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- 迷い
迷い、
があるのが
人間だ。
だから私は
迷いを
愛する。
あらゆる迷いを
どんな小さな
迷いも
それが
発生したら
自分の両掌の
中に包み、
雛鳥を
守るかのように
大切に
保護する。
迷いは
宝物だと
思っている。
それが自然に
消滅してしまう
まで、
大切に保護し
観察し
慈しみ続ける。
迷いの多くは
苦しみを
伴ったり、
エネルギーを
奪ったり
する。
そういった
苦しみの感覚
エネルギー枯渇の
状態、
そのものを
私は愛する。
あるがままを
見つめ
あるがままを
感じ続ける。
本当の意味で
この生き方が
できるようになった
のは
12年前だ。
その12年前から
明らかに
私の人生展開は
変わった。
それ以前は
迷いをなくすことが
成長だと
思い込んでいた。
それ以後は
迷うのが人間。
迷いを愛するのは
人間を愛することだ
とわかった。
そして面白い
ことに、
そうなることで、
迷いと共に
歩み、
かつ
迷いによって
惑わされなく
なった。
決断すべき
瞬間が
観えるようになった。
そして、
いつもは
迷っているのに、
いざという時に
必ず
決断できる自分に
なれた。
そして、
その決断は
道を拓いた。
私達は
迷うように
できている。
であれば
迷いと共に
進もう。
徹底的に。
つづく
迷い、
が
私達を成長させて
くれる。
だから
しっかりと
迷わねば
ならない。
自分は
迷ってはいない。
・・・などと
ごまかしては
ならない。
自分の迷いと
対峙できる人。
それが
人生を
切り拓ける人。
私達は
大事な局面で、
肝心な
ところで、
迷うように
できており、
とことん迷い、
答えを出す
という
過程を経ることで、
自己の真本音
を理解していく。
真本音度合い
が高まる人
とは、
迷うべき時に
しっかりと
迷う人だ。
自分自身で
本当に納得の
答えを
見つけるまで。
妥協の答えは
ダメだ。
理想の答えに
執着するのも
ダメだ。
最善の答え。
最善の一歩を
スッキリ
見出すまで。
とことん
迷いと
対峙しよう。
つづく
AかBか?
迷ったら、
AかBかを迷っている
自分自身を
本当に
大事にしよう。
決して、
「迷っているなんて
ダメだ」
とは
思わないこと。
迷いは
大事だ。
もちろん、
不必要な迷いも
あるが、
まずは
今ここで迷っている
自分自身を
そのまま、あるがままに
大事にしよう。
すると、
場合によっては、
その迷いを超えた
答えが
生まれることもある。
あくまで
「こともある」
だが。
・・・・・・
時々、
「どれが本当の自分
なのでしょうか?」
というご質問をいただく。
その人は
「本当の自分として
生きたい」
という想いを
お持ちなのだが。
その想い自体は
とても大切だが、
そこに捕らわれすぎると
苦しくなるし、
視野が極端に
狭くなる。
ここでも大事なのは、
「どれも、
ここにあるものは
すべて
本当の自分だろう」
という
大らかさと、
「どれが本当の自分か?
を悩んでいる自分自身を
大事にしよう」
という大らかさだ。
そうやって
思い悩んでいる自分も
本当の自分の
一つだ。
・・・・・・
似た表現で、
私はよく
「本来の自分として
生きよう」
という言い方を
するし、
「本来でない状態で
生きている人が多い」
という言い方も
する。
だから
「どれが本来なんだ?」
という疑問が湧くのは
当然だと思うし、
そういう疑問を
私自身が喚起させて
しまっている
とも思う。
でもやはり
その疑問(=問い)を
持つこと自体は
とても重要で、
これがなければ
始まらないのだが、
しかしやはり
ここでも
「正しい答えを出そう」
とは
思い過ぎない方がいい。
それをすると
余計に
答えが遠のいて
しまう。
「どれが本来か?」
という問いと
共に
「どれでもいいじゃない」
という大らかさを
持って初めて、
私達は
その問いの持つ
真の意味と
真の答えに
たどり着けるんだ。
つづく
あなたの中の
迷いは
何だろうか?
私には
迷いはない。
などとは
決めつけないで
ほしい。
今この瞬間、
この時、
あらゆる人の中に
迷いは
ある。
今は
そういった
大切な時間
だ。
特にこの
数日は。
迷いは
必ず
ある。
今は。
そこに
きちんと目を
向けられるか
どうか?
によって、
令和という
新たな時代の
スタートが
根本的に
変わってくる。
あなたの
迷いは
何か?
