逃げる

何から逃げるか

 

果敢に

新たなステージに

入り、

 

未開の地に

突入している人が

増えている。

 

どうも

私の周りだけでは

ないようだ。

 

そういった

気配とか

 

躍動感を

感じる。

 

とても良いことだ。

 

応援したい。

 

未開の地に

進むということは、

 

当然であるが

それだけ

いろんな困難にぶつかる

ということでもある。

 

覚悟を持って

進む人だからこそ

ぜひ大切にして

いただきたいのは、

 

目の前のその

困難や障壁や、

妨害は、

 

・立ち向かうべきもの

・避けるべきもの

 

一つ一つ

落ち着いて

しっかりと判断してほしい。

 

特に、

覚悟を持った人ほど、

 

立ち向かい過ぎる

 

という傾向が

ある。

 

避けることや

逃げることは

いけないことだ、

思い過ぎる。

 

そうではない。

 

「逃げる」

ことも

とても大事だ。

 

覚悟を持たない人が

逃げてしまうと

それは単なる

現実逃避になる。

 

しかし、

 

ちゃんと覚悟を持ち、

自分の人生を

引き受けている人が

 

未開の地に

入った時には、

 

「今、自分は

何から逃げるべきか?」

 

・・・こここそを

しっかりと自覚し、

 

「本当に立ち向かう

べきもの」

 

しっかりと

区別をしてほしい。

 

そして

自分自身の

エネルギーマネジメントを

的確にすることだ。

 

つまりは、

「自分は何に対して

エネルギーをかけるべきか」

ちゃんと決め、

 

「集中力を高める」

 

ことだ。

 

何でもかんでも

立ち向かってしまうことに

よって、

エネルギーは分散

してしまう。

 

エネルギー分散に

よって

拓くはずの道も

拓かなくなる。

 

いかに自分の

意識を

絞り込むか?

 

自分という存在の

意義を

絞り込むか?

 

覚悟を持った人こそ

大切にしてほしい

ことだ。

 

避けるべきを

ちゃんと避け、

 

逃げるべきから

ちゃんと逃げ、

 

手放すべきを

ちゃんと手放し、

 

諦めるべきを

ちゃんと諦める。

 

そして、

 

本当に立ち向かう

べきと

 

真摯に

誠実に

立ち向かう。

 

これこそが

自己マネジメント

だ。

 

応援しています。

 

つづく

 

逃げたくもなるさ

 

人間、

本当に逃げている

時は、

本人は

 

自分は逃げている

 

とは

認識しないものだ。

 

もし

認識できるので

あれば、

もうその時点でその人は

 

立ち向かっている。

 

逃げる自分を

自覚し

そのまま受け止める

ことは

かなりの覚悟が要る。

 

逃げる自分と

向き合うことが

できる人は

 

真摯だ。

 

自分に対しても

人生に対しても

 

そして

人に対しても。

 

逃げる自分は

見苦しい。

 

もちろんそんな自分は

認めたくないし、

見つめたくない。

 

だからついつい

そんな自分の存在を

感じ取ると、

 

私達はそこに

脚色をする。

 

それがあたかも

必然であり

 

必要であり

 

不可抗力であり

 

しょうがないことで

あり

 

しかも

自分の人生には

大切な経験であると

 

脚色する。

 

しかしそれらは

すべて

言い訳である。

 

自分で自分に対して

言い訳している

だけだ。

 

・・・という事実を

そのまま

存在承認できたら

 

私達はもっと

楽になれる。

 

そしてやはり

真摯になれる。

 

逃げる自分は

格好悪い。

 

その格好悪さも

全部含めて

存在承認できれば

いいね。

 

自分を無理に

正当化する

必要は、ない。

 

自分を

責め続ける

必要も、ない。

 

ただ、

 

あるがまま

 

で良いではないか。

 

そこに、

前に進もうと

する自分も

いるではないか。

 

進む自分と

逃げる自分と

 

もっともっと

いろんな自分と。

 

そこにあるものを

すべて

そのまま見つめて、

 

その上で

 

ちゃんと

自分で決めよう。

 

真摯な自分として

次の一歩を

決めよう。

 

つづく

 

逃げたくってしょうがない?

