生き方

どう決めるか

 

少し前の

コーチングで、

 

ある社長さんが

今後の経営の進め方で

随分と

悩んでおられた。

 

どちらに

進むのか?

 

会社の方向性を

決定づける

根本的かつ重要な

迷いだ。

 

いろいろお話を

お聴きした後で、

 

私は問うた。

 

何を一番、

大事にされたいですか?

 

しばらく考えられて、

社長さんがお答えに

なったのが、

 

「生き方です」

 

だった。

 

社長ご自身の、

という意味だ。

 

いい答えだなぁ、

思った。

 

そうお答えに

なりながら、

 

社長ご自身も

覚悟が決まった

ようだ。

 

やはり

自分の生き方で

行こう、と。

 

自分の本当に

望む生き方を

実践するならば、

 

今回は、

どんな選択を

しようか、と。

 

ここの覚悟が

できると

あとは簡単な

ケースが多い。

 

「生き方」に

焦点を当てたことで

この社長さんからは

次元の異なる

新たな道が発想された。

 

それは一見すると

非常に困難な

道のようだが、

 

本質的には

真逆に感じた。

 

つまりは、

「道がぐんぐん

開かれる感覚」

が、

その場に漂った。

 

この空気感が

出る時は、

いい。

 

とてもいい。

 

きっとこの社長さんは

次元の異なる

パワーと迫力を

出しながら

道を創って行かれる

のだろう。

 

実は

こういうケースは

とても多い。

 

最後は

「生き方」

で決めること。

 

本当に望む

生き方で

決めること。

 

そこに

真本音の道は

ある。

 

つづく

 

基本の基本

 

魂を込める、

とは

どういうことだろうか?

 

私達の魂は

自分自身の「生き方」に

こだわっている。

 

「何をするか?」

よりも

「どう生きるか?」

大切にしている。

 

昔からよく言われる

ことだが、

 

「雑用仕事もできない人は

大きな仕事もできない」

 

と。

 

これは私も本当に

そうだな、と思う。

 

何をするか?

ではない。

 

どんな「何」に対しても

そこに自分の生き方を

込めることができるか?

 

それができた時

私達の魂は

悦ぶ。

 

すると

内側からエネルギーが

湧いてくる。

 

内発的エネルギー。

 

これは

「生き方」が生み出すものだ。

 

私は

魂の意志のことを

『真本音』

と呼んでいるが、

 

真本音で望む生き方

がある。

 

私がさせていただく

あらゆるサポートの

第一歩目は

それを明確化、言語化

するところから始まる。

 

これを最初にやり

人生や仕事のあらゆる場面で

その「生き方」を

大切にすることで、

 

その人は一気に

真本音度合いを高め

(つまりは魂を込める度合いを

高め、ということだ)

 

内発的エネルギーが

高まる。

 

すると、

同じ環境、同じ現実の

中にいても、

 

その人は

変わる。

 

より活き活き、ワクワク

なり、

よりその人らしくなる。

 

その人の本質が

ニョキニョキと育まれ、

 

その人にしかない

魅力が溢れ出す。

 

その状態になった上で

お仕事などの具体的な

課題に取り組むサポートに

入る。

 

以上のサポートの流れ

を発見してから、

もう17年になる。

 

いまだに

これ以上に効果的な

サポートの流れは

ないな、と思っている。

 

すべては

「生き方」で決まる。

 

今この瞬間の

「生き方」だ。

 

同じ人間でも

「生き方」をどうするかで

人生はあまりに大きく

変わっていくんだ。

 

基本だな。

 

つづく

 

やはりここで決まるな

 

人の影響力は

どこで決まるかと

言えば、

 

その人が

その人自身の

本来の在り方

本来の生き方

できているかどうか?

 

である。

 

もちろん

これだけでなく、

様々な要因は

あるだろうが、

 

これ以上の

要因はない。

 

本来の在り方。

 

本来の生き方。

 

これができている時と

そうでない時とでは

その人自身が醸し出す

空気感が

 

根本的に

変わる。

 

だから、

たとえ同じ言葉を

口にしたとしても、

人への伝わり方は

雲泥の差となる。

 

例えば、

「これをやろうよ!」

みんなに提案したとして、

 

それによって

みんながどれくらい

共鳴してくれるかが、

雲泥の差となる。

 

他者への影響力の

違いは、

人生の展開の違いに

直結する。

 

本来の在り方

本来の生き方

できているかどうか?

 

は、

人生展開を

大きく左右する。

 

だからまずは

ここから

始めることが

最も重要だ。

 

・・・・・・

 

肚が座っている人

座っていない人

 

という

言い方もできる。

 

肚が座っている人

とは、

自分の本来の在り方と

生き方の

できている人だ。

 

多少のことでは

動じない、

 

あらゆる現実と

しっかりと対峙し、

常に最善の行動を

見出すことのできる

人とは、

 

本来の在り方

生き方の

できている人だ。

 

そして、

 

人から

本能的な信頼を

得られる人も。

 

本能的な信頼とは、

理屈ではないところで

「なんかあの人

好きだなぁ」

自然に思える信頼のことだ。

 

それはやはり

空気感によって

決まる。

 

それも

本来の在り方と

生き方が

できているかどうかで

決まってくる。

 

・・・・・・

 

自分は

何者か?

 

自分は

何のために

生きるのか?

 

自分が

どんな時も大事にしたい

理念は何か?

 

こういった

すぐには答えを見出せない

問いがある。

 

根本的な問い達。

 

そのような問いと

常に対峙し、

 

すぐには答えは

出なくとも、

それを探求・探究し続ける。

 

そんな人は

本来の在り方と

生き方に

徐々に近づいて行く。

 

人生とは

探求・探究である。

 

それを真摯に

やり続ける人こそが、

 

「本来」

を得られるのだ。

 

つづく

 

滝になってみよう

 

今、

あなたの心の中心に

「滝」

があるとする。

 

イメージを

してみてほしい。

 

その「滝」は

どのようなもの

だろうか?

 

水量は

どうだろうか?

 

落ちる水の

勢いは

どうだろうか?

 

高さは?

 

嶮しさは?

 

音は?

