逃げたくもなるさ

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人間、

本当に逃げている

時は、

本人は

 

自分は逃げている

 

とは

認識しないものだ。

 

もし

認識できるので

あれば、

もうその時点でその人は

 

立ち向かっている。

 

逃げる自分を

自覚し

そのまま受け止める

ことは

かなりの覚悟が要る。

 

逃げる自分と

向き合うことが

できる人は

 

真摯だ。

 

自分に対しても

人生に対しても

 

そして

人に対しても。

 

逃げる自分は

見苦しい。

 

もちろんそんな自分は

認めたくないし、

見つめたくない。

 

だからついつい

そんな自分の存在を

感じ取ると、

 

私達はそこに

脚色をする。

 

それがあたかも

必然であり

 

必要であり

 

不可抗力であり

 

しょうがないことで

あり

 

しかも

自分の人生には

大切な経験であると

 

脚色する。

 

しかしそれらは

すべて

言い訳である。

 

自分で自分に対して

言い訳している

だけだ。

 

・・・という事実を

そのまま

存在承認できたら

 

私達はもっと

楽になれる。

 

そしてやはり

真摯になれる。

 

逃げる自分は

格好悪い。

 

その格好悪さも

全部含めて

存在承認できれば

いいね。

 

自分を無理に

正当化する

必要は、ない。

 

自分を

責め続ける

必要も、ない。

 

ただ、

 

あるがまま

 

で良いではないか。

 

そこに、

前に進もうと

する自分も

いるではないか。

 

進む自分と

逃げる自分と

 

もっともっと

いろんな自分と。

 

そこにあるものを

すべて

そのまま見つめて、

 

その上で

 

ちゃんと

自分で決めよう。

 

真摯な自分として

次の一歩を

決めよう。

 

つづく

 

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