結果

結果は出ているか

 

結果は

出さねば

ダメだ。

 

自分の

望む結果

は。

 

自分の望む

結果が

出ていない

ということは、

 

何かが

おかしい。

 

その

「おかしさ」が

どこにあるか?

しっかりと

探究すること。

 

これが

自律の第一歩

だ。

 

「結果がすべて」

 

という言葉が

あるが、

実は私は

結構好きな言葉だ。

 

なぜなら、

 

本当に結果を

大事にしている

人は、

間違いなく、

 

プロセスに

真剣だからだ。

 

「結果がすべて

なんて・・・。

プロセスこそが大事

ではないか」

 

言う人に限って、

結果も

プロセスも

両方ともが

中途半端だ。

 

・・・まぁ

一概に決めつけちゃ

いけないけどね。

 

でも

その傾向は

確かにある。

 

望む結果が

出ていないのに、

 

いつかは

出るはずだ。

 

とやっている

人は、

多くの場合、

 

人生から

逃げている。

 

「人生から

逃げる」

 

という意味は、

 

今、

自分が見つめるべき

現実を

あるがままに

見つめていない、

こと。

 

今、

自分が取り組むべき

課題に

真正面から

立ち向かっていない

こと。

 

今、

自分が向き合うべき

人と

向き合わずに

斜に構えている

こと。

 

そして、

今、

自分が出すべき結果

から目を逸らし、

 

その、

目を逸らしている

ことを

自らごまかし、

 

ごまかすために

他の何か別のことに

一生懸命になっている

こと。

 

しかし当然それは

一生懸命の

フリだ。

 

本当は自分が

それをよく

わかっている。

 

だからずっと

罪悪感が

消えない。

 

何かにいつも

ビクビクするように

なる。

 

これらを

ひっくるめると

 

「現実逃避」

 

ということに

なるし、

 

現実逃避している

人の多くは、

 

「自己満足」

 

に浸っている。

 

もちろんそれは

本当の

「自己の満足」

ではなく、

 

ごまかしの

ための満足。

 

「これでいい」

と自分に

言い聞かせる

ための満足だ。

 

じゃあ自分は

どうか?

 

現実逃避や

自己満足は

していないだろうか?

 

という疑問に

最もわかりやすく

答える方法は、

 

自分が望む結果

を、

自分が日々

出しているか?

 

を見ればいい。

 

もちろん、

すべて毎日が

上手くいくわけでは

ない。

 

試行錯誤こそが

大事とも

言える。

 

しかし

試行錯誤を

本当に大事に

できている人は、

やはり

 

結果を大事に

している。

 

「本当に

自分が望む

結果は何か?」

 

まずは

これすらも

明確にしていない

人が多い。

 

それでは

自律はできない。

 

まずは

そこに真剣に

なったら

どうだろうか。

 

つづく

 

実は最も楽なのは、根本を変えること

自然の摂理という視点から

観たとき、

私達は、大河の流れに

身を委ねるということが

人として大切なことであり、

それが「自由」につながることである

ということを

昨日、書かせていただきました。

 

流れに身を委ねることで、

今度は

私達自身が自らの

流れを創り出すことが

できます。

 

自らの流れ。

 

・・・それは

「循環」

です。

 

私達が「生きる」ということは、

私達自身が何かを

「発想」

し、

その発想に基づき、

「行動」

し、

その行動によって何らかの

「結果」

を得る、ということです。

 

「結果」という言葉を

「現実」という言葉に

置き換えることもできます。

 

発想して、

行動して、

結果(現実)を得ることを、

一言で

「経験」

と言います。

 

「経験」により、私達は

次の「発想」をします。

 

「経験」により

次の「発想」に影響が

及びます。

 

そしてその「発想」により、

それがまた次の

「行動」につながります。

 

発想、行動、結果(現実)、

そして、

次の発想、行動、結果(現実)

そして、

次の発想、行動、結果(現実)

・・・・

この「循環」を私達は絶え間なく

続けています。

 

ところが

「循環」には、

その「循環」そのものに

力が宿ります。

 

「循環」を回すうちに、

慣性力が働き、

私達が意図しなくとも

ある時から勝手に

その「循環」が回り続けるように

なります。

 

それはまるで、

自転車を漕ぎ出したら、

スピードに乗った後は、

勝手に自転車が前に進むのと

同じようなものです。

 

すると、その

勝手に回り出した「循環」が

その人の人生のパターンと

なります。

 

それが固定観念を

生みます。

つまり、

「これが人生というものだ」

という固定観念、

「これが私という人間だ」

という固定観念です。

 

その固定観念が

その人にとっては

「真実」となります。

 

するとその人は

ある時からその「真実」に

基づき、

さらにその「循環」を

同じように回し続けるように

なります。

 

こうして、

その人の人生や

個性が

形作られていきます。

 

でもこれは果たして、

「自由」

と呼べるものでしょうか?