 

滝壺の様子は?

 

・・・どうだろうか。

 

次に今度は

その滝の中に

入り込んでみよう。

 

自分自身が

水と一体化しよう。

 

水となって

落ちて行くとき、

どのような感覚を

得るだろうか?

 

その水の

純度は?

 

濁り具合は?

 

スピードは?

 

落ち方は

スッキリしているか?

 

いろいろなものに

ぶつかりながら

淀みながら

落ちて行くのか?

 

落ちる時間は?

 

長く感じるか?

一瞬に感じるか?

 

滝壺に落ちた後は、

穏やかになるか?

それとも、

どんどん不安定に

なるか?

 

滝壺の水と

なった後に、

自然に湧いてくる

感情は?

 

エネルギーは

満ちてくる?

それとも、

奪われていく?

 

そして。

 

その滝そのもの

その自然そのもの

全体と

一つになった時、

 

あなたは

何を感じる?

 

・・・・・・

 

心の中心の「滝」を

体験した時、

 

自分にとってそれが

居心地の良いものか?

そうではないか?

 

・・・は、

今のあなたの「生き方」

をそのまま

表していている。

 

「生き方」に

正解、不正解、

はない。

 

ただ、

あなた自身にとって

それが

納得いっているかどうか?

あなた自身が

本当に望む生き方が

できているかどうか?

がある。

 

望む生き方が

できている人は、

本来の魅力が

溢れているだろう。

 

結果として

様々な「現実」が

開かれて行く。

 

その逆は、

やはり辛い日々と

なるだろう。

 

「滝」を体験した時、

ここの部分は

気持ちいいけど、

ここは気持ち悪い、

というように、

部分部分によって

印象が異なる場合は、

 

それは一体

何を意味しているのだろう?

 

と、

自己分析してみるといい。

 

例えば、

水と一体化すること自体は

気持ちいいけど、

落ち方が

気持ち悪い、とか。

 

なぜ気持ち悪いの

だろうか?

自分自身に問うて

みるといい。

 

そうか、

スピードが

緩すぎるんだな。

もっと私は

速く進みたいのだな、

・・・などのように

自分自身の

「意志」と「現実」という

視点から

自己分析してみると

いい。

 

「滝」を

イメージするのは、

客観的に自分自身を

捉えるため。

 

いつもとは

ちょっと違った視点で

自分と向き合うのも

セルフコーチングの

一つの形だ。

 

つづく

 

苦手なものと向き合おう

 

自分の目の前に

現れる

あらゆる「現実」は

 

自分自身の

『生き方』

の反映である。

 

言い切ってもよいのでは

ないか、と

私は常々痛感している。

 

現実は

思う通りには

いかない。

 

この

「思う通り」とは、

顕在意識レベルでの

意図や思惑のことを

言っている。

 

自分の意図通りには

現実は進まない。

 

もし

進んでいるとしたら、

それは

「挑戦」をしていない

からだろう。

 

真の成長や進化とは、

自分の枠を

超えていくことで

成される。

 

枠を超えるためには

どうしても

「思い通りにはいかない」

という現実が

私達には必要だ。

 

しかし本当に大事なのは、

思い通りにいかない現実

が現れた時、

 

それに対して

自分がどうするか?

 

だ。

 

ここで「生き方」が

問われる。

 

・・・・・・

 

本当は、

思い通りにいかない現実

そのものを

楽しめるように

なるといい。

 

でも、

なかなかそれは

難しい。

 

でも、

楽しめる自分

はぜひ、

目指してほしい。

 

そのために必要な

ことは、

 

今ここで起きている

現実を

あるがままに

しっかりと

観察すること、

だ。

 

思い通りにならない現実

からは

私達はどうしても

目をそらしてしまう。

 

逃げようと

してしまう。

 

そこを

踏ん張るのだ。

 

どのような現実も

自分に与えられたものだ。

 

自分の人生だ。

 

自分のものだ。

 

という意識を持ち、

ただただ

向き合うのだ。

 

対処のしようが

わからなくても

いい。

 

うろたえても

いい。

 

弱い心が

噴出してもいい。

 

どんな自分になっても

いいから、

しかしそれでも

向き合う。

 

この「生き方」こそが

すべての道を

開いていく。

結果的には。

 

・・・・・・

 

そういった意味では、

あえて

次のように

言うこともできる。

 

苦手なものほど、

しっかりと

向き合い、

見つめよう。

 

と。

 

例えば、

苦手な人ほど

しっかりと

向き合い、

見つめよう。

 

最初は

辛いかもしれないが、

しかし、

逃げるよりは

よっぽど楽だ。

 

逃げることばかりを

考えている時ほど、

私達が弱く

なることはない。

 

私達が苦しく

なることはない。

 

ちゃんと向き合おう

と、

開き直った時に、

スーッと心が

楽になっていく。

 

本来の自分に

戻っていく。

 

その感覚こそが、

 

『自由』

 

の感覚だ。

 

これを

当たり前のように

知った者こそが、

 

自らの人生において

「本当にやりたいこと」

見つけることが

できるんだ。

 

つづく

 

生き方、で決まるんだよ

 

人との出会いに

期待してはならない。

 

出会いが人生を

変えることは

もちろんあることだし、

 

出会いは

人生においては

宝物のようだ。

 

だからと言って

そこに期待をして、

「出会うために

今日を生きる」

ことをしてはならない。

 

出会いを目的と

してはならない。

 

・・・・・・

 

それよりも、

「今の自分の生き方」

大事にしよう。

 

私は本当は

どう生きたいのか?

 

今、本当は

何をしたいのか?

 

それを

「人生の視点」から

真剣に問おう。

 

自分自身に。

 

問い続けよう。

 

たとえ答えが

出なくとも、

問い続けるべきことは

ある。

 

粛々とそれを

続けることで、

日々は間違いなく

進化していく。

 

真本音度合いは

高まっていく。

 

その結果として、

日々の調和も

高まり、

 

出会うべきタイミングで

出会うべき人と

出会える、

 

という「結果」を

得る。

 

・・・・・・

 

以上をあえて、

私の表現で

さらにシンプルに

言い直そう。

 

「現象」に

期待してはならない。

 

自分の中の

「実在」に

目を向けること。

 

「実在」を

粛々と

行動に移し、

 

自らの意思で

「現象」を

創り出すことだ。

 

これがすべての

調和の原点だ。

 

もうすでに

あなたには

できるはずだ。

 

つづく

 

苦しみを乗り越えるのが人生か?

