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私は、
考えに考えに
考えても、
決して
答えを出そうとは
しない。
でも、
真剣に
考えに考えに
考える。
でも、
決して
答えを出そうとは
しない。
今は、
考える時だ。
答えを出す
時ではない。
・・・というのを
とても大切にする。
そして、
考えに考えに
考え尽くしたな、
と
満足したら、
それで終わる。
あとは
待つ。
あとは
何かのきっかけで
答えは
必ず出る。
それは
まるで思い出すかの
ように、
浮上する。
それを最近
私は、
未来を思い出す
と
表現している。
これ、
あながち間違っては
いない表現だ。
私達は
過去と同様、
未来も思い出すことが
できる。
だって
実在のレベルでは
すべてが
「ここ」
に存在しているからね。
人間に与えられた
「考える」
という素晴らしい
行為は、
未来を思い出す
きっかけとして
必須のものだ。
考え尽くすから
こそ
思い出せる未来が
ある。
考えて
答えを出すのでは
ない。
考えて
答えを思い出すのを
待つんだよ。
つづく
頭で
考え過ぎだ。
考えることは
大事だ。
しかし
「考え」だけで
答えを創り出そうと
しない方がい。
そこには
「答え」はない。
「考える」とは
余分な気持ち達を
一つ一つ
存在承認しては
除ける
ためにある。
こんな考えも
あるな。
あんな考えも
あるな。
自分の中にある
様々な「考え」を
すべて掘り起こし、
存在承認し、
そして
除ける。
それが
「考える」という
行為だ。
真の答えは
その奥にある。
「考え」の
向こう側にあるからだ。
奥にあるそれが
顔を出すまで
考え続ける。
というスタンスであれば
それでいい。
「考え」の中から
強引に答えを
創り出そうとしては
ならない。
真の答えは
最初からある。
それは
いずれ必ず
顔を出す。
まるで
過去の出来事を
思い出すかのように。
だから、
もし「考え尽くしたな」
と思えたり、
同じ考えばかりが
出てくるようになったら、
今度は逆に
心を静かに、
すべての思考を
やめて、
「何もない」
状態で
「何もしない」
でいるといい。
そのためには
思考に向けた意識を
「外」に向けると
いい。
意識を
自分以外の何かに
向ければいい。
外にあるものを
ただ
観察し、
目で愛でていれば
いい。
世の中を
世界を
愛でるような眼差しで
楽しめばいい。
そうやって
真の答えが
「そろそろ出ようかな」
となる瞬間を
待てばいい。
つづく
真の発想は
すべての発想を
出し切った後に
初めて
現れる。
これ以上、
もう発想は
出ません。
・・・と
あきらめたところ
からが、
真の発想を掘り起こす
スタートだ。
自分自身が
空っぽに
なってしまった後、
空虚に
なってしまった後、
無力感を
本当に感じてしまった
その後に、
真の発想は
浮上し始める。
だから、
変な言い方だが、
あきらめるところ
まで
あきらめずに
がんばろう。
もちろん
あきらめたふり
ではダメだ。
本気で
もうダメ、と
あきらめないと
いけない。
そこまで
徹底的に
考えるんだ。
徹底的にね。
・・・・・・
ちなみに、
こういった
徹底的な発想を
繰り返すと、
ある力を
手に入れられる。
それは、
意図的に
そして瞬時に、
真の発想を
掘り起こすことの
できる力だ。
一言で言えば、
直観力。
単なる思いつきレベル
のひらめきではなく、
100%の確信を
もたらしてくれる
直観力だ。
私の推奨する
セルフコーチングとは、
この力を
発揮できるようにすることが、
一つの目的だ。
しかしそのためには、
最初の段階として、
あきらめるところまで
あきらめずに
考え抜く、
ということを
がんばってやって
ほしいんだ。
ちなみに、
経営者の多くは、
会社経営を通じて
もう、
常にこれをやり続けている。
だからこそ、
私がセルフコーチングの
手法をお伝えすると、
あっという間に
真の答えを掘り起こす
力が漲る。
やっぱり、
現実と向き合い
続けている人は、
底力が違うね。
つづく
毎日、笑顔で
いたいですか?
と、
問われれば、
多くの人が
Yes
と答えるだろう。
しかし、
どうすれば
本当に毎日、
笑顔でい続けられるか?