 

自ら生み出した流れ、

自ら生み出した循環。

 

その中から

出ることができない・・・。

 

年齢を重ねるということは

そういった自分なりの人生、

自分なりの真実を

固定化させることである、

という思い込みも

世の中には蔓延しています。

 

年齢を重ねるに従って、

私達はどんどん

自らの創り出した循環のパターンに

呑み込まれていく。

 

これはやはり、

自由ではないですね。

 

人生を変える

ということは、

本当は、

実に容易いことです。

 

自ら創り出している循環を

変えるだけのこと

なのですから。

 

ほんの一つの発想、

ほんの一つの行動を

変えるだけで、

人生は劇的に

変わっていきます。

 

その事実を

あまりにも多くの人が

知りませんし、

信じていません。

 

しかし、

信じていないものを

「信じなさい」

と言って、

他者がその人を変えることも

ほぼ、不可能です。

 

洗脳というものも

ありますが、

あれは、本当は

本人が洗脳されたがっている

という理由があります。

 

それも本人の選び出している

循環の中の

一つの現象に過ぎません。

 

私達は結局は

自らの意志で生きています。

 

もちろん、

あまりに理不尽な環境に

生まれ、

自らの意志、という概念すら

わからない人も

世界中にはたくさんいます。

 

でも、

それでもやはり私達は

自らの意志で

自らの循環を創り出して、

その中で生きています。

 

その循環を変えることが

できるのは

本人だけです。

 

それこそが

人の真実。

 

ですから

循環を変える方法は

たったの一つです。

 

本人が

「変えよう」

とすることです。

 

いえ、

正確に言えば

「変えよう」と思っているうちは

まだその循環に

捕らわれています。

ですから、

なかなか変わりません。

 

私が

私自身の経験と、

多くの方々と向き合いながら

実感することができた、

循環を変えるための

最大最善の方法があります。

 

それは、

 

「循環の原点を変える」

 

ことです。

 

原点を変えても実は、

循環そのものは

これまでと同じように

回り続けます。

 

しかし、

原点が変わることで

本人が気づかないうちに、

つまり

本人が「変えよう」としなくても

ある時は、徐々に

ある時は、劇的に

循環は変質します。

 

もちろん

「原点を変える」こと自体は

その人の意志です。

 

実は・・・。

 

表面上の循環を

変えることよりも、

原点を変える方が

簡単なのです。

 

一番簡単なところを

変える。

 

それが「原点」。

 

原点を変えることで

知らぬ間に循環が変わる。

 

・・・これが私のサポートの

本質です。

 

ではその

「原点」とは何か?

 

「原点」を変えるとは

どういうことか?

 

について、

次回以降に書かせて

いただきます。

 

つづく

 

自分の意図に疲れてしまう人生にサヨナラしよう

前回、「自分に委ねる」ということについて

書かせていただきました。

(→前回記事)

 

今回も、もう少しこの件について。

 

「自分に委ねる」ことのできる人は

ある時には突拍子もない行動に

出たりします。

 

ただしその「突拍子のなさ」は、

本人がそう思う、

というだけのことであり、

周りがどう見るか、ということでは

ありません。

 

つまりは、

これまでの本人の思考と行動パターンを

大幅に逸脱するからこそ

「突拍子もない」と本人が感じる

ということですね。

 

そういった意味での

突拍子のない行動を取る時、

本人の顕在意識は

ドギマギしています。

 

それはそうです。

 

これまでにないパターンの

動きを取るわけですから。

 

しかしそのドキマギを

横に置いて、

何の躊躇もなくその行動を

取ることで、

私達は自然に

「肚が据わる」

という状態に入ります。

 

「開き直る」

と言ってもよいかもしれません。

 

この状態は、

真本音が選択している行動

でなければ生じません。

反応本音レベルの

突拍子のない行動では、

開き直るどころか、

心も体も浮ついてしまいます。

 

顕在意識では

「おいおい、大丈夫かぁ」

となっていても、

周りから見れば、

実に落ち着き、確信に満ちた

表情や空気感を

醸し出す状態が、

開き直っている状態です。

 

この状態に入れば、

道は必ず開かれます。

しかも、

なんでこんなに簡単に開くの?

というくらいに

スムーズにすべての事が

運びます。

 

実在レベルでは

凄いエネルギーが発生し、

それがモロに

すべての人に波及し

強い影響を与えているのです。

 

こちらが、一つ動けば、

10の成果が上がる。

・・・というくらいの印象を

本人は覚えるでしょう。

 

そして一度これを体験すると、

これが

「当たり前」

となります。

 

突拍子もないと思っていた

自分の行動が、

「普通の行動」となります。

 

ますますその人は

肚が据わります。

 

こうして人は、

自分の幅を広げていきます。

 

これが

自由になる

ということです。

 

さて。

 

突拍子もない行動に

慣れてきますと、

基本的に、突拍子もない行動

自体が本人の中からは

なくなってしまいます。

 

すべてを淡々と

決めた通りに行動するだけ

の自分。

 

しかも自分で何かを意図するのでなく、

ただ、自分に委ねているだけ

という感覚です。

 

