終わり

終わりの始まりだな

 

今日(昨日)、

一つの企業様のサポートが

終了したのだが、

 

終わりの始まり

 

というのは

やはりいいなぁ、

と思う。

 

私はいつも

サポートをさせて

いただくにあたり、

 

大団円で

サポート終える、

 

というのを

極力なくしたいと

思っている。

 

「いいサポートでした!

ありがとう!」

 

というのを

極力なくそうと

している。

 

それよりも、

いつの間にか

私がいなくなる。

 

いなくなっても

何の影響もない。

 

あれ?

そういえば最近、

たけうちさんいないね。

 

とか

 

そういやー、

たけうちさんって人

いたよね。

 

とか

 

たけうちさん、

いてもいなくても

あんまり関係ないね。

 

とか。

 

そんな状態で

スーッと引くことが

できたら最高だな、

いつも思っている。

 

そこにいる方達と、

その組織が、

自然に自律し

調和し、

自走している状態で

いつの間にか

いなくなるのが

最高のサポートだと思っている。

 

もちろん、

そうなる時もあれば、

そうならない時も

あるけどね。

 

・・・・・・

 

サポートとは、

松葉杖の

ようなもの。

 

最初は

なかなか一人では

歩けなくても、

 

それをちょっと

支えて、

 

できるだけ短期間で

普通に歩けるように

する。

 

普通に歩ければ

松葉杖のことなど

忘れてしまえば

いい。

 

それよりも、

歩く先にある

願いに意識を向け、

 

そこに

突き進んで

行ってほしい。

 

それが

私の願いだ。

 

とはいえ、

今日は

最後に慰労会を

開いていただき、

 

会の終わりには、

トップの事業部長さんが、

酔った勢いで

 

バンザ〜イ!!

 

とやってくださったのは、

とてつもなく

嬉しかったな。

 

完了感のある

終わり方ができて

よかった。

 

あとは

祈るだけだな。

 

つづく

 

完了したら次に行け

 

様々なことに

終わりがあり、

 

そして

それは同時に

次への

始まりである。

 

完了感。

 

100%やり切った

時のみに

心と体に満ちる

独特の感覚。

 

それを得られる

生き方は、

人として

ひょっとすると

最上の幸せなのかも

しれない。

 

一つのことを

極めようと

するならば、

 

日々、

 

この完了感に

こだわるといい。

 

一日一日の

完了感。

 

一つ一つの

仕事の

完了感。

 

一人一人との

会話の

完了感。

 

99%では

ダメ。

 

そして

101%、つまり

やりすぎも

ダメ。

 

ちょうど

100%で

終えることに

真剣になること。

 

それができる

からこそ、

 

どこまでも

どこまでも

継続が

できる。

 

そしてその

結果として

一つを極めることが

できる。

 

残念ながら

(というか、本当は

幸いなことに、

と言いたいところだが)

私達の人生には

物理的な

限りがある。

 

大概は、

一つのことを

極めるだけで

人生は

終わってしまう。

 

だからこそ、

何を極めるか?

真剣になれる。

 

人生は

あっという間に

終わる。

 

一つを極める

ということは、

自分を極める

ということでも

ある。

 

自分を極める

には、

一つ一つに

魂を込めること。

 

それがつまり

完了感を

大切にすることだ。

 

完了感を得る前に

次に

行くな。

 

完了感があるにも

関わらず、

ここに

しがみつくな。

 

よい

終わり方を

しよう。

 

よい

始まり方を

しよう。

 

つづく