では

ありません。

 

かと言って、

こだわりを持つのを

やめましょう、

と言いたいわけでも

ありません。

 

こだわりは

大事です。

 

こだわりがあるからこそ

私達は

進化できます。

 

でも、

「こだわり」とは

何のために持つもでしょうか?

 

それは、

 

そのこだわりを

手放すために持つ

 

ものなのです。

 

このテーマについては、

明日以降も続けます。

(多分。 ・・・笑)

 

つづく

 

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