を
真剣に考えている
人は
あまり多くないのでは。
この仕事を
始めた20年以上前から
この印象は
さして変わっていない。
もっとみんな
自分の幸せについて
真剣になればいいのに、
と思う。
・・・・・・
真剣さの第一歩は
考えることだ。
しかしそれを
している人は
少ない。
例えば、
「あなたは本当は
何が好きですか?」
という質問をして、
すぐにその人自身の
真本音だと思われる
スッキリした答えを
返してくる人は
極めて
稀なのだ。
なぜもっと
考えないのだろう?
なぜもっと
自分自身に
意識を向けないのだろう?
なぜもっと
自分の人生の幸せを
探求しないのだろう?
と、
単純にいつも
思う。
みんな
惰性で
生きているのか。
そうなってしまっているのが
今の社会なのか。
でも、
そんなのは嫌だ、
そんな社会であって
ほしくないし、
そんな人生で
終わりたくない、
と、みんな
思っているだろう。
もっとその気持ちに
素直になれば
いいのに。
その気持ちに
向き合う気力すら
もう
湧かないのか?
諦めて
しまっているのか?
・・・・・・
死ぬときに
「あぁ、いい人生だった」
と
思いたい。
・・・という気持ちを、
私はいろんな人達から
聴いた。
じゃあそのためには、
今日という一日を
いい一日だった、と
思える一日にすることが
基本であると、
私は思う。
幸せな一日一日が
幸せな人生を
創り上げていく。
それが当たり前だと
思うのだけど、
どうだろう?
今日という一日が
幸せになるために、
何ができるか?
一日の満足度を
上げるために、
自分は
何をし、
何をしないように
すればいいのか?
自分は
何かを変える必要が
あるのだろうか?
などなど、
もっともっと
自問自答するといい。
あなたの人生は
あなたの人生
なのだから。
つづく
私は、
「自由になる」
とは、
「直観に素直になる」
ということだと思っています。
もちろん、
「思考」を否定しているわけでは
ありません。
しかし「思考」とは
「直観力」を高めるための
一つの手段である、
と思っています。
何も「思考」しない人からは
「直観」は生まれません。
なぜなら私達の真本音は
「試行錯誤」を非常に
重要視しているからです。
結果のみならず、
結果に至るまでの過程(プロセス)の
一歩一歩を大切にしています。
ただ単に望む結果を出すのではなく、
その道のりの中で得られるものこそを
大切にしています。
そこで必要なのが、
「思考」すること。
言葉を換えれば、
「悩む」こと。
そして、
「迷う」ことです。
悩むべきことに
100%しっかりと悩み、
迷うべきことに、
100%しっかりと迷い、
考えるべきことを
100%しっかりと考えることで、
初めて、本当の「直観」は
働くようになります。
そしてそこで得られた
「経験」は、
次の似たような傾向の「経験」や
応用的な「経験」において
力を発揮するようになります。
つまりは、
「悩まなくても一瞬で決断ができる」
状態となるのです。
私が企業現場でいつも実感するのは、
本来悩むべきことから
逃げている人が実に多い、
という事実です。
悩みから逃げるからこそ、
直観が働かなくなります。
そしていつまで経っても
その悩みを解決できない、という
悪循環に陥ります。
人生が、仕事が、
ストップしてしまうのです。
それは、
進化のストップ、ということでもあります。
冒頭の言葉に戻りますと、
「自由になる」とは
「直観に素直になる」ということ。
そのためには、
悩みや迷いから逃げないことです。
きちんと「直観」の働く状態に
自分を持っていくということです。
さて。
木村さん、弓江さんの二人コーチングの
場面に戻ります。
二人が「直観的」に決めた
チーム員のペアの組み合わせは、
思考レベルで考えると、
とても納得のいくものではありませんでした。
(→前回記事)
「直観」ではOK。
「思考」ではNG。
こうした場合、
私はコーチとしてあえて
「断定」することにしています。
一般的に、コーチは
クライアントの意見を尊重して、
自分からは答えは言ってはならない
というのが原則だそうです。
しかし、私は時と場合で、
思いっきり結論を言いますし、
断定もします。
時には、「指示」に近いこともします。
クライアントが
「直観」か「思考」かで迷った場合、
多くの場合、私は断定します。
「ここは直観で行ってください」
と。
有無を言わせない空気感を
出します。わざと。
それでも抵抗するようなら、逆に
直観に従うことは
やめた方がよいでしょう。
しかし、木村さんと弓江さんは
私のその断定を聴いて、
とてもホッとした表情をされました。
「わかりました。
これでやってみます」と
木村さんは言いました。
そこに、理由や理屈はありません。
それを探してもしょうがない、
という場面です。
それをまた木村さんと弓江さんは
直観的に悟ったようです。
今から思えば、
この時の二人コーチングが
本当に運命の分かれ道でした。
つづく