目標設定

自分の想いを数値化しよう

「数字」

というのは

3次元の象徴かもしれません。

 

つまりは、

分離の象徴です。

 

「すべてが一つ」であれば、

数字そのものが

存在し得ません。

 

分離しているからこそ

生まれるもの。

それが「数字」。

 

これは決して悪いものでは

ありません。

 

3次元世界においては

「数字」があるからこそ、

様々なことが明確になります。

 

よく、

「数字」を大切にしない人が

います。

 

例えば、

目標設定において

「数値化したくない」

という人がいます。

 

「目標を数値化することで、

自分が縛られる感じがします」

とか

「自分が追い詰められる

気がします」

とか。

 

しかし、

「数字」を決めずして、

何も明確にすることは

できません。

 

「数字」とは

カタチの一つです。

 

「数字」があることで

カタチが、ありありと

明確になります。

 

高い次元では

「数字」はありませんが、

高い次元の「意志」を

3次元化すれば、

(つまりは、3次元意識で表現すれば)

そこには自ずと

「数字」が入ってきます。

 

つまりは、

私達の真本音は、

高い次元であるがゆえに、

この3次元世界においては

「数字」を大事にしているのです。

 

ですから

私達の真本音は、

明確に

期限を決めています。

 

何年何月何日までに

それを達成するか?

を決めています。

 

そして、

達成する規模も

数値として

明確に決めています。

 

ですから、

目標設定においては、

真本音を素直に表現すればするほど、

「数値化」できるのです。

 

「数値化」することで

縛られる感覚がする

追い詰められる感覚がする

というのは多くの場合、

それが

反応本音レベルで設定された数値

だからです。

 

ただその一方で、

真本音の意志として

決めた数値でも、

それに戸惑う人がいます。

 

それがあまりにも

高い数値であることも

可能性としてはあるからです。

 

「えっ、こんなことは

無理だよ。」

 

と一瞬、思います。

 

しかしそう思っているのは、

私達の反応本音です。

 

真本音で決めた数値は

どれだけそれに戸惑っても、

真剣にそれを

目指すことです。

 

目指せば目指すほど、

だんだんと自分が

開放されていくのが

わかります。

 

もしわからないのであれば、

まだまだ

「スピード」が足らないのです。

 

真本音で決めた数値であれば、

それを意識すればするほど、

私達はスピードアップし、

ある一定以上のスピードになれば、

途端に、

私達は開放感を得ます。

 

その数値を浮かべるだけで

安定感と

安心感を

得るようになります。

 

ですから私達は、

私達の中ですでに設定している

「数字」を

恐れずに

見つめましょう。

 

その「数字」を大切にすればするほど、

私達は

自らの次元を高めることが

できるのですから。

 

つづく

 

自分の可能性は無限? それはハッタリです

このブログをお読みいただいている皆さんは、

自分自身の可能性について

考えたことがあるでしょうか?

 

恐らく、「ある」と答えられる人が

ほとんどだと思います。

 

では、「可能性」とは何でしょうか?

 

可能性とは、無限でしょうか?

それとも、有限でしょうか?

 

今回は、

可能性とは「有限」です、

というお話です。

 

現在このブログでは、

木村さんストーリーをご紹介しています。

(→前回記事)

 

彼はこの後、すごい活躍をすることに

なるのですが、

その彼の活躍の「本質」をお伝えするためには、

その前提として、

どうしても明らかにしておかねばならないことが

いくつかあります。

 

その第1回目が今回である、

という位置付けです。

 

それが、

「可能性とは有限である」

ということなのですが、

ただ、その「有限」の意味が重要です。

 

「有限」という言葉を辞書で調べますと、

「限度・限界のあること」

とあります。

 

私達人間は、自分自身に対して

限度と限界を設ける

という特性を持っています。

 

必ず、自分自身を「枠」にはめるのです。

常に、

今の自分に見合った限度と限界を設定

するのです。

 

これは、私達の真本音の意図です。

 

ですので、よく

「私の可能性は無限です!」

といった言葉を使う人がいますが、

その言葉を放つその人自身の空気感には必ず

不自然・無理

が伴います。

 

つまりは、

ハッタリでそう言っている

ように感じ取れます。

実際に

ハッタリに過ぎません。

 

私達の真本音は、

自分自身に限度と限界を設けることを

非常に大事にしているからです。

 

なぜ限度と限界を設けることを大事にするか?

と言いますと、それは、

自分自身の無限の可能性を発現するため

なんです。

 

なんか、変な言い方になってますが、

これが本質です。

 

つまり、私達人間は、

その時その時の自分に対して的確な限度と限界を

設定することで、結果的に

自分自身を無限に進化させることができる

・・・ということになります。

 

ですから、

今の自分は、自分自身にどのような限度と限界を

設定しているか?

を理解することが、「超」がつくほど重要です。

 

ここを誤ると、

物事の進展が、極めて遅くなります。

 

私達は、自分自身が設定している限度と限界に

即した生き方や、目標設定の仕方をする

ことが大切なのです。

 

つまり、「限度と限界」とは

私達人間にとって、無限の進化を持続するためには

なくてはならないもの

なのです。

 

ですから、次の問いがとても重要であり、かつ

必要です。

 

「私は今、どのような限度と限界を

自分自身に設定しているだろうか?」

 

そして、

 

「私は今、どういった限度と限界の枠の中で

物事の発想をすることが必要だろうか?」

 

という問いです。

 

わかりやすく喩えるならば、

例えば、2歳の幼児がいたとして、

その子に、

「君には無限の可能性があるから

自由に自分のやりたいことを発想して

行動しなさい」

と言っても、危険極まりないし、第一、

本人には意味がわからない

ということです。

 

ですから私達はその2歳の子に枠をはめます。

例えば、公園にその子を連れて行き、

「この公園の中は安全だから、

好きなことをしてもいいよ」

と伝えます。

 

その子は、公園という守られた枠の中で、

自由に遊び、その遊びを通じて、

自分の意志を育てて行きます。

 

要するに、そういうことです。

 

私達の真本音とは、喩えて言えば、

自分自身の「親」であり、「師匠」と言ってもいいかな、

と思うことがあります。

もちろん、真本音とは「本来の自分自身」であるのですが、

「本来の自分」と「今の自分」が

あまりにもかけ離れている場合は、

それは「親」であり「師匠」である、と捉えた方が

受け取りやすくなるケースが多いのです。

 

真本音という「親」「師匠」は、

私達自身を最速で、しかも、一歩一歩着実に

育てようとしています。

 

そのためには、

最初からいきなり、「無限」を提示し、

何の枠もない中で、「自由にしてごらん」とは

決してしないものです。

 

きちんと的確な「枠」を設定し、

その「枠」の中で自分を育て上げ、

その「枠」での「自由」を手に入れたら、

その「枠」を壊し、

さらに大きな「枠」を設定し、その中での

「自由」を学ばせる。

 

・・・そんなことをするのです。

 

ですから、

私達人間に必要なのは、

「的確な枠」

であり、それを最もよくわかっているのが、

私達自身の真本音

だということになります。

 

逆に言えば、

その人は今、的確な枠の中にいるだろうか?

という視点でその人を観察し、

枠が小さ過ぎれば、その枠を外し、もっと大きな枠を設定する、

枠が大き過ぎれば、もっと小さな枠の中にあえて入れる、

というサポートが必要です。

 

そういった的確なサポートができる人こそが、

「コーチ」だと思うのです。

 

特に私は、木村さんにはその視点を

大事にしていました。

 

なぜなら、彼は

「枠設定」

が非常に苦手だったからです。

 

つづく