 

前を見て歩く

ということは、

 

前しか見ないで

歩く

 

ということでは

ない。

 

横も後ろも

斜めも、

すべてを見るから

こそ、

「前」がわかる。

 

すべての中から

選択する。

 

これが

自分を生きる

ということだ。

 

選択には

意志が必要

だ。

 

意志の根元

には

願いがあり

祈りがある。

 

自分自身の

それを

どれだけ尊重した

選択をするか?

 

それを私達は

人生を歩きながら

学んでいる。

 

進化の道

とは、

願いや祈りの

選択の道だ。

 

それを外した

選択を

し続ければ、

必ずどこかで

壁が来る。

 

明確な壁に

当たらなかったとしても、

必ず私達は

不安定になる。

 

一見、成功している

ように見えても、

その道を

進めば進むほど、

なぜだか日々、

イライラが募ったり、

悲しみや寂しさが

増したり、

絶望感に襲われる

頻度が増えたり、

結局は孤独では

ないか、と

呟いたり、

 

そんな傾向が

現れたとしたら、

 

こういうのが

人生であるし、

こういうのを

乗り越えるのが

私のテーマだ、

 

とは

思わないで

ほしい。

 

人生とは

苦しみへの道

ではない。

 

もし

様々な苦しみが

増すのであれば、

 

それは

あなたのその

道が違うのだ。

 

願いと祈りの

道ではない

のだ。

 

ただし

こう書くと、

「じゃあこの環境を

変えなければ

ならないのか」

とか

「仕事を変えよう」

とか

思われがちだが、

 

そういうことでは

ない。

 

「道」とは

「環境」とか

「何をするか」

ということ

ではない。

 

「生き方」のこと

を言っている。

 

今日の生き方、

今の生き方

のことを言っている。

 

今日という一日、

自分の

願いや祈りに

基づいた行動が

どれだけできたか?

 

自分の行動・振る舞いの

選択の一つ一つ

を言っている。

 

環境が変わっても

人は変わらない。

生き方そのものを

変えなければ。

 

今この瞬間の

生き方を

変えるだけで、

苦しみの道は

願いと祈りの道に

一瞬で

変わる。

 

本当に

一瞬で、ね。

 

つづく

 

昨日までの人生とは違うのです

 

まるで

ダムが決壊し、

溜まっていた大量の水が

放流されるかのように、

 

人生の展開が

急激に変わる

ことがあります。

 

それまでの人生は、

「水を貯蔵するため」

のもの。

 

そして、

これからの人生は、

これまで溜めたものを

「一気に放流(開放)するため」

のもの。

 

「貯蔵期」から

「放流期」への

移行は、

ある日突然来ます。

 

多くの場合、

まったく

その予告も気配も

ありません。

 

昨日までとは

明らかに異なる

人生展開が

急に始まるのです。

 

・・・・・・

 

その人生展開の

変化の激しさに、

多くの人は

戸惑うでしょう。

 

最も注意すべきは、

「放流期」に

入っているにも関わらず、

「貯蔵期」と同じ

生き方(行き方)をすること。

 

放たれた水の流れに

自分の身を

委ねてしまえば

よいのですが、

それをせずに

ずっと同じ場所に

留まろうとしてしまう

人が結構いるのです。

 

しかし当然ですが、

ダムは決壊したので、

同じ場所に

留まることは不可能です。

 

しかしそれでも

足を踏ん張るので

バランスも態勢も

すべてが

おかしくなります。

 

下手をすれば、

自ら放った水の流れに

溺れてしまうでしょう。

 

大切なのは、

 

「私は

昨日までとは

違う自分なんだ」

 

と自覚すること。

 

「私の人生は、

昨日までとは

違う人生となったのだ」

 

と受け入れることです。

 

・・・・・・

 

なぜこのようなことを

書くかと言いますと、

今、

非常に多くの人が

この「放流期」に

入ったからです。

 

もしくは、

入ろうとしている

からです。

 

これは

世の中全体の潮流と

言ってもよいでしょう。

 

そして、

真本音度合いの

高い人であればあるほど、

放流の度合いが

激しくなりますし、

 

「放流」したと思ったら、

それも実は

「貯蔵」の段階で、

さらにその後、

激しい「放流」が起こり、

 

しかし実は、

それすらもまだ

「貯蔵」の段階で、

さらにさらにその後に

激しい「放流」が起こり、

 

でも実はまだ

それすらも「貯槽」段階で

さらにさらにさらに

その後に激しい「放流」が・・・

 

・・・というように、

止めどのない

放流の放流の

そのまた放流の・・・

が起こり続けます。

 

そして

悟ることになるでしょう。

 

あぁそうか、

自分のこれまでの人生は

今のこの

「放流」をきちんと

迎えるためにあったのだな、

と。

 

つまり、

ここからが

本番なのです。

 

・・・・・・

 

「放流」を

怖い、などと

思っている暇は

ありません。

 

「放流」は私達が

何を思おうとも、

勝手に為されます。

 

ある意味、

私達はそれを

諦めて、

それに抗わず、

身を委ねましょう。

 

それさえできれば、

あとは

これまで体験したことの

ないような

悦びと充実感と

楽しさが

満ち溢れてくるでしょう。

 

人生の

醍醐味は

ここからです。

 

つづく

 

このまま進んでよいのかな?

私達は

世界の中に存在

しています。

 

「世界」

の中に

「私」

がいる。

 

これが普通の

捉え方です。

 

しかしあえて、

 

「私」

の中に

「世界」

がある。

 

というイメージを

してみてください。

 

するとあなたの

心は

どのように反応しますか?

 

そして、

あなたの中にある

その「世界」は、

どのように

見えますか?

 

それは、

輝きを放っていますか?

 

それとも、

暗く沈んでいますか?

 

それは、

生命を強く感じますか?

