理想

妥協すんな

 

「妥協」

というのは、

妥協だと思うと

妥協になる。

 

しょうがない

妥協するか、

 

となると

妥協となる。

 

私は何をどうしても

これが嫌だ。

 

妥協をするくらいなら、

仲違いを選ぶ。

 

妥協は

不調和の象徴だと

思うのだ。

 

ただ、

 

「妥協」という言葉の

使い方とか

定義の仕方は

人によって違う。

 

私の言う「妥協」とは、

自分も相手も

納得していない状態

だ。

 

「妥協」に対して

私は

 

「最善」

 

という言葉を

よく使う。

 

最善を尽くす

のは

私は好きだ。

 

いや、

人生とは本来

最善を尽くすもの

だと思っている。

 

自分の思う通りに

いかないのが

人生。

 

自分の理想通りに

いかないのが

人生。

 

「理想」を常に

大切に胸に抱き続ける

ことは

とても大事だと思う。

 

しかし私達の目の前

には

「現実」があり

「他者」もいる。

 

自分の理想のみを

押しつけて進む

こともまた

不調和の象徴だ。

 

理想を抱きつつも、

現実と向き合い、

 

今できる最善は

これだ!

 

と決めること。

 

それが大切であり

それは「妥協」とは

異なり、

 

納得がいっている。

 

妥協も最善も

結局は同じ選択かも

しれない。

 

しかし

 

しょうがない、

妥協するか。

 

 

今はこれが

最善だな。

 

 

この違いは

大きい。

 

いや、「大きい」

というレベルでは

ない。

 

似て非なるもの。

 

本質が

まったく異なるもの。

 

だから私は

「最善」だと思えるまで

決して

選択をしない。

 

決断を

しない。

 

そのかわり、

「最善」だと思えれば

直ちに進む。

 

結局は、

妥協で進むよりも

最善で進む方が、

 

何十倍も

速く進めるし、

 

何百倍も

エネルギーは

高くなる。

 

だから、

 

先に進むために

妥協はするな。

 

先に進みたいならば、

決して

妥協はするな。

 

いついかなる時も

最善を尽くそう。

 

つづく

 

何のためにここまで来たのだ?

 

あなたは今、

どこに立って

いるのだろうか?

 

あなたは今、

どの方向を

向いているのだろうか?

 

あなたは今、

何を見ているのだろうか?

 

あなたには

高い理想がある。

 

その理想への

想いは深い。

 

しかしそうであるが故に

あなたは今の自分に

自信を失くしている。

 

理想と現実の

ギャップに

言葉を失っている。

 

我を

失っている。

 

そしてあなたは、

自分を

責めている。

 

こんな自分は

不甲斐ない、と。

 

自分のあまりの

力の無さに

茫然としている。

 

自分のあまりの

勇気の無さに

憤っている。

 

こんなはずでは

なかった。

 

私はもっと

できるはずだった。

 

でも

現実を前にしたら

ビビりまくって

いる。

 

一歩も

足が

動かない。

 

こんなはずでは

なかった。

 

こんなに

情けない自分

だったなんて。

 

私は

私が

嫌だ。

 

・・・と。

 

・・・・・・

 

私はあえて

そんなあなたに

伝えよう。

 

あえて

厳しく

伝えよう。

 

自分を

責めるな、

と。

 

自分を

責めている暇が

あったら、

一歩でも

前に進め、

と。

 

どうすれば

次の一歩を

進めるか?

 

そこに意識を

集中せよ、

と。

 

自己卑下。

 

自己嫌悪。

 

罪悪感。

 

それらはみんな

自己満足だ。

 

自分を

どれだけ責めても

誰も

喜ばない。

 

自分自身も

喜ばないし、

周りの誰も

喜ばない。

 

そんなのは

何の生産性も

ない。

 

時間の

無駄だ。

 

命の

無駄だ。

 

人を

愛したい

あなたならば、

 

できるかどうかは

別として、

本気で

愛そうと

しなさい。

 

自分を責めるのは

単なる

自己愛。

 

そこには

真剣さのカケラも

ない。

 

現実逃避の

言い訳にしか

過ぎない。

 

だから早く、

そこから

抜け出しなさい。

 

あなたは

何のために

ここにいるのか?

 

あなたは

何のために

ここに来たのか?

 

あなたは

何のために

私と出会ったのか?

 

あなたの

人生への想いと

願いは

何だったのか?

 

あなたは

人に

何をもたらしたいのか?

 

あなたは

社会に

何をもたらしたいのか?

