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コーチングを
していると、
あぁこのクライアントさんの
中に、
人生において、
とても大事な「答え」が
一つ、
形創られたな、
と
わかる瞬間が
ある。
しかし面白いことに、
その時点では、
「答え」の存在感
しかわからないのだ。
とにかく
何らかの「答え」が
できたんだ、
という空気感だけだ。
しかもそれは
多くの場合、
そのクライアントさんの
「声」
でわかる。
声の波長が
変化するのだ。
表面的な
変化ではない。
とても微妙な
根本的変化だ。
実は今日のコーチング
でも、
それがあった。
今日のコーチングは
オンラインで、
声だけでやっていた。
だから余計に
わかったのかも
しれない。
しかし大変なのは
ここからだ。
「答え」の存在は
わかったが、
「答え」の存在しか
わからないのだ。
それが
何に関することなのか?
さっぱり
わからない。
だからまずは
その「答え」にたどり着く
ための
「問い」
を見つけ出さねば
ならない。
しかし毎度そうなのだが、
それは最初はまるで
雲を掴むような話なのだ。
なので私の場合
クライアントさんに
そのまま告げる。
何かの「答え」が
出たようですよ。
でもそれが何か
さっぱりわかりません。
一緒に見つけましょう。
・・・と。
こんなことばかりを
言うので、
私のコーチングに
まだ慣れていない人は
目を白黒させる。
でも
慣れてくると、
まるで宝物探しのようで、
その独特の楽しさ
に病みつきになる
ようだ。
そして自然に
セルフコーチング力が
ついてくる。
で、
ある時から
ご自分から言うように
なる。
竹内さん、
どうやら私の中に
何らかの「答え」が
生まれたようです。
・・・と。
楽しいねぇ。
で、
そうやって見つけた
「答え」は
ほぼ間違いなく、
人生の展開を
変えるんだ。
つづく
あぁもうすぐ
とても大事な
答えが出るな。
この仕事をしていると
その予兆が
ありありと
わかるようになる。
「答えの存在感」
というやつだ。
答えの中身は
わからない。
しかしその存在と
その濃さ、強烈さ、
などは
よくわかる。
もちろんそういった
答えは重要だし、
その答えの中身を
知ることは
その後の人生や
ビジネスを
根底から大きく揺さぶる
ことになるだろう。
そんな
「答えの存在感」
を
今、私はとても多くの
人達に感じる。
多くの人が
今後の人生を左右する
ような
そんな答えを
もうすぐ見出そうと
している。
ちゃんと
見出せるといいな、
と
願う。
できれば
最善のタイミングで
見出せればいいな
と。
答えを自覚する
ために必須なこと、
それは
間違いなく
「問い」
だ。
答えの前には
問い、
あり。
その問いに
自ら気づけなければ
答えには永遠に
たどり着けない。
だから
こんな時に本当に
思うのだ。
皆、
セルフコーチング力が
必要だ、と。
セルフコーチング力
とは、
自らに問う力
だ。
自問自答力だ。
これはやはり
人生を変える。
必要な答えが
必要な瞬間に
手に入るかどうか。
これが
人生を決定する。
これはもう
断言しても良いだろう。
あなたの中には
今、
どんな問いがある?
自分の中の問い
を
必死になって
見つけ出した方が
いい。
特に今は、ね。
今は
一日中、
自分自身に問う
と良い。
私の中の問いは何か?
私の中の問いは何か?
・・・と。
24時間、やり続ける
くらいがいいよ。
今はね。
つづく
私達の心の中は
「答えの宝庫」
だ。
自分の知りたい答えは
ほぼほぼ
自分の心の中に
揃っている。
例えば、
人生において
「次の選択をどうするか?」
とか、
仕事において
「あのお客様にどう提案するか?」
とか。
もし、
明らかに新たな情報を
得なければ出ないような
答えについても、
「どのような情報を
どこから得ればよいか?」
という
答えにつながるための答え
をもう、持っている。
私達はそのように
心の中に存在する
「答え達」を
浮上させながら
生きている。
「浮上」というのは
「顕在化」ということだ。
眠っていたもの、
隠れていたものを
「明らかにする」
とか
「光を当て明確にする」
ということだ。
ところが。
「答え」はあるのに、
その「浮上」(顕在化)が
できない。
心の中に
せっかくあるものを
眠ったままにさせて
しまう。
しかも、
「答え」とは違う選択を
してしまう。
ということは
実によくある。
なぜ「浮上」できないのか?
なぜ「答え」はあるのに、
それに気づかないのか?