本当は
あなたは今、
今だからこそ、
何を
迷っているか?
ちゃんと
向き合おう。
そして。
迷いには
必ず
選択肢がある。
だから次には
あなたの
選択肢を
明確にしよう。
複数の選択肢が
あるからこその
迷い。
逆に言えば、
漠然としていた選択肢を
明確に
することで、
答えが
観えてくる。
とは言え、
答えを出すのは
焦らないこと。
複数の選択肢を
明確にしたら、
次は、
いつ答えを
出すか?
を
決めよう。
何月何日
何時何分、
と、
具体的に
決めよう。
恐らくこの
タイミングは
そう遠くない。
恐らく
ほとんどの人は
この連休中に
答えを出すの
だろう。
タイミングが
わかれば、
あとはその時を
静かに待ち、
その日の
その時間に、
きっちりと
答えを
出そう。
そして、
「決断」
をする。
決断とは、
一つの答えを
決めて、
他の選択肢は
すべて
断ち切ること。
一つを決めて、
他を断ち切る。
だから
決断、だ。
100%その道を
行くと、
完全に決めよう。
そして
新たな時代の
道を
始めよう。
つづく
人生は
試行錯誤の連続
である。
悩み、迷い、
それでも決断し、
やってみて
結果が出て、
また、迷う。
その連続。
真本音度合いが
高まると、
それがなくなるのですか?
と、時々
訊かれるが、
それは
なくならない。
何も
変わらない。
えぇ〜?
じゃあ、意味ないじゃん。
と
思われるかもしれないが、
そうではない。
試行錯誤には
2種類あるからだ。
つまりは、
どれだけ試行錯誤しても
前には進めない
という
試行錯誤がある。
同じところを
グルグル回り続ける
試行錯誤だ。
これは本当は
試行錯誤とは
言わない。
停滞、
と言った方がよい。
もう一つは、
手応えのある
試行錯誤だ。
これは、
試行錯誤自体に
とてつもない充実感を
得る。
とはいえ、
あくまでも試行錯誤
なので、
本気で悩むし
本気で迷う。
しかし、そこを越えて
自分なりの決断ができると、
目の前の視界が
一気に開ける。
それはまるで、
すべてから
解き放たれ、
すべてから
自由になれたような
そんな感覚。
これを私は
「脱皮」
と呼んでいるが、
この、脱皮を伴う
試行錯誤が
本来の試行錯誤だ。
真本音度合いが
高まるということは、
「停滞の試行錯誤」が
なくなり、
「脱皮の試行錯誤」のみが
始まる
ということになるのだ。
・・・・・・
もちろん、
悩むのも
迷うのも
苦しいことだ。
できれば、
悩みも迷いも
まったくない
人生がいい、
と思うだろう。
しかし人間、
面白いもので
そういった意味での
安定を得ると、
途端に
生きがいを失くし、
「自分」を失くす。
生きがいとは、
生きる意味を
感じていること。
生きる意味を
感じない人生は
誰もが
放棄したくなる。
「私は安定を
求めます」
と
誰もが言う。
安定のために
がんばっている人は
多い。
しかし、
そういった意味での安定を
実際に手に入れてしまうと、
残念ながら
冒険したくなるのが
人間だ。
実はここで言う
安定
は、本来の安定では
ないからだ。
・・・・・・
本来の安定とは、
自転車のような
ものである。
つまりは、
進み続けることで
安定する。
止まってしまうと
倒れてしまう。
それが自転車であり、
人間も
同じようなものだ。
ということを、
何万人という人達と
向き合うことで
私は実感した。
私達は
「進むことによる安定」
を
最も望む生き物
なのだ。
恐らくこれが
宇宙の摂理
だ。
だから私は
人間の本能の中心は
「進化」
であると思っている。
・・・・・・
進化が始まると、
誰もが
イキイキする。
目は輝き、
その人らしさが溢れ、
「毎日が楽しくて
しょうがありません」
と言う。
進化が止まると、
途端に人は
元気を失くすし、
輝きを失くす。
それは
あまりにも
顕著だ。
顕著すぎて
笑ってしまう。
そして、
進化にどうしても
必要なのが
「試行錯誤」
である。
もちろん
「脱皮の試行錯誤」
だ。
真本音で生きる、
とは
そういった
私達人間の本能に
素直に生きる、
ということで、
それにより
多くの人達の人生は
冒険的になる。
冒険、
と言っても
決して、無茶は
しない。
真本音は
「できることしか
しない」
のだ。
しかし、
素直にそれを
やり続けると、
側から見れば、
「あの人
無茶だ」
と思われることは
しばしばあるが。
でも本人は
決して
無茶はしていない。
できることを
着実に
日々、行ない続けて
いるだけ。
しかもそれは
自分にとって
最も「適度」な
刺激を伴いながら。
だから、
楽しい。
真本音の人生に
入ると、
すべてが楽しくなる。
そういった人生は
誰もが、
つまりは全員が