 

それとも、

ただの無機質な固体に

見えますか?

 

それは、

あなたにとって

居心地の良いものですか?

 

それとも、

居心地悪く、違和感ばかりが

ありますか?

 

それを、

あなたは育んでいきたい

ですか?

 

それとも、

自分はもう関わりたくないと

思いますか?

 

・・・・・・

 

実は、

「私」と「世界」は

本質的には

イコールのものです。

 

これまでお伝えしてきました

通り、

高い次元においては

「私」も「世界」も

一つですから。

 

ですので、

「世界」をどう捉えるか?

「世界」に対して

何を感じ、どうしたいのか?

は、

「自分」をどう捉えているか?

「自分」に対して

何を感じ、どうしたいのか?

まったくもってイコールなのです。

 

「私は、世界を育むなんて

考えたくもない。

世界とはもう関わりたくない」

 

と思ったとしたら、

それは、

 

「私は、自分自身を育むなんて

考えたくもない。

自分(の人生)とはもう

関わりたくない」

 

と言っているのと

同じです。

 

もちろんそれは、

無意識にそう思っている

ということですけどね。

 

・・・・・・

 

では次に。

 

あなたの中の

その「世界」を

あなたの左手の平に

載せてください。

 

そして、

右手の平で

「世界」を覆って

ください。

 

そのまま

30秒くらい

静かに待っていて

ください。

 

30秒経ったら、

右手の平を

外してください。

 

すると

「世界」は

どうなっていますか?

 

30秒前に比べて、

より輝いていますか?

それとも、

輝きは減ってしまいましたか?

 

30秒前に比べて、

より元気そうですか?

それとも、

元気は失われてしまいましたか?

 

生命力は

どうですか?

 

たくましさは

どうですか?

 

そして、

居心地良さは、

増しましたか?

減ってしまいましたか?

 

30秒前よりも

「世界」が良くなったな、

と認識できる人は、

今の自分の「生き方」に

納得をしています。

 

30秒前よりも

悪くなってしまったな、

と認識した人は、

今の自分の「生き方」に

自分自身が

納得していません。

 

つまりそれは、

自分の真本音の望む

生き方や進み方とは

別の毎日を

送っているということです。

 

その場合は、

まずはその事実を

自分でしっかりと

受け止めることです。

 

そして、

「自分は何を

修正すればよいのか?」

しっかりと考えましょう。

 

ひょっとすると

「修正」では済まない人も

いるかもしれません。

 

手の平で覆ったら、

「世界」が死んでしまった、

なんて人がいたら、

その人は、今の自分の生き方は

「生きているとは言えない」

とまで思っている

ということになります。

 

その場合は、

根本的に人生を

考え直さねばなりません。

 

・・・・・・

 

昨日の記事でも

書かせていただきましたが、

 

昨日の自分と

今日の自分と

明日の自分は

別個の存在です。

(→前回記事)

 

昨日の自分が

こうだったから、

今日の自分も

こうなのだ。

 

というのは単なる

思い込みにすぎません。

 

昨日の自分に

今日の自分が

合わせなければならない

いわれはないのです。

 

自分や、

自分の人生を変えることは

実は

とても簡単です。

 

次の一歩を

どうすればいいか?

 

それを

変えるだけだからです。

 

これまでは

右に行っていたところを、

今回は

左に行ってみよう。

 

たったそれだけのことで

人生はもう

変わり始めます。

 

人生が変わるということは、

あなたが感じている

「世界」も

変わるということです。

 

自分を変えることが

できるのは、

自分しかいないのです。

 

つづく

 

やはり、最後に行き着くのは・・・

後悔とは

痛みです。

 

本当に深い後悔は、

私達の心に

深い痛みを刻むだけでなく、

ある意味、

本当に傷を残します。

 

心だけでなく、

魂にも傷を残すことが

あります。

 

その傷は

何かの拍子に

すぐに疼きます。

 

その疼きに耐えられず、

痛みから逃れるように

私達は次の自分の行動を

決定してしまいます。

 

痛みから逃げるための

行動。

 

それは反応本音レベルの

行動となります。

 

反応本音レベルの行動は

周りの人の反応本音を

喚起します。

 

反応と反応の

関わり。

 

反応と反応の

コミュニケーション。

 

反応と反応の

絡み合い。

 

それらの多くは、

ぶつかり合いや

混乱や

さらなる強い反応を

呼び起こします。

 

そしてそれらの多くは

「エンティティ」と

なります。

 

「エンティティ」

つまりは、念の塊。

 

日本語に訳すと

「生き霊」。

 

それが職場であれば、

エンティティの

溜まり場が職場

という最悪の状態になります。

 

それがどのような現実を

引き起こすかは

想像に難くありません。

 

たとえ、

最初はほんの小さな

後悔の念だったとしても、

それらが積もりに積もって

そのような状態にまで

至ることも

決して少なくはありません。

 

・・・・・・

 

後悔をしない生き方を

するためには、

何か「大きく後悔するような出来事」

を引き起こさないように

すればよい、

というものではありません。

 

そういった大きな出来事は

小さな一歩一歩の

積み重ねの結果として

「必然的に」

起こるからです。

 

小さな一歩一歩の

出し方を変える、

つまりは

「生き方」を

変えるしかありません。

 

例えば、

小さな嘘やごまかしを

すぐにしてしまう人。

 

その一つ一つは

小さな後悔しか

生みません。

 

しかしその後悔の念が

溜まることで

念は大きくなり、

心や魂に傷がつきます。

 

そしてある時に

必然的に

大きな出来事が起こり、

その傷が決定的に

なります。

 

たまたま起きる

出来事は

一つもありません。

 

すべては

「生き方」の結果です。

 

一歩一歩の

「生き方」が

すべてを決めるのです。

 

・・・・・・

 

真本音優柔不断タイプ

について、

そしてそこからの

抜け出し方について

前回まで書かせて

いただきました。

(→前回記事)

 

思った以上の反響を

いただき、

個別でのご相談等も

いくつもありまして、

少し驚いています。

 

みんなが言うのです。

 

「これ、

私のことでは

ありませんか?」

と。

 

実は、

私自身も文章を書きながら、

これはひょっとして

私自身のことでも

あるかも、

と思ったりもしました。

 

もしかすると、

今の私達は、

すべての人類は、

真本音優柔不断タイプだったか?