 

人生は、

逃げたって

いいんだ。

 

ちゃんと

自分が逃げていることを

自覚していれば。

 

自覚すれば

反省ができる。

 

反省すれば

次につながる。

 

しかし、

残念ながら、

 

逃げる人ほど、

自分が逃げている

という事実を

見つめない。

 

最も大事な

その部分を

まるでなかったかの

ように

フタをする。

 

自分は常に

立ち向かって来たんだ。

 

今も立ち向かっている。

 

その中での

選択だ。

 

・・・と、

渾身のエネルギーを使って

自分にそう

思い込ませ続けている。

 

これが最も

辛いことを知らずに。

 

潔さ。

 

もっと

潔く行ってほしい。

 

潔さとは

逃げないことを

言うわけではない。

 

人間だから

逃げることも

あるさ。

 

でも、

その事実をしっかりと

見つめること。

 

それが

潔さだ。

 

潔く

行こう。

 

それが我々にできる

最大のことだ。

 

つづく

 

逃げてもいいじゃないですか

皆さんは人生において、

「逃げる」

という経験をどれくらい

されたでしょうか?

 

「逃げる」

という経験は誰もに

ありますね。

 

私は逃げたことが一度もない

という人は

いないはずです。

 

もしいたとしたら、

単なる嘘つきか、

余程、人生において挑戦というものを

したことのない人です。

 

でも残念ながら

どれだけ挑戦しない人生を

送ろうと思っても、

それを私達の真本音は

許しません。

 

人の根本的本能は

「進化」への欲求です。

 

進化のためには

挑戦は必須です。

 

挑戦をしないということは、

進化という根本欲求を

無視するということですから、

人として、

それは無理な話です。

 

でもひょっとすると、

これまでは

とことん挑戦しない人生、

というのもある意味可能だったかも

しれませんが、

これからは

無理です。

 

また改めて詳しくお話しすることに

なると思いますが、

世の中全体の潮流として、

今、全体の真本音度合いは

着実に、

ジワリジワリと

アップし続けています。

 

どれだけアップしたか?

というよりも

「アップし続けている」という

この流れ自体が重要で、

この状態にあるということは

世の中全体が

自然の摂理に素直な方向に

向かっているということで、

その状況の中では、

自分の真本音や

根本的欲求を無視することは

極めて難しくなるのです。

 

話をもとに戻しますが、

私自身のことで言えば、

私は見事なくらいに

「逃げる」という経験を

重ねてきました。

 

真本音と出会う前の私は

「逃げる」ばかりの人生だった

かも知れません。

 

真本音と出会ってからも

逃げずに立ち向かうとは

どういうことか?を

かなり長い間、

試行錯誤し続けてきました。

 

ですから、

「逃げる」人の心境とか、

心の動きとか、

本当によく理解できます。

 

そして、

「逃げる」ことで

どれだけその後に

苦しみが待っているか?

どれだけその後に

混乱や混沌が待っているか?

もよくわかります。

 

本当に「逃げ続ける」人は、

そういった混乱や混沌さえも

「なかったこと」にします。

 

本当は混乱のさなかに

いるにも関わらず、

「今の私は平和」であり、

「今の私は幸せ」だと

言い張ります。

 

誰に対して言い張っている

かと言いますと、

自分自身に対して

言い張っています。

 

そして、

自分の苦しみから

目を逸らし続けます。

 

私もそうでしたから、

よくわかります。

 

私は

思います。

 

逃げても

いいじゃないか、と。

 

逃げようとしていることを

自覚し、

自ら意図的に

それを選択しているのならば。

 

「あぁ自分は今、逃げているな」

と分かった上で、

「でも今はあえて逃げてしまえ!」

と自分で決める。

 

それであれば、

いいじゃないか、と

私は思います。

 

自覚、

が大事です。

 

私が最もよくないと思うのは、

逃げているくせに

逃げていないふりを

する生き方。

 

逃げている自分を

自分自身に対して

隠している生き方。

 

自分で自分を

ごまかす生き方。

 

・・・です。

 

私は、

潔さとは、

すべてをあるがままに観ること、

あるがままを認めること、

あるがままを受け入れること

だと思います。

 

それさえできていれば、

何とかなります。

 

「逃げよう」と思って

逃げているのであれば、

それは、

人生のハンドルを自分で

握っていることになります。

 

逃げても

いいじゃないですか。

 

自分の意思であれば。

 

進むもよし。

止まるもよし。

曲がるのもよし。

逃げるのもよし。

走るのもよし。

歩くのもよし。

 

真剣に進むのもよし。

やみくもに進むのもよし。

傲慢になるのもよし。

怠慢になるのもよし。

 

すべてちゃんと

自覚し、

自分の意思であれば。

 

ごまかさずに

いるのであれば。

 

私は、

そう思います。

 

自分をごまかさずに

進む人には

ある時ある瞬間から

必ず真本音が発動します。

 