手に入れることが
本当はできる。
・・・・・・
実は、
今の私は
試行錯誤の真っ只中
にいる。
迷いの
真っ只中だ。
手がかりが
つかめない。
まったく
つかめない。
だからこそ、
とてつもなく
面白い。
と、
素直に感じることが
できるのは、
ずっと真本音で
生きてきた成果かな、
とも思う。
つづく
今は
加速すべき
時です。
もし
迷っている人が
いるとすれば、
私は必ず
そうアドバイス
するでしょう。
今はもう、
止まっている
時では
ありません。
準備は
整っています。
あとは
必要なのは
前に踏み出す
勇気のみ。
勇気を出せた
人は
一気に進み、
勇気を出せなかった
人は
ずっと止まり続ける。
その
わかりやすい
二者択一の
どちらを選ぶかによって
恐らく、
今後の何十年かの
人生展開が
根本的に
変わるでしょう。
それくらいに
今の
世の中全体の
「潮流」は
重要な時を
迎えています。
・・・・・・
私は
進むべき価値のある
人間でしょうか?
そのような
問いを受けることが
あります。
いやいやいや、
それを決めるのは
あなたでは
ありません。
それに、
それを決めるのは
今では
ありません。
むしろ、
もし自分の愚かさを
知っているので
あれば、
それはチャンス
です。
本当に愚かなのは、
自分の愚かさを
自覚していないこと。
愚かさを知る者は
ちゃんと
「観えている」
のです。
そして、
観えている人
こそが
加速できるのです。
自分の価値は
人生の最期の
瞬間くらいに、
きっと自然に
わかるでしょう。
・・・・・・
あなたの中に
夢や希望が
ありますね。
それは
「幻影」
ですか?
それとも
「実在」
ですか?
もしも
「実在だな」
と思えるのならば、
すぐにでも
加速を
始めてください。
今は
本当に
チャンスです。
今、始めなければ
いつ始めるの?
というくらいの
チャンスです。
それは
あなた自身が
本当は
最もよくわかっている
はず。
あなたの中に
確信は
あるはず。
そこに素直に
進んでください。
勇気とは
今のこの時の
ために
あるのです。
つづく
私にだって
「迷い」はしょっちゅう
あります。
というよりも、
24時間、
迷い続けていると
言ってもよいでしょう。
しかし、
迷っているその心は
「反応本音」
です。
私は、それをよく
知っています。
ですから、
迷っている心は
そのままに
放っておきます。
Aか?Bか?
と迷った時に
どうしてもそのどちらかの
答えがほしくなりますが、
そこで、
答えは出しません。
迷いの心は
迷いの心
だからです。
迷いの心は
迷うために
そこに存在しているから
です。
迷いの心は
迷うという
その行為だけで
その存在意義を
果たしているからです。
迷いの心に、
「決めさせて」は
いけません。
迷っているだけで
完了。
それ以上の
役割は
ありません。
「迷ってくれて
ありがとう」
それだけです。
・・・・・・
その一方で、
「決める心」
もあります。
いえ、
正確に言えば、
「すでに決めている心」
です。
いえ、
もっと正確に言えば、
「すでに最初から
決めている魂」
と言った方が良いかな。
心は
迷えばいい。
そして、
魂で
決める。
のです。
魂の意志を
「真本音」
と言います。
基本的に、
魂に「迷い」は
ありません。
本当のことを言えば、
魂にも「迷い」は
あるのですが、
ちょっとこれはまた
次元の違う話ですので、
話がややこしくなるので
ここではあえて
短絡的に表現します。
魂に「迷い」は
ありません。
魂には
「願い」や「祈り」が
あります。
願いの一点。
祈りの一点。
原点。
それが魂です。
真本音の願いとは
魂の願いであり、
それは人生の願い
です。
それは
一生、揺らぐことは
ありません。
そしてその一点から
現実世界における
あらゆる場面においての
「答え」を
持っています。
その「答え」と
出会うことで
私達は
「確信」
を得ます。
確信とは
100%の意志であり
選択です。
どれだけ
反応本音が迷っていても、
その一方で
真本音の確信は
在り続けます。
反応本音で
迷ったら、
反応本音で無理に
答えを出すのではなく、
すでに存在している
真本音の答え、
確信の答えを
自分の中から
導き出せば
よいのです。
それをするのが、
セルフコーチング
ということですね。
つづく
人生に迷っている人が
増えています。
そして、
「迷い」には2種類あります。
・低い次元の意識による迷い
と
・高い次元の意識による迷い
です。
・・・ということを前回の記事で
書かせていただきました。
(→前回記事)
では、この二つの迷いを区別する
にはどうすればよいでしょうか?