・・・などとも

思い当たりました。

 

本当は

誰も、

本当の決断をせずに

ここまで

歩いてきてしまったのでは

ないか、と。

 

だから、

今のような世の中に

なってしまったのでは

ないか、と。

 

その真偽はともかくとして、

「私は、

真本音優柔不断タイプでは

ないでしょうか?」

と言われた人の多くが、

誰がどう見ても、

すごい決断力を持っている

人達だったのが

笑えました。

 

そう考えますと、

これまでの自分は

真本音優柔不断タイプだったかも

しれない、

といいう捉え方をし、

だからこそ、

これからはもっともっと

素晴らしい決断をし、

もっともっと人生を

加速させよう、

という意志を持つことは

有意義なことではないかな

とも思います。

 

とにもかくにも、

すべては

今この瞬間に

自らが決断する

次の一歩、

次の一歩、

で決まります。

 

それが

真実であり真理

です。

 

ですから私達は

本当に

「今」

を大事に生きて

まいりましょう。

 

今、

真本音で

生きる。

 

やはり最後は

ここに行き着きますね。

 

つづく

 

あなたのリミッターを取り払う一つの発想法

あなたは、これからの人生で

どんな人と

出会いたいですか?

 

あなたの出会いたい

理想の人を

描いてみてください。

 

もちろん、一人だけで

なくても結構です。

 

こんな人と、こんな人と

こんな人と、さらにこんな人と

こんな仲間と、こんなチームと

こんな家族と、・・・

出会えるといいな。

 

とにかく

発想されるだけ

描いてみてください。

 

できれば

何かにそれを書いてください。

 

書けば書くほど、

さらに発想が広がる

可能性があります。

 

本当にそのような出会いが

可能なのかどうか?

現実的なのかどうか?

などは

一切、考えないでください。

 

ワガママで結構です。

 

独りよがりで結構です。

 

自己中心で結構です。

 

とにかく自由な心で

理想の人達を

描いてみてください。

 

そして。

 

描き切れたなぁ、と

完了感が出たら

次の発想に進みます。

 

あなたの描いた

理想の出会い。

理想の人達。

 

その人達と本当に

出会えたとします。

 

理想のタイミングで

出会えたとします。

 

すると、その後、

どのような素晴らしい展開が

待っているでしょうか?

 

どのような未来が

待っているでしょうか?

 

あなたはその人達と共に

何をしたいでしょうか?

 

それをした結果、

どんな現実が手に入る

でしょうか?

 

これも思いつくだけ

たくさん発想します。

 

こんなことが

起こるといいなぁ。

 

こんな未来が

手に入るといいなぁ。

 

こんなことが実現できたら

もうこれ以上の

幸せはないなぁ。

 

これも、

ワガママでも独りよがりでも

結構ですから

自由に描きます。

 

さて。

 

まだ終わりません。

 

そういった未来が手に入ることで

さらに、

どのような出会いが

起こると思いますか?

 

どんな人達と出会い、

どのようなつながりが

広がっていくと思いますか?

 

今のこの世の中では

そんな出会いは無理だよ、

と思えることであっても

構いません。

 

現実的でなくでも

構いません。

 

どんどん発想してください。

 

そして。

 

それらの出会いによって

その後にどのような

未来が展開するでしょうか?

 

自由に、さらに自由に

発想を。

 

そして。

 

さらにその後、

どのような出会いが

あるでしょうか?

 

そして。

 

さらにその後、

どのような未来が

開くでしょうか?

 

そして。

 

さらにどのような

出会いが?

 

さらに、

どのような未来が?

 

・・・・・・

 

というように、

あなたの発想が続くうちは

それを延々と

続けましょう。

 

もうこれで

満足。

 

ここまでの未来が

手に入れば

言うことはない。

 

・・・と思ってからが

スタートです。

 

その先、

をぜひ発想して

ください。

 

あなたの理想の幸せ。

 

あなたから出てくる

最高の発想。

 

・・・それが

あなたの「枠」です。

 

自分自身にはめていた

「リミッター」

です。

 

その「リミッター」を

取り払ってしまってください。

 

何度も申しますが、

実現可能かどうか?

はまったく考えないでください。

 

大事なのは、

あなたの心の奥から

どのような発想が

飛び出してくるか?

です。

 

発想の

掘り起こしです。

 

どのような夢物語でも

あなたの心の中から

生まれる発想はすべて

あなたのものです。

 

発想のリミッターを

外していただきたいのです。

 

それが

目的です。

 

リミッターが

外れたな。

 

なんか、すごく自分は

自由な心に

なれているな。

 

そんな風に思えたら

それでOKです。

 

そこまで行ったら、

最後の問いです。

 

その問いの答えは

ぜひ、

頭で考えずに、

ひねり出さずに、

自然に浮かび上がってくるものを

そのまま言葉に

してください。

 

その問いは

これです。

 

「私が最高の出会いと

最高の人生を送るために、

今、

最も大事にしたい

私自身の生き方は

何だろう?」

 

自然に浮かぶ

言葉があるはずです。

 

それらをすべて

紙に書き出してください。

 

できるだけ

シンプルな言葉が

よいです。

 

書き出した言葉のうち、

本当に今、

大事にしたいなぁと思える

「生き方」を

表した言葉を

一つ、選んでください。

 

それが、

あなたの真本音の願い

の可能性が

高いです。

 

私達の中には

たくさんの真本音の願いが

ありますが、

その中で最も簡単に

見つけ出しやすいのは

「今ここで、どのような

生き方をしたいか?」

という、

生き方に関する願いです。

 

これを私は

『人生理念』

と呼んでいます。

 

これが私の人生理念かな、

と思える一つのワードを

選んでみてください。

 

選んだら、

それを24時間、

大事にしてみてください。

 

その理念の通りに

行動しなきゃ、

とは思い過ぎないことが

コツです。

 

行動に移せるかどうか?