 

それらを

今一度、

しっかりと

思い出しなさい。

 

それらは

理想だ。

 

そして

この人生は

理想通りには

行かない。

 

そんなことは

重々に理解している

あなただったろう。

 

我々にできるのは、

理想を胸に

抱きながらも、

 

最善の一歩を

踏み出し続ける

ことではなかったか。

 

弱っちい自分で

いいではないか。

 

それでも

あなたには

足がある。

 

それでも

あなたには

意志がある。

 

であれば、

次の一歩を

踏み出せよ。

 

間違っても

いいから

踏み出せよ。

 

つづく

 

加速すればするほど、楽になる

私達人間は誰もが、

「進化をしたい」という本能を持っていますが、

自分が望む進化スピードを実現している人は

ほぼ、いません。

(→前回記事)

 

本当はグングン前に進みたいのに、

思うように進めない、

もしくは、進むことを恐れてしまい

躊躇している自分がいる、

・・・ほぼすべての人がその状態です。

 

私達には「加速」が必要です。

 

しかしどうすればよいのか?

誰もわかっていません。

 

私がコーチとして活動してきた

この21〜2年間は、

その方策を探求し続けてきたという

言い方もできます。

 

もちろん、今も探求中です。

 

ただ、一つ明確にわかっていることが

あります。

 

真本音度合いを高めることが

すべての基本にあるということです。

 

私達人間の揺るがぬ心、真本音とは、

私達の存在意義であり本能の中枢を成す

「進化欲求」に対して非常に素直です。

 

進化のためにどうすればよいか?

を最も大切にしています。

 

しかもそれは理想論ではありません。

 

自分の進化のために、

今の現実に対して、

自分は何をすればよいのか?

を極めて現実的に判断します。

 

その洞察力は

神秘的ですらあります。

 

逆に言えば、

私達人間は誰もが凄い洞察力を

もともと持っているということです。

 

しかしその洞察力は、

真本音度合いが高まらないと

発揮されません。

 

そして、

真本音度合いが高まり、

その洞察によって出された「次の一歩」を

踏み出し続ければ、

私達は必ず、周りと調和します。

 

先ほど書きました通り、

真本音とは極めて現実的な判断をしますので、

真本音で動くことで、

不必要な混乱や混沌は争いや諍いは

激減します。

そこには、必要な試行錯誤が必要なタイミングで

起こるだけです。

 

結果として、その一歩一歩は

進化に対しての最速の道となります。

 

それは「理想」ではありませんが、

「最善」です。

 

つまり、今できる最善、最速の道を

私達の真本音は選択するのです。

 

ですからそういった意味でも、

私は、クライアントさんの真本音度合いを

高めることを、コーチングの要諦としています。

 

そして「脱皮」とは、

そういった真本音度合いの高まった人達が

引き起こす「現実」です。

 

「脱皮」を起こすことで、

ステージが一気に変化します。

 

それは喩えて言えば、

今まで地面を歩いていた自分が、

突然、東京スカイツリーの展望台に

登ったようなものです。

突然に視界が変わります。

今まで見えていなかったものが

見えるようになります。

 

いえ、

本当に大きな脱皮をした場合は、

もっと凄い変化があります。

東京スカイツリーどころか、場合によっては

飛行機の視点とか、成層圏の視点とか、

地球を見降ろす宇宙の視点まで

行ってしまうかもしれません。

 

脱皮とは、それくらいに劇的な

変化があることなのですが、

しかし、本人の顕在意識はその変化に

気づいていません。

 

気づいていないのだけれども、

しかし、視界そのものは

これまでとはまったく比べ物にならないほどに

広がっているのです。

 

ですから、本人の気づかないところで

発想そのものが大きく変化します。

本人は気づいていないのに、

周りから見ると驚くべき発想を

生み出す時があるのです。

 

しかしそれは私達人間にとっては

実に自然な振る舞いです。

 

なぜなら私達は

それだけ大きな進化を望んでいるからです。

でも今のところ、どれだけ脱皮をしても

まだまだ私達の望む進化スピードには

追いつけません。

 

本当に望む進化スピードに

もし追いつくことができたとしたら、

私達人類はとてつもなく素晴らしい世界を

創ることができるでしょう。

 

話があまりに大きくなり過ぎますと

現実味がなくなってしまいますが、

私達誰もにできるのは、

自分自身の「次の一歩」を決めること。

 

その「次の一歩」を

真本音で決めることです。

 

それを粛々と続けることで、

私達は本来私達の望む進化スピードに

近づいていけるでしょう。

 

そのためのサポートが

私のサポートです。

 

そしてそういったサポートのできる人を

私は増やしていきたいのです。

 

真本音で生きること、

進化を加速させること、

それは、決して難しいことではありません。

 

むしろ、それは

最も楽な道のりです。

 

最も自分が自然体になり、

最も自分が自分らしくなり、

最も人間としての幸せを感じることのできる

明るく楽しい道なのです。

 

つづく

 

いつまで不安解消のためだけの人生を続けるの?