まず大事なのは、
「迷い」を「問い」の形として
明確にすることです。
例えば、
「私は今、転職すべきだろうか?」
というような、
問いの形にするのです。
迷いとは、
答えがわからずに悶々と
することです。
どんな「?」に対して、
自分は悶々としているのかを
明確にするわけです。
「問い」が明確になれば、
次に、
その「問い」の「手前の問い」を
見つけます。
「手前の問い」とは、
その問いの答えがわかることで、
最初の問いの答えも
自動的にわかる問い
のことです。
上記の例で言えば、
「私は今、転職すべきだろうか?」
という問いがわかれば、
その「手前の問い」としては、
例えば、
「私は本当は、どんな仕事を
したいのだろうか?」
とか、
例えば、
「私は今の職場で、
すべきことはすべて
やり尽くしただろうか?」
などが考えられます。
もちろんこれは
本当に「例えば」です。
人によって
全然違う問いが
出てくるでしょう。
しかも「手前の問い」は
ほとんどの場合、
たった一つです。
最もピンとくる問いを
見つけることです。
さて。
「手前の問い」を特定できたら、
人によっては
「手前の問い」のさらに手前に
問いがあるかもしれません。
そして、
さらにさらにその手前にも・・・。
つまりこのように
迷いの「問い」を明確にし、
その「手前の問い」を明確にし、
必要があれば
さらにその「手前の問い」を
明確にし、
さらにさらにその「手前の問い」を
明確にし、
・・・と、
自分が納得できるまで
それを続けます。
この「問い探し」をした時に、
この「問い探し」自体に
自分が真剣になれるかどうか?
です。
早く「問い」を見つけたい。
早く「その答え」を
明確にしたい。
そんな想いが湧き上がり、
「問い探し」に真剣になれるので
あれば、
その人の悩みとは
「高い次元の意識による悩み」
です。
どうしても「問い探し」に
真剣になれない。
それをしようとすると
無気力感や虚脱感や倦怠感が
発生する、
という場合は残念ながら、
それは「低い次元の意識による悩み」
です。
つまりは、
自己満足の悩みであり、
現実逃避するための悩みであり、
悩む必要のない悩み
です。
そういった場合は、
悩んで止まっていることよりも、
今目の前にある現実に
立ち向かっていくことこそが
大事です。
「自分が今、
立ち向かうべき現実とは
何だろう?」
という問いを自分自身に
投げかける必要があります。
以上のように、
自分の中に発生している
「問い」
を、明確にするのは
セルフコーチングの基本です。
私はいつもそこに
敏感になっています。
「あっ、今、自分の中に
問いが発生したな」
とわかった瞬間に私はすぐに
自分の心と向き合い、
「問い」を明確にします。
そして「手前の問い」が
ある場合も、
すぐにすべてを明確にします。
これを日々続ければ、
人生の展開がすごぶる
速くなりますし、
快適になります。
自分の人生と向き合うとは、
自分の中の「問い」と
向き合う、
ということなのかもしれません。
つづく
人生に迷っている人が
増えています。
しかしそれは
健全なことです。
これまではどちらかと言えば、
本当はみんな迷っているのに、
迷っていることに気づいていない
状態でした。
しかし今は、
自分が本当は凄く迷っていることを
多くの人が自覚し始めています。
健全になってきたのです。
迷う、ということは
良いことです。
なぜなら、
答えがもうすぐ見つかる
からです。
迷いの感覚とは、
答えが見つかった証です。
答えが見つからない内は
私達には迷いの感覚は
訪れません。
つまり、
・答えがわかった。
・それを顕在化したい。
・だから迷いの感覚を発生させる。
・・・ということを私達はしています。
ですから、
迷ったら必ず
その「迷い」としっかりと
向き合うことです。
決して「迷い」から
逃げてはいけません。
「迷い」とは
人生を大きく進めるチャンス
なのです。
ただし・・・。
「迷い」には2種類あります。
①低い次元の意識による迷い
と
②高い次元の意識による迷い
です。
①の場合は残念ながら、
本当の「迷い」ではありません。
本当には迷っていないにも関わらず、
迷っていると思い込んでいる状態です。
なぜわざわざそんなことを
するかと言えば、
それは現実逃避をするためです。
本当は、前に進めるにも関わらず、
前に進みたくないために、
わざと「迷う」という状態を
無意識的に創ってしまうのです。
もしくは、
向き合いたくない「現実」から
目をそらすために、
わざと関係ないことで「迷う」という状態を
創ってしまいます。
そういった場合の多くは、
答えは見つかりません。
なぜなら、
答えはないからです。
つまり、
迷わなくてよいところで
迷っているのです。
私はこれを
「逃避のための迷い」
とか
「自己満足の迷い」
と呼んでいます。
それに対して②の「迷い」は、
本当の迷いであり、
しっかりと向き合うことで
人生を進めることのできる
大切な迷いです。
まずはこの二つの迷いの
区別をつけることが
大事です。
そのためにもまずは、
自分の中にある「迷い」を
しっかりと見つめることです。
では、
どうすればこの二つの迷いの
区別をつけることができるでしょうか?