よりも、

いつもその理念を

心の中心に大切に

抱き続けてください。

 

いつも思い出していて

ください。

 

それをしながら

いつもの日常を

過ごしてみてください。

 

それだけで

あなたの空気感が

変わります。

 

あなた自身は

気づかないかも

しれませんが。

 

そして、

これまでと同じ日常なのに、

いつもの風景なのに、

少し違って観えるように

なるかもしれません。

 

自分の行動パターンが

少し変化するかも

しれません。

 

ただし、

そういった「結果」を

求めないでください。

 

ただただ、

自分の選んだ理念を

大切に心の中心に

抱いてください。

 

これが

真本音で生きる

第一歩です。

 

真本音度合いを高める

第一歩です。

 

つづく

 

本当に望む未来を描くには

今、自分は確かな道を

歩んでいる。

 

・・・という実感は、

未来が見通せているから

得られる、

というわけではありません。

 

むしろ私達の真本音

(真本音のことをあえて

魂と表現します。

あえて、ですが・・・)

私達の魂は、

わざと自分自身に

「未来を見せない」

ということをするケースが

多いです。

 

なぜなら、

私達に「準備」ができていない

からです。

 

「準備」が完了しないうちに、

もし私達が「未来」を

観てしまったら、

どうなるでしょうか?

 

多くの場合、

私達はその「未来」に

縛られることになります。

 

「未来」が

プレッシャーになります。

 

もしくは、

「未来」と今のギャップの大きさに

無気力になってしまう

かもしれません。

 

私達が真本音(魂)で

決めている「未来」は、

準備ができた時点で

「徐々に」

観えてきます。

 

つまり

「段階」があるのです。

 

一つの準備が完了すれば、

一つ、未来へのヒントが

わかります。

 

そしてもう一つ次の準備が

整えば、

未来像がより具体的になります。

 

さらにまた次の準備が

整えば、

さらにまた未来の姿が

明確になります。

 

・・・というように、

自分自身の準備には

ステップがあり、

そのステップに応じるかのように

未来が「徐々に」

観えてきます。

 

それを真本音(魂)は

意図的に行なっています。

 

よく、こんな声を

聴きます。

 

「私はどうしても未来を

描けません。

どう描いても、ピンときません。

違和感ばかりで、

未来を描く気になりません」

と。

 

それはまだ

未来を観るだけの準備が

整っていないのです。

 

私も自分自身の

人生のビジョンが浮かぶまでは

だいぶ時間がかかりました。

 

本当の意味での

私の人生のゴール(と決めていること)

がわかったのは、

たったの3年前です。

 

「わかった」と言っても

まだまだ抽象的です。

 

すべてが明確に

観えているわけでは

ありません。

 

でもそれで充分です。

 

必要な時に

必要な未来は

必ずわかるからです。

 

それよりも大切なのは、

「必要な時に

必要な未来が

ちゃんとわかる自分で

あること」

です。

 

人によっては

「準備」が一生整わない

というケースもあります。

 

いえ、実は

そんな人が圧倒的

多数です。

 

もしくは、

「準備」は整っているのに

未来を観ることができない

人もいます。

 

「必要な時に必要な未来が

ちゃんとわかる自分になる」

ためには、

必須なことが

一つ、あります。

 

それは言葉を換えれば、

 

「どんな人が

自分が本当に決めている

未来(ビジョン)に

気づくことができるか?」

 

という問いの答えです。

 

その答えは

単純明快です。

 

「今を大切に

生きている人」

 

です。

 

では、

「今を大切に生きる」

とは、

どういうことでしょうか?

 

これも

単純明快です。

 

「自分の本当に望む生き方を

今この瞬間に

大切にする」

ということです。

 

「今」とは、

この3次元の世界においては

唯一の「現実」です。

過去も未来も、

「現実」ではありません。

私達の頭の中にあること

です。

 

自分を大切にするとは、

「現実の自分」を

大切にすること。

人生を大切にするとは、

「現実の人生」を

大切にすること。

 

それはつまり、

唯一の現実である

「今」を大切にすること。

 

・・・私達の真本音(魂)は

そのように捉えてます。

 

どれだけ

未来を大切にしようと

思っていても、

今を大切にしない人は

一生、未来を大切にすることは

できないのです。

だって、

今の積み重ねが未来を

創るのですから。

 

今を大切にできる人が

未来を大切にできる。

そして、

今、望む生き方のできる人が

望む未来を実現できる。

 

そんな「事実」を

私達の真本音(魂)は

大切にしています。

 

「人生のあらゆる場面において

今、大切にしたい生き方」

のことを

私は、「人生理念」と

呼んでいます。

 

それは、

「今この瞬間に、

私は本当はどんな生き方を

したいか?」

の、その人その人の

真本音の答えです。

 

魂が望んでいる

答えです。

 

私はそれを

シンプルに言語化

することを

お勧めしています。

 

言葉として表すことは

有意義です。

 

それがもし

真本音(魂)から浮かび上がる

言葉であれば、

その言葉そのものに

深いパワーが宿るからです。

 

その言葉を

心の中でつぶやくだけで、

シュッと「本来の自分」に戻れる、

・・・そんなパワーが

宿ります。

 

そして、

その「人生理念」を

自分自身の心の中心に

いつも置いておくのです。

 

つまり、

魂の望む生き方を

心の中心に据えるのです。

 

それにより、

「今を大切にする度合い」は

圧倒的に高まります。

 

真本音度合いも

圧倒的に高まります。

 

そして、

その状態でいつも楽しく

未来を描くのです。

 

未来を描こうと

するのです。

 

すると、

必要な時に必要な未来が

自分の中心から

湧き上がってきます。

 

それは

頭で無理矢理に考える

ものではありません。

 

それはもう

私達の中にすでに

存在していますから、

必然的に

浮かび上がってくるのです。

「徐々に」

ではありますが。

 

たとえ

未来がわからなくとも、

今を大切に生きていれば、

「今の私は望む未来に

着実に向かっている」

という確信に

満ちてきます。

 

「今と未来のつながり」

を実感できます。

 

それはとても

気持ちのよいこと。

 

未来を見通せるから

確信が起こるのでは

ありません。

 

今を大切にするからこそ

未来への確信が

自然に生み出されるのです。

 

つづく

 

みんな、真本音で生きようよ

どのような心があろうとも、

それらをただ

あるがままに

観察することのできる

自分。

 

なんの操作もなく、

なんの評価もなく、

なんの解釈もなく。

 

ただその存在を

存在のままに

承認できる自分。

 

そんな自分になれた時、

それができているその「自分」とは

いったい何者でしょうか?