その原因は
たったの一点だ。
「質問力不足」
だ。
・・・・・・
「答え」を得るには
「問い」が要る。
「問い」がなければ
「答え」は出ない。
これが単純な
原理だ。
発想力のある人とは
質問力のある人
とも言える。
自分に的確な問いを
投げられる人だ。
私はコーチングにおいて、
ほぼほぼいつも
クライアントさんに
「今、あなたの中に
どんな問いがありますか?」
という問いを
投げる。
この問い。
まずはこれが
最も重要だ。
これを自分で自分に
投げるとよい。
「今、私の中には
どんな問いがあるだろうか?」
このたった一つの問いを
一日中、
私は自分に投げ続けている
と言っても過言ではない。
この問いを
投げ続けるだけで
人生は変わる、
と私は思っている。
全然大袈裟な話では
ない。
本当にそうだと
思っている。
これが
セルフコーチングの
基本だ。
・・・・・・
私達は皆、
「問い」と共に生きている。
人生とは
「問い」によって拓かれる。
自律している人と
そうでない人の違いは
自分自身にちゃんと
「問い」を投げられるかどうか?
だ。
全然大袈裟な話
ではない。
少なくとも私のクライアントさん
は皆、
「質問力」を高めることで、
ある意味それだけで
人生を変えている。
今後このブログでは、
オススメの問い
を随時ご紹介していこうかな、
と
思っている。
つづく
今こそ、
「自分は何のために
ここにいるのか?」
という
極めて本質的な
問いと
向かい合った方が
いい。
それは、
「自分は何のために
この人生を始めたか?」
という
ことだ。
すべての人生には
目的があり、
その目的を
誰よりもよく
理解しているのは
自分自身である。
だからこれは
人に訊くことでは
ない。
これまで何度も
自問自答してきたが、
全然、答えが
わからなかった。
という人も
いるかもしれない。
しかしそれでも
同じ問いを
投げてほしい、
今こそ。
問いには
答えが出る瞬間が
必ずあるものだ。
その瞬間が
今、
ではないか?
答えは
100%すべてわかる
必要はない。
ただ、
ほんの一部だとしても、
わずかなヒント
だとしても、
今、ここで
掴むべき、知るべき
大事な一言が
あるのではないか?
それは
自分から自分への
メッセージ。
必ず
受け取らねば
ならない
メッセージ。
人生は、
受け取るべきメッセージ
を、
受け取るべき瞬間
に、
きちんと受け取るかどうか?
によって
決まる。
自分自身の
「何のために」
を果たせるかどうかは、
ほぼ、
そこで決まる。
今が
その時では
ないか?
今こそ、
しっかりと
自分の声を
聴くときではないか?
つづく
迷うことが
いけないわけでは
ありません。
むしろ
人生とは
迷いである。
と言っても
よいでしょう。
大切なのは、
自分の中に発生した
迷いと
対峙することです。
今、
私は
何に
迷っているのか?
自分と向き合う
基本は
これです。
・・・・・・
時々、
「私には迷いが
ありません」
という人が
います。
もし本当に
そう思っているのなら、
それは
大間違いです。
迷いがない
わけがありません。
なぜなら
迷いをもたらすのは
私達自身の
真本音だからです。
毎日毎日
自分自身に
最善の迷いを
もたらすのが、
ある意味、
真本音の仕事
でもあります。
なぜ
真本音は
そのようなことを
するのか?
それは
「答え」に気づいて
もらうためです。
まず私達の中には
「答え」が
生まれます。
そしてその答えに
自らが気づくために
「迷い」が
発生します。
答えのない迷い
は
ありません。
今、気づくべき
大切な答えに
行き着くための
手段が
迷いです。
そういった意味で、
・自分の迷いに
瞬時に気づき、
かつ、
・その迷いの答えに
瞬時に気づく。
・・・ということでの
「迷いのない人」
はいます。
つまり、
迷いのない人とは
迷いそのものがない人
ではなく、
誰よりも早く迷いに気づき、
誰よりも早く
答えを見つけ出せる
名人だと言うことです。
・・・・・・
ただし、
私達の真本音が
大切にしていることが
もう一つあります。
それは、
・迷うタイミング
と
・答えを出すタイミング
です。
要するに
「タイミング」
です。
このタイミングは
早すぎても
遅すぎても
いけません。
最高のタイミング
があります。
ですから、
ある時にふと
迷いに気づき、
しかしその答えは
なかなか
見つからずに、
モヤモヤを続け、
しかし、
ある最高のタイミングで
答えを見つける
ことができる。
・・・ということが
できれば、
人生のすべてが
調和を始めます。
迷っていることを
迷ったままに
していることに
迷いがない、
という人。
ここまでできる人
こそが、
真に
「迷いのない人」
ですね。
・最もよいタイミングで
迷いを見つけ、
・最もよいタイミングで
答えを見つける。
・あとはそれを
そのまま実行するだけ。
真本音で生きる
とは、つまりは
そういうことなのです。
つづく
目の前に
Aという道と
Bという道が
あったとします。
今、その
分岐点にいます。
どちらの道を
進むか?