すると今度は、

余分な行動が激減します。

 

いえ、正確に言えば、

これまでは本人にとっては

それらはすべて

必要な行動である、と

思い込んでいたのですが、

何となく、

どうでもよくなってしまうのです。

 

結果、

どうでもいいと思うことは

すべて行動しなくなります。

 

すると、

じっとしている時間が

増えます。

 

何もしない時間が

増えるのです。

 

そして、

本当に必要だと思う行動のみ

何の迷いもなく、

何の淀みもなく

実行に移します。

 

しかもそこに

思考レベルの思惑や意図はなく、

ただ、

そう思う自分に委ねるだけ

という感覚。

 

しかしそれをすれば、

その一石だけで、

波紋は大きく深く広がり、

物事が想定以上のスピードで

展開していく。

 

そうなるともう、

生産性は

大袈裟ではなく

10倍以上になるのでは

ないでしょうか。

 

自分自身の思考レベルでの

思惑や意図に捕らわれ、

それを達成するために

必死になって策謀を重ね、

焦りながらも結果を出そうとする。

 

・・・そんな疲れる人生から

私達は自分を解放することが

できるのです。

 

束縛からの解放

というのは、

「結果を出さなくてもいい」

とか

「責任を負わなくてもいい」

ということではなく、

むしろ、真逆です。

 

束縛から解放されて

本当の意味で自分に委ねることの

できる人は、

「出すべき結果をきちんと出し」

「負うべき責任をきちんと果たす」

ことが自然に

できるようになるのです。

 

現実が思うようにいかないので

あれば、

意図を持ち過ぎです。

 

意図に

執着し過ぎです。

 

執着では

結果は出ません。

 

これからの世の中の潮流においては

ますますその傾向が

高まります。

 

自分の真本音の想いに

素直に、

その時その瞬間に現れる

真本音の意志に

そのまま身を委ねる。

 

そんな生き方(行き方)を

一歩ずつでも

実行してみてください。

 

つづく

 

試行錯誤のない「順調」はない

「物事が順調に進む」

とは、私は

「順調に試行錯誤ができている状態」

であると考えています。

 

試行錯誤には、

・意味のある試行錯誤と

・無意味な試行錯誤

があります。

 

無意味な試行錯誤とは、ほとんどの場合

その人が自己満足で繰り返している

試行錯誤です。

それを繰り返したところで、

何の進化も発展もありません。

 

進化発展があったと、

本人が自己満足するだけです。

 

逆に言えば、

物事の進化と発展のためには、必ず

意味のある試行錯誤が

存在しています。

 

よく、

「真本音で進めば物事がスムーズに進む」

と、私は書かせていただいていますが、

その真の意味は、

「意味のある試行錯誤を続けることができる」

ということです。

 

つまり、結果だけでなく

そこに至るまでの過程(プロセス)も

私達の真本音は大事にしているということです。

 

そういった意味で、

木村さんと弓江さんの新規事業プロジェクトは

意味のある試行錯誤を続けた

と言えます。

 

それを私は確信したのです。

ですから、

 

「新規事業プロジェクトは

ここまで順調だったということです。

実は、何の問題もなかったのです。

そして、ここまで順調だったからこそ、

この場があるのです。」

 

・・・と申しました。

(→前回記事)

 

特に木村さんは、失敗もありましたが、

順調にここまで進んできたということです。

その失敗こそが、必要な試行錯誤だった

ということです。

 

まぁ、そういう「失敗」は

「失敗」とは言いませんが。

 

そして・・・。

 

新規事業プロジェクトは順調にきたからこそ、

壁にぶち当たったのです。

 

順調に来なければ決して遭遇しない

壁まで来たのです。

 

その壁を、一言で表現すれば、

 

『脱皮の壁』

 

となります。

 

人も組織も、

比例直線的には成長(進化)しません。

 

人や組織の成長(進化)とは、

階段状に進みます。

つまり、

緩やかな勾配で進み、

ある時に、階段をステップアップするための

段差にぶち当たります。

 

段差にぶち当たったら、

それを乗り越えなければなりません。

しかし、

それを乗り越えることができれば、

1ランク、ステージがアップします。

 

これまでの延長線上にはない、

新たな次元と視界と能力が

開けます。

 

この段差にたどり着くためには、

しっかりと意味のある試行錯誤を

繰り返さなければなりません。

 

これをちゃんとして来たので、

新規事業プロジェクトは今、

「段差」の下にいるのです。

 

そして、これから「段差」を乗り越えるのですが、

「段差」とは非常に怖いものです。

怖いが故に、人も組織も

この時点では、非常に不安定になるのです。

 

今、新規事業プロジェクトチームは

その不安定さが出始めている状態なのです。

 

以上のことを、

私は木村さんと弓江さんに

ご説明しました。

 

木村さんが言われました。

 

「では、その不安定さを

なくすための方策が必要なのですね?」

 

「いえ、逆なんです。

こういう時は、もっともっと不安定さを

自らに与えた方が良いのです。」

 

つづく