 

当然、

今ものを考えたり

ものを見ているこの自分は

私達自身の

顕在意識です。

 

しかし、

顕在意識そのものは

非常に不安定な

存在です。

 

すぐに揺らぐし、

すぐに不安になるし、

すぐに自信をなくします。

 

なのに

この安定感は

どうしたことでしょう?

 

すべての自分と

あるがままに向き合う

自分になることにより、

私達のこの

もともと不安定だった顕在意識は

とてつもない

安定感を得ます。

 

まるで、

永久不滅の

大地に立っているようです。

 

この

大地は何でしょう?

 

この

安定感は何でしょう?

 

この

安心感は何でしょう?

 

この

満たされた感覚は?

 

この

自然に溢れる確信は?

 

・・・これが、

私の言うところの

『真本音』

です。

 

最も醜い自分自身と

完全に向き合える人のみが

初めて実感できる

心の大地です。

 

心の大地とはつまり、

「魂」そのものです。

 

もしこの

真本音という大地を

実感できるようになりましたら、

ぜひ

自分自身に問うてみてください。

 

自分の真本音に問う、

最初の質問です。

 

『私は今この瞬間、

どんな生き方を

したいのだろうか?』

 

・・・と。

 

それは極めて

シンプルな答えとして

返ってくるでしょう。

 

もし理由づけや

説明の必要な

複雑な言葉であれば、

残念ながらそれはまだ

真本音ではありません。

 

その一言を

つぶやくだけで、

身も心もすべてが

スッとする、

説明不要の

納得の一言が返ってこれば、

それは紛れもなく

真本音の答えです。

 

その「生き方」が

真本音で生きるための

最初のキーワードと

なります。

 

これを私は

 

『人生理念』

 

と呼んでいます。

 

人生理念は、

日常のあらゆる場面で

その一言をつぶやけば、

「本来の自分」

を思い出させてくれるでしょう。

 

私は本当は

どんな生き方を

今ここで実践したい

人間であるか?

 

・・・を思い出させてくれます。

 

いつもそれを

つぶやきながら

今この瞬間を大切に

自分の行動や振る舞いを

決めていくことが、

真本音で生きる

ファーストステップです。

 

これができている状態が

人としての「普通の生き方」

です。

 

そして、

これができていることで

私達の魂と心の

一貫性が取れ、

心から淀みが消えていきます。

 

淀みが消えることで

自然に浮上するのが、

『直観』

です。

 

次に自分が何をすればよいか?

をありありと教えてくれる

確信の答えです。

 

あとはその確信に

従って動く

だけのことです。

 

思えば・・・。

 

私達人間は、

この、

真本音と反応本音の区別が

つかなくなったところから

「普通の生き方」が

できなくなったのだと思います。

 

本当は、

「区別をつける」などという

言葉そのものが不自然なくらい、

その二つは

あまりにも違います。

 

目と鼻の区別をつけるのと

同じくらいに

それは簡単なことだった

はずです。

 

しかし私達人間は、

自分の真本音のことを

あまりにも忘れて

しまいました。

 

あまりにも

無視し続けて

しまいました。

 

だから、

人としての「普通の生き方」も

人としての「本来の幸せ」を

感じることも、

できなくなってしまいました。

 

もう一度、私達は

人間としての

原点に戻る必要があると

私は思います。

 

自分を理解する。

 

反応本音達を理解し、

真本音を理解する。

 

そこから始めるのが

最も大切なことだと

私は思うのです。

 

つづく

 

理念が明確になっても、それだけでは足らないのです

生きる、ということに対して、

人が幸せを感じるか、感じないか?

それを左右する最もシンプルな「境目」は、

 

「自分の望む生き方(在り方)ができているかどうか?」

 

です。

 

それは、あるべき論ではありません。

つまり、私はこうあるべき、こう生きるべき、

ということではありません。

 

自分は本当は、どんな生き方(在り方)をしたいか?

そこに素直であること。

「今、この瞬間」に素直であること。

 

まずは、それに尽きます。

 

どれだけ実績を上げても、

どれだけ経験を積んでも、

自分が本来望む生き方(在り方)ができていない人は

間違いなく疲弊していきます。

 

するとその人は、

「疲弊することで実績を上げられるのだ」

と勘違いします。

 

「実績とは、疲弊しなければ上がらないものだ」

と勘違いするのです。

 

それは苦しみの人生です。

 

そういった苦しみの人生ではなく、

人はある意味、もっと「楽な人生」を

生きることができます。

 

「楽な人生」にするために最も基本的な必要条件が

「自分が望む生き方(在り方)」を実践することなのです。

 

しかも、その生き方(在り方)が

真本音で望むものであるならば、

それは、周りとの「調和」を高めます。

 

自分の望む生き方(在り方)ができればできるほど、

周りにもより良い影響を与えます。

 

ですから、

自分の幸せ=周りの幸せ

となります。

 

ですから、

現実が開かれます。

 

真本音で望む生き方(在り方)のことを私は、

『人生理念』

と呼んでいます。

 

ビジネスでも、それ以外のコーチングでも、

組織(チーム)コーチングにおいても、

あらゆるサポートにおいて、私はまずは必ず、

その人の『人生理念』を掘り起こすことを第一歩としています。

 

それをするのとしないのとでは、

その後の物事の進展の仕方の次元が変わるからです。

 

サポートそのものも非常に楽になります。

 

木村さんは、

“生まれたばかりの無邪気”

という人生理念を掘り起こすことができました。

 

その理念を日々、大事にすることで、

明らかに雰囲気と行動に変化が起こり始めました。

 

それを上司である平井さんは

非常に喜ばれました。

(→前回記事)

 

しかし本当のサポートはここからです。

 

私達の「心と行動」には、

これまでの経験で培ったパターンがあります。

 