を迷っています。
Aの道を見れば、
特に障害は
なさそうです。
道は結構
まっすぐに伸び、
先の先まで
見渡すことができます。
Bの道を見れば、
こちらには
ゴツゴツとした
たくさんの岩などが
見えます。
あんな障害物を
越えていかなければ
ならないのか、と
少しゲンナリします。
しかも障害物の
その先は
見えません。
その道が
どこまで続いているのか?
まっすぐ続いているのか?
さえも
わかりません。
さて、
どちらの道を
行きましょうか?
・・・・・・
難易度は
どう見ても、
Aの方が低そうです。
Bにはたくさんの
障害物がありますし。
充実度は、
わかりません。
Aは平凡そうですが、
AにはAなりの
充実感を得られそうです。
Bは冒険が
できるかもしれません。
でも、
いつも不安いっぱい
かもしれません。
でも、
「あえて困難な道を
行きなさい」
という話もあるもんなぁ・・・。
「苦労は買ってまでも
しなさい」
とも言われるし・・・。
でもひょっとすると、
ここから見える障害物を
越えさえすれば、
その先はとても
楽な道になっているかも・・・。
反対にAは、
ここから見ると楽そうだけど、
進めば案外、
ここからは見えない障害が
あるかも・・・。
どっちが
楽しいだろう?
どっちが
自分らしいだろう?
どちらにもそれなりに
楽しさはありそうだし、
自分らしさは・・・、
よくわからない。
う〜む、
どうしよう。
考えれば考えるほど
わからなくなってくる。
・・・・・・
こんな場合、
私だったらどうするか、
を書きますね。
私の場合、
極めて単純です。
わからない内は、
動かない、
のです。
そうは言っても
早く決めなければ
ならない時も
あるでしょう、
・・・とよく言われます。
しかし、
わからない内は
頑として
動きません。
わからない、
とは
「今、決めてはならない」
という
真本音からの
合図です。
今、決めてはならない
のに
今、決めてしまうと
後で必ず
混乱や混沌が起こります。
そして、
結局は物事の進みが
遅くなります。
「風が吹く」
まで
私は待つのです。
・・・・・・
風は
必ず吹きます。
どちらかの方向に
「追い風」が
吹くのです。
そうしたら、
「追い風」になる方向の
道を進みます。
それだけの
ことです。
そこに自分の解釈は
まったく
入れません。
ただし、
そのためには
「風を感じられる自分」
でいることが
大事です。
「風を感じられる自分」
とはつまり、
「真本音度合いの高い自分」
ということです。
常に毎日を、
「自分が本当に
大切にしたいものを
大切にした生き方を
し続けいる」
ことです。
そしてその上で、
ちゃんと自分の迷いと
向き合い続けること。
具体的には、
常に自分に
「問い」を投げ続ける
ことです。
この場合の問いとは、
「Aに行くか、Bに行くか?」
です。
これを常に自分に
問い続けます。
しかし
頭で答えを出そうとは
しません。
理屈で考えながら
答えを出すのは
ただの「解釈」です。
解釈による答えには
必ず「迷い」がつきます。
答えに「迷い」がついている内は
「答え」ではありません。
ですから「答え」が出るまで
ただただ、問いを自分に
投げ続けるのです。
そして「答え」は
「風」が教えてくれます。
これが
セルフコーチング
です。
・真本音度合いを高めた状態で
・自分に必要な問いを投げ続ける
シンプルに言えば
これがセルフコーチングの
真髄です。
これをすれば
常に最善の選択を
し続けることが
できます。
自分と向き合い、
現実と向き合う
人は、
風を感じられるのです。
つづく
迷いを「問い」の形にする重要性を
前々回の記事でお伝えしました。
(→【迷いと向き合い、人生を進める方法】)
しかし、
「問い」はわかったけど、
「答え」がどうしてもわからない、
という人がいらっしゃるかもしれません。
ですので、このお話、
もう少し続けます。
まずは、
「問い」がわかったら
ご安心ください。
「答え」は必ず
わかります。
ただし、いつわかるか?は
わかりません。
最善のタイミングで
わかります。
最善のタイミングでわかるためには、
その「問い」をいつも
自分自身に投げ続けることが
大切です。
「答え」が浮かばなくても
自分に投げ続けるのです。
これを
「自問自答」と
言います。
「問い」を自分に投げれば、
グルグルとその「問い」について
考え続けてしまうことに
なると思います。
そうなった場合はもちろん、
徹底的に考えるとよいでしょう。
しかしその一方で、
次のような問いも