それについては
少し長くなりますので
明日の記事で書かせていただきますね。
つづく
一本道を歩いて来たら、
目の前に分岐が現れました。
道は二つに
分かれています。
右の道を、A
左の道を、B
とします。
Aを行くか?
Bを行くか?
答えを出すのに非常に
苦労したとします。
どうしても
決められない。
どうしても決められないけど、
決めなければならない。
自分の気持ちをしっかり
見つめると、
Aに行きたい気持ちが51%
Bに行きたい気持ちが49%
であることが
わかりました。
そんな場合、
あなたはどちらの道を
選びますか?
第3の道は
ないものとします。
AかBか、
必ずどちらか一方に
決めなければならないと
します。
あなたはどうしますか?
恐らく、
多くの人が、
51%であるAを選ぶと
思います。
ほんのわずかでも
気持ちが多く傾いている方に
向かうと思います。
ところがその場合、
Aに行ったとしても、
「本当はBの方が
よかったのではないか?」
という気持ちが
49%も残っているのです。
49%の気持ちが
後ろに引っ張られながら
Aの道を進むことになります。
するともし、Aの途上で
何か壁にぶつかった場合、
「ほらやっぱりBの方が
よかったじゃん」
と、その時点で進むことを
諦めてしまう。
・・・そんな恐れが高まるでしょう。
迷いながら進む、
葛藤しながら進む
というのは、そういうことです。
では、どうして私達は
迷ってしまうのでしょうか?
その最もシンプルな答えは、
「未来がわからないから」
ですね。
AかBか、どちらに行けば
どうなるか?
そういった未来の結果が
明確にわかるのでしたら、
私達は迷うことはありません。
未来がわかっていて
進むのであれば、
たとえ壁があっても、
それを乗り越えられます。
では、
未来がわかる方法は
ないのでしょうか?
実は、
あるのです。
ただし、正確に言えば、
未来がわかるわけではありません。
ですが、
未来がわかっているのと同様の
選択をすることが
できるのです。
それが、
高い次元の自分の意識で
物事を進める
・・・ということです。
この3次元の世界では、
時間は過去から未来へと
一方向に同じスピードで
流れ続けています。
ですから、未来を見ることが
できません。
しかし、高い次元においては、
過去・今・未来という分離そのものが
もともとありません。
過去も今も未来もすべて
ここにあるのです。
すべてが、「一つ」なのです。
その自分自身からの
判断や選択に素直になれば、
上手く行くだろうか?
上手く行かないだろうか?
という葛藤や不安をすべて超えたところでの
確信的な決断をすることが
できるようになります。
「なんかそれ、
答えを教えてもらって進むみたいで
つまらないじゃないか」
そう思われる人もいるかも
知れませんね。
でもご安心ください。
たとえ高次元の自分で
進んだとしても、
壁や課題はいっぱいいっぱい
現れます。
実は、
私達の真本音は、
どの道を選ぶか?については
何もこだわっていません。
大事なのは、
どの道を選んだとしても
一歩一歩をどのように進むか?
です。
高次元の迷いのない自分で
進めば進むほど、
そのレベルに見合った
壁や課題は降って来ます。
それらを一つずつ乗り越えることに
私達は人生の生き甲斐を感じます。
高次元の道であればあるほど、
難易度は高まりますが、
それが楽しくてしょうがなく
なります。
なぜならそれはまさしく、
進化への道のり
だからです。
つづく