それは、「心と行動のクセ」と

言ってもよいでしょう。

 

「クセ」とは、

私達人間の持つ大いなる力の一つです。

 

もし「クセ」というものがなければ、

私達は、生きることが非常に困難になります。

例えば、

「クセ」があるからこそ、

私達は、お箸を使うことができるようになります。

自転車に乗ることもできるようになります。

パソコンを使うことも、新たな能力を身につけることも

できるようになります。

すべては「クセ付け」と言ってもよいでしょう。

 

私達が自分の経験を通じて能力向上を図る時に

最も必要となる力が「クセ」ということです。

 

ですので「クセ」は

それだけ強いのです。

 

「心と行動のクセ」は

自分にとってメリットが高いからこそ、

身についたものです。

 

一度身についた「クセ」は

そんなに簡単には壊れません。

 

もし壊そうとするのであれば、

何度も何度も、その「クセ」が出るのを自ら

止めなれければなりません。

 

「クセ」を止めて、その上で「新たなパターン」で行動する、

ということを意図的に行なう必要があります。

 

お箸の持ち方が間違っていた場合に、

正しい持ち方に直すためには、

何度も何度も意図的に、お箸の持ち方を変えなければならない、

というのと同じです。

 

しかし何度も意図的に行なううちに、

いつの間にか自然に意図せずに

正しい持ち方ができるようになります。

 

大切なのは、何度も何度もそれをし続けること。

継続することです。

 

それはある意味、

「新たなクセをつける」

ということになりますが、

その「新たなクセ」が

「真本音で望むクセ」であることが大切です。

 

「真本音で望むクセ」がつけば、

その人自身が幸せを感じ、

しかも、周りにも好影響と調和をもたらすからです。

 

結局、私が行なっているサポートは

ここに尽きるかな、と思う時があります。

 

真本音で望んでいないクセを持っている人が

真本音で望んでいるクセに変えていく。

それをサポートするのが

私のコーチング、と言えるのかなと。

 

それ以上のことは

私はしていないのかも知れません。

なぜなら、

真本音で望むクセがつけば、

あとはもうその人の自力で、

望む現実をその人自身が創り出していくからです。

 

そういった意味で、

私が木村さんに対して注意して見ていたのは、

木村さんの「これまでのクセ」が

どのような形で「再発」するか?

ということでした。

 

人生理念を明確にすることで、

木村さんの雰囲気も行動も変化を始めました。

しかしまだ、彼の「これまでのクセ」は

残っているはずです。

 

それがどのように現れ、

どのように影響するのか?

それを見つめ、

彼が本当に真本音から望むクセをつけるための

有効なサポートをすること。

それが私の次の役割でした。

 

そして案の定、

彼のクセは、現れたのです。

 

つづく

 

すべての現実は自分の生き方が引き寄せている

今日という一日を

最高の一日として過ごせましたか?

 

と問われたとき、何の迷いもなく

「はい、最高の一日でした」

と答えられる人はどれだけいるでしょうか?

 

人生をもう一度やり直せられるとしても、

今日という一日の過ごし方は、まったく変わらないだろうな、

と思える人はどれだけいるでしょうか?

 

真本音で生きる度合いが高まれば、

「最高の一日でした」と答えられる一日が

激増します。

 

真本音度合いが100%になれば

毎日がそうなります。

 

つまり、「後悔」というものがまったくなくなります。

 

そんなことがあり得るのでしょうか?

 

はい、あり得ます。

しかもそれは、全然特別なことではありません。

 

むしろその状態が「普通」の状態です。

・・・と私はお答えします。

 

これは、独りよがりでも何でもありません。

自己満足でも無理をしてそう思い込んでいるのでも

ありません。

ただただ単純に、自然に、そう思えるのです。

 

あぁ今日も、最高の一日だったなぁ、と、

一日の終わりに普通にいつものように思えるのです。

 

もちろん、日々、想定外のことは起こります。

 

自分の思惑通りに進むことなんて

ほとんどありません。

 

頭が真っ白になるような試練にも遭います。

 

傷つくことだってあります。

 

でもたとえ、どのような現実が起き、

どのような波に呑まれても、

自分のとった一つ一つの決断や行動が

最高だったな、と思える。

今日という一日は、人生を生き切ったなと

思える。

今日という一日を、存分に満喫できたなと

思える。

・・・そういった状態になれます。

 

そういった状態になれば、

必ず道は開かれます。

 

そういった状態になれば、

必ず、周りとは「完全調和」します。

 

真本音で生きるとは、

わがままに生きることではありません。

 

自分の真本音と他の人の真本音は

つながっています。

 

自分の真本音度合いが高まるということは、

周りの人とのつながり度合いが高まるということです。

つまりは、

真本音に素直に行動すれば、それは

自分=周りのための行動と

自然になります。

 

ですので、そこに争いや諍いや混乱や混沌は

ありません。

 

何をどれだけ頑張っても

どうしても現実が好転しない、

何をどれだけ頑張っても

自分は満たされない、

ということであれば、それは真本音度合いが低い

ということです。

 

自分の真本音を無視している

ということです。

 

前回の記事でも書かせていただきましたが、

自分の真本音を無視することは、

自分自身への信頼度を著しく減退させます。

(→前回記事)

 

自分のことを信頼できなくなった人は

他人を信頼することも、

他人から信頼されることも

なくなります。

それにより、

人生のあらゆる場面で障害が起こります。

 

すべて、自分の生き方の問題です。

 

これに尽きるのです。

 

今この瞬間の自分の生き方

の積み重ね。

 

これによって、どのような人生か?が

決まります。

 

仕事でもプライベートでも

どんな時でも、

自分は、

本当は、

どんな生き方をしたいか?

 

今この瞬間に

どんな生き方をしたいか?

 

この問いに対する揺るがぬ答えを

見つけることが、まずは重要です。

 

揺るがぬ答え、つまりは

真本音の答えです。

 

これを私は

『人生理念』

と呼んでいます。

 

人生理念を言語化し、

常に意識しながら今この瞬間の自分の言動を

決める。

 

それが真本音度合いを高める

最も基本的な方法です。

 

つづく