自分自身に投げてみてください。
「この問いの答えは、
今、見つかるだろうか?」
これに対して、
「今は見つからないな」
と自然に思ったら、
今は見つかりません。
その場合は、
「答え」についてグルグル考えることを
やめるとよいです。
あきらめるのです。
今は、見つからないと。
そして、
次の問いを自分に投げて
みてください。
「答えが見つかるために、
私が何かすべきことは
あるだろうか?」
「ない」
と明確に思えたら、
あとは「答え」が出るのを
待つだけです。
「あるのではないか」と
思ったら、
「答えを見つけるために
自分は何をしようか?」
ということを
考えてみてください。
そういった場合の多くは、
何か自分に「インプット」が
必要なのです。
何らかの情報を得るとか、
人に会って何かのアドバイスや
刺激を得るとか、
もしくは、何かの経験をするとか。
「答え」を呼び起こす
何らかのきっかけが
必要です。
そのきっかけを
自分自身に与えるのです。
「答えを見つけるために
自分は何をしようか?」
この問いを自分に
投げ続けます。
そして、ふと
「これをしよう」と
思えることがあれば、
それを素直に実行します。
するとそれがきっかけとなり
「答え」に結びつく可能性が
あります。
とにかく言えるのは、
私達の真本音は
「答えの見つかるタイミング」
をとても大切にしている
ということです。
その「タイミング」とは、
「こういった情報を得た後で、
答えを明確にしよう」
とか、
「こういった経験を積むことで
答えを明確にしよう」
などの、
真本音の意図に基づいています。
私達の真本音とは、
私達自身の「進化」をとても
重要視していますので、
「答え」を見つけるという結果だけでなく、
そのプロセスも大切にするのです。
「答え」を見つけるプロセスにおいて
自分は何を得るのか?
を大切にしているのです。
そういった
自分自身の真本音の意図に
素直に従うことが、
結果としては
最速で進むことにつながります。
もちろん、
「問い」がわかった瞬間に
「答え」がわかることもあります。
それらもすべて
真本音の意図です。
真本音の意図に委ねることで、
私達は自分自身の
意識の次元を高めていくことが
できるのです。
つづく
人生に迷っている人が
増えています。
しかしそれは
健全なことです。
これまではどちらかと言えば、
本当はみんな迷っているのに、
迷っていることに気づいていない
状態でした。
しかし今は、
自分が本当は凄く迷っていることを
多くの人が自覚し始めています。
健全になってきたのです。
迷う、ということは
良いことです。
なぜなら、
答えがもうすぐ見つかる
からです。
迷いの感覚とは、
答えが見つかった証です。
答えが見つからない内は
私達には迷いの感覚は
訪れません。
つまり、
・答えがわかった。
・それを顕在化したい。
・だから迷いの感覚を発生させる。
・・・ということを私達はしています。
ですから、
迷ったら必ず
その「迷い」としっかりと
向き合うことです。
決して「迷い」から
逃げてはいけません。
「迷い」とは
人生を大きく進めるチャンス
なのです。
ただし・・・。
「迷い」には2種類あります。
①低い次元の意識による迷い
と
②高い次元の意識による迷い
です。
①の場合は残念ながら、
本当の「迷い」ではありません。
本当には迷っていないにも関わらず、
迷っていると思い込んでいる状態です。
なぜわざわざそんなことを
するかと言えば、
それは現実逃避をするためです。
本当は、前に進めるにも関わらず、
前に進みたくないために、
わざと「迷う」という状態を
無意識的に創ってしまうのです。
もしくは、
向き合いたくない「現実」から
目をそらすために、
わざと関係ないことで「迷う」という状態を
創ってしまいます。
そういった場合の多くは、
答えは見つかりません。
なぜなら、
答えはないからです。
つまり、
迷わなくてよいところで
迷っているのです。
私はこれを
「逃避のための迷い」
とか
「自己満足の迷い」
と呼んでいます。
それに対して②の「迷い」は、
本当の迷いであり、
しっかりと向き合うことで
人生を進めることのできる
大切な迷いです。
まずはこの二つの迷いの
区別をつけることが
大事です。
そのためにもまずは、
自分の中にある「迷い」を
しっかりと見つめることです。
では、
どうすればこの二つの迷いの
区別をつけることができるでしょうか?
それについては
少し長くなりますので
明日の記事で書かせていただきますね。
つづく