私達人間の心は

二つに分けることができます。

 

一つは、揺るがない心。

もう一つは、揺らぐ心。

 

揺るがない心を、『真本音』。

揺らぐ心を、『反応本音』。

私はそう名づけました。

 

どちらが良い・悪い、ということではありません。

 

どちらにもそれぞれの存在意義があります。

 

揺らぐ心など、最初からなけりゃいい、と

思われるかもしれませんが、

揺らぐ心があるからこそ、私達は

人間としての幸せを感じることもできます。

 

揺らぐ心があるからこそ、私達は

状況に応じて生き方を対応させることができます。

 

ところが、揺らぐ心(反応本音)は

本質的には弱いです。

 

反応本音で生きる、とは

あえて短絡的に言えば、

「不安や恐怖に基づいて生きる」ということになります。

 

不安を解消するためにどうすればよいか?

恐怖から逃れるためにどうすればよいか?

 

その視点からの発想に基づき、

私達は動くことになります。

 

それを「自己保身」と表現していますが、

自己保身を第一に考えてしまうと

本来の自分をいつの間にか見失ってしまいます。

 

それに対して、真本音で生きる、とは、

「自分の揺るがぬ願いに基づいて生きる」

ことになります。

 

しかしそれは決して理想論ではありません。

 

「自分の願いと、今の現実を観察しながら

今この瞬間における最善の一歩一歩を進む」

 

ということを、私達の真本音は大切にしています。

 

「今を生きる」とは

「今できる最善を尽くす」ことです。

 

最善とは、妥協ではありません。

理想でもありません。

 

自分の理想を大切にしながらも、

「今はこの一歩が最も良いな」と自分自身が納得できる

そんな一歩が「最善」です。

 

「妥協」とは自分自身が納得できていない状態を

言います。

 

反応本音で生きる場合は、

そういった最善かどうか?は考えず、

とにかく、不安や恐怖を解消するために、

妥協だろうが何だろうが、最も楽だと思える道を

とります。

 

しかしそれは極めて刹那的な判断となりますので、

後悔することが多いのです。

 

木村さんは、後悔しました。

(→前回記事)

 

村瀬さんとのやりとり。

本当は、木村さんには心の底から発したい言葉が

ありました。

それが、

「お前、すげーな!」

という村瀬さんを賞賛する一言です。

 

しかしそれを発することで、

「自分は村瀬に追い抜かれるかもしれない」

という恐怖を彼は抱きました。

その恐怖を消すために、後輩である村瀬さんの考えを

自分の経験則を前面に出しながら潰しにかかりました。

 

上司である平井さんからも、

そしてその他の社員さんからも

木村さんは「評価」を得たいのです。

 

ところが自分への評価を守るために行なった言動が、

結果的に、皆からの評価を著しく下げることになりました。

 

これが、反応本音で生きる人の

典型的なパターンです。

 

真本音で生きる人は、

評価どうこう、という視点がありません。

いえ、

正確に言えば、そういった視点や心は誰にでもありますが、

それに捕らわれずに、

本来自分が望んでいる生き方や、

自分の目指したい人生への願いに基づいて

今この瞬間の言動を決めます。

 

そこから出される一つ一つの言葉や行動は、

人々の心に響きます。

その結果として、

「あの人はいいなぁ」という印象につながります。

評価が上がります。

 

評価に捕らわれないことで

評価が上がります。

 

皮肉な感じがしますが、それが世の常ですね。

 

評価云々はともかくとして、

何よりも、木村さん本人が

「後悔する」

というところが問題です。

 

自分が後悔する行動を自分がとり続ける。

それは私達人間の心のパワーを著しく

減退させます。

それにより、パワーを失った私達は、

さらに不安や恐怖を覚え、

その解消のための言動につながる、

という悪循環に入ります。

 

その悪循環から抜け出せない人は多いです。

 

抜け出すためには、

①本来自分が望む生き方を言語化して常に思い出すこと

②自己保身のための自分のクセが現れそうになれば、

その瞬間に止めること

そして

③本来自分が望む生き方に基づいて行動してみること

 

この3つを行ない続けることです。

日常の中で行ない続けることです。

 

自己保身に基づいた行動のクセを、

願いに基づいた行動のクセに

変換していくのです。

 

それができればできるほど、

誰もが、心の根底から「楽」になってきます。

 

心に「自由」を感じるようになります。

 

本質的な「楽・自由」を手に入れるための

「クセ直し」ですね。

 

私はこれを木村さんには徹底的に

行なっていただきました。

 

すると、何が起こるか?

 

木村さんのさらに深いところに存在していた

新たな「クセ」が浮上してくるのです。

 

つづく