真本音の願いや

真本音の意思が

ある時から

実感できるようになります。

 

それは

少しずつ、少しずつ

かも知れません。

 

でも着実に

実感の度合いは

高まります。

 

今、世の中全体の

真本音度合いが

ジワリジワリと高まっているように、

その潮流に乗るように

ジワリジワリと

本来の私達を取り戻して

行けるようになるのです。

 

自分で自分を

ごまかすのは、

百害あって一利なし。

 

どんな自分でも

良いではないですか。

 

そんな大らかさで

自分を見つめてみませんか。

 

つづく

 

なぜ私はこんなに苦しむのか

自分の人生で起こる

すべての現実は

すべて自分自身が

引き起こしているものであると

本当に自覚した人は

幸せです。

 

頭での理解ではなく、

肚での理解。

 

まったく本当にその通りだと

わずかな淀みもなく

そう理解できた状態を

『覚悟』

と言います。

 

人は、

覚悟を持つと

軽やかになります。

 

すべてから解放・開放された

感覚に満たされます。

 

それは言葉を換えれば、

『自由』

です。

 

ですから私は

「覚悟」と「自由」は

イコールであると思っています。

 

自分自身の人生に対して、

そして

すべての現実に対して、

人が

「覚悟」を持つ瞬間と

私は多く立ち合ってきました。

 

「覚悟」を持った瞬間の

その人の

晴れやかな表情を

どう表現すればよいでしょうか。

 

恐らくその瞬間とは、

人間としての幸せのすべてが

凝縮されているのだと

私には思えます。

 

その瞬間から

人は、

「逃げる」必要がなくなるから

です。

 

私達の魂を淀ませるものの

本質とは

「現実逃避」です。

 

いざとなれば

逃げればいい。

 

ここから

逃げ出したい。

 

逃げれば

何とかなる。

 

・・・そういった

「逃げ」への可能性を

心のどこかに秘めている内は

私達は

苦しみ続けます。

 

自分を救おうとするために

「逃げ」という選択肢を

私達は持つのですが、

実はその選択肢そのものが

自分を苦しめている

というのが人生のカラクリの

一つです。

 

かと言って、

「逃げを手放そう」

としてもいけません。

 

「逃げを手放そう」

とすればするほど、

「逃げ」に執着するのも

私達人間です。

 

「逃げを手放したフリ」を

している人も

私は数多く拝見してきましたが、

そういった人達は

本当に苦しそうです。

 

手放したつもりで

執着の度合いを高めている

からです。

 

私はよく、

「人はもっと楽に

生きることができる」

という表現を使います。

 

しかしその言葉を聴くことで、

すぐに「逃げ」に入る人も

います。

それにより、余計に苦しむ

ことになります。

 

ですので、

「人はもっと楽に

生きることができる」

という言葉は使うべきではないかな、

と思った時期もありました。

 

しかしそれでもやはり、

私は言わねばなりません。

 

人はもっと楽に

生きることができます。

 

そのためには、

逃げなければよいのです。

 

しかしそのために

「逃げ」をなくそう、とか

「逃げ」を手放そうと

してはなりません。

 

じゃあ、

どうすればよいのでしょうか?

 

実はその答えは、

私がこれまでずっと

このブログでお伝えし続けてきた

ことと同じです。

 

「逃げようとしている自分」を

あるがままに

観察する、ということです。

 

「観る」

ということです。

 

そして、その自分を

操作しようと

しないことです。

 

存在を承認する、

それだけのことです。

 

「逃げようとしている自分」と

真摯に

向き合ってみてください。

 

自分は

何から逃げようと

しているでしょうか。

 

それは

ほんの些細なことから

かも知れません。

 

もしくは、

人生を左右する大きな

ことかも知れません。

 

物事の大小は

重要ではありません。

 

逃げようとしている

その姿勢そのものが

本質です。

 

その本質を

きちんと観つめること。

 

観つめ続けること。

 

じーっと

観つめていれば、

ある瞬間から

そんな自分を可愛らしく

感じるはずです。

 

すべての反応本音は

本当は

可愛らしいのです。

 

可愛らしく

感じることができたら、

そんな「逃げる自分」に

伝えてあげてください。

 

「君は可愛いなぁ。

君はそこにいていいんだよ。

だって

それが人間じゃないか。」

 

その瞬間に

私達は解放・開放されます。

 

解放・開放されたときに

自分が立っている大地。

 

その瞬間の自分。

 

それが、私達の

『真本音』

です。

 

「真本音で生きる」とは

覚悟を持ち自由に生きる

ことなのです。

 

つづく